第9話 千葉県一強
現在の千葉県の高校野球は、白富東の一強時代となっている。
甲子園を三期連続で制し、その前も準優勝にベスト8と、SS世代がとにかく強すぎた。
ただこの時代の主力は留学生という例外を除くと、受験勉強以外で入学した者が一人もいない。
不思議な話ではあるが、この間に他に甲子園に出場したのは、秋季大会で関東大会まで勝ち進み、自力でセンバツに選ばれた三里だけである。ここも受験以外での選手の獲得はない。
それ以前には勇名館、トーチバ、東雲あたりが甲子園に出場している。
純粋に公立進学校だった白富東の奇跡のような躍進の影には、ある女の影がある。
彼女の私財で増設された設備と整えられた環境が、素質を持った選手を花開かせたとも言える。
彼女が去った後もこの指導環境が存在し、さらに体育科の設立により県内のフィジカルエリートが集められることになったため、この覇権は長く続くのではないかと思われている。
だが実際に指揮を執っている秦野は、そんな単純な話ではないと思う。
秦野は自身も高校球児であったために分かるのだが、野球バカというのは野球以外ではただのバカである場合が多い。
今までの白富東の強みは、選手の頭の良さにあった。
単純に学力が高いだけではなく、現状の問題点なども分析し、より効率的な練習をするという下地があったわけだ。
そこに理論があればやってみる。それが頭の良さである。理性がグラウンドを支配していた。
だが体育科に、加えてスポーツ推薦の導入だ。
上の人間は金をかけて人を揃えれば、それで勝てると思っているらしいが、秦野としては体育科はともかく、スポーツ推薦はやりすぎだったのではないかと思っている。
ただ悟の成績では、体育科でも受からなかったのは確かだ。
(水上はいい。怪我のつまづきが逆にメンタルをタフにさせるのに役立ってくれてる。呉と上山は拾い物だ。大石はちょっと手綱を握る必要があるし、宮武は逆にもっと自由度を高めないと)
問題はやはり宇垣と山村だ。
ただ体力測定などをやると、総合的に二番目に高いのは宇垣であるし、山村は貴重なサウスポーだ。
これが超強豪の私立だとすると、一人や二人は使い潰すという荒っぽい手段が採れるのだろうが、そこまで戦力に余裕は無いし、秦野のポリシーにも反する。
部活見学が終わり、白富東には34人の新入部員が入ってきた。
女子マネも三人も入ってきて、このあたりは確かにありがたい。
それに新入部員のうちの四人は、最初から研究班志望である。
この研究班の教育も、白富東の戦力を維持する上では、必要なことだろう。
去年よりもむしろ新入部員が減ってしまったのは、成績が隔絶してしまったからだろうか。
あるいは体育科の導入により、経験者程度ではとても太刀打ち出来ないと思ってしまった者もいるのかもしれない。
確かに30人の体力測定などを見ていると、今の二年の一年時の平均よりはかなり高い。
経歴などを見ても、中学軟式に加えて、シニアでも名門に入っていた者もいる。
だが秦野に言わせると、単に超名門の特待生や推薦に洩れた程度の選手よりは、フィジカルだけは突出したヘタクソなどの方が、育てるのは面白いのだ。
(それでも面白そうなのは、塩崎と平野は試合にも出せたが、後から入ってきた長谷と花沢と石黒ってとこか)
長谷は中学の途中までは陸上をやっており、試合の助っ人で野球部に参加している間に興味を持ったらしい。
体力測定では走力で悟を抜いていた。
花沢は見た目は小さく、女の子と錯覚しそうな顔立ちなのだが、体の体軸がものすごくしっかりしている。
そして石黒は……キャッチボールが上手い。
身体測定の後には簡単な野球の能力も試しているのだが、花沢のグラブさばきと送球はとてつもなくスムーズだ。
石黒も内野をさせたのだが、花沢が体を上手く安定させて投げるのと違って、体勢が崩れた状態からも一塁のファーストミットに正確に投げている。
ただ表情がなく、何を考えているのか分からない。
(花沢は何か他にもやってそうだが、書いてないのか。石黒は……え? こいつがもう一つの帰国子女枠か?)
これまで白富東は、セイバーの関係者が二年間帰国子女枠を占めていた。
だがこの石黒に関しては、セイバーからは何も聞いていない。
(カナダか……。スポーツ経験は、アーチェリー?)
白富東には弓道部はあるが、さすがにアーチェリー部はない。
日本の弓道の和弓とは洋弓と区別されるものである。
スポーツの才能か何かまでは判断しづらいのだが、何か独特のセンスを持っているのは確かだ。
体育科の入部が25人で、長谷と花見沢と石黒に、あとの二人が普通科だ。
適切な育成が出来れば、この年も甲子園を狙って良さそうではある。
実は現在千葉の高校野球は、深刻な人材不足に陥っている。
人員不足ではない。人材不足だ。
それは白富東がとてつもない実績を挙げ、体育科を設立したため、それなりの能力を持つ勉強の出来ない選手が、県外に流出しているからだ。
特にこれは北部や西部の、他県や東京の隣接地で顕著だ。
勇名館やトーチバレベルまでになればどうにかある程度の選手は確保出来るのだが、あとはどんどんと公立の強豪に入学することがトレンドだ。
具体的には上総総合と三里で野球部員が多くなっている。
下手に私立に行っても、甲子園を目指すことが難しく、ならばまだしも上総総合は、指導者の名が知られている。
三里の場合はそれなりに高い偏差値と、急激に強くなってきたからであろう。センバツに出場したというのも大きい。
あと少し小耳に挟んだのは、去年の夏に当たった浦安西の話だ。
なんでもそこそこシニアで有名だった選手が、あそこに入ったらしい。
練習環境が貧弱なチームで、さすがに秦野もあそこで甲子園を目指せと言われてもお手上げである。
ただこういう不自然な情報は、放置しておくと後で足を掬われるかもしれない。
春の県大会本戦までのわずかな期間で、県立三里高校との練習試合が行われる。
ダブルヘッダーで二試合を行い、片方は主に一年生の実戦経験を積ませる。
もう一試合はベンチメンバーではあるが、スタメンが固定していない選手を中心に出す。
それでもおそらく現在の三里の戦力では太刀打ち出来ないだろうが、戦力が劣っている状況でどう戦うか、選手たちには考えさせる。
全ての試合をベストメンバーで戦えるとは限らない。
しかし高校野球は、一度でも負けたら終わりのトーナメントが多すぎる。
劣勢からの逆転、勢いを止めて流れをつかむ。そういったことを教えてくれるのは実戦である。
出来れば公式戦がいいのだが、試してみて負けても大丈夫なのは春の大会しかない。
いくら勝っても関東大会までの大会なので、県内のシードを取ればそれで充分というチームも多いはずだ。白富東がそうであるし。
春の日和もよい土曜日、三里高校の選手たちが白富東にやってきた。
地区予選を勝ち抜いた三里高校は、幸いと言うべきか、県大会の本戦でもベスト8までは当たらない。
白富東と当たる前にシードを取れるのはありがたいなと思いつつ、三里の国立監督は今年も貪欲に何かを吸収しようという意識を見せている。
国立も大学野球で故障してプロを選択肢から外した人間で、指導者として携わりたいと思いながら改めて勉強すると、それまでのトレーニングがどれだけ間違っていたのかが分かった。
それは自分も故障するはずである。
たとえばランニングにしても、もも上げをしてのランニングなどの単純なことがどれだけ悪いことか。
ウエイトで見える筋肉を鍛える前に、骨格を正しい状態にするためにインナーマッスルを鍛えないと、歪んだ筋肉がついて故障がしやすくなる。
日常から立つことと歩くことの意識を正しくしていないと、必要な筋肉を自然と鍛えることが出来ない。
立って歩く。こんな根本的な部分から、指導することは多いのだ。
多くの強豪や、あるいはプロなどでも、最初は体作りなどというが、正しく指導できていない人間はいまだに多い。
そもそも骨格や関節の駆動域によって、人間の最適な動きというのは変わる。
それをコーチが自分の成功体験から、単に違うのを間違っていると思って指導してしまうのが問題だ。
まずは一年生同士の試合。背番号をもらえなかったメンバーを中心に、打線が組まれる。
三里の一年もそれなりに入部したようで、即戦力が一人ぐらいはいるかもしれない。
(星と古田がいなくなったから、圧倒的にチームとしては弱くなったはずだけど、秋もそこそこ勝ってたしな)
秦野としてはダークホースになりうると見ている。
本気で甲子園を目指すなら、この次期に練習試合はしない方がいい。三里に何か秘策があったとしても、それなしでは完敗するだろうからだ。
だが甲子園へ行くことを、現実の目標ではなく、目くらましの目標と考えるなら、野球が上手くなるためには、白富東と戦った方がいいだろう。
甲子園は本来の目標ではない。
国立は高校野球を、より野球が上手くなり、よりプレイの内外で頭を使う場所だと考えている。
もちろんまたあの舞台には立ちたいが、何をしてでもいいとまでは思わないし、フェアにやって勝たなければ意味はない。
正しい努力をしても、それだけで至ることは出来ない。それが甲子園という舞台であろう。
やはり素質としてはいいものを持っている。
この日のスタメンで使った宇垣は、一打席目からフェンスにまで飛ぶ長打を打っていた。
先発の山村もランナーは時々出すが、粘っていくピッチングで点を許さない。
秦野が事前にあたりを付けていた選手も、期待通りのパフォーマンスを発揮している。
(三里の新しい戦力はないか)
相変わらず学校のシステムとしては普通科だけの三里なので、やはり突出した新入生などはいない。
国立監督の性格からして、練習試合だから隠しておくということもないだろう。
ただバッテリー間の意識の徹底と、守備のほうはしっかりしているらしい。
もっとも入学してまだ一ヶ月も経過していないので、これが指導力の結果とも言えないだろう。
スコアは9-0という一方的なものになったが、実際の試合内容はそこまで圧倒的でなく、徐々に点数を積み重ねていったものだ。
次に行われるのは三里が一軍、白富東が一軍半のメンバーで行われるものだ。
キャッチャーこそほぼ一軍の孝司を使うが、三年の傑出した四人や哲平も淳もトニーも使わない。
逆に言うと孝司がどれだけ守備の面で全体を掌握するかが、試合の行方を決めると言ってもいい。
ピッチャーは先発が文哲であり、孝司が上手くリードして、五回までは無失点であった。
だが序盤から拙攻を戒めていた国立監督の戦術により、球数はわりと多くなっていく。
六回で100球を超えたあたりから、ややボールのキレが鈍くなってきた。
球数もそうだがピッチャー前へのバントなど、ねちっこい攻撃が多かったからだろう。
それにこのあたりからはフルスイングで振ってくることも多く、強い打球が精神的な面で追い込んだというのもある。
攻撃としては悟と孝司のタイムリーに、下位打線でも上手く犠打を駆使して点に結びつける。
六回が終わった時点で、3-2という接戦を演じている。
三里の方からしたらたまらない。
スタメンの主力をほぼ除いていながらも、県でも上位に入る三里のスタメンが、どうにかこうにか互角に戦うのがやっとなのだ。
ようやく二点を返したと思ったところで、ピッチャー交代である。
完全に手を抜くのも失礼だと考えるが、同時にフルメンバーでは一方的になることも分かっている秦野である。
入学以降はほとんどピッチャーをやっていない哲平に投げさせたり、最終回だけは淳に投げさせたりなどもした。
左のアンダースロー対策は、今年だけでなく来年も、白富東を攻略する上で絶対に必要な事項である。
基本的には軟投派のピッチャー対策なので、ボールの軌道や変化球に惑わされず、しっかりと振り切っていくことが大事だ。
だが去年の秋と比べて、淳の投げるボールも球威は増している。
ただでさえ幻惑的な軌道であるのに、スピードが増したら捉えようがなくなる。
結局短いイニングで対応することは出来ず、追加点は得られない。
そして白富東側も、追加点は一点だけであった。
秦野としては三里は、やはり守備のチームだと感じる。
連繋などもそうだが、打球のショートバウンドへのキャッチの入り方などが、国立の内野経験から徹底されている。
スーパープレイなどでアウトにするというよりは、現在の力で成しえる最善手を選ぶ、判断力が優れていると思える。
ただやはり精神的支柱であった星と、投打に要であった古田がいなくなり、去年よりは弱くなっている。
夏までにどう仕上げてくるかは、国立監督の課題であろう。
試合の後は体作りがどうこうという話になるのだが、卒業した選手たちの話題にもなったりする。
オープン戦で三冠王だった大介の話題が大きいが、それよりもお互いに練習メニューの交換などもしたりする。
色々なところで行われている、画期的な練習法の話などもするが、体幹強化がやはり重要だという結論になる。
走り込みには意味がないという意見もあるが、それはもっと高いレベルの話である。
野球は瞬発力が大事なスポーツなので、フットワークのトレーニングなどはしっかりする。
結論としてこのレベルで出来る練習としては、キャッチボールが一番大切なのかと話し合う。
得たものは三里の選手たちの方が多かったろう。
だが二点を取られた文哲などは、さすがに日本の野球は細かくて難しいと、満足していたりもする。
秦野としては国立と話し合っても思ったのだが、やはり現在は指導法の変革期にきていると思う。
ネットなどによりMLBの最新の理論が普通に紹介され、しかしその真似をして故障したりする選手もいる。
スケールの大きな選手に育てたいと思っても、基礎の出来ていない大味な選手にするのは違うだろう。
上手く選手のやる気を出させるのも必要で、秦野のような専任監督などはともかく、国立などは教師までしているのだから、指導法のバージョンアップも大変だろう。
とりあえず確かなことは、白富東はやはり強いということだ。
センバツから夏への、春夏連覇というのは、夏春連覇に比べると多い。狙うべきだ。
それはチームの中心選手が変わらないのだから、ある程度は当然のことである。
ただなんだかんだ言っても、一年に即戦力を連れて来る私立強豪は、白富東との差を縮めてくるはずである。
秦野も注意はしているのであるが、やはり中学軟式やシニアでも全国優勝するようなチームの主力は、私立の超強豪に行く場合が多い。
白富東がそれに対抗出来ているのは、外国人傭兵に加えて、セイバーの壮大な統計データから生み出した練習メニューが上手く機能しているからだ。
金がかかりすぎる育成のため、私立でも真似することは難しいだろう。
だが上に大学の研究機関があるような私立なら、そんな最先端の手法にも追いついてくるかもしれない。
素材を集めた上で、適切なトレーニングを出来れば、やはり強くなるのは私立のはずだ。
それに対抗して全国制覇を狙うのは、並大抵のことではない。
(白石がメジャーリーガーにでもなれば、野球の常識も変わるかもしれないんだけどなあ)
そんなことを考えつつも、春の大会に突入する四月の下旬のことであった。
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