第10話 イメージの中で

 春季県大会本戦が始まった。

 ブロック分けした中から64のチームが戦い、上位二チームが関東大会へ出場する。

 休日に行われるため応援団有志やブラバンの何人かは応援に来てくれている。

 そんな中、監督である秦野は、部員を二つに分けた。

 もちろんベンチ入りメンバーとそうでないメンバーもだが、そのベンチ入りしなかったメンバーに言ったことは、かなり非常識であった。

 応援はしなくていいから、プレイをしっかり見ろ、と言ったのだ。

 そしてメモ帳代わりにノートとペンを配った。


 野球部以外のOBや父兄、また白富東ファンの観客から見れば、ベンチ入りしていない選手が全く応援をしないというのは、控え目にいって異様、簡単に言うなら非常識だった。

 もちろん入部から既に半月以上経過している新入部員たちは、秦野のやり方に慣れてきている。

 それでも応援をしなくていいのかと尋ねた一年に、秦野は言ったものだ。

「お前らが応援しなくても勝てるように鍛えているし、お前が必死で応援してお前自身は上手くなるのか」

 身も蓋もない。


 応援自体の効果がないとは言っていない。

 しかしここではまだ、応援の必要はない。

 ヘタクソはチームに貢献することよりも、まずはチームに貢献できるだけの最低限の知性を磨け、と秦野は言いたい。

 白富東の練習などを見て批難する者の中には、全く声が出ていない、などと仰る方もいる。

 秦野に言わせれば思考停止で騒音を出されるのは、練習にとっては無駄である。

 もっとも甲子園に行けば、大観衆の中でプレイしなければいけないわけだが、白富東は普段から観衆の目に慣れていて、無理にプレッシャーをかけていく必要はない。


 研究班の中には、本当の意味で貢献している部員がいる。

 そういった数名は、スタンドからでも指示を出したりするのだ。




 しかし、あれである。

 新入部員にいいところを見せようとでも思っているのか、上級生どもは容赦がなさすぎる。

 去年も虐殺などとさんざんに言われていたが、今年も一回戦から31-0の五回コールド勝ちである。

 アレクと武史を抜いてこれなのだから、今年の白富東も恐ろしすぎる。


 試合終了後にすぐ腹に何か入れたら、あとは学校に戻ってミーティングである。

 相手のチームも別に、壊滅的にヘタクソだったわけではない。

 だが打った打球が全て内野の頭を越えて、さらには外野の頭を越えて、おまけにスタンドに入っては、守備のしようがない。

 一番安全なアウトローに投げても、流し打ちで平気でホームランにしてしまう。

「次の試合は鬼塚と倉田もはずすぞ」

 舐めプではあるがそうでもしないと、実力差がありすぎて悪い影響が出てしまう。


 だいたい試合にしろ練習にしろ、自分に合ったレベルでしないと、緊張感がなくなってしまう。

 いや緊張感はなくてもいいのだが、集中力を欠いた散漫なプレイは、怪我の元にもなる。

 投げても打っても簡単に勝ててしまうのでは、打撃練習にも守備練習にもならない。

 それに今はまだ全力で叩き潰しにかかっているが、いずれ相手が哀れになってしまうだろう。

 マンガでなぜか強豪校との練習試合が成立してボコボコに容赦なくされる展開があるが、あれは常に全力を出して、相手に敬意を示しているのである。

 どんな相手であっても、油断から逆転負けを食らうことはある。


 甲子園で優勝することを目的に練習をしていれば、県大会の序盤レベルではこういった試合になってしまうのだ。

 そして相手に合わせたレベルに落とせば、今度は上げるのが難しくなる。


 常に全力を出すことを意識する。

 そうすればその状態が平常になり、さらに上を出すことを目的にしだす。

 無理は禁物と秦野は言うが、無理でない段階まで引き上げれば、ほんのわずかに上限を上げることが出来る。

「よし、じゃあ四人一組になって、今日の試合の気付きな」

 座学である。この分野では研究班の独壇場である。




 試合中に考えたことや感じたことを記入したノートであるが、本日のテーマは「どうすれば白富東に勝てたか」である。

 無茶を言う秦野であるが、それでも課題が出れば考えるのである。

 ほとんど真っ白なノートを開いた宇垣は、ベンチ入りメンバーと研究班一人、そしてベンチ入りしなかったもう一人と共にグループを作っている。

 ミーティング自体が馬鹿馬鹿しいと思う宇垣であるし、どうやっても白富東に勝てたはずはない。

 そんなチームだからこそ自分は選んだのだ。

「打力、走力、投手力、守備力、戦術、判断力、全部劣ってるのに勝てるわけないでしょーが」

 さすがに鬼塚が担当しているので、いつもほどの不遜さはない。

「その中でうちと一番差がなかったのはなんだ?」

 本来頭を使うのが苦手ではない鬼塚は、こうやって突き詰めて考えていく。

「……どれも差がありすぎですが、強いて言うなら選択を判断するのが遅いし間違ってる」

「分かってるじゃないか」


 肉体的な性能差から発生する実力差は、一朝一夕に埋まるものではない。

 だが相手を分析し、状況による判断を徹底していれば、失点は10点は防げたのではないかと思う鬼塚である。

「そういうのも日頃からやってないと無理じゃねんすか?」

「だからこうやって、座学をやってるんだろうが」

 宇垣は自分でも分かっているのに、勝った側がやっていることを、敗者がやっていないのをどう考えているのか。


 県大会でもかなり上位まで行っても、白富東は性能と技術の差が、他のチームよりもありすぎる。

 だが全国レベルに進むと指揮官の采配などを含めていくと、ほぼ互角のチームや、油断出来ない相手は相当数にいるのだ。

 計算式など存在しないので体感になるが、実力が相手の八割ほどあれば、勝敗が逆転する可能性はかなり高くなる。


 計算式は存在しないと言ったが、セイバーが持っているプログラムには、データを打ち込むと勝率などを出してくれるものがある。

 それによると白富東と大阪光陰が、センバツで真田先発で戦った場合は、勝率は42%だった。

 大阪光陰の勝率は48%で、引き分け再試合の可能性が10%である。

 だがピッチャーが緒方に代わったことで、67%まで上がったのである。


 そもそもこのデータにしても、どれだけの信頼性があるかは微妙である。

 打率などにしても、母数が大きければ大きいほど信頼性は高まるのかもしれないが、ヒットを打つのもゴロを打つかフライを打つかで、色々と変わっていく。

 あくまでも参考にしかならないが、一つだけ確実に言える。

 大元のデータさえ分からないのでは、試合のプランも立てようがない。




 野球選手というのは、野球をしていればいいだけではない。

 詳しく言えばグラウンドの中のプレイ、また練習だけが野球なのではない。

「一流の選手になるためには、四つの要素がいる。フィジカル、テクニック、インテリジェンス、パーソナリティだ」

 これは実は秦野がブラジル時代に、サッカーの勉強をしていた頃に聞いた話である。

 もっともその元は、フィジカルのかわりにスピードが四つの要素の一つとなっていたのだが。


 野球においてもスピードというのは重要だ。単純なピッチングのスピード、バッティングのスイングスピード、走塁のスピードなどである。

 プロ野球の球団は、現在はほとんどスカウトによるドラフトから選手を獲得するが、いまだに入団テストをやっている球団も少数存在する。

 その中において、まず最初に身長と年齢で選別される。たとえば悟などは身長でここから弾き出される。

 そして一次試験は、遠投と50m走なのだ。つまり50mを6.3秒から6.5秒の間に走れないと、二次試験の野球の技術さえ見てもらえない。


 たとえばキャッチャーでも昭和の時代のような、ブロックにパワーが必要な地蔵系のキャッチャーはほとんどいなくなっている。

 体格は確かに太り気味に見えても、瞬発力は高い場合が多い。倉田などがそうである。

「実のところこのミーティングの内容は、インテリジェンスに分類されると思うかもしれないが、パーソナリティやテクニックにも通じている」

 秦野の説明は、まるで大学の講義のようである。

「自分のメンタルやモチベーションを維持するためのこれは、テクニックでもあるからな」

 あと生まれつきの性格と違って、後天的にメンタルをケアする方法は学ぶことが出来る。


 野球に必要なことは、全て練習の中で学べばいい時代は終わった。

 中学生レベルまでならともかく、高校野球が市場として巨大な日本の場合、分析や研究が必要となってくる。

 直史は高校入学時点で、コントロール出来る球速は125kmまでであった。

 それが夏の大会までの短期間に、135kmまでを投げられるようになったのは、緻密な測定によって体が逃がしてしまうパワーを、ボールに込めることが出来るようになったからだ。

 だが同時に、インナーマッスルの強化が追いついていなかったため、夏の決勝で肘の炎症を起こしてしまった。


 一つの例であるが、昔の野球指導者は、ピッチャーには走り込みが必要だと言って、何kmものロードワークをさせた。いや、いまだにさせている者もいるのかもしれない。

 そういった指導者は、陸上の長距離選手に、上半身の筋肉が発達した者がいないことを、どう説明するのか。

 長い距離を走るためには、上半身の筋肉は邪魔なのだ。

 短距離の選手であれば、まだ全身の筋肉が発達しているが、それだと今度は肩周りの筋肉が無駄に発達し、投球動作の妨げになる。

 ピッチャーでもバッターでも、下半身が重要であることは確かだ。

 だがそれは一瞬の瞬発力が必要なのであって、たとえランニングホームランを打つのであっても、ベースの形を考えれば、方向転換用の筋肉が必要なことも分かるだろう。


「何が自分に合ったトレーニングか、また現在の最新のトレーニングはどんなものなのか、自分で取捨選択していくのが、この先のレベルでプレイしていくのには求められることになる」

 昔は技術の継承が、人間から人間になされていたため、指導者の持つ力は巨大であった。

 だが現在は指導者よりもはるかに高いレベルでプレイしている人間が、ネットでそのトレーニングメニューなどを公開してたりもする。

 もっともこのレベルの練習は高度すぎて、まだ高校生レベルでは必要なかったりもするのだが。

 それに選手にそれぞれのメニューをさせるほど、指導者の手が足りていなかったりもする。

 ある程度同じメニューをするのは、全体的な効率を見れば、仕方のないことである。だが金のある私立でそういった思考停止のトレーニングや練習をさせるのは、明らかに怠慢である。




 一年生の多くにとっては、技術以前の思考法で、中学時代までとは全くレベルが違う。

 一つ一つのトレーニングの有効性などは色々な動画などを見て研究している者もいるが、秦野はそれを総合的に指導出来る。

「うちの練習時間は強豪校と比べると驚くほど少ないかもしれないが、練習量自体はかなり多い」

 集中力が途切れないように、短い時間の間にみっちりと詰め込むからだ。

 そしてそれ以上にすると壊れてしまうぐらい、限界近くまで追い込む。


 効果的な練習は、負荷の高い練習であるというのは事実だ。

 だが負荷が高ければ効果的かというと、それは違う。

 ランニング一つとっても、地面を蹴る衝撃で、骨自体が硬くなろうとする走り方があるし、変な走り方をするとそこを庇うために、筋肉が痩せてしまうこともある。

 痩せた筋肉で無理に力を出せば、腱や靭帯に多くの負荷がかかる。そして消耗するのだ。


 かつて言われていた、投手の肩は消耗品。それはある程度は正しく、ある程度は間違っている。

 ある程度は鍛えないと力がつかないのは当然で、ある程度以上を超えるのは過度な負荷である。

 壊れるよりは追い込みすぎないほうがいいというのが、秦野の考えだ。

「それでまあ、次の試合もまた過密日程であるわけだが、さらに戦力を減らして戦うからな。その中でどうやって勝つのか、自分の頭で考えてみろ」

 秦野の言うインテリジェンスは、実は無視してパフォーマンスを発揮する人間も、いないわけではない。

 だが統計と確率の問題で、考えながら練習してプレイしていた方が、より高いレベルでプレイ出来るようにはなる。


 そして一年生にとっても、自分が出場しない試合を考えることは悪いことではない。

 常に自分ならどうするかを考えていれば、いざ自分がプレイする立場になった時、やるべきことをやれるからだ。

「アウトカウントとランナーの状態、そしてボールカウントとバッターを考えれば、自分ならどうすればいいかということも、はっきりしてくるからな」

 さらに言えばこういった頭を使うことは、自分たちの方が弱い場合に、ジャイアントキリングを起こすためには必要なことだ。


 今日の試合では相手が白富東に勝てる要素は何一つなかった。

 ならば次に戦って勝つにはどうすればいいか、少ない選択肢の中からも選べるはずだ。

 単に運が悪かったと言うなら、夏に当たっても負けるだけだ。

 そして単に練習が足りていないと言うなら、夏までにやはり練習をする白富東とは、差は全く縮まらないことになる。




 最後に秦野は、相手の情報を与えていないベンチ外のメンバーに、どういった試合展開になるかを考えさせる。

 また自分たちの戦力でどうすればいいかもだ。


 野球の実力をつけるには、地味なトレーニングと練習の他に、実戦が必ず必要になる。

 しかし公式戦の実戦を体験出来るのは、あくまでもベンチメンバーだけだ。しかしイメージトレーニングをしながら試合を見れば、この経験値は上がっていく。

 自分だったらどうするか。それを見て考える。

 見て盗めといった台詞は、職人の世界でも既に時代遅れというか、通用しなくなった言葉ではある。

 だがリソースが限られているのだから、見て学ぶしかない。


 それが終わってから秦野は、今日の試合を撮影したビデオを見ながら、説明をしだした。

 自分たちの行動にどういう意味があったのか。そしてそれに対して相手はどう対応するべきだったのか。

 自分たちがやられていたら困ること。戦力差があってもやられては嫌なことを話す。

 そうやっているうちに今日の試合の中で、どれだけの頭脳戦が行われていたかが分かる。


 単純に正面から突破したように見えるが、それは間違いである。

 適切な手段が、正面突破だったのである。

 それに無失点というのは、単純にピッチャーだけの力ではない。フィールドにボールが飛んでいる時点で、野手が働く余地はあるのだ。

 無失策だったことは、評価出来ることだ。

「というわけで次の試合も、相手のチームには実験台になってもらおう」

 上から目線の秦野であるが、今はまだその段階なのである。

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