第91話 願い
プロになる、と言った。
そしてそのための、一番可能性の高い道を歩いてきた。
その道は可能性は高くても、保証のあるものではない。
またそのために、多くの人に無理を言って、多くのことを犠牲にしてきた。
準々決勝、帝都一戦。
最後まで投げきれたのは、犠牲にしてきたものがあったから。
本当ならば自分が行くはずであったチーム。
帝都一に、夏の初戦で負けた。
甲子園まで来れて、それで良かったのか。
敵討ちなどとは言わない。
自分たちに勝ったチームが優勝するのも、他のチームに負けるのも、淳だったら見たくない。
ただシニア時代の仲間を倒した帝都一を抑えるための、モチベーションに利用した。
自分は計算高い。
プロに行くなどと言っていながら、行けなかった時のことも考えたり、最後の選択肢をまだ残したりしている。
大学に行くのは、今の時点ではまだ無理だから。
自分のようなピッチャーは、大学のリーグ戦で結果を残さないと、プロの上位では取ってもらえない。
故障した時の第二の人生のために。
あるいは引退した時も、学歴があった方が有利であるし。
色々と、言い訳ばかりをしてきた。
計算高いのではなく、ただ自信が充分になかっただけ。
けれど、頂点に立ったら。
二人の兄と、同じ風景を見たら。
マウンドに立つ、誰よりも高い場所から、グラウンドを見るピッチャー。
「プロ? 興味ない。野球はどこでも出来るだろう」
「プロ? なんか周りは色々言ってるけど、とりあえずタダで大学行けるしさ」
共に世代最強でありながら、プロの道を選ばなかった。
選択肢にすら入らなかったと言っていい。
直史は、他の未来を既に見ていた。
武史は、プロになる自分がリアルではなかった。
野球が出来ればどこでもいい長男と、別に野球じゃなくてもいい次男。
その下の三男は、プロになりたくて仕方がないのに。
自分の夢を誰かの手を借りてよかったのか。
考えすぎるな。
今考えることは、この試合に勝つことだけ。
栄光の頂点で、自分に何が見えるかを、はっきりと眼に映せ。
いいピッチャーだな、と秦野は思う。
直史も武史も、それぞれ別の意味で怪物であった。
淳もまた傑出した選手であるし、おそらく野球のピッチャーとしては、一番純度が高い。
五回の表を、三人で終わらせた。
その裏に追加点は取れない。
六回の表も、先頭打者は切る。
そしてワンナウトで蓮池。
そのスイングは間違いなく、全球をホームラン狙いにするものだ。
もっともタイミングが合わなければ、淳のボールなら呆気なく凡退する。
試合の流れが、また停滞しかけている。
ここでヒットが、それも長打が出て得点圏に進めば、また展開は変わるだろう。
淳のボールを二球続けて、左右に特大のファールボールを飛ばす。
だがこれでボール球を三つ使えるようになった。
蓮池も、苛立っている。
初回の先頭打者ホームランは打てたが、二打席目は変化球に翻弄された。
そしてこの打席も、狙い球が絞れない。
経験不足からの技術不足が、蓮池の弱点ではある。
だがそれでも、スタイルを変えればチームバッティングで貢献出来るのだ。
コツンと打って単打。
しかし蓮池には、その上手く当てる程度の感覚が分からない。
ボール球を追いかけてカットはしたが、今のは見逃すべきだった。
(頭使うスポーツだよな)
他のスポーツもやってはみたが、どれも頭を使うと言うよりは、反射で選択するものだった。
だが野球は明らかに、間合いを考えている。
緒方のピッチングやバッティングが、そういうものだ。
ピッチングはまだリードの技術だと分かるが、バッティングにおいて、自分の好きなコースに呼び込むような、相手の失投を誘う手段が分からない。
この目の前のピッチャーも、普通なら慣れれば打てるのだが、情報が増えるほどに打ちにくくなっていく。
天才が感覚で打っているのに、無理に考えると体が反応しない。
(くそったれ! なんて打ちにくいんだ!)
淳が聞いたら憎たらしい笑みを浮かべるような、蓮池の心の叫び。
それでもボールを地面に叩きつける打球に出来る。
高いバウンドになりそうなセカンドへのボールを、哲平がジャンプしてキャッチする。そのまま空中から、体を捻ってファーストへ。
蓮池が俊足でも、これはアウト。
だが着地がまずかった。
「つ……」
足首を捻ったか。
しばらくしゃがみこみ、痛みが引くのを待つ。
だが引かない。
血管の中を、血が勢いよく流れていくのがはっきりと分かる。
足首が動かせないわけではないが、両肩を抱えられてベンチに戻る。
スパイクをとソックスを脱いでみたら、はっきりと膨らんでいた。
怪我をするのは初めてではない。
だからこれは、しばらくは無理なレベルだとはっきり分かる。
「……佐伯、セカンドだ」
「はい」
心構えはいつも出来ている。
内野守備ならどこでも出来る。
残り三イニングと三分の一。
ここでこの大会当たっている、二番打者の哲平の離脱は痛い。
秦野としても迷ったのだ。
次の回には、その二番打者まで回ってくる。その時に佐伯では、おそらく打てない。
チャンスになっていれば、宮武を使っていい。
だがここは守備力を重視した。
佐伯を残しておいて、最後の守備固めにどこかで使うかとも考えた。
まだ一点差であり、淳の球数も増えていっている。
「病院には?」
専属の医師は、首を振る。
「今はガンガン冷やすしかないからね。試合が終わってから行けばいいよ」
それは、不幸中の幸いと言うべきか。
「国体には間に合いますか?」
硬い表情をしていたが、哲平は次のステージにまで考えが及んでいる。
「まあ無理をしなければだけど、九月の末だろ? 治ることは治ると思うけど、MRI撮らないとね。それに、そこで無理したらダメだし」
九月、哲平は国体に出なければいけない。
10月のドラフトで指名されるには、ここで怪我をしていても、プレイ出来るまで回復していると証明する必要がある。
「あせるなよ」
秦野は言う。自身の内心では目の前の試合に、かなりの焦燥感を覚えていたのだが。
守備力はともかく、打力が劇的に低下した。
あと一点必要な場面があるか。
六回の表は無失点で、裏の攻撃に入る。
両者拮抗と言ってもいいのか、同じくラストバッターからの打順で、淳が打席に入る。
ただ淳の場合は、打とうと思えば打てるバッターだ。ピッチングに専念するため、この打順に入っているだけで。
ここで打てば、当然ながら一番の宇垣に回る。
そこでも打てたとして、打てなくても二番には回る。
佐伯はバッティングは壊滅的だが、バントは上手い。
送りバントに成功したとしたら、ツーアウトながら得点圏で悟に回る。
打てるならば打つ。
楽な投球などさせないつもりで、ゆったりと構える。
緒方は、本質的にはピッチャーではないと、秦野は言った。
確かに淳も能力的には、緒方のピッチャーとしての才能は、プロで傑出したものにはならないと思う。
単純にスペックだけなら、蓮池の方がずっと上だろう。しかしそれだけでは済まないものが、緒方を支えている。
コントロールもスピードも、相手を打ち取ることに専念している。
三振を奪えないわけではないが、そこそこ球を打たせることで、守備陣の集中力を高めている。
もちろんキャッチャーのリードもあるのだろうが、難しいコースにしっかりと制球する力は、ピッチャーとしても優れたものだ。
ただプロまで行くなら、内野で使うだろう。バッティングの方が優れているし、ボディバランスなどが内野向けなのだ。
しかし高校野球レベルでは、間違いなくエース。
甘い球など一球もなく、淳はおとなしく三振しておいた。
一番に戻って宇垣だが、これまたサードゴロ。
そしてランナーが出なかったので、佐伯がそのまま打席に入って三振。
試合は終盤に入る。
七回の表は、三番の緒方が先頭打者である。
今日はここまでヒットはない。どちらかというとアベレージヒッターだが、ホームランも打てる。
もしも残りの三回を、三人でしとめられたとしたら、緒方の打席はこれが最後になる。
他のバッターも油断していい相手ではないが、塁に出したら一番厄介なのがこいつだ。
足もけっこう速い。単純に速いのではなく、ベースランニングが上手いのだ。
単純に身体能力に頼るのではなく、怪我をしにくい体の使い方をしている。
秦野としても、なかなか分析がしにくいと言っていた。
あせるな。
球数は増えてきたが、まだ体力が底をつくには早い。
目の前のバッターを、一人一人打ち取ればいい。
だが低めに上手くコントロールされた淳の球を、緒方はジャストミート。打球はレフト前に。
ノーアウトで先頭の打者が出た。
四番バッターが、進塁打を確実に打ってくる。
ここで強振してこないあたり、大阪光陰も慎重になってきている。
緒方は大きなリードは出来なかった。淳はサウスポーであるのだ。
しかし二塁にまで進むと、むしろサウスポーの方が、牽制などはしにくくなる。
普段はもっと楽に見える場所にいるランナーが、見えにくいところにいるからだ。
ここを抑える。
エースならば、ここを抑えなければダメだ。
背番号1を背負っている者として、なんとかここで切らなければいけない。
勝ちたいのは全員。そして最後まで勝てるのは18人だけ。
ベンチに入れるまでも競争と考えれば、その倍率はとてつもないものになる。
その競争の果てに、この最終決戦があるのだ。
絶対に抑えるなどとは言えない。
大阪光陰のような私立のチームは、全てが野球を中心に回っていると言っていい。
だがそれでも、これまで白富東が勝ちこしている。
(ワンアウト二塁だから、ランナーは投げたら自動スタートなわけじゃない。普通のヒットでは帰ってこられる可能性が高い)
孝司は淳と共に、五番のキャッチャーを抑えることを考える。
キャッチャーとしては、孝司と並んで、大会屈指の強打者。
ここは長打警戒を第一に考える。
打たれた長打は、ホームランの一本。
こちらの打点も、ホームランによるものだ。
緊迫した打たせて取るピッチャーの勝負に、なかなか連打など出ない。
長打警戒。
それに集中しすぎて、ランナーへの意識が薄くなる。
試合前から淳のフォームを研究していた大阪光陰は、クセと言うよりはパターンを、しっかり記憶している。
初球からカーブを沈めて、それに緒方が走る。
ワンバンしたボールをキャッチした孝司であるが、三塁へ送るにはバッターも邪魔だった。
ステップを入れてから投げたボールは、ベースに当たる見事な送球であったが、緒方の足の方が早かった。
七回に、ピッチャーを走らせてくるか。
大阪光陰も必死であるのは、ベンチからも分かる。
おそらくピッチャーは最後まで緒方でいくはずだ。
蓮池もいいボールを投げるが、球速に比べると球威はまだそれほどではないと、映像を見ていた秦野は判断する。
本当にいいストレートは、センター方向からの画像で見ても、確かに落ちていないのだ。
これがまるで浮くようにさえ見えるのが、武史のストレートであったりする。
おそらく蓮池ならば、大介が大滝に対してしたように、正面から粉砕出来る。
木下もそう判断しているのではないだろうか。
ワンナウト三塁になった。
これでタッチアップはもちろん、内野ゴロでも場合によっては内野ゴロでもOKだ。
「スクイズは?」
「ないな」
珠美の疑問にも、即座に返答出来る秦野である。
大阪光陰自体は、スクイズなども積極的に使うチームだ。
普通に打って粉砕することも出来るのに、まずは一点を悠々と奪っていくのが、余裕を感じさせるのだ。
つまるところ単純にこの打者が、バントなどをしていないのだ。
フルスイングで、外野フライを打つ。
同じ一点を取るのでも、それがこのバッターの点の取り方だ。
低めよりも、むしろ高めの方がいい。
かと言ってホームランも打てるので、安易に高めに投げるわけにもいかない。
(まずは低めに外して、様子を見るか)
(了解)
バッターが、どちらを狙っているのか。
沈むカーブに、反応した。
反応しただけではなく、打ってきた。
これを掬い上げるのかと、孝司が驚く間に、バットはボールを高く上げる。
レフト方向。風は?
まさか入ったりはしないよな?
ぎりぎりまで下がった駒井が、しっかりとキャッチ。
しかしこの距離ならタッチアップには充分。
緒方は滑り込むこともなく、ホームベースを踏んだ。
七回の表、ツーアウトでランナーなし。
ただしこれで、スコアは2-2の同点に戻ったのであった。
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