第104話 普通科の星
春季大会県大会。
意外と世の中の人は、センバツの前にこれをやって、その結果からセンバツの出場校を決めると思っている人もいたりする。
じゃあ秋の大会はなんのためにあるのかという話であるが、すると向こうも春の大会はなんのためにあるのと訊ねてくる。
簡単なことだ。夏のシードを得るための大会である。
千葉県のようにチームの多い県では、甲子園に行くために、多くて八回勝たないといけない。
それも場合によっては、強豪と序盤から連戦があるかもしれない。
強いチームが序盤で潰しあったら盛り上がらないでしょという、大人の事情のために春季大会でシードを決めるのだ。
これによって甲子園で戦うまで、一試合少なくて済むし、強豪校との連続での潰し合いが後半まで起こらない。
実際のところチームが多い都道府県は、本当に大変なのだ。
甲子園と違って多球場で試合を分けて行うため、甲子園よりも試合の期間が狭くなっている。
エースが一枚しかいないチームであったりすると、その消耗は甲子園よりも激しい。
だからこそ二枚目のピッチャーが絶対に必要になるのだが。
そんなわけで春の大会は、最低でもベスト16にまでは残っていないといけない。
県大会本戦から参加の白富東は、二回勝てばそのシードが取れる。
もっとも少しでも強いところとの対決を避けるためには、ベスト4ぐらいまでは進んでおきたい。
それに試合の経験を積ませるということ自体が、大切なことになってくる。
その春の大会の、ベンチ入り最後の二枠。
これを決めるために結局、秦野は部内の紅白戦を行うことにした。
参加するのは一年生から20人と、二年生から10人。
共に秦野と国立が選出したものであって、ここで好成績を残したらベンチに入る。
土日で二試合を行うため、ピッチャーもたくさん試せるということだ。
そんな20人の中に、普通科からただ一人、耕作は入っている。
何かの間違いじゃないかと思ったのだが、他の候補のピッチャーが、全員右であるのだ。
左のサイドスローで120km出ているのだから、選ばれてもおかしくないと、最近はバッテリーをブルペンで組んでいる、塩谷が言った。
普通科の星。
耕作はなんだかそんな風に呼ばれているらしい。
結局今年は24人と、少し少なめであった野球部の新入生であるが、そのうちの四人は研究班も兼任している。
分析や統計が大好きな、野球は統計のスポーツであると結論付ける生徒たちであるが、その四人が普通科の生徒なのである。
残りの20人、耕作を除いては体育科とスポ薦。
都立の星ならぬ普通科の星と言われても、仕方のないことなのかもしれない。
最初からけっこうがっちりとした体格なので、体育科のやつらにも訊かれたものである。
だがこんな筋肉は、農作業をしていれば自然と身につくのだ。
あと、肉ばかり食べていてはいけない。
卵と野菜をしっかり食べろ。
耕作の家では商品作物以外でも、自分の家で食べる分は畑でちゃんと作っている。
そして作ってない野菜は物々交換だ。農家というのは強いのだ。
しかし解せぬ。
「普通に喜んだら? ベンチ入りして夏の大会まで残ったら、甲子園に出られるかもしれないよ」
などと同じクラスのマナはフォローしてくれるのだが。
「いや、俺レベルのピッチャーを使わないといけないなら、甲子園は難しいと思う」
ひどく自己評価の低い耕作である。
別に謙遜でも卑下でもなく、それが妥当なところだと思うのだ。
中学時代に地区予選を勝って県大会まで進めたことで、自分の中では満足していた。他の部員もそうだったはずだ。
だが確かに、あんまり大量点は取られないな、とはなんとなく思ったことがある。
かと言って弱い相手でも、それなりに点数は取られてしまうのだが。
弱いところにも強いところにも、結果はあまり変わらなかった。
「なんだかそれって……運?」
「俺もそう思うんだよなあ」
しかしせっかく選ばれたのだから、投げてみたいと思うのは当然である。
そして土曜日、春の息吹を全開で感じるなか、試合が始まる。
白組のピッチャーは、先発で耕作がマウンドに登り、塩谷がマスクを被る。
実のところこの試合を行う前に、既に塩谷はほぼ決定だろうと一年生の間では噂になっていた。
理由はキャッチャーというポジションにある。
白富東は必ず、一学年に一人はキャッチャーを作っていた。
もちろん今の二年にもキャッチャーはいるのだが、あまり上手くはないらしい。
そこで戦力の継承という意味でも、一年生から早めにキャッチャーを作っておきたいのだ。
ベンチ入りはほぼ当確。だがこの試合で情けないところを見せたら、あっさりとその芽もついえる。
そのキャッチャー相手に投げるのだから、耕作としても慎重になる。
(体育科でもないのに、サウスポーってだけで貴重なのかよ)
明らかに一年の中にも、耕作よりも速い球を投げるピッチャーはいた。
ただサイドスローもいなくて、平均的な右ばかりという印象はあった。
そして紅組の先頭打者は、ひょろっとした体格で左打席入っている九堂。
(まあ左バッターから始まるからマシか)
投げた初球のカーブは、ゆっくりと動いて塩田にのミットに収まった。
白組の指揮を執っている国立は、あのサイドスローを早く分析したかった。
春の大会までには分析は終了するが、あのスライダーの正しい投げ方を身につけるには、さすがに時間が足りないだろう。
しかし分かれば確実に戦力になる。
そんな期待をかけられているとは知らない耕作であるが、まずは先頭打者を二球で内野ゴロ。
「打ちにくいからなあ」
打席に立ってみた国立には分かるが、耕作のサイドスローは、動作が大きい。
クイックで投げるにはそこがやや弱点になるが、そのオーバーアクションがいい目くらましになっている。
左腕を大きく後ろに回すのだが、右手が体の開きをほどほどに止めている。
そして勢いをつけた左腕が、旋回するように横から出てくる。
ねじりがあるので、それだけボールに勢いがつく。
注意しなければいけないのは、肩や肘に負担がかかること。
だが大きなところは大きく、小さなところは折りたたんで、リリースポイントは前にある。
元はピッチャーではない国立でも、直すべきところは色々と分かる。
だが人間は実のところ、一番楽な体勢で投げていることが多いので、実際にはこれが最適のフォームなのかもしれない。
サイドから投げられるので、リリースしたところからあまり落ちない。
カーブで上手く緩急差が取れるし、本人の言う縦スラも、しっかりと落ちてくれる。
シンカーはまだ未熟だが、これであのスライダーが使えるようになれば。
変化量自体は大きかった。
コントロール出来るようになれば左殺しになる可能性があるし、右にとっても打ちにくいだろう。
実際にこの目の前の試合では、ヒットは時々打たれるものの、内野ゴロもたくさん打たせている。
典型的なグラウンドボールピッチャーであるのだが、スライダーとカーブを上手く使えるようになれば、コンビネーションで三振も取れるだろう。
三回を投げて二安打一四球。
球数はやや多めの58球だが、本人は全く疲れた様子を見せていない。
(春休み中も体を動かしてたのかな?)
宮武の妹が連れて来たというが、普通科の入学生の中に、あんな素材がいるとは。
ピッチャー交代でベンチに下がった耕作は、試合の進行を見つめる。
「お疲れ様、水分補給して」
「あ、サンキュ」
マナに渡されたコップから、ゆっくりと水を飲む耕作である。
席が隣ということもあるが、マネージャーの中では一番耕作と仲がいい。
俺に惚れてんじゃね、と勘違いしそうになるが、誰にでも愛想のいい女の子なのだ。
それにキャプテンの妹であり、部活内恋愛禁止というルールを破る勇気など、耕作にはない。
でも、知らない女の子が教室にいるというだけで、新鮮である。
田舎はだいたいどの生徒も、知り合いの知り合いであったり、親戚の親戚である場合が多いのだ。
「百間君、ちょっといいかな」
采配は適当にしながらも、国立が隣に座る。
いかにもスポーツマンであり、大学時代にはプロからの誘いもあったというこの人は、就任一年目で、普通の公立校を甲子園に連れて行ったという実績がある。
SS世代のいたあの時期にだ。
さすがに夏の選手権ではなく春のセンバツであったが、むしろそちらの方が難しい。
公立には21世紀枠というものがあるが、それとは違う実績による出場。
誰でも知っている全国区のチームを破り、誰でも知っている強豪と戦って負けた。
「三回を投げて無失点だったけど、中学時代はどうだったのかな?」
「あ~、短いイニングはいいんですけど、どうしても後半には慣れて捉えられるようになるんです」
そう、だいたい序盤は健闘するのだが、最終回近くには負けるのだ。
ショートリリーフなら通用するのかな、耕作は自分でも思う。
シニアで鳴らしていたやつや、体育科で入ってきたバッターが、内野ゴロばかりを打つのだから。
何人かにはジャストミートされたが。
国立としても、これは面白いと言える。
ただ本人は勘違いしているが、慣れるかどうかなどは、リード次第でどうにでも出来るのだ。
キャッチャーに恵まれなかったためにバスケに転向し、そこでNBAに入ってしまう人間もいる。
耕作はこのままでも、かなり伸び代がある。
あとは単純に、ストレートのスピードと急速を磨いていけばいい。
春の大会には間に合わなくても、夏か秋にはいいピッチャーに育ちそうだ。
文哲と山村が引退した時、ユーキだけでは厳しいと思っていた。
だから左のピッチャーがいるというのは、それだけでかなりありがたいことなのだ。
(まあさすがに、もう一枚か二枚はほしいけど)
今の二年生の中には、ピッチャー適性を持っている者がほとんどいない。
この試合でも投げさせている一年生の中から、秋にはどれだけが伸びてこれるか。
その前の夏までに戦力になってくれても、全く構わないのであるが。
紅白戦の結果は、はっきり言ってどうでもいい。
問題はその中で、どの選手のプレイが最も、秦野たちにアピールしてきたかだ。
ひっそりと言われている塩谷は確定というのは、確かにほぼその通りである。
だが試合の中で致命的なものが見当たれば、評価は変えなければいけない。
キャッチャーというものが一番大事だと、秦野は考える。
元キャッチャーの秦野とは違うが、国立もキャッチャーの重要度は分かっている。
三里の甲子園出場を決めたあの秋。
主に三人のピッチャーを使ったわけだが、それを上手くリードするのがキャッチャーには必要な技術だった。
ピッチャーをエースとは言うが、その最強のエースの札をどう利用するかは、監督とキャッチャーの仕事になる。
秦野はとりあえず一試合目を見てから、追加で試合を組むことを決めた。
新入生と上級生の対決である。
佐藤家の一族がいたころにはやってみたが、今年の一年生の錬度を考えると、負けることは分かっている。
だがその負ける試合の中で何を見せるのかと、負ける試合でも最後まで折れないことが、重要になってくるのだ。
あとは鼻の伸びているやつがいたら、それは叩き折っていく必要がある。
「一応ピッチャー経験者はそれなりにいるんだよなあ」
クラブハウスにて秦野は、経歴書を広げている。
やはり比較する時のためには、紙に印刷していた方が分かりやすい。
ベンチ入りする二枠のメンバーは、おおよそ12人までは絞ってある。
そのうちの一人は言われている通り、キャッチャーの塩谷である。
だがあとは外野を取るかピッチャーを取るか悩みどころなのだ。
春の大会は今までの戦力でも、最悪シードを取るところまでは進めるだろう。
正直なところこれは、夏で白富東を離れる秦野ではなく、国立のための仕事である。
国立としては、三里と戦わせてみたい。
どちらも勝ち残れば、準決勝で対戦する相手だ。
今年から替わった指導陣で、国立も知る選手たちがどう動いているのか。
「まあうちは選抜明けでも、腑抜けてるやつはいないけどなあ」
何かの拍子でセンバツに出て、それもそこそこ勝ち進んでしまうと、それで満足して夏は一回戦負けしたりする。
だが白富東は、今の三年がまだ、全国制覇の味を知っている。
だからこそ、ベスト8では満足できない。
中途半端な成果があっても、それでは逆に飢えてしまうのだ。
「新戦力もいいですけど、他校の分析もしなければいけませんからね」
「確かに春の大会は大変だな」
日程も厳しいし、そのくせ地味である。
だが夏を戦うためには、絶対に手は抜けない。
春はしょせんは春である。
しかし夏につながる春であるのだ。
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