第71話 スカウトの目
白富東のマネージャー……と言うよりはスコアラーとして入部したユーキの妹であるサラは、とりあえず野球部に入っただけで、野球の知識はともかく日本の高校野球の知識はほとんどない。
「春の大会はまずブロック予選があって、それで成績の良かったチームで県大会が行われて、県大会の一位と二位のチームが関東大会に進んで、そこで優勝したら終わり」
ぶつぶつと呟いた後、マネージャーや同じく入った新入部員に、質問をしてくるのだ。
「日本は交通の発達した国なのに、どうして全国大会は行わないの?」
いや、夏には行うのである。
「春の優勝チームが出るの?」
いやいや、夏のシードのために春の大会があるのである。
「県大会のシードのために、どうして関東大会があるの?」
さ、さあ?
とにかくそういうものなのだ、という前提がきかないために、厄介なものなのだ。
ただデータ整理の仕事などは無茶苦茶に早く、頭が筋肉の体育科の一年なども、彼女の剣幕の前にはだいたい退散するしかない。
日本語がやや通じないというだけで、彼女の頭の良さは疑いがない。
単純に数字の計算だけをやらせると、電卓を打つよりも早く答えを出してくる。
「これは脳がそういう作りになっているだけで、頭がいいわけではありません」
そう強弁してくるのだが、どう考えても頭もいいだろう。
野球を学問として考える彼女は、トラッキングに夢中である。
「お父さん! この子すごい!」
などと言って珠美が秦野の元に持ってきたりするのである。
春の県大会本戦は、それなりに試合数が多い上に、ゴールデンウィークを使って行われるので、ピッチャーへの負担が大きい。
だから相当に強いチームであっても、シードさえ取ってしまえば投手の枚数がなければ、あっさりと負けてしまうこともある。
この中で勝っていくのは、そこそこの投手でいいから、その枚数をそろえられるチームである。
そして白富東は、それなり以上の投手をたくさんそろえられるチームである。
一番相手が楽である初戦のマウンドは、ユーキに任された。
とりあえず一イニング試してみて、五点ぐらい取られたら替える。そして五点差ぐらいなら逆転出来るはずなのが、今の白富東だ。
どこまで勝ち進むか、秦野と国立は意見を一致させている。
当然ながらどこまでもだ。
今年は千葉県が関東大会の開催地であるため、ベスト4まで進めば関東大会に出られる。
さらに言うならセンバツでベスト4に入った白富東は、負けても関東大会には推薦で出られる。
当然ながら優勝した帝都一も、都大会の結果には関係なく出てくるわけだ。
別にシードを取れれば後は、などとは思っていたが、帝都一ともう一度対決できるなら、話は違ってくる。
センバツの対決は、はっきり言って白富東は不利な状況から戦っていた。
もちろんあの時点でも、総合的な戦力では帝都一は確かに上であった。
だが最小失点で負けるほど、打力がボロボロになっていなければ、もっと試合の展開は変わったはずなのだ。
上級生の意識は完全に関東大会に向いているが、ただ一人一年生でベンチ入りした上、初戦の先発を任されたユーキは、少し不思議な気分である。
アメリカではハイスクールの大会などまともに応援もなかったものだが、日本は一回戦からいきなり数千人単位の応援が入っている。
しかもこれは関係者ではなく、単なる白富東のファンであるのだ。
プロのスカウトも、かなりの数が来ている。
もちろん大学や社会人もだ。
特に大学の視線が熱いのは、進学を表明している淳である。
アンダースローの投手の中でも、左というのはまずいない。
そもそも左というだけで珍しく貴重であり、サイドにしただけでも球筋がかなり変わるからだ。
しかしそれが下から投げて、それも甲子園の決勝近くまで勝ちぬくレベルであるのだ。
ただしトーナメントの一発勝負ならともかく、情報が蓄積されていくリーグ戦でも有効かどうかは、試してみないと分からない。
その試してみないと分からないというのは、淳自身にしてからがそうなのだ。
そんなスカウトたちの前に現れたのは、完全に無名のピッチャーである。
一年生にまた経験を積ませるのかと、打撃陣にその注意を移そうと思ったら、ものすごい球を投げていた。
スカウトからすると、球速はあくまで目安である。
もちろん速ければそれだけ、相手に対処する時間を与えないが、球速だけではなく伸びやキレというものがないと、なかなか通用しなかったりする。
目測で140km以上は出ている。
手元で少し動かしてはいるようだが、それよりもやはり、本気になった時の真っ直ぐが速い。
追い込んでからはストレートという単純な組み立てをしているのだが、それでくるくると相手が三振している。
おそらくホップ成分が強いらしく、バットに当たっても内野フライになる。
それがたまたま内野の頭を越えてヒットにはなったが、当たり的には完全に抑えている。
セットポジションからのクイックはお粗末で、二塁には簡単に進まれてしまった。
しかしストレートでバントを内野フライにして、危地を脱する。
「またとんでもないのを連れてきたもんだ」
大京レックスのスカウトである鉄也は、最近は本来の担当エリアの東北を歩き回っていた。
実は北海道の方にまで足を伸ばして、絶対に取りたい野手を二人ほど発見している。
そして久しぶりに見にきたら、またこういう選手が入っている。
ただ鉄也はセイバーとのつながりから、ユーキが直史以上にプロ志向がないことは知っている。
大学での奨学金と研究費の捻出のために、わざわざ日本で野球をしに来たのだ。
素質は確かにたいしたものだし、まだまだ伸び代も多いだろう。
だが、雑すぎる。
粗いのはいいのだ。それは単にまだそこまで手が回らないということなのだから。
だが雑であるのは、野球に対してそういう意識でしか取り組んでいないということだ。そんな選手はプロでは大成しない。
だがとりあえずチームを強化するため、高校に送り込むという意図ははっきりとした。
鉄也が見に来たのは孝司であり哲平であり、そして淳と悟である。
あとは宇垣にもほんの少し。
淳は大学を経由してからのプロ入りを計画しているそうだが、単にプロ入りを目指すなら、鉄也がなんとか下位指名で押し込めないかとも思っている。
性格などを聞く限りは、確実にプロ向けではあるのだ。
股関節の柔らかさから、アンダースローの適性がすさまじく高いのは分かっている。
そして球速もそれなりに出ているし、ストレートの軌道が既に変化球である。
技巧を備えた軟投派だ。大学卒で上位指名で取るよりは、高卒で下位指名で取った方が美味しい。
だが本人が大学進学の保険をかけているのだから、これもどうしようもない。
あとは一回戦ということもあるが、バッティングに優れた三人は、遠慮なくボールを叩きにいっている。
相手ピッチャーも出来れば逃げたいのだろうが、宇垣から始まって哲平、悟、孝司へつながるこの四人の破壊力はすさまじい。
そしてその後の選手も、高い打撃力を持っている。
センバツの準決勝ではやや不完全燃焼なところがあったが、本日は打撃が爆発している。
あっさいとコールドの点差をつけると、ベンチメンバーを試す余裕さえあった。
ユーキも三回までを投げて交代し、花沢と石黒に一イニングずつを投げさせる。
ただこれは本当に、マウンドに慣れさせるという程度のものだったのだろう。
圧巻の一回戦が終わり、その日の夜には近所の居酒屋に鉄也と秦野、そして国立の姿もあった。
そこで白富東の二人は、鉄也から愚痴混じりのレックスの状態を聞くことになる。
「ピッチャーは揃ってきたんだけどよ~」
あくまでスカウトの鉄也は、編成にまでは口を出せない。
本当は現場にこだわりたいのだが、選手たちの育成を思うなら、もう少し偉い立場になる必要がある。
レックスは確かにここ数年で、ピッチャー事情はかなり改善された。
絶対的エースの東条がいて、吉村に金原の左が入って、今年からは豊田も一軍で投げ始めている。
あと高卒なのでもう少し時間はかかりそうだが、かなりいい高卒も取った。
吉村、金原、豊田あたりは全て鉄也が注目し、ドラフトで指名した選手だ。
吉村は有名になりすぎたが、あの二年の夏がなければ、もう少し下位で指名出来た。
そして吉村のキャリアを考えるなら、下位指名の状態の方がよかったと、今でも思う。
一年目から、高卒の吉村を働かせすぎである。
そして離脱があり、二年目も離脱があり、三年目の今年も早々に離脱している。
ルーキーイヤーからすると10勝、12勝と二年連続で二桁勝利を上げており、完全に先発のローテに入ったと言えるだろう。
だが鉄也としては、一年は二軍で寝かせて体を作らせてほしかったのだ。
一軍でバリバリ働きながら、体も作るというのは無理である。
おそらく吉村の選手生命は、現在も削られていっている。
ただ今年の離脱はやや深刻で、ここでちゃんと故障を直すついでに、底力をつければいいのではとも考えている。
一年を治療と底上げに使えば、おそらく選手生命は五年は伸びる。
そのあたりのことを、鉄也は口にしたのだが、現場は勝てるピッチャーがいれば使っていくのが当然なのだ。
去年の金原もそうだ。
元々甲子園でパンクしたのを、ゆっくりと芯から鍛え直していった。
二軍で一年か二年もしたら、ローテの投手として10年は使える素材だったはずなのだ。
今年もキャンプから飛ばして仕上げたのはいいが、おそらくまたどこかを痛める。
レックスはスカウトには成功しているが、育成に失敗しているというのが鉄也の意見である。
高卒の選手を即戦力と思うな。せめて豊田ぐらいのペースで使え。そう言いたい。
豊田はいい。シニアの頃から知っていたが、とにかく頑丈だ。
一年目のキャンプからしっかりと体作りをしていて、チームの弱い部分を支えるピッチャーになれそうだ。
「キャッチャーがなあ」
今の正捕手である丸川は、打撃に期待されているのだが、ピッチャーのリードが雑だ。
配球の基本が球数を多くするもので、ピッチャーの制球力に期待しすぎている。
だがキャッチャーでリードに優れた即戦力など、大学や社会人を探してもまずいない。
一応目をつけている選手はいるのだ。
六大学でも有名になっている、慶応の竹中と、早稲谷の樋口。
だが竹中は父の会社の後を継ぐため、そして樋口もプロ志望ははっきりと否定しており、なかなかある程度の打力を持った即戦力捕手などはいない。
「赤尾はいいねえ。ただ三年ぐらいは……すると丸川も衰えるぐらいになるから、丁度世代交代がスムーズに進むか……」
酔っ払った鉄也はそんなことを言って、秦野たちを困惑させるのだ。
「今のままなら赤尾を指名しますか?」
「しますよお。打てるキャッチャーは貴重だからねえ」
ただ技術や能力ではなく、違う部分でキャッチャーの需要は左右される。
即ちインサイドワークの中でも、ピッチャーとのコミュニケーション能力だ。
キャッチャーはやはり、経験が重視されるポジションだ。
孝司の能力と将来性は買うが、それを球団のフロントに納得させる力がないということか。
もしくはレックスの指名以前に、他の球団から指名が入るということなのだろう。
「青木もね、とにかく西片とクリーンナップをつなげる打者がほしいから」
ライガースからFAで西片を取り、確かにレックスのチャンスを作る力は増している。
あとはここに、作戦の選択肢を増やしてくれる二番バッターがいたら嬉しい。
それに哲平の守備力は、レックスの固定されていない内野陣なら、どこかは守れるはずなのだ。
鉄也はさらに酔っ払う。
「水上もねえ、ショートは欲しいからねえ。あんまり活躍しすぎてほしくもないんだけどねえ」
高校累計でもう30本を打っている悟を、これ以上目立つようにはするなというのも無理な話であろう。
スカウトにとっての永遠のジレンマだ。
目を付けた選手が結果を出せば、プレゼンで推薦しやすい。
だがあまり活躍しすぎると、他球団との競合になる。
本当はもっと色々な話をしたかった秦野と国立であるが、鉄也はかなりたまっていたらしい。
テーブルに突っ伏して酔いつぶれた鉄也を、二人はタクシーで送る。
「やっぱり今のうちの戦力でも、全国制覇は可能ですね」
国立の言葉に、ほろ酔い気分の秦野も頷く。
「白石に岩崎、アレクに鬼塚、二年連続で二人もプロを輩出してると、それだけいい選手も集まってくるはずなんだけどな」
それなのに今年の一年生は、やや不作であったと言っていい。
もう暑気が感じられる四月の末。
二人は夏を前に、色々と考える。
プロの意見も聞きたかったのだが、どうも今日は日が悪かった。
ともあれ明日もまた、県大会の二回戦が行われる。
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