六年目・夏 最初の夏 最後の夏
第121話 俺の夏 お前の夏 みんなの夏
ベンチ入りメンバーが発表される前、わずかにだが変な噂があった。
一年生からマナがベンチ入りするのではないかという、根も葉もない噂である。
確かにマナは練習試合などでは登板することもあり、しかもそれなりに抑えていたのだが、男子の専門ピッチャーに比べると、さすがに能力は落ちるのだ。
ただ今年の一年のピッチャー経験者の男子の中では、普通に通用する部類に入る。
球速としては120kmも出ていないのだが、球の軌道がおかしいというか、リリースのタイミングが計りにくいのである。
女性特有の手首の柔らかさや、あとは腕が長いのも変則派として通用する理由だろう。
「今の三年が卒業したら、マジで女子選手登場かもよ」
「いや~、さすがにそれはないわ~。いくらなんでも男子の筋力には敵わないだろ~」
「てか今のところ、一年から入るの百間と塩谷だけ?」
「あと一枠どうなるかが、悩ましいところなんだよなあ」
部員たちの推測は、かなり正しい。
三年から12人、二年から五人、一年から二人というのは、かなり正確なあたりである。
すると県大会のベンチ枠20人には、あと一人となる。
この19人の中で体育科でないのは、文哲、石黒、ユーキの留学生・帰国子女枠の三人。
そして完全に普通科なのは、耕作の一人だけなのである。
やはり身体能力重視で集めた、体育科やスポ薦が、戦力の大半を占めるようになった。
順当なところから考えると、二年生か一年生のスポ薦から、もう一人選ぶといったところだろう。
それにしても不思議なことだ。
普通科しかなかった時代は、SS世代のはじめとして、武史と鬼塚の世代、淳の世代と、全国レベルの選手がころころと入ってきたのだ。
それが体育科の創設以来、上の下のレベルの選手が多くなったと思う。
怪我をしてスカウトに洩れた悟や、監督が気に入らなくて蹴った宇垣などは、かなり特殊な部類に入る。
噂が一人歩きして、部内の雰囲気が悪くなりかけたところに、秦野はベンチ入りメンバーを発表した。
一年からは耕作と塩谷のバッテリーだけ。
あと一人はどうなるかと思われていた枠は、二年生が選ばれていた。
多くの三年生のプレイヤーにとって、高校野球はこの瞬間に終わる。
だがある意味においては、仲間たちが勝ち残っている間は、まだまだ終わっていないのだ。
チームメイトとして共有してきた時間。
それがまだ、夏を終わらせてくれない。
進学校の白富東としては、ベンチ入りメンバー以外は、それなりに受験勉強を開始して欲しいところなのだが。
このベンチ要りメンバーの中には、普通科の選手は耕作しかいない。
あとはスポ薦、体育科、留学生・帰国子女枠である。
秦野としても国立としても、この選手構成がいいとは思っていない。
白富東が四連覇した時、主力はほぼ普通科として入学してきた選手だった。
特にSS世代の最後の一年は、史上最強の無敗の集団、神宮から国体までずっと、全国大会を五連覇していた。
アレクとトニーという助っ人外国人枠はいたが、この二人がいなくてもなんとか、全国制覇は出来ていただろう。
白富東は、体育科と普通科の間に、溝というほどでもないが、違和感のようなものが出来てきている。
いっそのこと体育科は体育科で、クラスを別にしてしまった方がいいのかもしれないが、体育科が全員野球部なわけではないし、耕作のようなごくわずかの例外もいる。
来年からは大変だなあと、秦野は国立に同情する。
ベンチ入りメンバーが発表されてからは、その20人を中心とした練習になる。
怪我人でも出たらメンバーの変更はあるだろうが、それでも20人を18人に減らさないといけないのだから、一年生のバッテリーが外れることはないだろう。
逆に言えば一年生のバッテリーが怪我をしたら、確実にそこに誰かが入るのだが。
しかし今の三年は急造投手としての経験が多い者がいるので、耕作が怪我をしても、ピッチャーは補充されない。
そして塩谷が怪我をした場合、キャッチャーが一人減るということだから、間違いなくキャッチャーから一人選ばれる。
ここで陰湿な足の引っ張り合いがないのが、白富東のいいところである。
そしてここから大活躍するのが研究班である。
春の大会に加えて、練習試合があるとなれば、それを見るために偵察をする。
土日はほとんどどこかのチームを見に行っていたのだが、ここからは得た情報の分析が主体となる。
大事なのは強豪校の分析はもちろんだが、それ以上に足元を掬ってくる可能性のある、新興勢力。
強豪の名門は基本的に、監督の性格がそのまま続くため、選手が変わっても大きな変化はない。
ただ優秀な監督は、それを選手に合わせて調整してくる。
監督の必要なタイプに選手を合わせるというのは、戦力の活用が下手なだけである。
そして一回戦はシードなので試合はないが、二回戦の相手。
対戦するのはおそらく私立栄泉高校である。
大原がいた頃は、ワンマンチームではあるが、ある程度の警戒が必要なチームであった。
だが彼が卒業してからは、私立なのでそれなりに部活にも金をかけるが、まあベスト16まで勝ち残れば充分という程度。
監督が代わったなどという情報もなく、春の大会の結果も県大会本戦で二回戦負けと、さほどの脅威は感じない。
一応一回戦で公立とは当たるが、春の大会では本大会にも出ていないので、基本的には栄泉が勝つと考えていいだろう。
これを、どんな相手でも全力で、などと考えてスタメンで対決するのが、ダメな監督の見本であると秦野は思う。
夏の大会も序盤のうちは、夏休み前の対戦となる。
もちろん土日には試合を行うが、平日にもそれはある。
私立と違って白富東は、全校応援など許されていない。
甲子園出場を、そして全国制覇を狙うなら、選手の体力を考えなければいけない。
それでも夏の初戦は大番狂わせがあると言われているが、秦野はそんなジンクスは信じない。
確かに夏の初戦の緊張というのは、間違いなく存在する。
だがそれを踏まえた上で勝利しなければ、全国制覇など夢のまた夢だ。
トーナメントも序盤であれば、まだまだ回復の余地があるために、エースを出してくるというのも分からないでもない。
だがここはまだ、実戦経験を積む段階だ。
秦野の考えに対して、国立は苦笑いする。
そんな余裕のあるオーダーは、三里では出来なかった。
夏というのはそれだけ、特別なものなのだ。
初戦のピッチャーは、一年の耕作を使う。
その代わりちゃんとキャッチャーは上山を使って、全体への影響は抑える。
五点取られても、15点を取ればいい。
今年の夏のテーマは、驚くほどの積極的な打撃というものだ。
まあここ数年、白富東は県大会の序盤レベルなら、完全に圧勝出来るのだが。
七月に入り、完全に空気は夏に変わる。
全国に数万人もいる、高校球児たちの夏。
誰かにとっても大切な夏が、今年もやってきた。
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