第166話 乾く
六回の裏、白富東の攻撃は、三番の大井から。
打撃力だけで点を取っていこうとするなら、一番期待できる打順であろう。
ここでゴロを打て、などとは国立は言わない。
狙い球を絞って、しっかりと振っていく。
指示するのはそれだけである。
三巡目のクリーンナップに、ごちゃごちゃと細かいことを言う方が間違っている。
ただここは精神論で、強く振り切ることだけを考えてもらえばいい。
ストレートとカットボールを見極めるのが、トーチバのエース鹿島を攻略するために一番大切なことだ。
だがこの二球の間に、カーブやチェンジアップを投げてくる。
あるいはそちらを打った方が、見極めの付きにくいストレートとカットボールを打つよりも、簡単なのかもしれない。
だが大井はストレートをレフト前に弾き返した。
クリーンヒットで先頭打者が出塁。
そして打席には四番が入る。
悠木は変に緊張することもなく、集中して足場を固める。
ここも国立は、下手な指示は出さない。
ただ強振して引っ張れとは言ってある。
セオリー通りなら右方向であり、左打者の悠木の場合、それは引っ張ることを意味する。
逆にトーチバとしては、外角を攻めてあわよくばダブルプレイなどを狙っているだろう。
悠木は都合よく、指示の一部を忘れる。
引っ張れというのは、あくまでも最悪の状態を避けるためのもの。
ダブルプレイのような打球が飛んだとしても、悠木の足ならば自分はセーフになる自信がある。
もちろん出来ることなら、右方向へは打っておきたい。
だがそれよりも、強く振っていくことを優先する。
ストレートでもカットボールでも、強く振って外野の頭を越す。
それぐらいの意識で、悠木はバットを振る。
アッパースイングでちゃんと飛ばす。
今の段階では白富東では、一番のバッターであるのは間違いない。
ただし三振もそれなりに多く、出塁率は打率の割にはあまり高くない。
トーチバのベンチも、おおよそ試合の中で、白富東の戦力を悟ってきている。
全般的に言えるのは、まず打線につながりがないということ。
ランナーはそれなりに、ヒットで出るのだが、そこから打線がいやらしい手を取ってこない。
せっかくのランナーを動かせば、それだけバッテリーは集中力も削がれるだろうに。
国立としてもそれは分かっている。
だがそういったプレイは、個々の選手の能力に任されている。
今のランナーの大井も瞬発力があって盗塁も出来る足はある。
だがトーチバの鍛えられたバッテリー相手に、単独スチールを仕掛けようとは思わない。
ややリードを大きめに取るが、あくまでもピッチャーの意識を引くため。
ここは四番の一振りで、一気にホームまで帰してほしいものだ。
悠木もプレッシャーを感じないタイプだ。
ストレートでもカットでも、対応できる。
その悠木に対して、投げてくるのはインコース。
バットの根元近くで打つと、打球はファールグラウンドの方に飛んでいく。
勝負は外かな、と予想する悠木。
ここで悠木が打てば、おそらく勢いがつく。
トーチバの守備配置を見ていると、外野はほぼ定位置。
頭の上を抜く打球をイメージする。
(外!)
スイングの途中で、わずかな変化に気づく。
カットボールだ。救い上げるのは難しい。
とにかく強く、打球を地面に叩きつける。
低い弾道は、内野の間を抜くかと思われた。
だが飛びついたショートが、それをキャッチする。
投げる体勢になるのに、少しはかかるか。
だがショートは腹ばいになったまま、グラブからボールをサードへとトスする。
二塁に投げて、そこでフォースアウト。
悠木は一塁を走り抜けて、ぎりぎりのセーフ。
アウトカウントが増えて、ランナーが替わっただけとなった。
三遊間の連携、白富東は個々の守備力こそ強いが、連携にはまだ鍛える余地がある。
だがそれよりもまず、国立が重要視したのが打力の向上だ。
守備はとりあえず、通常の範囲内の強いボールを、しっかりと捕球できるのが第一である。
ただこういった上手い連携が出ると、チーム自体が盛り上がっていくのも確かだ。
ランナーが悠木に替わったのは、走力という面では大井よりも優れている。
単独スチールも可能なだけの、ダッシュ力を持っているのだ。
五番の岩原は、打っても外野の頭を越えるだけのパワーはない。
ここで盗塁をさせたいが、ストレートとカットを主に使う鹿島からは、なかなか盗塁も難しいはずなのだ。
フォームで球種が分かるような、そんな弱点はない。
ただ配球から、ある程度は予測できる。
そしてもしも違うボールが来れば、ヒットエンドランに切り替える。
かなり都合のいい展開を考えるが、岩原はミート力があるので、一塁のスタートが早ければ、内野ゴロでも二塁に進めるかもしれない。
そしてその展開通りに進んだ。
岩原の打った球はセカンドゴロとなるが、悠木は二塁に進むことが出来た。
ただ当然一塁はアウトで、ツーアウト二塁という場面へ転換する。
ここでバッターは六番のキャッチャー塩谷。
六番に置いているが、実のところ国立は、塩谷は五番でもいいだろうと考えていた。
ただユーキ以外のピッチャーの時はリードを考えないといけないし、トーチバ相手には出来るだけキャッチャーに専念させたい。
そう考えて六番に置いているのだが、キャッチャーらしく読みで打てる塩谷は、期待してもいいはずである。
ツーアウトなので、打ったらランナーは自動にスタートが切れる。
そして悠木は俊足のため、単打でも帰ってこられる可能性が高い。
トーチバもそれを警戒してか、外野はかなり前に来ている。
塩谷もそれなりに長打は打てるので、ここは冒険とも言えるだろう。
だが一点差では、挑むべき冒険だ。
一点を取られた後に、すぐに一点を取り返す。
これは動き始めた試合の中では、白富東に流れを持ってくる展開だ。
緊張しているな、と自己分析をする塩谷。
だがここは打っていく場面だ。
鹿島もここは勝負所と、ギアを上げてきた。
四隅に投げこんでくるストレートは、塩谷の予想を超えてきたものだ。
ややフォームを小さくし、ミートを第一に考えるような塩谷の姿。
内野の間を抜いていくつもりか。
ここで鹿島が選んだのは、カーブであった。
ストレートのあとの緩急ということで、このカーブは有効であったろう。
だが塩谷は、これをこそ狙っていたのだ。
コンパクトなスイングから振ったボールは、サードの頭の上をふらふらと越える。
全力で走ってきたレフトがそれをキャッチしてホームへ送球。
既に三塁を回っていた悠木の背中に、そのボールは直撃した。
「「「あーっ!」」」
体勢を崩しながらも、悠木はホームベースを踏んだ。
レフトの送球ミスにより、追いついた白富東。
悠木はアンダーシャツをめくって冷却剤をかけるが、それほど大事にはなっていない。
この間に塩谷も二塁にまで進んでいて、さらにチャンスは続く。
だが麻宮の打球は平凡なセンターフライ。
定位置に戻っていたセンターが、これはしっかりとキャッチした。
1-1の同点になった。
先制点を奪われたが、その裏の攻撃ですぐさま同点。
逆転にまで進めば完璧であったが、そこまで都合のいいことは考えられない。
すぐさま裏で追いつけたというのが、いい流れとなっているはずなのだ。
七回の表に、ユーキはマウンドに立つ。
ピッチャーの疲労と集中力の低下が、起こりやすいと言われる七回。
だが前の回の失点と、そしてすぐさま追いついたことから、ユーキのテンションは上がっている。
ここで球威を上げて、それでもスタミナが切れないように、塩谷もリードをする。
三振、内野ゴロ、内野フライとお手本のようなピッチングで、鬼門と言われる七回を0で封じた。
その裏の白富東の攻撃も、八番からの打線はいい当たりであったがサードライナー。
そしてラストバッターのユーキである。
ユーキは打率はそこそこだが、バネのある肉体からは、思った以上の長打が出ることが多い。
OPSは高いのだが、ここで無理をさせるのは難しい。
ユーキのスタミナが切れたら、そこで試合は終わると思っておかなければいけない。
ユーキとしてもいささか残念だが、優先順位は了解している。
フォアボール以外では出塁するつもりもない。
やや警戒したような組み立てであったが、ユーキは三振。
先頭打者に戻ったが、九堂も内野ゴロ。
だが四打席目の九堂は、向こうのピッチャーの球威が落ちてきたような気がしていた。
ピッチャーの、エースの差で、白富東は勝てるか。
おんぶにだっこというわけでもないが、やはり打線陣が奮起してほしい。
だが運の偏りもあるのか、ランナーは出るものの得点に結びついたのは一点だけ。
打撃と言うよりは、そこから活かしていく方法が間違っているのか。
ただ白富東の場合は、バッターがケースバッティングすることが少ない。
本当は国立も身につけさせたい技術であるのだが、そこはまずミートと強振を優先したのだ。
引退した三年生に、リソースをかけすぎたというのはある。
だが目の前の一勝ではなく、より高い場所を目指していくなら、基礎的な力は身につけておかないといけない。
それが長打を狙っていくということだ。
八回の表、上位打線から始まるここで、トーチバはどうにか勝ち越し点を奪いたい。
ヒット数は少ないながら、同点で試合は推移している。
それに七回の表、ユーキのピッチングはかなり力任せなものがあった。
そのくせボール球ははっきりと力が抜けていて、見極めやすくなっている。
仕方のないことなのだろうが、外すボールからは力が抜けて、バッターは判断がしやすくなっている。
ゾーンに入った140㎞台後半のストレートを、センター前に弾き返された。
続くバッターがバントで送って、いよいよクリーンナップ。
投げているユーキもだが、リードする塩谷も、脳が汗をかく状態。
上手くコンビネーションでフルカウントにまでは持っていったが、そこでストレートで勝負してしまうのが、バッテリーの若さか。
打球は左中間に落ちた。
ランナーは一塁から三塁へ。
ホームをうかがうが、中継送球は素早い。ノーアウト二三塁で、四番にまで回ってきた。
白富東はここで、選択すべきである。
大量点の危険を知りつつ、一点もやらない覚悟を決めるか。
もしくは一点を失ってでも、アウトをしっかりと取っていくか。
あとはスクイズも警戒しなければいけない。
国立はバッテリーの見極めが出来ないので、そこが問題になる。
伝令を送って、四番とは勝負。
(勝負か)
正直なところ、厳しい場面だ。
だがそこで国立が指示を出してくれたことで、はっきりと覚悟が決まる。
ここは一点もやらない。
そして必ず打って勝つ。
ユーキはまだスタミナ切れになっていない。
ボールの力だけで、なんとかこのピンチをしのいでみせる。
そんなピッチャーの力に頼ってしまうのは、本当は悪いことなのだが。
ただ目の前のバッターだけを打ち取ることを考える。
ただしノーアウトで二三塁なので、四番でもスクイズの可能性もあるのだ。
大きく息をついてから、ユーキはバッターに集中する。
ここはピッチャーの力で、どうにか失点を防いでみせる。
初球のストレートから、トーチバはスクイズをしかけてきた。
だがユーキはボールを外さない。
この日一番の渾身のストレートが、高めに向かう。
バントしようとしたバッターの腰が引けるほどの、150kmオーバーのストレート。
打球は真上に上がって、慌てて三塁ランナーは戻る。
球威によって勝利した。
キャッチャーミットにそのフライを収めて、まずはワンナウト。
初球から予想していたわけではないが、塩谷のリードは成功である。
そしてここでまた、トーチバは代打を出してきた。
一点の価値が重い試合だ。
この代打に対するデータは少ないが、夏の大会はベンチにも入っていなかった。
名前と学年ぐらいで、練習試合などでのデータも集まっていない。
体格を見るに長距離砲に思えるが、そんな見た目をしておいて、実は小器用にバントをしてくるかもしれない。
一球目はまた高めに外した。
このボールには反応せず、バントの兆しもない。
だが普通に打ってくるなら、今の高めにも少しは反応しても良さそうだが。
(じゃあカーブを低めに)
ユーキの斜めに入ってくるカーブは、右打者には打ちにくいだろう。
最悪この打者は、歩かせることも考える。
さっきのスクイズ失敗が、白富東にとってはありがたい。
カーブ。ゆっくりと落ちていくボール。
それを叩くのが、このバッターの役割であったか。
体格は見掛け倒しではない。
後に知ることだが、このバッターは遅い変化球を飛ばすのが、特異な選手であったのだ。
レフトが後退して、どうにかキャッチする。
しかしそこからでは、タッチアップのランナーは悠々と帰ってこられる。
ツーアウトながら一点勝ち越し。
二塁ランナーは、そこで止まったまま。
低めに入ったカーブを、しっかりと外野フライにした。
そういう選手までしっかり揃えておけるのが、私立の層の厚さなのだ。
続くバッターは内野ゴロで打ち取ったものの、またも一点差となった。
残り二イニングで、白富東はまた一点を取らなければいけない。
出来るならば二点を取って、延長戦はしたくない。
二番の塩野から始まる八回の裏。
おそらくここが、この試合最大の山場となるだろう。
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