第46話 扉
白富東は二番バッターの哲平が、バントの体勢からバスターエンドラン。
内野を抜いて無死一塁三塁とチャンスを広げる。
そして秋からの白富東新チームにおける、打率と打点とホームランの三冠王悟の打席である。
これがランナーが二三塁であれば、間違いなく敬遠の満塁策だろう。
ただこの序盤で、ノーアウト満塁で四番に回すというのか。
本日の四番に入っている孝司も、悟ほどではないが恐ろしいバッターである。
そう、今年の白富東の特徴は、切れ目のない打線、というところにある。
単純に打率がいいだけではなく、走ることが出来る者がほとんどだ。
筋肉ゴリゴリで重そうに見える久留米でも、実はけっこう走れる。
打撃だけではなく、攻撃において切れ目がない。
打撃戦の殴り合いが、今年の白富東の真骨頂だ。
(それでも今年はまだ、淳とトニーがいるけどなあ)
笑えるような冗談だが、白富東には岩崎が150kmを記録して以来、常に150kmを出せるピッチャーが在籍していた。
しかしそれも、トニーの卒業と共に途切れる。
(継投を細かくして、この投手力低下を感じさせない)
そして打撃と走塁で相手を混乱させ、そのまま押し切る。
はっきり言って、東名大相模原レベルであると、気付かれている可能性が高い。
気付かれていてもなお、そのスタイルを貫けるか。
打席の悟としては、ここで一気に主導権を握れるかがかかっていると判断する。
(ゾーン内なら強く叩いて、外野フライにまでは持っていく)
宇垣なら帰ってこられるだろう。
伝説を作ってきた白富東と言っても、その中核メンバーは抜けた秋。
県内ではまだ無敗かもしれないが、関東まで広げれば、さすがに対抗する力はあるだろうと思っていた。
しかし一回戦、山梨県の二位代表、名門甲府尚武を相手に一方的な勝利。
そして一年生の先頭打者から、高打率高長打率の哲平に打たれ、あっさりと失点のピンチ。
迎えるバッターは、夏の甲子園で三本のホームランを打っている、水上悟。
津末は知っている。悟の名前が出てきた時、なんでこいつを取っておかなかったのかと、監督たちが話していたことを。
中学二年生の時点で、東京の強豪シニアで四番を打ち、三塁ランナーがいたら絶対に帰す、勝負強いバッターと知られていたのだ。
SS世代やその一つ下は、問題があったり無名であったりした選手が多かったが、こいつは怪我のせいでスカウトから洩れたのだという。
(この試合に勝てば、ほぼセンバツ確定のベスト4)
なんとしても勝ちたい。ただ、思うだけで勝てるものでもないのも知っている。
リスクがあるのは分かるが、ここでこの一年を打ち取って、相手の意気を挫いておきたい。
監督からは歩かせてもいいという指示が出ているが、まずは勝負の姿勢である。
(ここよ、ここ)
(うむ)
インハイ。バッターにとっては、もっとも球速の球威を感じるコース。
しかし悟はそれに仰け反ることもなく、バットの根元で叩いた。
遠心力のかからない打ち方であったが、悟もそれは分かっていた。
しかし目の前に来た球というのは、確かに恐ろしいがミートもしやすいと考える。一塁線上を飛び、ぎりぎりフェアグラウンド内に落ち、ライトは回り込んで捕球。
当然ながら宇垣はホームに帰り、哲平も三塁へ。
悟はシングルヒットであったが、見事な先制点を叩き出した。
かつて、三塁ランナー絶対帰すマンと言われた悟は、やはりランナーが三塁にいると、打席での集中力が上がるらしい。
四番の孝司は、右中間の深いところに犠牲フライ。
ここでもまた一点を取り、まずは二点先制。
その後は後続に快音はなかったものの、確実に二点が取れた。
二回から秦野は、バッターの攻略に新たな指示を出す。
そう言っても特別なものではなく、内角攻めは続けながらも、外角も効果的に使っていくというものである。
根本的に言うと東名大相模原のバッティングは、一番難しいコースであるアウトローを、どう打つかというものである。
その攻略の目的であるアウトローを、基本は外しながら投げていく。
内角を攻められた後に、普段重視するアウトローへのピッチングとなれば、やはり手が出てしまうものらしい。
三者凡退で、白富東の攻撃に移る。
東名大相模原は、試合のテンポを向こうに握られているのを感じてくる。
攻撃が比較的淡白なものとなり、守備の時間が長くなってしまう。
まずいとは思うのだが、白富東の打線を止めることが出来ない。
向こうのピッチャーによる内角攻めも、すぐに外角を広く使ったものへと変化した。
アウトロー。この攻略こそが、高校野球においてどれだけ重要なことなのか。
しかしこれを理解はしても、他のコースを攻められて、一度頭の中に内角が刻まれれば、すぐに切り替えるのは難しい。
それでも全く手が出ないということはなく、一点は返す。
しかしその間に、向こうの連打が重なり、得点へとつながっていく。
地力の差。あるいは練習において、選択肢を増やしたのか。
白富東は、今年もやはり強かった。
七回の裏に八点目が入り、七回コールドの8-1で、白富東は準決勝に進出を決めた。
これで、センバツ出場はほぼ決定である。
日曜日の試合を終え、選手たちを乗せたバスは、千葉への帰路を取る。
次の週末に準決勝と決勝を行い、そこで関東の頂点の座を決める。
とは言っても東京がいないので、本当の関東の覇者とも言えないのだが。
準決勝の相手は、水戸学舎と決まった。
そして決勝に残るのは、花咲徳政か桐野のどちらかである。決勝の相手は予想通りだ。
その関東大会の覇者が決まると、プロ野球の日本シリーズが終了し、いよいよドラフト会議である。
それから後にあるのは、大学の秋のリーグの最終戦と、神宮大会だ。
高校野球においては一番忙しいのは夏の大会であるが、日本の野球全体を見ると、この秋のシーズンが一番忙しい。
高校では各地区大会から神宮大会、大学も秋のリーグ戦から神宮大会、社会人野球ではやはり11月に選手権大会が行われる。
そう考えるとプロのシーズンが終わるのが、一番早い。
今年の白富東は、全ての打者が打てるチームとなっている。
一年の頃から即戦力級であった淳たち四人を除いても、久留米と駒井はこの最後の年度に、大きく実力を高めたと言っていい。
駒井はそこそこ練習試合などでも打っていたが、それよりも久留米である。
孝司が自分に替えて四番にと提言するぐらい、新チームでは打撃が好調だ。
一年の頃は、パワーはあるが扇風機と言われてもいた。
だが黙々とトレーニングを続け、特に変化球打ちを意識して、三振しそうでもカットで逃げられるようになった。
それでもまだ打率はやや他の中核選手に比べれば低いが、長打率は高い。
かすっただけの球をスタンドまで持っていくパワーは、やはり魅力的だ。
難しいかと思っていたが、意外と神宮にまた行けるかもしれない。
花咲徳政と桐野の試合を直前で見て、データを増やすことが出来るのもありがたい。
神奈川一位の相模原をコールドで破ったというのは、それだけ大きいのだ。
ただ、神宮に出場出来ても、優勝はかなり難しいだろう。
大本命と言われている帝都一が、万全の状態でいるだろうからだ。
白富東も県大会からここまで、ほぼ圧勝で来ている。
だがセンバツへの出場が決まった以上、ここいらで負けても全くおかしくはないし惜しくもない。
準決勝まで勝ち進むと、それだけ周囲の期待も大きくなってくる。
だが秦野はまだ、この新チームの完成形が見えていない。
打力と得点力重視というのは決まっているが、かと言ってピッチャーを軽視するわけでもない。
トニーの球速は順調に上がってきているし、この冬を有効に使えば、さらに2~3kmのアップは現実的だろう。
淳にしてもアンダースローの球速が伸びれば、それだけ他の変化球が生きてくる。
そんな中でも、色々と周囲は騒がしい。
白富東に関して言えば、プロ野球のドラフト会議が迫っているからだ。
日程調整で前後することが多い今年のドラフトは、関東大会が終わってから行われる。
白富東からはアレクと鬼塚がプロ志望届を出しており、おそらくアレクは一位指名されるのではと言われている。
アレクは戸籍上は外国人であるが、プロ野球の制度的には日本人として扱われるのだ。
高校の三年間、あるいは大学の四年間を日本で過ごした選手。
あるいは日本のリーグで一定の期間を過ごせば、日本人としての普通枠として扱うことが出来るのだ。
アレクが長打を連発し、外野を広く駆け回る姿は、テレビでも多く放送された。
外野はどこでも守れるので、使いやすいということもある。
本人は在京球団を希望しているが、契約内容次第では、別にどのチームでもいいとは言っている。
(鬼塚がどうするか……)
鬼塚もまた、上位指名が期待されてはいる。
おおよそ能力的には、アレクの半回り下と見られることの多い鬼塚であるが、秦野のようにずっと見ていると、アレクよりも上回っているところもちゃんとあるのが分かる。
まず、内野も守れる守備力。長身のためにショートなどは避けた方がいいだろうが、サードでもかなりの守備機会がある。
それとアレクよりも、体力は上ということだ。
アレクは大会前になると練習量を減らしていき、体調を整える。
もちろん鬼塚も直前には調整に入るが、それまではアレクよりもずっと運動量が多い。
プロ野球は年間143試合である。
おそらくアレクは、実力的には即戦力であろうが、一年目は二軍で過ごすか、一軍で体調を崩して二軍に落ちていくかもしれない。
秦野はその頃はいなかったが、一年の夏には日本の気候に慣れず、体調を壊していたのだ。
高校野球も過密日程で行われるが、プロはおおよそ一週間のうちの六日が試合である。
その間には疲労は別としても、それ以外でも不調になることはあるだろう。
大介でさえ、ノーヒットの試合がそこそこ続いたことはあったのだ。
心配ではあるが、もはや秦野の手の届く世界ではない。
重要なのは今のチームを、確実に甲子園で勝ち進ませること、
つまり水戸学舎の分析である。
水戸学舎のやっている野球は、数字や試合展開だけを見れば、オーソドックスなものである。
ただ特に、点を取った時の攻撃には、一気呵成の凶暴さを見せる。
それにピッチャーにも個性がある。
「アンダースローか……」
ここもまた、アンダースローである。
最近はアンダースローが流行っているのかとも思うが、使えるアンダースローを教えられる人間が増えたのだろうか。
だがこのピッチャーを追跡調査する限り、小学生の頃は普通に上から投げていた。
中学生に身長が伸びず、そこからアンダースローに切り替えたという話らしい。
つまりアンダースローとしての経験は、淳よりも長い。
スピードはせいぜいが125km程度で、よくもその球速で抑えられたと思うものだが、球種がある程度豊富なことと、キャッチャーのリードが上手いことが原因なのだろう。
それと、打撃の方は長打力こそやや低いが、どんな相手にもおおよそ対応出来ている。
既に卒業したが、プロに行った本格派ピッチャーが、かなりバッピも務めていたらしい。
今年も速球を投げるピッチャーもいるらしいが、この変則派のエースと二人で、相性のいい方をずっと使うか、継投で乗り切っている。
アンダースローの渋江に、左の本格派梅津。
あとは打線の方も、頼れる中軸を中心に、下位打線まで粘り強く出塁を狙っていく。
シニアから同じメンバーが多いということで、チームワークがしっかりとしている。
スモールベースボールが基本で、それぞれの状況での最適解が分かっている。
それでも決定力がないわけでもなく、それなりに打って勝っている。
(なんだかんだ言って茨城県も、100校以上は出てくる県だからなあ)
そこで勝ち進んできたのだから、弱いはずもない。
県内一強ということもなく、かなり新陳代謝が激しい。
白富東が県内では、勝って当然と思われるのとは、全く状況が違う。
試合から帰って次の日の月曜、練習自体は休みにするが、ミーティングは行う。
「はっきり言ってうちと似ているチームで、うちよりもそれぞれの能力が低い」
アンダースローとオーバースローにそれぞれ代表的な投手がいて、打線は打力こそ低いが、厄介なバッターは多い。
同じアンダースローでも右と左では希少度が段違いであるが、アンダースローの軌道を打つ練習にはなるだろう。
そして本格派の方も、トニーに比べれば球速で劣る。ただ、左の本格派はトニーより希少だろうが、それだけならば武史で慣れている。
そして打線の方がとにかく、次の打者につないでいく選択をする。
バスターやプッシュバントの他に、オーソドックスな送りバントにスクイズの成功率も高い。
「四番でもスクイズさせてるのかよ」
孝司は呆れるが、それで勝てる場面なら、自分でもスクイズはするだろう。
勝つことを明確に意識し、選手のエゴは少ない。
全体的には白富東の方がどの部分でも上回っているが、それらの数値に安堵していたらジャイアントキリングもありえる。
シニアからそのまま持ち上がった選手がスタメンのほとんどを構成し、勝つための手段を共有しているのだ。
このチームは、ここで叩いておきたい。
「センバツもだし、来年の夏も当たるかもしれないチームだからな。細かい指示を出すから、ミスのないように」
秦野がここまで注意するのは珍しい。
ストロングポイントが分かっているのだから、そこをいつもは注意するのに。
秦野にしても、このチームの説明をすることは難しい。
満点はないが、赤点もないチームとでも言うべきか。
そしてこちらがミスをすれば、そこに付け込んで来る。
どこの学校も新チームとなって二ヶ月ちょっと、まして白富東は甲子園で最後まで残ったので、チームの始動は一番遅かったのだ。
もしも負けるとしたら、そのあたりが原因となるだろう。
(もうセンバツは当確してるし、神宮で全国区のチームと戦うよりも、遠征をしてくる他地区のチームとの試合を入れた方がいい)
それが秦野の考えていることで、かなり予定は入れてあるのだ。
もちろん神宮に行ってしまえば、それらは全てキャンセルされるが。
それとは別に、ベンチ入りしなかったメンバーでも二軍のようにチームを作り、県内での練習試合の相手は探してある。
この秋から冬を過ぎて春になるまでに、それだけのレベルアップが果たせるか。
(そういった予想外の力が出てきたら、センバツも最後まで……)
逆にそういった選手がいなければ、全国制覇は難しいだろう。
日々、夜が長くなりつつある秋、秦野は計画を考える。
あの熱戦の甲子園から、まだ二ヶ月少ししか経っていないのに、新しいチームがだんだんと形になっていく。
毎年こうやって、新しいチームを作っていく。
高校野球の監督は、これだからやめられないのだ。
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