第122話 彼の最後の夏

 別に他の部活だって、三年の夏でほとんどの運動部は引退するはずである。

 だが野球に限って言えば、どうして甲子園という舞台があるのか。

 サッカーに国立、ラグビーに花園があるように、他にも特別な競技はあるが、野球においては特別すぎる。

「開会式のためだけに集まるわけ? 別に試合もしないのに?」

 春の県大会と比べても、圧倒的なその特別具合に、驚きを隠さない耕作である。


 千葉県大会はチーム数が多いということもあるが、かなり早めに開催し、そして代表が決まるのもほぼ最速である。

 その開会式はマリンズスタジアムで行って、その日は試合はない。

 そこから県内の各球場を使って、代表校を決めるのである。


 決勝まで勝って甲子園に行くには、シードであっても七試合を勝たなくてはいけない。

 そして関東大会を憶えていれば分かるかもしれないが、甲子園以上に試合日程は詰まっている。

 休養日はあるが、終盤は連戦が二度もある。


 白富東は13日が初戦の二回戦であり、次の三回戦が17日。

 あとは19日、21日、22日、24日、25日と三回戦以降には二日以上の休みがない。

 仕方がないの一言で昔は済ませていたのだが、この過密日程により、現在のピッチャーの球数制限が設定された。

 はっきり言って一枚いいピッチャーがいても勝ち残れない、私立優遇の制度である。

 優れたピッチャーが二枚以上いないと、甲子園には行けない。

 千葉のような170もチームがある県では、ごく当然のことである。

 神奈川や大阪に比べると長年まだマシであったのだが、今ではもう完全に、私立優位になっているのが球数制限である。


 開会式の次の日から、県内の11の球場に分かれて、県大会は進められる。

 トーナメントなので当たり前のことなのだが、二回戦が終わった時点で、残ったチーム数は半分以下になる。

 二年と四ヶ月野球をして、最後の夏には一試合か二試合して終わり。

 もちろんそれまでに、秋の大会などはちゃんと存在するのだが。


「俺らって全試合マリスタなんだな」

「白富東はSS世代の時なんか、秋だったかに高野連が無理言って、白富東の試合させてもらったことあるらしいぞ」

「すごい話だな」

「マジあの世代は伝説だよな」

「俺、スポ薦の入試のときに、佐藤直史さんに投げてもらったことあるぞ」

「マジスか? え、あの人って大学に行ってたんじゃないんすか?」

「なんかあの人特別待遇だったから、入学直前までこっちに残ってたんだよ」


 悟は間違いなく、特別扱いされていた。

 そしてその特別扱いは、既に素質を見抜かれていたのだと思うと正しい。


 考えてみなくても、と塩谷は思い出す。

 悟はプロ野球のドラフトにかかりそうな選手であり、一年の頃に全国制覇を経験しているのだ。

 去年の国体でも優勝しているので、二度の全国大会優勝の経験がある。

 そう思うとやはり、白富東は強いチームなのだと感じられる。

 だがこれでも、一時期よりは弱くなったのは本当だ。




 千葉県大会の開会式が行われた。

 プロの球団も使うこのスタジアムを、かなりの割合で夏の大会で使わせてもらえる。

 無駄に長いスピーチの間に、倒れる者が数名。

 幸いにも白富東にはいなかったが、あのお偉いさんがたはなぜ平気なのか。

 もし熱中症にでもなって、明日の初戦に出られなかったりしたら、一生後悔するかもしれない。

(別に鍛えてたら暑さに強いってわけでもないんだよな)

 夏場の農作業に慣れた耕作でも、それとこれとは違うと言える。

 農民は夏を甘く見ないため、しっかりと水分などは補給するのだ。

 農家の仕事で一番機械化されにくいのは雑草引きで、これがまたしんどいのである。


 さて、今年の夏の背番号である。

 ピッチャーの枚数は揃っているが、今年はキャッチャーが微妙であった。

 一応は一つの学年に一人は、キャッチャーを出来る人材を育ててはいる。

 だが二年のキャッチャーは、明らかに一年の塩谷よりも実力は下だったのだ。

 ただどうしてもキャッチャーは、万が一のことを考えて、三人は用意しておかないといけない。

 そのおかげでと言うべきかは分からないが、二年生からもキャッチャーが用意された。


 あとは今年は、外野の控えが薄い。

 そこから、あと一人外野に一年が選ばれるのではないかとも言われていたが、決まったのは三年を中心とした四人である。

 もっとも専門は内野だが、外野も守れるという選手はそれなりに揃っている。


1 山村 (三年)

2 上山 (三年)

3 宇垣 (三年)

4 石黒 (三年)

5 宮武 (三年)

6 水上 (三年)

7 平野 (三年)

8 大石 (三年)

9 塩崎 (三年)

10呉  (三年)

11聖  (二年)

12花沢 (三年)

13長谷 (三年)

14塩野 (二年)

15大井 (二年)

16麻宮 (二年)

17宮下 (二年)

18小野寺(二年)

19塩谷 (一年)

20百間町(一年)


 ユーキ以外はよほどのことがない限り、本気の試合では出番がないであろう選手も多い。

 背番号を見る限り、このままスタメンが決まったと言ってもいい。

「でもキャプテンとか水上さんとか石黒さんは、ピッチャーやるかもしれないよな」

「平野さんも出来るらしいけど、外野は選手層薄いからな」

 一年から選ばれた二人のバッテリーを中心に、教室に集まって話す野球部どもである。

 クラブハウスには上級生がいるため、なかなか本音では話せないのだ。

「すると内野はやっぱ花沢さんか。大井さんも出来るけど、守備だけなら花沢さんだよな」

「花沢さんも登板あるかもしれないな、アンダースローだし」

「高校野球の監督って、どうして左とアンダスローが好きなんだろうな」


 まずまず納得出来るメンバーなのだが、キャッチャーが弱い。

「小野寺さんでいいのか?」

「まああの人、打てないし走れないけど、キャッチングと肩はいいからな」

 上級生がいないところでは、好き放題なのが下級生の特権である。

「どうでもいいことだけどさ、ベンチ入りに塩三人って多くね?」

「「「それは思う」」」

「でも三年前は、佐藤三人だったわけだろ?」

「「「確かに」」」

 本当にどうでもいいことである。


 ともあれ学校に戻ってくると、普通に授業の公立である。

 開会式だけなら別にやらなくてもいいじゃんと思うのだが、多くのチームの選手にとっては、プロも使うマリスタのグラウンドを踏むというのは、かなりの思い出になるのだろう。

 絶対に準決勝まで勝ち残れると確信するチームにとっては、面倒なだけなのだろうが。




 放課後の調整も、軽いものになってくる。

 この段階になると大切なのは、体調管理である。

 初戦までは特別な理由でのメンバー変更が出来るのだが、一度それをやってしまうと、県大会中はそのメンバーのままで戦わないといけない。

 秦野としては、不安しかない。

 去年に比べても、その前に比べても、さらにその前に比べても、スタメンはピッチャーを除いて、全て三年生というこの状況。

 むしろ一年生の方が、目立つ選手は多い。

 それでも経験を重視して、二年生の起用を多くしたのだが。

 来年の国立が大変そうではある。


 夏の最後に向けて、甲子園までは確実に勝ち進みたい。

 今の戦力であっても、おそらく準決勝のトーチバとの対戦までは問題はない。

 山の向こうからは勇名館か上総総合が上がってくる気がする。

 三里もかなり鍛えられているが、さすがに厳しいと思うのだ。


 全ては無理だが可能なだけ、コーチ陣には対戦しそうな相手のデータを収集してもらっている。

 一番はこの夏の、一回戦や二回戦である。

 初日の今日は、栄泉の試合が行われている。

 秦野としては一人で、過去のデータを分析などしている。


 戦力的に計算すれば、おそらく今年も甲子園出場までは出来ると思う。

 だが去年ほどの安心感はない。

 春の大会は勝ち進んだが、私立の一年生は夏から、スタメンで出てきたりするからだ。

 期待の一年生というのは、練習試合などでは使われている。

 そこでどれだけの成績を残しているのか。

 中学時代の軟式やシニアの成績は、案外あてにならなかったりする。

 

 トーチバは安定して、選手を確保している。

 やはり上に大学があるというのが、保護者にとっては魅力であるらしい。

 特待生も取っているので、今年の春も強かったし、そこからさらに一年生が追加の戦力として投入されるかもしれない。

 そこと当たるのが準決勝。

 前日に一日の調整日があるので休養になるが、決勝へは連戦となる。


 ピッチャーの質は、こちらの方が揃っている。

 打線も特に上位は、こちらの方が上だろう。

 ただ決定的な差はない。

 トーナメント中に、選手たちがどうやってレベルアップしていくか。

 決勝がどこと当たるにしろ、準決勝以降は油断できない試合が続く。

 白富東は例外的に鍛えてあるが、高校野球などというのは、戦力が相手の半分ほどでもあれば、下克上が成り立つのだ。

 秦野の見る限りでは、今のところトーチバの戦力は、明らかに白富東の半分以上はある。


 それと問題は決勝なのだ。

 白富東にしてもトーチバにしても、決勝までが連戦となる。

 甲子園での連投は話題になるが、県大会ではあまり話題にもならない。

 地方大会レベルでは、それなりに二番手ピッチャーも使えるからだろうか。

 あちらの山からどこが来るにしても、同じように消耗はしているだろう。


 最後の夏だ。

 秦野が白富東で向かえる、最後の夏。

 選手たちにはもう六度も甲子園に連れて行ってもらって、そして三回も全国制覇を経験した。

 これだけ幸せな監督はそうそういないだろうが、一度行ったら何度も行きたくなるのが甲子園だ。


 次の仕事先は高校野球ではなく、シニアのクラブチームになる予定である。

 そしてコーチとして、東京のどこかの私立にも行くらしい。

 監督として甲子園の土を踏める経験が、もう一度あるとは限らない。

(甲子園に一番行きたいのは、選手ではなく監督か)

 聞いたことのある台詞ではあるが、当初はそんなことは考えていなかった。

 高校の三年間、五回しか機会のない繊手に比べて、指導者である監督なら、もっと機会は多くなるだろうと思ったからだ。

 だが今なら、あの言葉の本当の意味が分かる。


 今の三年生は、完全に一年の時から、秦野が育ててきた選手たちだ。

 甲子園に行きたいというのは、こいつらを甲子園に連れて行って、日本全国に自慢したいという意味だ。

 俺の育てたチームは、選手たちは凄いだろうという。

 なるほどまさに、監督が一番甲子園に行きたい存在ではあるだろう。




 電話がかかってきて、秦野はそれに出る。

「そうか、分かった。じゃあデータを送って、そのまま帰ってきてくれ」

 短いやり取りで、ネットからデータが送られてくる。

「栄泉が負けた、か……」

 意外なことは意外だが、ありえないことではないと思っていた。

 対戦したのは成田西。つまり公立である。

 国立が三里において、資金投入もさほどせずにセンバツ出場を果たして以来、公立校が私立の強豪と戦っても、善戦することが多くなってきた。

 帝都一の松平などは、ベスト4まで公立が勝ちあがり、甲子園まであと一歩とい事例があったことも教えてくれた。

 だがその一歩は、果てしなく遠い距離の一歩である。


 栄泉はともかく成田西は、ほぼノーデータと言っていいチームである。

 過去の試合を引っ張ってくると、この五年間での最高は県大会ベスト16と、あまりパッとしないものである。

 監督が代わったのか? それとも意識の高い選手が揃ったのか?

 そんなデータも存在しない。


 やがて送られてきたスコアを見るに、それほど一方的な試合ではなかったと分かる。

 7-5という、どちらかというと点の取り合いであり、四番のランナー一掃の長打が、決勝点となったようだ。

 各種数値を目にしていっても、それほど特別なところは目に付かない。

 強いて言うなら、ビッグイニングを作らせなかったことか。

 栄泉は確かバッティングマシンは高価な物があるので、それなりにはバットの振れているチームだったはずだ。

(最小失点でしのいで、チャンスを逃さなかった)

 普通のチームが一気に勢いづく勝ち方である。


 予定ではこのチームには、耕作をぶつけるつもりであった。

 だがこういった勝ち方をしたチーム相手には、さすがに厳しいのではないか。

 単純に技術的なものであれば、嵩にかかって打ってくる相手には、むしろ耕作のピッチングは効果的だ。

 まだ情報が足りない。

(こういう相手にはユーキを使えば、一気に戦意喪失しそうなんだよな。次の試合との間隔を考えても、別に使うのは悪くない。けれどキャッチャーも上山を使わざるをえないだろうし)

 腕組みをしながら悩んでいた秦野は、とりあえず椅子の背もたれに体重をかける。


 分からない。

 次の対戦相手まで考えて、選手の起用はしないといけない。

 そちらもあまり知らないチームではあるのだが。

(悔いを残さないようにとか言っても、それで全力を出さないこととは、全く別だしなあ)

 監督が悩めば悩むほど、選手は迷いなくプレイ出来る。

 監督が迷いを見せず、既に全てを決断していたらの話だが。

(こういう時、国立先生は上手いよなあ)

 秦野に比べると、選手時代の実績が段違いだ。

 悩む時も叱る時も、芯の強さを感じさせる指導者だ。


 まあそういったことはともかく、初戦の相手は決まったのだ。

 土曜日であるため、全校での応援も可能だ。

 まあ白富東の場合は、ご近所さんまでが大勢、応援に来てくれるわけだが。


 甲子園に行くことの好循環。

 これがどこまで続いていくのか。

 秦野が見る限りでは、次のセンバツに出場できるかどうかが、一番難しいと思う。

 今の三年が抜けてしまっては、ピッチャーのユーキ以外に、絶対的な力を持つ選手がいなくなるのだ。

 戦力の引継ぎには失敗したかな、と思う秦野であった。

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