第167話 最後のチャンス

 冷静に見るとこの回がチャンスだと、国立には分かる。

 二番から始まる好打順であり、ここで下手に塩谷あたりまで回って無得点であったら、九回の裏は下位打線から。

 意外性のある打力を持つ選手をそろえてはいるが、確率的には得点の期待値は低くなる。


 おそらくトーチバの榊監督も、それは分かっているだろう。

 トーチバにいるベンチメンバーは、全体的に少しだけスタメンに劣る選手と、一芸に特化した選手が多いはずなのである。

 それを表すように、勝ち越し点を上げたメンバーのところに、普通に守備固めらしき選手を入れている。

 それに比べると白富東は、スタメン並に打てる代打などは一人しかいない。

 スタメンもやや差があるが、それ以上にベンチの控えに差がある。

 だがそれはこれから育てていくべき要素でもある。


 この秋の大会で関東大会に進めなければ、少しまずいことが起こる。

 それは体育科を志望して、白富東に入学する者が、考え直す可能性があるということだ。

 なんだかんだ行ってこれまで、白富東はずっと、関東大会には勝ち進んでいった。

 これで負けたとしても、トーチバが明日の決勝で勝ってくれたなら、実質県で二位の強さと言い張ることも出来るだろう。

 だがトーチバはエースをこちらに当ててきて、まず関東大会出場を目指しているのだ。


 連投ぐらいなら、出来なくもないだろう。

 事実甲子園では、組み合わせにもよるがベスト16と準々決勝の間に、一日も休みのない組み合わせが発生する。

 しかしトーチバが、まずここでエースを使ってきたという事実は変わらない。

 関東大会に進めなかった白富東に、強豪校からある程度話のある選手が、どれだけ来るだろうか。

 あとは運悪く知られていない有力選手が、白富東を目指してくるかどうか。


 どうせ負けるなら、春の大会で負けた方がいいのだ。

 事実今年の白富東は、夏のシードを取ることだけで充分であった。

 秋の大会で負けるということ。

 準決勝までは勝ち進み、トーチバといい勝負はしているが、この試合を見て進学先を決める生徒もいるだろう。


 勝てば勝つほどいい人材が集まってくる。

 だが白富東の場合は、体育科であっても授業は、普通科と同じように扱われることがもう知られてきた。

 野球だけに集中したいと、馬鹿でも進学できる私立を目指す、野球に特化した生徒は避けていくだろう。

 体育科は体育科で、もっと授業内容をスポーツ推薦などで進学できるように、変化をつけるべきであったのだ。

 国立はそういう人間とも一緒に野球をやっていたので、気持ちは分かるのだ。




 流れが悪いな、と観客席の後ろの方、引退して進路の決まっている三年が、試合の様子を見ていた。

「俺たちが抜けただけで、こんなに弱くなるもんなのか?」

 のんきそうに大石は言うが、宮武や上山あたりは分かるのだ。

 理論の前提なしに、直観では悟や宇垣も分かっている。

「公式戦での試合経験が少ないからな」

 一年の秋からスタメンに入っていた宇垣の言葉に、一年の春からスタメンに入っていた悟が頷く。


 練習試合や紅白戦とは違う、負ければ終わりの公式戦の中で、必死になるということが分かっていない。

 何人かはちゃんとベンチ入りして、ユーキや耕作などはあの甲子園のマウンドでも投げたのだが、二人ともチームを引っ張っていくタイプではないのだ。

「先頭が出ないと本当にまずいぞ」

 宮武の言葉に、塩野が相手のエースから、ライト方向に上手くボールを打った。

 だが前進してきたライトがキャッチして、惜しくもアウトである。


 もしもここで、三人で終わってしまった場合。

 九回の最後の攻撃も、五番の岩原からなので、まだ得点のチャンスは残っていると言えよう。

 だが下手にランナーが出て、そこで点が入らなかった場合、かなり絶望的なことになる。

 

 ある程度期待して見られるのは、六番の塩谷まで。

 麻宮と宮下は、あまりここぞという時に打てるタイプではない。

「代打だと、誰が出る?」

 山村は自分が代打の方がマシだな、と内心では思う。

「一年の長谷川が、練習試合ではそれなりに打ってたよな」

 だがそれも、やはり公式戦ではないのである。




 三番の大井もまた、強い打球を打ったのだが、セカンドのファインプレイにてアウト。

 ツーアウトとなって、四番の悠木の打席である。

 遠慮せずにホームランを打ってくれ、と考える応援団。

 ベンチとしては、まずは出塁でいい。

 悠木が足もあるので、打順は五番と六番にも、ヒットでランナーを帰せる選手を入れてあるのだ。


 この状況の中でもプレッシャーはなく、悠木はボールを見極め、強く振った。 

 ホームランとまでは行かないが、右中間を割る打球であった。

 俊足を飛ばして二塁に進み、三塁を窺うところで静止。

 ツーアウトながら得点圏にランナーが出たのだ。


 悠木の足なら、自動スタートでホームに帰ってこれる可能性は高い。

 だが野球は三割打てれば充分のスポーツ。

 五番の岩原にはそれほどの長打力がないのを見て、トーチバは外野が前に出てくる。


 悠木ほどにはプレッシャーに強くない岩原であるが、代打に出せるようなバッターはいない。

 国立は伝言を持たせる。

 狙い球にだけ絞って、全力で打つようにと。


 この助言は正しかった。

 岩原は狙い球を、しっかりと引き付けて打った。

 レフト前の打球で、前進守備のレフトのすぐ前に落ちる。

 悠木は三塁ストップで、ホームには帰ってこれなかった。




 ここである。

 国立が計算して打たせることが出来るのは、六番の塩谷まで。

 打率的に考えても、ここで一点を取らないといけない。

 塩谷が凡退すれば、九回の裏は七番から。

 あまり国立が、流れの中で打つタイプではない、と判断している二人が続く。


 七番から始まれば、最終回は最後にはラストバッターのユーキが打席に立つ。

 ユーキは体のバネがあるので、それなりに長打を打つことは出来る。

 だが全般的な打率や出塁率は、それほど高くない。

 上位打線に戻ってこれたら、またそこで手は打てる。

 だがとにかく、ここで打てないのはまずい。


 トーチバの守備は内野安打にならないようにしているが、塩谷はそれほど足が速くないため定位置である。

 外野も定位置に下がった。ヒットになればどのみち、一点は入るのだ。

 だからあまり前に出すぎていると、万一ボールが頭の上を過ぎていけば、一気に一塁ランナーも帰っていく可能性が高い。


 塩谷にもアドバイスはする。

 夏の甲子園でも、ベンチには一応入っていたので、プレッシャーはもっと強いものを知っているはずだ。

 ただ実際に試合には出ていないので、どれだけあの空気を自分のものにしているか。


 際どいボール球にも手を出さず、しっかりとボールは見えている。

 おそらくは打てる。あとは打球が、野手のいないところに飛んでくれるか。


 ストレートを叩いた。

 強いライナーが、サードを襲う。

 グラブを目の前に出したサードは、打球が収まっているのを発見した。

 スリーアウト。

 一番強い打順で、点が取れなかった。

 白富東の攻撃は、九回の裏を残すのみである。

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