第120話 初夏の夕暮れ

 帝都一は東東京を代表する、高校野球における超名門の強豪である。

 春と夏を合わせて30回以上も甲子園に出場しているし、何度も全国制覇を果たしている。

 白富東とは甲子園でもだが、関東大会や国体などでも対戦したことがある。

 その因縁と言うか関係が始まったのは、もう五年も前になるのか。

 千葉の公立校が強豪を破ったということで関心を抱いた松平が、練習試合の申し込みを受けたのである。


 実際のところ帝都一は、そうそう練習試合を簡単に受けることはない。

 お高くとまっているとかではなく、純粋にスケジュールに空きがないのだ。

 なので新潟から遠征に来た春日山と、一緒の日にダブルヘッダーで対戦した。


 あの頃は選手層の違いがはっきりしていた。

 それから続いて強い選手が連続して入学し、白富東は高校野球史上に残る大記録を達成した。

 いやあれはチームと言うより、個人として突出していたという見方の方が正しいのかもしれないが、それでも空前絶後の記録である。

「それがまあ、普通の強豪になったよなあ」

「親分、それでも充分強いですよ」

「分かってらあな。ただ特に注意するのは投打一枚ずつだろう」

 帝都大のグラウンドの一つを借りているため、いつもよりは少し、腰の座りの悪い松平である。


 帝都一は昨年のセンバツを制したが、夏には敗北した。

 今年のセンバツも出場したが、優勝には届いていない。

 まだまだ元気に帝都一を率いている松平だが、さすがにそろそろこの監督の席を譲る準備はしておかないといけない。

 体が動く限りは、誰にも渡さないつもりではあるが。




 白富東は午前中の試合に耕作とユーキを使ったため、午後からの試合は文哲と山村の二人で帝都一と対戦するつもりである。

 帝都一もエースではなく、二番手や一年を中心に使ってくるつもりだ。

 毎年全国レベルのピッチャーが入ってくるだけ、帝都一はやはり、白富東よりも層が厚い。

 

 どちらかと言うと打撃戦となった。

 リリーフ適性のあまりない山村が先発で投げて、そこから先に点を取られる。

 だがその裏にすぐ逆転と、初回から試合が動く。


 逆転してもらったものの、二回にも一点を取られる。

 しかしそこで崩れないのが、この短期間で山村に備わった忍耐力だ。

 おそらくは耕作の、何があっても投げ出さない、集中したピッチングが、山村にも影響を与えたのだ。

 人は自分とは違う価値観の人間から、強い影響を受けたりするものなのだ。


 点を取られるのは仕方がない。

 だがそこで投げやりになってしまってはいけない。

 自分よりもずっと球も遅いし、変化球だって優れているわけではない。

 ただ黙々と投げ続けるその姿は、自分にはないものだと分かる。


 肉体的、技術的なことは、そうそう短期間では変わらない。

 だが精神的なことであれば、わずか一日で変わってしまうこともある。

 それが山村のような人間にも、ありうることなのだ。




 ただいくら精神的に変わっても、逆に肉体の性能や技術が変わるわけではない。

 指揮官から見ると、チームの中でしっかりと己の働きをしてくれるようになったのは分かるのだが、それでも実力としては見えにくい。

 帝都一の強力な打線は、サウスポーの山村に対しては、右バッターをそろえてきたりする。

 なので文哲への継投は、四回で行った。

 それまでに取られた点数は三点。

 こちらの取った点数は二点である。


 ピッチャーが文哲に代わると、左の代打を積極的に出してくる。

 ベンチメンバーであっても、下手な甲子園出場校よりは強いのが、帝都一である。

 白富東も今年の三年は、上とも下とも比べても、平均的な能力では一番優れている年代かもしれない。

 それでも帝都一よりは下であるのだから、東京の最強のチームはとてつもない強さなのである。

 そんな帝都一と同じか、それ以上に強かった大阪光陰を、何度も破ったのが過去の白富東なのだが。

 高校野球レベルでは、数人の傑出した才能があれば、その戦力をちゃんと運用すれば、それなりに頂点を目指せるのだ。


 最終的にスコアは4-4の同点で決着した。

 白富東も帝都一も、まだ完全には仕上がっていない。

 むしろこれから、伸びる余地がある。


 もう最後の夏まで、一ヶ月を切っている。

 それまでにどう仕上げていくか。

 あるいは試合の中で、どれだけ成長していくか。

 高校生の熱い夏が始まる。




 県内外のチームとの練習試合が、土日には行われる。

 練習試合が上手く組めなくても、その時は紅白戦を行う。

 日々気温が上がっていき、たまに雨が降る。

 今年は空梅雨などと言われるが、それなりには雨も降っている。


 雨が降るとグラウンドも使えず、室内練習場の面積も狭いため、校舎の中でのトレーニングなどを行ったりする。

 春の大会が終わり、練習試合をこなしていく。

 白富東の場合は県内の強豪でも、ベスト8ぐらいまでなら、スタメンでないベンチメンバーを選んでもだいたいは勝てる。

 ただピッチャーを体験させないのはさすがに問題なので、主力三人のうちの誰かは、一試合に三イニングは投げるようにしている。


 その中で確実になっていくのは、耕作が第四のピッチャーになっていることだ。

 不思議と言えば不思議なのだが、耕作は強豪と戦ってもそれなりのロースコアに抑えるし、明らかな格下と戦っても守備に細かいミスがあれば一点は取られてしまう。

 バッターにも何故か弱いピッチャーよりも、強いピッチャー相手の方が打てる選手がいる。

 もちろんそれは軟投派に弱いとかもあるし、ピッチャーとの相性もある。

 そういう観点からすると、耕作は多くのバッターから苦手とされるタイプなのだろう。

 とりあえず奪三振が少ないのだけは、明らかな事実である。




 秦野としてもこの自分にとって白富東での最後の夏、ベンチ入りメンバーを選ぶのにはかなりの労力がかかる。

 チームのバランスも考えないといけないし、次の世代への蓄積も考えなければいけない。

 かと言って実力以外のところで決めるのは、スポーツとしては間違いであろう。

 純粋に実力で選ぶ。もちろん実力と言うのは野球の技術だけではなく、周囲に与える影響も考えた上だ。


 時は流れる。

 最後の夏が近付いてくる。

 秦野は思い出す。自分が現役だった頃の、三年の夏を。

(あの頃の空気に似てるな)

 強豪のひしめく神奈川で、本気で甲子園を狙っていた。

 だが勝ち進んでも、こちらの戦術やチーム力を分析されたあたりが、戦術や戦略で勝つ限界だった。

 そもそも勝てるチームを作るという大前提の戦略の段階で、あの夏は準備が不充分であったのだ。


 今年の白富東は、全国制覇の大本命などではない。

 対抗馬ですらない。もちろん有力校の一つではあるのだが。

 むしろこの数年の中ではもっとも、甲子園に行ける確率すら微妙だろう。

 去年も似たようなことを言っていたが、それ以上である。


 トーナメント表が出来上がってきた。

 Aシードであるため、キャプテン宮武も変なところは引いてこない。

 あのマンガとかでよくある、一回戦から優勝候補と当たるという展開は、地方大会では起こらないのだ。

 けっこう最近までは、大阪ではそのあたりの配慮がなくて、初戦から優勝候補の潰し合いが起こっていたのだが、それも昔のこと。


 とりあえずトーナメント表を見る限り、春の大会で調子が悪く、早めに敗退してシードが取れなかったところとは当たらない。

 順調に勝ちあがって行くと、ベスト8で蕨山と当たる。だが向こうが順当に勝ちあがってくるかは微妙である。ここはまず勝てる。

 準決勝ではトーチバと当たる可能性が高いが、あちらもそれなりのチームとは当たるので、どこが来るかは分からない。ただ白富東の現戦力でも、互角以上の勝負にはなるだろう。

 そして決勝では勇名館、三里、上総総合あたりが上がってきそうだ。

「まあ今年は上総総合も頑張ってるからな」

 鶴橋はもう体で教えることは出来ないが、いいコーチが部長として入ってきたので、最後の一花を咲かせようとしているのかもしれない。

 もっともそれがなくても、毎年ベスト8には安定して入ってくるが。

 三里は女監督の下、春からどれだけ実力が上がっているか、練習試合を申し込んでこないので分からない。

 何か秘策でも立てているのかもしれないが、三里の基礎的なトレーニング内容を考えれば、それにも限界があると思う。

 勇名館はせっかく甲子園初出場を決めてから、長らく出場がない。

 まあこの間は白富東が強すぎたということもあるのだが、そろそろ結果をもう一度出してほしいところだろう。


 生徒だけではなく教師も普通に異動があったため、白富東の最初の甲子園出場を知る者はもう誰もいない。

 だがそれでも当時の様子が分かるのは『白い軌跡』があるからだ。

(しっかし九季連続出場なんて、本当に化け物みたいなチームだな)

 SS世代の最初の夏も、内容では勝っていたのだ。

 エラー一つで勝負が決まるのが、高校野球の難しいところである。


 次のセンバツからは実力で勝ちあがって、ベスト8、準優勝、優勝、優勝、優勝、優勝、ベスト4、準優勝、ベスト8と一回戦負けが一度もないのも脅威だ。

 だがそれがずっと保証されるわけでもない。

 甲子園の組み合わせというのは、一回戦で大阪光陰や帝都一と当たることもあるのだ。

 それにそんなことは、甲子園出場を決めてから考えればいい。

 今はまだ、最後の追い込みをかけて、実戦経験を積んでいく段階だ。


 それでもやはり、もう調整の時期にはいっている。

 秦野は色々と考えつつも、まず県大会のベンチ入りメンバーを決定する。

「こんな感じですかね」

 国立も頷くものが作れはしたのだが、毎年この夏のメンバー選考は、憂鬱になることが多い。

 一応甲子園においては他のメンバーと入れ替えることが出来るのだが、県大会から二人ベンチ入りメンバーが減るので、事実上の最後通牒だ。

 三年生はあとは、スタンドで応援することしか出来ない。

 やるせないものがあるのではないかと秦野は思うが、三年生の夏をスタメンで過ごせた彼には、なかなかそのあたりも分からないのだ。

「甲子園にいければ、それで幸せという子もいますからね」

 そう言う国立であるが、それだけで満足できない生徒もたくさん見てきた。


 今年のチームは間違いなく去年より弱い。

 だがそれでも、全国制覇が出来る戦力は、今年が限界であろう。

 純粋にパワーとテクニックだけではなく、戦略や戦術などの采配が重要になる。

 それとあとは、運である。

 そして士気だ。

 

 秋の大会で大阪光陰が敗北しているように、一人欠けても勝ち抜けるはずのチームが、その一人の欠場に動揺して、負けることもあるのだ。

 全国制覇をした後の大会だったので、わずかに監督なども気が抜けていたのかもしれない。

 ぎりぎりで悔しい思いをした白富東には、そんな油断はなかったが。

 勝つにしても負けるにしても、最後の夏。

 当然勝つつもりの秦野であった。




 欲が出てきた。

 甲子園のマウンドで投げたいという欲だ。

 サウスポーのサイドスローという希少価値が、これほど大きいとは思わなかった。


 耕作はだいたい一日に200球前後は投げて、その自分のフォームを見てもらっている。

 コーチが言うには、日々良くなっているというとのこと。

 耕作としても関東大会で投げて、何か少し掴みかけた気がするのだ。


 それに、帝都大との練習試合。

 だれにも言えなかったが、耕作の肩が、ぐるりと大きく回転した気がした。

 あとから比べてみれば、可動域がやや広くなっているとのこと。

 痛みなどは全くなく、無理をして投げているイメージもない。

 むしろこれまで動かなかった部分がちゃんと動くようになって、制御が利きやすくなったイメージさえある。


 マナのピッチングを見ていて、確かに影響はあった。

 女性に特有のあの腕のしなりは、真似できるものではない。

 だがサイドスローだった自分のピッチングに、もう少し力が乗せられるようになったのだ。

 球速としては、確かに前に測ったより、わずかに速くなっていた。

 ただそれよりも、力を入れて投げたボールが、低めに鋭く決まることが嬉しい。


 投げすぎるなと言われている耕作だが、もっと投げ込みたいときには、どうすればいいのかも聞いている。

 あの伝説の佐藤直史のやっていた、左手でも投げる理論だ。

 耕作の場合は右手でも投げる理論になるのか。


 マナの投げるフォームと、自分の右投を比べる。

 明らかにぎこちないフォームではあるが、これをすることによって、バランス感覚はさらに増したような気がする。

(皆、本気で甲子園に行きたいんだよな)

 そのために白富東に入った者もいるのだ。

 ただ、一年生に使えるピッチャーがいないというのは誤算であった。


 一年生から、甲子園のマウンドに立てるかもしれない。

 もちろんそれは、上級生の消耗を少しでも減らすための、四番手ピッチャーではあるのだが。

(下級生にピッチャーが入ってこなかったら、下手すりゃ俺がエースだもんな)

 甲子園出場校のエースのところに、農家の嫁は来てくれないだろうか。

 そう考えるとマナの顔が浮かぶのだが、さすがにそれは高望みである。


 うちの敷地に自作したマウンドで、耕作は投げる。

 その練習量が佐藤直史に近いことを、彼は知らない。

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