第90話 熱

 雨は夜半には完全にやんで、また太陽の照りつける日がやってきた。

 甲子園の決勝には相応しい日だ。

 

 またしても、と言うしかない。

 夏の高等学校野球選手権大会。


 大阪代表 大阪光陰 対 千葉代表 白富東


 三年連続で、決勝は白光戦となった。

 なお結果はここまで、白富東が二連勝している。

 正確にいえば、二勝一分であるが。

「蒸すなあ……」

 一回の表、まっさらなマウンドに登ったのは、準々決勝から中三日の淳。


1 (一)宇垣 (二年)

2 (二)青木 (三年)

3 (遊)水上 (二年)

4 (三)久留米(三年)

5 (左)駒井 (三年)

6 (捕)赤尾 (三年)

7 (右)トニー(三年)

8 (中)大石 (二年)

9 (投)佐藤 (三年)


 一番秦野が理想的と思うオーダー……とは限らない。

 何が正解であったかは、結果からしか分からないからだ。

 だが少なくとも甲子園の試合を見てきて、これならと自分では納得している。


 対して大阪光陰は、緒方を先発に持ってきて、これまで五番を打つことが多かった蓮池を、一番に持ってきている。

(まあ、こいつの身体能力は、確かにメジャー級だよ)

 おそらく能力だけなら、既にそこにある。

 あとは技術だ。

(一番バッターに一年を置くってのも凄いけど、全然緊張してないよな)

 むしろ笑みさえ浮かべて、淳に対してきている。


 一年生で190cm近くある巨体であり、しかも細いわけではない。

 ピッチャーとしては150kmを投げるので、全身のバネがすさまじい。

 走力は見て分かる通り。

(アレクさんみたいなやつだよな)

 あとはアレクのような、天性の当て勘があるのかどうか。

 これまでの打席を見る限り、ライナー性の打球を打つのが得意なようだが、ホームランも一本打っている。


 手足が長いため、外角には強そうに見えるが、実際は内角を打ったヒットの方が多い。

 そのあたりは普通のバッターと同じと考えていい。

(じゃあまずは外で)

(了解)

 左打者のアウトローに沈んでいく、少しボール気味の球を、孝司は要求した。

 逃げていく沈むスライダー。淳の理想どおりの軌道に乗る。

 それに対して蓮池は、バットを全力で振る。


 やばい。


 そう思ってしまっても、投げたボールは戻らない。


 高めだとむしろライナー性の打球になるのが、低めを掬い上げたことによって、レフトへと高く上がる。

 淳が苦渋に顔を歪める間に、ポーンとボールがスタンドに入る。

 先頭打者ホームラン。

 また劇的な、試合の始まり方であった。




 天才というのは、それなりにいる。

 だがその天才の中でも天才と呼べるほど、突出した者は限られる。

 蓮池は間違いなく、その限られた一人であると、大阪光陰の木下監督は思う。


 野球選手としてではなく、総合的なアスリートとして見た場合、蓮池の能力は上杉勝也や白石大介をも上回るかもしれない。

 少なくとも真田や後藤以上の手応えを、感じる素材であった。

 だがそれが、選手としての評価にはそのままつながるわけではない。

 蓮池の持つ、野球選手としての致命的な弱点。

 それはチームスポーツをしているという意識の、根本的な欠落だ。


 守備で使うなら、肩の強さと俊足を活かしたライト。

 バッターなら四番が凡退したあとの五番。

 ある意味、責任が薄く、それでいて自由に動けるように使わなければいけない。

 あとは経験が足りない。

 敗北、あるいは挫折の経験だ。


 上杉勝也のような、試合には負けたが上杉は勝ったと言われる状態。

 それが蓮池にとっての日常であり、それは本人にも責任はないものである。

 蓮池は傲慢ではあるが、他人の言葉に耳を貸さない人間ではないし、チームプレイを理解する頭脳も持っている。

 だが圧倒的に、団体競技でコミュニケーションを取る経験が不足していた。


 しかしそれを埋めたのが準決勝の試合であった。

 桜島の打撃は、とにかくストレートにはめっぽう強い。

 それだけではなく、変化球も粘り強くカットしていくのだ。

 そのあたりは久留米に似ているかもしれない。

 

 桜島との試合では、蓮池は通用しなかった。

 いや通用しなかったわけではないが、それでも点は取られた。

 そこからリリーフした緒方が、桜島打線を封じて、打線が追いついて、最後には勝ってくれた。

 自分のミスを、誰かがフォローする。

 甲子園のここまできて、ようやくの蓮池の挫折と、仲間と言う存在。

 傲慢さや、己の尊厳を、失ったわけではない。

 それを失ってしまえば、むしろ蓮池の魅力はなくなる。

 だが確実に何かが変わった。

 混じりあい、長所を捨てることはしない。

 そんな蓮池だからこそ、一番バッターとして使えたのだ。


 白富東から先制打。

 これでペースを握れれば、優勝が見えてくる。

 点を取られても崩れず、淳は後続を抑える。

 しかし大きな一点が、大阪光陰には入ったのだ。




 1-0というスコアでは終わらない。

 その確信があるからこそ、淳は動揺せずに追加点など取られることはなかった。

 ベンチに戻ると、さすがに帽子をとって、くしゃくしゃと頭を掻き毟る。

「出会い頭か、完全に読んでたか」

 隣に座った孝司が、そう声をかけてくる。

「初球にあそこに投げて打たれるなら、まあ打てる球はなくなるよな」

 淳としてもそう言うしかない。


 怪物の一年というのは、案外毎年出てくるものだ。

 もっとも本当に怪物と言えるような存在は、滅多にいないが。

 上杉や大介、はたまた完全に系統の違う直史には、まだ現時点では及ばない。

 だがいずれ到達する。そんな可能性さえ考えさせる怪物だ。


 似ているのは、確かにアレクや武史だ。

 才能をまだ出し切っていないという点において。

 今はまだ、勝てる存在である。


 反省会を冷静に行うバッテリーには安心して、秦野は試合に注目する。

 先発の緒方。対戦はなかったが、春よりもさらに成長している。


 先頭打者の宇垣が、こちらも初球を狙っていった。

 だがあっさりと内野ゴロに終わり、一球でワンナウトをやってしまう。

 緒方なり蓮池なり、どちらかを消耗させて叩くというのが、作戦の趣旨であったのだが。

「さーせん」

 こいつも態度は悪いなと思いつつ、秦野は緒方の印象を聞く。


 緒方は本質的には、ピッチャーではなく内野の野手だと思っていた。

 しかしどうも話を聞くに、器用な真似を行っている。

 スピードのMAXは145kmほどで、まあ甲子園に来れば普通にいる程度だ。

 ストレートの伸びもキレも、平均以上であるが突出してはいない。

 だが、なんだろう。タイミングの取りにくい投球をしてくる。




 慣れれば打てる球、というわけではない。

 緒方の球が打ちにくい理由は、基本的に秦野も分かっている。

 そしてその対策も指示してある。


 ベタ足の、ノーステップ打法。

 ホームランは出ないかもしれないが、ヒットを積み重ねて、あちらの集中力を削る。

 緒方は体幹がしっかりしていた、軸がぶれない投げ方をしている。

 そこでタメが出来るのだ。

 タメが出来てから、それを爆発させるまでに、タイミングのズレがある。

 それが打ちにくい、単純な理由である。


 攻略法としては、とにかくタイミングを下手に合わせないこと。

 これで逆に、ホームランは打ちにくくなる。

 そしてもう一つは、ランナーを出すこと。

 クイックで投げる場合、どうしてもタイミングよりはスピードを重要視する。

 一応カーブとチェンジアップを持ち球にしているが、変化球はそれ自体のキレよりも、緩急差を作るために使う場合が多い。


 上手いピッチャーだとは思うが、おそらくプロレベルではない。

 研究されまくり、慣れてきたらそれなりに打たれるだろう。

 それよりはショートを守っていた時の軽快な動きと、バッターとしてあの体格でホームランを打てる長打力の方が魅力だ。




 二番の哲平は、この大会かなり当たっている。

 緒方のボールも、チェンジアップをしっかりと待って掬い上げた。

 よし、ライト前ヒットと思ったら、蓮池がスライディングキャッチする。

「今のはヒットだろ……」

 運動能力と反応の速さは、やはり凄まじい。

 もっとも後ろに逸らしていたら、ランニングホームランまであったとは思うが。


 そして三番の悟も、ジャストミート。

 センターオーバーと思ったら、ライトの蓮池が回りこんでキャッチした。

「いや、そりゃちょっとライト寄りではあったけど……」

 秦野も嘆く、鬼のような守備範囲である。


 データによると、足はアレクよりも速いのだ。

 ただアレクのような、打球を感覚で距離感を計る能力まで持っているのか。

 確かに今のスーパープレイは、ライトを守っていた時のアレクがやっていたことに似ている。

「ライトにフライが飛んでも、よほどの距離がないことには、タッチアップも出来ないな」

 秦野の言葉は、かなり苦々しいものであった。




 二回の表にも淳はヒットを打たれる。

 だがそこからランナーを進めても、決定的な一打は浴びない。

 スリーアウトまで淡々と投げ続ける。


 二回の裏、白富東の初ヒットは、四番の久留米から。

 ショートの頭をぎりぎり越える、ポテンヒットである。

 なんだかんだ言いながら、久留米はこういう粘り強い打球が多い。


 結局点にはつながらなかったが、一つ実験が出来た。

 ライトの蓮池の肩である。

 もちろん150kmを投げるのだから、肩が強いのは間違いない。

 だがそれが山なりではなく、しっかりとレーザービームになるのか。

 あえて足の遅い久留米に、タッチアップを三塁にさせてみたのだ。


 結果はアウト。滑り込むまでもなく、挟まれるほどの余裕のアウトである。

 鉄砲肩であり、しかも正確な送球だった。

「持ちだまはスライダーだったか?」

「二種類か、三種類のスライダーね。縦横と、小さく曲がるの」

 他にも投げているようだが、基本的にはあとはストレートだ。


 やはりピッチャーとしてはまだ、ピッチングのコンビネーションの範囲が狭い。

 緒方を引き摺り下ろせば、おそらくは打てる。

 しかしこいつがライトにいると、左打者が引っ張った場合、フライ性の打球をかなりアウトにされてしまう。

 その意味でも、早く緒方を攻略してしまいたい。




 三回、蓮池の二打席目は、ひっかけたライトフライ。

 難しい球を、泳ぎながら打ってのものである。

「選球が上手くいってないなあ」

 孝司の呟きの通り、下手に当てる力があるので、空振りして好球必打にまでいかないのだ。

 もっとも淳の失投などまずないが。


 それよりは、三番の緒方である。

 四回の先頭打者。

 こいつには過去、武史がホームランを打たれている。

 ピッチャーのくせに三番に座るところに、大阪光陰の一人の選手への力の集中があると言おうか。

 細心の注意で、ショートゴロに打ち取る。


 白富東は、四回の裏は一番から。

 いい打順と言うべきか、それとも封じられていると言うべきか。

 初回は簡単に打っていった宇垣だが、この打席は粘る。

 ガンガン粘って相手の球数を増やすドSな所業が、宇垣は好きである。


 ただ緒方はコントロールがいいし、力任せなピッチングをすることもない。

 20球も粘った末に、宇垣は打ち取られた。

「いい仕事してくれたな」

 秦野としてはご機嫌である。

 宇垣の仕事は適切であるし、その適切な仕事を宇垣が選択したということが嬉しい。


 続く哲平も、しっかりと粘っていく。

 宇垣と合わせて36球を投げさせて、アウトにはなったが悟の打席である。

 一イニングにピッチャーがパフォーマンスを万全に発揮できるのは、およそ20球までと言われている。

 悟と勝負するなら、指先のわずかな感覚の痺れも、致命傷になるかもしれない。


 ホームランを打たれないように低めに、などという一般的な常識が、あまり通用しないバッターだ。

 ここで木下監督は申告敬遠をする。

 ざわめくスタンド。無責任な野次が飛ぶ。

 悟は少し大きな白石大介などと呼ばれることもあるぐらい、高校に入ってからは長打が多くなっている。

 この大会も含めて、甲子園では六本のホームランを打っている。

 センバツと夏にもう一度来られたら、歴代上位に名前を連ねるようになるかもしれない。


 秦野としては、大阪光陰も必死だなと、難しい顔をする。

 確かに粘られた後に悟では、まともに勝負はしないだろう。

 しかし申告敬遠をする、あっさりとした采配はたいしたものだ。

 これでツーアウトで一塁なのだから、一点が入る可能性は低くなった。


 久留米が続いて打って、その後の駒井まで回るかどうか。

 そう考えていた秦野の耳を、金属音が叩く。


 甘く入ったのは仕方がない。

 悟との勝負を避けて、わずかに気が緩んでいた。

 ほんの少し浮いた初球を、久留米は叩いた。

 タイミングの合ったストレートが、レフトスタンドに飛び込んだ。


(こういうこともあるか)

 ツーアウトで悟を敬遠して、ほんの少しだが気の緩みがあったか。

 だが待球策のはずのところで、初球を叩いた久留米は偉い。

「あいつを四番にしたのは、本当に正解だったな」

 胸元で両方の拳を握り締める久留米を見て、秦野は小さく呟いた。

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