第30話 流れと勢い

 高校野球とプロ野球の違いは、負けても次があるかどうかであると思う。

 プロのシーズン戦なら負け試合は、上がってきた若手投手の経験にしたり、同じく野手のバッティングを見たりする。

 だが高校野球はそうはいかない。最後まで勝ちをあきらめないために、捨てる采配などは基本行わない。

 秦野としては春の大会は負けても良かったのだが、素の実力だけでどうにか勝ってしまった。

 まああの試合は悟が名前を売る機会になったので、無駄な試合ではなかった。


 桐野との試合は、こちらも二回以降にチャンスを作り、時々点を取っている。

 だがあちらは最小失点でピンチを抑えて、一点とワンナウトを比較している。

 点を取られても諦めない。諦めない理由にならない。

 なぜなら自分たちには逆転の経験があるから。


 秦野としても、それを把握している。

 桐野の野球はスコアを見るだけでも、明らかに分かるのだ。

 勢いに任せて、チャンスを拡大して大量得点。甲子園でこそ僅差のロースコアゲームだが、地方大会ではコールド寸前からの大逆転などもしている。

 攻撃だけでなく守備においても、相手を叩きつぶすシフトを仕掛けてくる。

 攻撃的な守備というのはおかしいのだが、要するに全く慌てない守備だ。


 五回が終了して5-0と五点差。

 普通ならそろそろあせりだしてもいいのだが、あちらはそれなりにヒットを打っている。

 こちらもヒットは打っているのだが、なかなかそれがつながらない。

(かなり微妙な場面でも、判断は早いな)

 最悪を考えて守備をしているのだろう。だから点を失っても、確実にランナーではアウトを取る。


 高校野球らしい野球だ。一言で言えばそうなる。

 白富東ははっきり言ってしまえば、物量による蹂躙だ。

 あちらのスタメンの中で、白富東のスタメンになれそうなのは、せいぜい一人。

 選手たちの一人一人の能力では絶対に勝っているのだが、総合力では差がつかない。

(攻撃でも守備でもリスクの高いことをしてくるけど、たぶん練習では基礎をとことんやってるんだろうな)

 色々な種類のキャッチボールを毎日一時間ほどもやっているのだったか。




 相手が崩れないのはなかなか厳しいが、秦野にとっての収穫は文哲の動じなさだ。

 ランナーを背負った時でも、ピッチングが乱れない。おそらく安定感は淳と同じぐらいか。

 淳は時々スペック以上の力を出してしまうが、文哲は淡々と投げている。

 あちらのピッチャーとは技術に格段の差があるが、その点だけは似ている。


 ただ、ここで文哲は交代だ。

 球数はまだ100球だが、一年生が甲子園のマウンドで100球を投げるというのは辛い。表情は変わらないが、肩の動きが激しい。

 継投は崩れる前に。基本である。

「まさかこんな場面で投げるってか」

「とりあえず一イニングだけ投げてこい。点差もあるし心配すんな」

 マウンドに送り出されたのは悟である。


 練習試合でもそれなりに投げたが、公式戦は一試合に投げただけ。

 それも大量点の点差があったため、気楽な気分でいけた。

 右のサイドスローでの投球練習は、それなりに様になっている。

(まあ一イニングもったら儲け物。0に抑えたらもう一回って感じでな)


 桐野のようなチーム力で戦うタイプのバッターは、とにかく飛び出た特徴を持つ球に弱い。

 淳のような基本的に打たせて取る野球でも、それなりには勝負出来る。

 だがこの場面では投げさせない。前の試合で球数を使ったということもあるが、おそらくこの甲子園を勝ち抜いていく中で、もう一度必要となる場面がある。

 そこで確実に使うために、今は回復に専念させる。

(せめて決勝までのトーナメントが事前に決まってたらなあ)

 準々決勝以降はその都度決める今のシステムは、興行的には面白いのかもしれないが、選手の負担を減らすという点ではセンバツの方が優れている。


 そんなこんなで投げた悟のボールは、右バッターの胸元に決まった。

 142km。さっきまでショートを守っていた選手の出すスピードではない。しかもサイドスローなのだ。

 才能の残酷さと言えるのかもしれないが、悟のコントロールは基本的に、大雑把なものだ。

 ど真ん中になら正確に投げられるのだが、ぶつけてもいいから思いっきり投げろと言われる。

 そしてサイドスローなんて投げ方をしたら、実際にぶつかったりもする。


 だがこれが良かった。


 いやよくないのだが、140km台の硬球をぶつけられる痛みは、相当のものがある。

 当てた後も、インコースを攻めまくれば、それでアウトが取れる。

 あちらのベンチの監督は、ノーコンにピッチャーさせんじゃねーと叫んでいるが、監督が野次るんじゃねえ。

 悟は堂々と投げて、その回を無失点に抑えた。

「じゃあ次もいってみっか。一点取られたら代えるから」

 何言ってんだこのおっさん、とは思ったが悟としては文句はない。




 継投において重要なのは、ギャップだ。

 右の本格派の次に左の軟投派を並べたら打ちにくいように、右の精密なピッチャーの後に大雑把なサイドスローなぞを投げさせたら、そりゃ打てんとなるわけだ。

 別に技術的には難しくないのだが、心理的に難しい。

 これまでのコントロールのいいピッチャーの配球を、ある意味桐野のバッターたちは信用していたのだ。

 だが悟はそんな気遣いはない。当たったら悪いで済ませる。

(つかそれぐらいよけろよ)

 普段はマジメなショートである悟は、マウンドに登ると人格が変わる。


「逃げんな! 当たっていけーっ!」

 あちらの監督も無茶なことを言っているが、悟のこれはノーコンなのではなく、右のサイドスローが右打者の内角に投げるのは、そもそも難しいのである。

 さらにやや真ん中に失投したと見せて、手元で変化させればより効果的だ。


 三振が取れるほどのボールではない。

 だが打者の腰を引けさせ、弱いスイングで引っ掛けさせるという点では、悟は充分にピッチャーとしての素質はある。

 もっともこれはピッチャー一本で勝負するのではなく、あくまでも継投の中のピッチャーとして使うべきものだ。

 七回も無失点で終わったので、もう一回いってみようとなった。


 桐野の監督森川は、この戦術、いや戦略に値すべき継投に頭を悩ませる。

 効果的なピッチャーの交代だ。まさか白富東が、こんな乱暴なピッチャーを使ってくるとは思わなかった。

 佐藤兄弟に助っ人外国人と、ピッチャーの枚数はまだ揃っているだろうに。

 春の大会で水野から打った悟のことを、当然森川は調べていた。

 しかしピッチャーをやったというのはスコアでしか知らない。


 球の速い選手にピッチャーをさせるというのは、球数制限が色々言われるこの時代、当たり前のことである。

 付け焼刃のピッチャーでもいいのだ。とにかく一イニングでもエースを休ませられるなら。

 対する桐野もこれ以上の失点は防ぐべく、エースナンバーを投入する。

 この本格派右腕から、珍しく本日ノーヒットのアレクが強振し、外野の一番深いところまで飛ばす。

 三塁打を打っておきながら、アレクは機嫌が悪い。

 アレクだってたいしたことがないと思えるピッチャーに抑えられれば、機嫌を悪くするのは当たり前なのだ。


 追加点が入った。相手のエースナンバーを打って。

 九回の表の追加点というのは、かなり決定的である。

「タケ~、キャッチボールしろ~」

「う~す」

 気の抜けた秦野の命令に、気の抜けた返事を返す武史である。




 追加点の入ったところで、左の160kmがキャッチボールを開始する。

 武史は立ち上がりがあまりよくないので、本当ならリリーフには向いていないのだが、ここではそういうことを考えて投げさせるわけではない。

 もはや試合の趨勢は見えただろう。ならば160kmを見てみたいと思うのが観客の特性である。


 そして桐野の選手は、ようやく戦意を失った。

 秦野としては、しぶとい相手だったな、とようやく安堵する。


 桐野の森川監督は、強気で乱暴で強引だが、野球自体は正統派だ。そして泥臭い。

 諦めないのでコールドがない甲子園ではたちが悪い。

 しかし本当に試合を決めてしまう暴力的な野球というのは、こういうものだ。

 それに悟は確かに横のコントロールは乱れていたが、頭に当たるような縦の乱れはほとんどなかった。

 そのあたりが向こうの打開点となったはずなのだ。


 もう一点の追加点を奪い、スコアは7-0と変わる。

 高校野球ならば逆転がない点差ではないが、それはあくまでも不確定要素があった場合の話。

 ここで逆転を食らうようなチームではない。

 そしてようやく悟はお役御免でショートに戻ったわけだが、〆るピッチャーに秦野は哲平を指名した。久しぶりのピッチャーである。

 160kmが見れると思っていた観客は溜め息である。

「つーことで誰もお前には期待してないから、気楽に三人アウトにしてこい。三点取られたらちゃんと代えてやるから」

 秦野の無茶振りに、呆れながらも哲平はマウンドに登る。


 シニア時代は二番手ピッチャーということもあり、ピッチャーの基本的なスキルは悟より上である。

 だが本来なら甲子園のここまでのマウンドで通用する実力ではない。

 だが悟の荒れ球の後に、バッターのアウトローに決められれば、それだけで相手は打てない。


 森川とすれば、どうにかもう一度盛り上げたかった。

 だがさすがにここまで試合の流れが決まってしまっていては、勢いをつけることなど出来はしない。

 文哲の投げている間、試合の決定的な流れは、どちらに傾くかは決まっていなかったのだ。

 それを強引に白富東に向けたのが、秦野の悟起用である。

 そしてフェイクで武史を見せるという極悪采配である。

 一度折れたものは試合中には立て直せない。ならば武史を使う必要はない。


 哲平の球は踏み込んで強く叩けば、内野の頭を越えるか、ゴロでも守備の間を抜ける打球にはなっていただろう。

 だが荒れ球で及び腰になっていた選手たちは、もう一度踏み込んで打つ勇気は持っていなかった。

 奇しくも悟と同じように、アウトは全て内野ゴロで、哲平は試合を〆た。

 主戦力となるピッチャーは一人も使わず。

 7-0で白富東、準々決勝進出である。




 結局のところは、順当な結果と言えるだろう。

 だが八回までは間違いなく、まだ試合は決まっていなかった。

 試合には流れがある。その流れは桐野というチームの場合、最後まで逆転の可能性があったのだ。

 その流れの中に入れば、一気に点が取れるのが桐野であった。だから秦野はそういった計算の出来る文哲を先発で起用した。


 なかなか流れが変わらないところに、今度は流れを乱す悟を投入。実のところ危険性はあったのだ、上手くいった。

(勢いの中で、一気に点が入るチームっていうのは、まあこれが限界だろ)

 アレクの封じ込めなど、なかなかいいところは突いていた。

 しかしこちらがそれを気にせず、自分の野球をやる余裕があれば話は別だ。

 戦争などもやる前からおおよそ勝敗は決しているというが、確かに事前準備は白富東の方が確実に万全であった。

 相手の勢いがあっても、それすらも止める余裕があったのだ。

 

 あとは、次以降に桐野がどう変わるか。

 突出した選手が一人いて、それを効果的に使うことが出来れば、もっと上には行けるだろう。

 高校野球の不確実性は、このデータと合理性と技術が高まった今も、まだまだ残っている。

(まあ俺の環境が恵まれてただけだな)

 しかし選手自らが監督を選んだという点でだけは、森川に負けている秦野であった。




 帝都一も水野を温存し、準々決勝に勝ちあがって来た。

 春の関東大会では勝ったが、それほど大量点を奪えるピッチャーではない。

 新戦力の悟を甘く見たのが、あの試合の敗因である。

 だが夏のここまでの試合を考えてデータを集めれば、警戒すべきバッターだということは分かったはずだ。


 白富東の先発は武史だ。

 おそらく帝都一も水野を出してくる。もちろん帝都一も新しい戦力などはあり、控えのピッチャーもそれなりの力はあるのだが、白富東に勝てるのは水野だけだ。

 本多と榊原が一年の時には、全国制覇を果たした帝都一。

 だがその後の大阪光陰の黄金時代に、上杉勝也の理不尽なまでのピッチングのどちらかと当たり、優勝旗を逃している。


 松平も還暦越えで平気でノックを打っているが、さすがに勇退は近いだろう。

 自分がどう思っているかは分からないが、あの気風のいい爺さんに、もう一度優勝旗を与えたいと思う選手は多いはずだ。

 帝都一の個性というのは、松平の個性だ。あれだけの伝統と強さを誇っていながら、選手の適性をちゃんと見抜いている。


 指導者には大きく二つの種類がある。

 自分に合わせて選手を育てる指導者と、選手に合わせて指導をする指導者だ。

 そして圧倒的に簡単なのが前者であり、比較的簡単に結果も出てくる。

 ただ上限があるのだ。そして突出した選手が育ちにくい。

 自分の得意なやり方で育てるだけなので、選手の本当の適性を伸ばしにくい。

 これは指導者の怠慢と言うよりは、日本の育成環境がそもそもそういったものにあるのと、何よりは金と人手の不足が原因である。


 桐野の森川は、なかなか惜しいところまでいっていた。

 そしてそれを完全に活用しているのが松平である。

 秦野も出来ているが、それは資金が潤沢でコーチングスタッフが揃っていることによる。

 体育科など作って部費は増えたが、圧倒的にまだ金は足りないし、スタッフも契約が切れれば同レベルの人間を集めるのは難しい。

(ぶっちゃけ正面から当たって勝てるのは、今年が最後になるだろうな)

 秦野の正直な感想である。


 トニーと淳のピッチャーとしての傑出度は、明らかにプロ即戦力レベルではない。

 武史はプロには行かないと明言しているが、それとは全く違うレベルの差がある。

 武史は行けないわけではなく、行かないのだ。宣言してプロ志望届を出したら、四球団ぐらいは一位指名をしてくるだろう。

 秦野が見るところスカウトが注目している二年生は四人ほどいるが、一位指名を受けそうな者はいない。

 もちろんまだ一年、成長する時間は残されているが。




 そのあたりのことはまあともかく、まずは帝都一である。

 白富東と帝都一の共通点は、絶対的なエースがいること。

 そして全国制覇を目指していること。

 水野が出てきたら武史が先発するしかないのでそのつもりだが、大阪光陰は真田でなくても勝てそうな相手と対戦する。

 準々決勝と準決勝の間には一日の休みがあるが、その一日でどれだけ回復するかが、勝負の分かれ目となる。


 そして準決勝と決勝の相手がどこになるかで、ピッチャーの運用が変わる。

 秦野はどちらかの試合を、武史以外のピッチャーを継投で全力投球させ、もう一方には注力させるつもりでいる。

 大阪光陰は緒方をメインで真田の酷使は避けているようだが、一試合は完投しているし、継投である程度の数は投げている。

 調整は上手くいっている。そしてエースを温存して大阪光陰は勝ってきている。

(ただ真田の怪我に不安を感じてるのは確かだろうから、準々決勝で少しは消耗してほしいんだよな)

 対戦するのが決勝になれば、準決勝で消耗してくれてもいい。


 秦野は試合に勝つのだが仕事である。次に選手を壊れないように育てること。

 そのためには楽な試合を戦うために、相手のピッチャーの消耗を祈るぐらいはする。

(夏もセンバツみたいに最初のトーナメントで全部決めて欲しいけど、昔に比べればマシか)

 昔は二回戦からも含めて全て、クジ引きで対戦相手を決めていたのだ。


 エースを休ませる。

 そのリスクが取れるチームが優勝するように、甲子園はなるべきなのである。

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