第92話 栄冠への道

 七回の裏、白富東の攻撃は、三番の悟から。

 緒方のチェンジアップを、少し泳ぎながらも、あっさりセンター前に弾き返す。

 一番出したくないランナーを、大阪光陰は出してしまった。

(凄いな、彼は)

 同じショートという意識が、緒方の中にはある。

 なぜかピッチャーをやってはいるが、これは自分で望んだものではない。

 もちろん全く望んでいないものでもないが。


 大阪光陰というチームで、皆の期待を背負って投げる。

 これは自分の力だけで出来るわけではない。

 皆が期待し、皆が守ってくれるから、どうにか立っていられる。

 バックを信頼しなければ、とてもマウンドになどいられない。


 四番打者には、先ほどはホームランを打たれてしまった。

 イニングの間に粘られすぎて、指先の感覚がほんの少し麻痺していたのだ。

(この試合で、潰れてもいいんだ)

 緒方はプロを目指してはいない。

 スカウトを受けた時も、内野の専門家として入ったのだ。

 しかし体の使い方に、ピッチャー適性を感じた木下が抜擢。

 最終学年には1のエースナンバーを背負って投げている。


 大学へも野球をやりに行こう。

 本当に将来のことを考えるのはそれからだ。

 そんな緒方にはもちろん、プロの熱い視線が注がれているわけだが。


 ピッチャーとしてもまだ伸びるかもしれないが、おそらくは適性は内野と、そしてバッターとしてのものだ。

 体格的にはそれほど優れたものではないが、変な大振りをしたりせず、コンパクトなスイングからスタンドに持っていくパワーを持っている。

 そしてショートとしての守備力は、去年から見ても明らかだ。

 大介のいるライガースでさえ、欲しいか欲しくないかで言えば、欲しいのだ。

 打てる野手は貴重だ。

 しかも緒方は高打率の打者でもある。




 だが緒方としては、対戦する一歳下の悟の方が、才能ははるかに上だと思う。

 単純な身体機能ならそうなのかもしれないが、木下などは注目するのは、緒方の野球に対する姿勢だ。

 少しでも早くグラウンドに来ると、自分でアップやストレッチを丁寧に行っている。

 合気道をやっていた時からの、運動に入る前のルーティンだと言うが、関節は抜群に柔らかい。

 足技などない合気道なのに、ハイキックで自分の頭の上まで、簡単に届くぐらいなのだ。


 体の柔らかさから生まれる、体全体を使った力。

 この効率のいい力の使い方は、直史に似ている。

 絶対的なパワーの最大値は全く違うが、大介にも似ている。

 幼少期からの訓練を受けていた肉体。

 ある意味だらだらと長い練習をする野球とも違う、箸の持ち方から歩き方まで、訓練された動作の染み付いた肉体。

 これこそまさに努力の結晶である。


 同じく努力の結晶であるが、日常動作から訓練を受けていた緒方とは、全く違う久留米。

 彼は最初、白富東の練習メニューに従い、適切と言われるトレーニングをしてきた。

 だがそれでも芽が出ずに、限界以上と思われるまで、やれるだけやった。

 それでやりすぎて力が抜けてから、スイングに粘りが出るようになった。

(今日がたぶん、俺の人生の頂点だ)

 甲子園の決勝で、逆転弾を放った。

 ここでもう一本打ちたい。

 ホームランとまでは言わないが、ここで悟を帰せれば、もう一生この記憶だけを胸に、生きていくことが出来る。


 ジャストミートしたかと思えた打球を放ったが、ライトのほぼ正面。

 右方向を意識しすぎたかもしれない。

「打てるぞ」

「おうよ」

 五番の駒井も、同じようなことをしていた。

 ただ駒井の場合は、食事の量をもっと増やし、そして良く噛んで食べるようになったという、地味なところから始まったが。


 駒井は筋肉の量が、単純に足りなかった。

 食べる以上に動いてしまう。白富東の練習やトレーニングは、短いが楽なわけではない。

 練習中にバナナを食べて、それからようやく体が理想的に動くようになった。

(久留米は結果を出した。俺もまあそこそこやったけど、最後に勝って終わりたい)

 もう野球をやるのは、高校までである。

 野球をやりたくないのではなく、白富東以外で野球をやりたいとは思わない。


 粘っていくが、緒方の集中力が優った。

 ストレートの後のカーブに泳いで三振。




 この先にもまだ、道がある。

 打撃成績は、悟の次の総合力を持つ孝司だが、あえてキャッチャーに集中したいため、打順を落とした。

 秦野に前に言ったことであり、そして今日はそれが、完全に成功している。

(ツーアウトか)

 ここから打って、点が入るものだろうか。

 とは言っても打順調整はしておきたい。


 哲平が抜けてしまったことによって、上位打線の得点力が落ちている。

 二番打者に、断絶がある。

 宇垣が出て佐伯が送れば、得点圏で悟という、美味しい状況に出来る。

 緒方は本来、毎回三者凡退で抑えるようなタイプではない。

 だが二点を失った回以外は、今日は全て三者凡退に抑えている。


 緒方もまた、この決勝に向けて全ての調整をしてきたのだろう。

 この試合が終われば三年は引退。いや、国体はあるが。

 気分的にはこれが最後だ。ただ哲平が怪我をしてしまったので、せっかくだから国体で活躍したいとは思うが。

 ただ国体は本当に、プロ入りを決めている者が、最後にパフォーマンスを見せる機会程度に思っていた方がいい。


 孝司は緒方から、また粘っていく。

 フルカウントになってからは、際どいコースは全てカットだ。

 たぶんボールだろうと思われるものまで、全てカットにいく。

 当然ながら緒方のスタミナを削るつもりだ。


 ただ緒方はなんというか、乱れないタイプである。

 体力を削っていっても、本当の最後の最後、空になるまで投げ続け、最後には倒れてしまうような。

 直史のようなと考えれば、自然とぞっとしてしまう。

 あんな人には勝てない。


 19球を粘った後、ピッチャーゴロでアウト。

 だがこれでかなり、このイニングも緒方のスタミナは削れたと思う。

 打順も次が七番からの下位打線で、最終回が一番の宇垣からだ。100%悟に回る。


 明らかに自分よりも優れたバッター。

 ショートを守っているが、その打力だけでも、コンバートして使いたいという球団はあるだろう。

 まさに少しスケールダウンした大介であり、それでも核弾頭レベルのスペックだ。

 おそらく高卒から、そのままプロに進む。

 このまま順調なら、ドラフト一位で競合するだろう。

 打てるショートなど、どのチームだってほしいのだ。




 八回の表、大阪光陰の攻撃は七番からの下位打線。

 ここでどうアウトを取るか、七回の裏の間に、秦野は頭を悩ませていた。


 八回自体は問題ではない。問題は九回だ。

 三人で八回を切れば、九回の表は蓮池からとなる。

 先頭打者ホームランはともかく、あの足で転がされたら、内野安打もありうる。

 そしてノーアウトでランナーにするには、一番厄介な選手である。

 しかもそこからなら、三番の緒方にも回る。


 九番あたりをわざと歩かせて、蓮池も歩かせたら。

 少し考えてみたが、リスクとリターンが見合わないと思う。

 ホームランを打たれた後も、球数が増えても緒方は崩れていない。

 九番と蓮池を歩かせて、もし二番でアウトに出来なければ、緒方にツーアウト満塁で回るのだ。

 ツーアウトなら自動でランナーがスタートを切れるので、二塁ランナーまでもワンヒットで帰ってこれる可能性が高い。


 その後の九回の裏が、宇垣から始まっていたとする。

 佐伯はほぼ自動アウトと考えたら、宇垣が塁に出ていないと、ツーアウトから悟。

 一点を取るホームランを期待は出来るが、二点差であれば勝負はかなり決まってしまう。

 秦野は沈黙し、大阪光陰の八回の表の攻撃を見る。


 向こう側のベンチでは、木下は笑みを浮かべて選手たちをねぎらっている。

 特にバッテリーは、声をかけられていた。粘られながらもヒットを許さなかったのが大きいのだろう。

 勝負は九回の表裏になるか。

 そう考えて、こちらのバッテリーを送り出す。

「今、淳は何球だ?」

「98球。悪くないよ。あちらは130球突破してるし」

「タフだな」


 それなりに良い打球は出ているのだが、野手の近くに飛んでいってしまうことが多い、

 運が悪いと言えばそれまでだが、あちらだっていい当たりが野手の守備範囲内に入っているのだ。

 ここまでの得点が、ホームランやタッチアップ。

 絶対に捕られないか、捕られてから動くプレイで点が入っている。


 決勝点が、ホームランになるかもしれない。

 緊迫した試合で勝負が決まるのは、エラーがらみかホームランの一発であることが多い。

 だがこの八回は、両者共に三者凡退。

 しかし白富東は、バッターがかなり粘っていっている。

 この試合の球数もそうだが、白富東はここまで、淳をある程度休ませている。

 名徳戦は相手のピッチャーが投げられなかったということもあるが、三日の休みで帝都一の試合の疲れは抜けているはずだ。

 それに予選から他のピッチャーも使っていって、夏を通じて体力を減らさないようにしている。


 大阪光陰はどうかというと、予選の最初では三番手以下のピッチャーを使っているが、途中からはほとんどが蓮池と緒方で、特に緒方の方がたくさん投げている。

 あの小さい体でとは思うが、大介だって小さな体の体力オバケであった。

 あまり体の大きさは、体力というかスタミナには、関係ないのかもしれない。

 マラソン選手で長身の選手が、あまりいないのと一緒だろうか。


 体格の大きな選手は、その肉体を維持するためにも、より大きなエネルギーがいる。

 上手く補給していないと、体を構成する物質から、そのエネルギーを変えてしまうのだ。

 かといって体格に恵まれなければ、その体重をパワーに変換するのも難しい。




 九回の表。

 2-2というスコアで、両チームともに一番バッターから。

 この打順を考えたら、延長には行かずにここで決まるような気もする。


 大阪光陰は四番と五番の方が長打力はあるように思うが、緒方もホームランを打てるバッターだ。

 少なくともランナーがいた場合なら、一番頼りになるバッターではあるのだろう。

 もっともここまで145球を投げており、かなり体力は消耗していると思う。

 

 八回の裏の下位打線相手にも、三振は一つも取れなかった。

 白富東はどちらかと言うと、下位打線は振り回す方だ。

 そこから三振が奪えなくなったというのは、球威が衰えてきているのか。

 だが九回の裏を考えるよりも、まずはこいつだ。

 ランナーに出せば一番厄介な、俊足の打者だ。

 そして長打力もある。


 こいつを塁に出さないこと。そうすれば一気に楽になる。

 もちろん向こうも全力で塁には出ようとするだろうが。


 変化球から入って、カーブを二球見逃した。

 かなり際どいコントロールはついたが、ストレートを狙っているのか。

 スライダーを狙っている可能性もある。この長い腕で、アウトローを打てるのだ。

(アウトロー、外して様子を見ようか)

 頷いた淳は、少し外したコースへ投げる。

 それに対して蓮池は、バットを出した。


 長打を打てる蓮池が、コツンとバットに当てた。

 それはツーストライクからの、スリーバント。

 サードの久留米はわずかにスタートが遅れた。


 何度も何度もやってきたのは、単純に捕って投げるということ。

 久留米はグラブではなく素手で捕球し、体をねじってファーストに投げる。

 何度も、毎日やってきた、捕って投げるということ。

 その反復動作で得たものより早く、蓮池は一塁ベースを駆け抜けた。


 今まで予選から一度も、バントなどしていなかった選手である。

 それよりは内野安打が多く、確かにバントヒットも狙えただろう。

 だがここはセンスでバントを決めて、ノーアウトからランナーに出た。

 今までは一度もやってこなかったプレイを、いきなり成功させる。

 しかしそのセンスよりも、大阪光陰ベンチは蓮池のプレイ自体に驚いていた。


 何を言われても、結果を出すことで批判を封じてきた。

 だが準決勝では打ち込まれ、己の未熟さを痛感したのか。

 この試合も最初のホームランこそ良かったものの、その後は凡退が続いていた。


 チームの勝利のためのプレイ。

 蓮池は、精神的に成長している。

(よっしゃ、これで優勝するで!)

 大阪光陰の木下は、送りバントのサイン。

 白富東としても、ランナーを二塁にして緒方は避けたい。

 だがここで、しっかりと送りバントを決めてくるのが、大阪光陰の二番打者だ。


 ワンナウト二塁。

 バッターボックスには三番ピッチャーの緒方。

 間違いなく今の大阪光陰の、核となる選手。

 単打であっても、蓮池ならば帰ってこれる可能性はある。

 抑えれば、一気に流れはこちらに持ってこれるだろう。


 エースとエースの対決が、バッターボックスとマウンドの間で行われる。

 決着の時は近い。


×××


 ※ 予選と文中では書いていますが、実は県大会や府大会などの地区大会であって、正式には予選とは言わないそうです。

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