第45話 センバツの前の壁

 ある程度予想していたことだが、甲府尚武のストロングポイントは、白富東相手にはあまり発揮されない。

 それはエースである甲斐の特徴を挙げても、脅威にならないということで分かる。

 サイドスロー気味のサウスポーで、それなりにスピードがあって、効果がありそうなのはカーブぐらい。

 淳の劣化版ではないか。


 当たり前のことだが、関東大会の一回戦、甲府尚武はエースの甲斐が投げてきた。

 白富東はそれに対し、動ける巨漢の宇垣が先頭打者である。

 左対左ではあるが、宇垣はサウスポーを苦手にはしない。

 しかしサウスポーでサイドスロー気味というのは、さすがに珍しい。


 珍しいピッチャーは貴重である。

 標準から外れているというだけで、それだけ打ちにくいのだから。

 今の二年生までが、とにかくどんな変化球にも対応出来るのは、新しい球種を身につけるたびに、直史のピッチングの実験台になったからだ。

 また武史のボールも経験しているため、スピードボールにも対応出来る。


 もちろんピッチャー一人一人の特徴は違うし、同じピッチャーでも日によって調子が変わる。

 直史の場合は今日はこれと何か球種を決めて、それを中心に組み立てていたが。

 化け物を基準にしてはいけない。




 サイドスローがクロスファイヤー気味に投げる、一番打ちにくい外への球を、宇垣は普通に打った。

 センター前に弾き返し、特に喜ぶでもなく一塁ベースに立つ。

 不思議な感覚だ。

 公式戦であるのに、ほとんど応援がない。

 思えば白富東というのは、常に応援されているチームであった。


 相手の甲府尚武は地元だけに、OBも含めてかかなりの応援を動員している。

 コアなファンと父母層のみの白富東は、それでも甲子園以外の大会で地元を離れていると思えば、かなり多い方なのだ。

 もっとも、やはり最盛期はSS世代の最後の一年であった。


 哲平としてはそのあたりはどうでもいい。

 とりあえず宇垣をホームに帰すのが、自分の仕事だ。

 二番打者。

 哲平にとっては、このポジションはひどくしっくりする。

 先頭ランナーが出た時には小技が使えるし、誰もいないならじっくり打っていける。

 ただ哲平は宇垣に比べるとだが、ややサウスポーは苦手だ。

 これは宇垣の方が優れているとかではなく、元々そういう苦手なものが少ない人間がいるのだ。


 難しい球には微動だにせず、狙い球を絞る。

 もっともこのレベルのピッチャーであれば、狙い球が来れば確実に打てる。

 左打者にとっては背中から現れるか、それとも外へ逃げていく球。

 確かに難しい球であるが、真田のスライダーに比べれば児戯に等しい。

 それに淳にサイドスローに戻ってもらって、ある程度の練習もしている。


 外の球を、踏み込んで打つ。

 これで内野ゴロゲッツーを狙っていたのかもしれないが、スイングスピードが速いと、普通にレフトの頭を越えていくのだ。

 宇垣は動けるタイプのデブであるので、ベースを回る間に加速していく。

 一塁から長躯ホームに帰り、まずは一点である。




 連打が止まらない。


 白富東はアレクという、単打も長打も打てる俊足の一番が抜けたわけだが、ついでに甲子園でホームランを打ちそれぞれ高校通算30本以上のホームランを打った鬼塚と倉田もいなくなったわけだが、打線が止まらない。

 打力が落ちたなどと言われているが、つないでいくバッティングが出来る選手はまだまだいる。

 初回だけでも五点。

 そして次の回では、二打席目の悟からホームランが飛び出した。

 オマケに次の孝司までホームランを打って、これがとどめになった。五回コールド16-0で、一回戦突破。

 次に勝てば、センバツ当確のベスト4である。


 土日の連戦となるわけで、本当ならばピッチャーは二枚ほしいところである。

 だが五回までを省エネピッチで勝てたので、淳としては特に疲れも溜まっていない。

 ただし秦野は、ちゃんと対戦相手のことも考えて、ピッチャーへの負担がかからないことを考えている。


 センバツをほぼ確定させる、ベスト4への準々決勝。

 相手は甲子園常連の、東名大相模原である。

 神奈川県の今年の一位であり、当然ながら弱いわけはない。

 ただ全国屈指の強豪区神奈川は、去年あたりから少しおかしな動向が見られる。

 公立が割とトーナメントを勝ち上がり、私立が勝っても圧勝ということがない。

 これは神奈川だけではなく、関東の他の県でも言える。


 最初はセイバーの関与を疑った秦野であるが、さすがに世の中の野球の動きの全てに、彼女が関わっているわけではない。

 データを見る限りでは、神奈川の私立が弱くなったと言うより、公立が上手く工夫して時間を使って、実力を高めているらしい。

 もっとも最後の壁を破るところまではいかず、今年は例年通り二校とも私立である。

「エース津末はMAX150kmのストレートを武器とし、カットボールで打たせる。時々チェンジアップを混ぜるってなってるんだけど、これMAXはあっても平均が低いタイプのピッチャーだ」

 秦野はばっさりと切る。それでもコンビネーションで使えるピッチャーではあるのだが。


 直史の場合はMAXは150kmに達しなかったが、一試合を通して普通にいつでも145kmほどが投げられた。

 津末の場合はカットボールが多いとは言え、平均球速は直史の方がはるかに速い。

 ただ直史のストレートは、かなりおかしなストレートであったのだが。


 相模原のストロングポイントは、ピッチャーではなく打線である。

 秋の県大会では、四割を超える打線で、ホームランを量産した。

 昔ながらの東名大相模原は、もっとオーソドックスな手を使うチームだったはずなのだが、かなり大味になっているという印象がある。

「けれど盗塁も多いし犠打も多いし、そのあたりの前の塁を狙っていくという感覚は変わらないな」

 強振を心がけた上で、先手を打つために堅実な作戦も使う。

 伝統校というのは、新しい理論を、自分たちのチームで消化するらしい。


 これと対決するにあたり、秦野はピッチャーの選択に迷った。

 おおよそ正統派ピッチャーに対しては強い相模原は、本来は技巧派や軟投派で勝負したい。

 淳の体力も消耗していないので、それも可能ではあると思ったのだ。

 だが、基本的に淳のようなタイプのピッチャーは、どんなチームでも打ちあぐねるのだ。

 それを考えれば、ここは軟投派として花沢、などという選択もあるのか。

 ない。同じ軟投派でも、投球の幅が違いすぎる。


「先発はトニーでいく」

 秦野の考えでは、真っ向勝負となる。




 関東大会の準々決勝は、準決勝や、あるいは決勝よりも大変である場合がある。

 なぜならベスト4に進出すれば、センバツ出場がほぼ当確するからだ。

 準決勝でボロ負けなどした場合、同じ県から二つのチームがベスト4まで進出していれば、選ばれない可能性もわずかに存在する。

 ただそれは可能性として存在しているだけで、実際にはないと断言してもいいほどの可能性だ。


 勇名館もまた向こうの山でベスト8には残っている。

 ただ次に当たるのが、白富東の対抗である、花咲徳政なので、ベスト4までは難しいだろう。


 この試合で決まる。

 そう思いながら、秦野は今日も指揮を執る。

 ベンチから確認する限り、相手の先発もエースの津末で間違いないようだ。

 こちらの打撃力を考えると、作戦も組み合わせて最低三点は取れるだろう。

 あとは相手の強力打線をどう抑えていくかだ。


 既に対策は考えている。

 東名大相模原は、確かに長打力のあるチームで、それ以外の戦術も駆使してくる。

 ただ目立つのは、その三振の多さである。

 フルスイングの結果、三振になっても上等。

 下手に併殺になるよりはマシと、秦野としても分からないではない。

 だが打率の高さに比べると、出塁率との差があまりない。

 つまりブンブン振ってくるチームか、あるいはミート力に問題があるとういうことだ。

 そんなチームに本格派のトニーを当てるのは、本来ならホームランの危険が高いのだろう。


 だがスコアをある程度詳しく見れば分かる。

 東名大相模原の打撃力は、張子の虎だと。




 白富東の先攻を取っていく方針は、今でも変わらない。

 この試合にしても先攻が良かったのだが、秦野は例外的に、後攻でも良かったと思う。

 そして実際に、じゃんけんに負けて後攻となった。


 先頭打者に対して、トニーは初球からインハイのストレート。

 そして続いてインローのストレート。

 最後は外に外したスライダーで三振を取った。


 内角を攻められると、窮屈なスイングで空振りになっていた。

 やはり東名大相模原のバッティングは、長打狙いの点では画一的である。

(内角をあえて捨てて、踏み込んで打つパターン。まあ野手の体格を見たら、ある程度は想像がつくわな)

 ステップ打法により、外の球を踏み込んで打つ。

 センスのあるバッターなら内角も腕を畳んで処理出来るのだが、少なくとも映像を見た限りでは、そういった選手はごくわずかだ。


 長打を狙う。それは統計的に見れば、確かに間違いではない。

 だが高校野球は試合数が違うだけに、選択の幅を広く持つか、一つの選択からの派生を考えなければいけない。

 二番も同じように、内角攻めから外へと外れる球を使うが、あちらもすぐに修正するようだ。

 ネクストにいた三番に向けて、監督から伝令が出た。そしてその間に、バッターは内角の球を引っ掛けてサードゴロ。

 そしておそらく監督の指示を受けて、三番が打席に入る。


 長打力があると言われていても、秦野が本当に警戒しているのおは、この三番と四番だけである。

 キャッチャーの孝司からの視線を受けて、秦野も事前に決めていたサインを送る。


 三番への内角初球、左足を開くようにして、上手く角度を合わせた。

 三遊間を綺麗に抜けた球が、レフト前ヒットとなる。

「こちらの狙いを、すぐに見抜いて対応か」

 さすがに名門で長く監督を務めている者は違う。




 東名大相模原の長打力の正体は、外角の球への対処だ。

 踏み込んで打つ。ただ一つの、単純な答え。

 だがこの作戦で鍛えられた打者は、かえって内角が打てなくなることがある。

 もちろんただの内角球なら打てるのだが、トニーほどのスピードがあれば話は別だ。


 窮屈な内角を打てば、打球も窮屈になる。

 それで逃げていったボール球を空ぶるか、内角に無理に手を出して差し込まれるというのが打線のパターンだ。

 しかしその中でも、三番と四番のみは、それ以外のバッティングの技術も持っている。


 ステップをなくして長打力を抑えるかわりに、体を開いて内角を打つ。

 バットの根元になるので長打にするのは難しいが、上手くすればヒットは打てる。

 そして三番が出塁したからには、四番が打って帰さなければいけない。

 この四番に限っては、踏み込まずとも打てる長打力がある。


 打者二人目の途中で気付き、すぐに修正する。

 確かにそれで内角は打てるようになるが、今度は外角への対処はどうなのか。

 集めた映像の中では、四番は内角も外角も綺麗に打っていた。

 どちらかに絞れば、確実に打てるということだ。


 この四番へは、どう対処するか。

 それはこの試合の先発を、トニーに任せたことに関係する。

 初球のインハイの球速は、今日のここまででのMAX。

 おそらくは150kmは出ただろう。

 そして二球目は、アウトローにビシッとストライクを入れてくる。

 二球だけで追い込んだ場合、バッテリーの取れる選択肢は大変に多くなる。

 ここで選んだのは、まだ未完成のチェンジアップ。

 空振りで三振を奪い、まずはランナー残塁。




 最初の三番と四番への対処が、この試合の行方を占い一端になるはずであった。

 そしてチェンジアップを使うことにより、あの四番の頭の中には、緩急のイメージが強烈に刻み込まれたはずだ。

 ひょっとしたら、向こうの監督へも。


 内角と外角の攻め方。そしてチェンジアップ。

 東名大相模原の攻略としては、危険なはずの内角を攻めた上で、緩急も使うことになる。

 踏み込んで打つステップ打法に対しては、内角を攻めることが効果的だ。しかしそれはバッテリーが共に、強気で内角を攻められたかによる。

 少なくとも一回の表は、こちらの思惑通りに展開した。


 次は攻撃だ。

 事前のスコアと映像で分析した、エース津末の攻略法。

 とりあえず先頭打者の宇垣なら、それが正しいかどうかは確認してくるだろう。

(とりあえずパワーさえあれば、踏み込んで打つか。でもそれはどうなのかな)

 フルスイングして三振してでも球を遠くに飛ばせばいい。これは一つの考え方だ。

 しかしみっともなくコロコロと三振を続けるのも、それはそれで芸がない。


 それにフルスイング打法への対処法は、秦野はちゃんと知っている。

 一つはこの内角攻めであるが、それだけではない。

 東名大相模原のステップ打法は、球を強く打つという、バッターの基本には忠実なのかもしれないが、それだけならバカの一つ覚えだ。

「宇垣ー! 出ろよー!」

 自分のバットを持ち、ベンチから悟が声援を飛ばす。いつも通りに不機嫌そうな顔で、宇垣はマウンドのピッチャーと対決する。


 相手の戦力や、攻撃、投手を分析してそれに対応する。

 どこまで深く、状況に対応した手段を持っているか。

 監督となってまだ二年も経過していないが、秦野は白富東において、やるべきことをしっかりと教えていた。

 宇垣は傲然としたところはあるが、理屈を分からない頑迷さは持っていない。


 相手の初球、先頭打者ならまず様子を見ていくところ。

 まだ肩の温まらないところのストレートを、宇垣はピッチャー返しする。

 鋭い打球は二遊間を抜けて、まずノーアウトのランナーを出した。

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