第39話 弱体化
大学進学を決めた武史は、基本的に国体で野球部は完全に引退である。
直史と違って完全に特待生ではあるので、勉強の必要はない。ただ勉強を全くせずに野球をしているだけというのもまずくなるだろう。
とりあえず国体までは、残る後輩たちに向けて、積極的にバッティングピッチャーなどをしていたりする。
引退するチームへの最後のご奉仕だと割り切ってはいるが、それでもパコンパコンとネット直撃を打たれると、ムキになって指先に力を入れてしまう。
パコン
「あ」
打球は既にかなり高くなっていたネットを越えて、その向こうへと落ちていく。
「やべー!」
ダッシュでボール回収に向かう悟である。
地味にショックを受けていた武史に、次に投げてもらおうと待っていた鬼塚が近付く。
「なんかあいつ、大介さん50%って感じしねえ?」
なお大介の打球は低い軌道を描くので、これまでさらなるネットの延長は必要なかった。
悟フェンス。
そんなものが付け足される、少し前の話である。
夏休みの終盤には、中学生向けの体育科説明会と、野球部の体験入部が行われた。
今年もスポーツ推薦枠は六人であり、おおよそ実績とその技術から、目をつけておく。
まあ悟のように怪我で参加出来ない者や、直前で転校してくる者などもいるかもしれないが。
二匹目のドジョウはそうたやすくはいないだろう。
九月に入ると一般に向けた学校説明会もあるが、こちらでも野球部の説明はされる。
(負けてくれた方が良かったかもな~)
世間では名将扱いされる秦野であるが、これだけ戦力が揃っていれば、全国制覇の可能性はそれは高いだろうと思う。
特にSS世代の最後の一年など、史上最高のバッターと史上最高のピッチャーがいたのだから、あれは勝てて当然であった。
来年も甲子園での活躍を期待されるわけではあるが、はっきり言ってここから白富東はどんどん弱くなっていくと思う。
理由は体育科だ。
甲子園で優勝するなど、普通にやってたら出来ないことなのである。
なぜ白富東がそれが出来たかと言うと、普通ではなかったから。
偏差値68の、スポーツ推薦のない公立進学校に、勉強の力で入る野球バカがいたからだ。
地味に研究班の分析や、トレーニングメニューなどは、コーチ陣の賞賛を受けて導入されていたりする。
だが今年の一年は、明らかに研究班をバカにしている者がいる。
意外と宇垣などはバカにはしていない。自分と違うタイプの人間だとは思っているようだが。
近代戦における兵站の重要度を理解せずに、勝負は前線でだけ起こっていると考えるプレイヤーだ。
下手な野球好きの人間が、練習に入ってくるのを嫌う。
お前らに迷惑かけてないんだから、楽しんで野球していてもいいだろうが、と秦野は腹の中で思う。
(精神修養とかしないといけないのか? あれ、俺も嫌いなんだけどな)
夏まではまだ、三年の力が強かったためにそんな気配は見せなかった。
だが新チームになると、明らかになってくる。
スポ薦の六人などは、元々覚悟して入ってきているので、そんなことはむしろないのだ。
体育科ではあるがベンチ入りは無理そうな、中途半端な実力の者に、そういう考えが蔓延しそうになっている。
野球は頭がよくないと出来ないスポーツだ。
フィジカルだけで打っているようなバッターや、球速だけで勝っているピッチャーもいるように見えるが、野球バカ大介は、野球に関してはかなり頭を使っていた。
選手本人が頭が悪い場合は、指導者が入念にチェックしなければいけない。
その意味では悟は頭がいい。
スポーツ選手の大成する条件である素直さと頑固さ。
この相反する要素が共存するには、ある程度の運が必要である。
その運とは、耳を傾けざるをえない状況のことだ。
チームメイトに恵まれなかった直史、指導者に見出されなかった大介のように、不遇であること。
逆境の中でこそ、人間はその打開を考える。
悟の場合は怪我によって閉ざされていた道を切り開きたいということと、何より野球に飢えていた。
同じ人間であっても、上手くいっている間は話に耳を貸さないかもしれない。
だが状況によって自分を貫く頑固さと、他人からの助言を受ける謙虚さが、運命的に選手の中に蓄積され、その才能を開花させるのだ。
まず重要なのは、県大会を油断なく勝つことと、関東大会でベスト4までに残りセンバツの出場を決めること。
まだしも秦野は監督としての仕事に集中し、野球部に関わる諸々は、高峰がこなしてくれるのでありがたい。
ただ問題もある。
高峰は公立高校の慣習に従うなら、今年で学校の異動があるはずなのだ。
甲子園に行くような野球部の部長が、重労働でないはずはない。
一応他の教師も甲子園に行く場合には、高峰の仕事を手伝っている。
ささやかな役得はあるが見合うほどのものでもなかった。
高峰はまだ独身であるので、秦野と飲みに行ったり、他の教師と飲みに行ったりした時には、内心を吐露する。
「そりゃあきっつい仕事ですよ」
責任感と、あとは甲子園を決めたとき、また甲子園で勝つ姿を見るのが、プライスレスでこの仕事をやらしているだけだ。
だがさすがにいつまでもやり続けるわけにはいかない。
今更であるが、鬼塚の頭髪の時は騒がしくなったものだ。
もっともあの時はセイバーが完全に野球部を掌握していたので、高峰はあくまでも事務的な作業に徹し、うるさがたの相手は一人でやっていたが。
高校野球の伝統だのなんだのと、叩いてくるものは色々といた。
だがセイバーは一歩も引かず、憲法の表現の自由、校則の頭髪の自由を主張し、鬼塚を守り続けた。
あの、大人から完全に守られた経験が、鬼塚が大人を信用し、そのアドバイスを素直に聞いて、成長する元になったのだろう。
高峰もセイバーの姿を見ているから、選手たちを信じ続けていた。
その鬼塚も引退するので、一つ厄介ごとの種は消えるわけである。
ただ秦野としては、せめて後二年は高峰にいてほしいのだ。
二年後には北村が卒業して教師になる。
もちろん本来なら、本人の希望が全て通るわけはない。
だがそこは、秦野は暗躍する金髪の小悪魔のことを信頼していた。
あとは、イリヤがいなくなることも問題だ。
秦野は白富東は、資金的な恩恵がいなくなれば、戦力を維持するのは難しいと考えていた。
だがどうやらセイバーは、自分の作った会社のモデル校として、白富東を使うつもりらしい。
三年と言われていた秦野は、夏までの延長を提案されて、それは既に受けている。
その代わりと言ってはなんだが、次の仕事先も既に内定している。
秋の県大会を前に、とにかく秦野は県内外のチームとの練習試合を組んでいる。
経験を積ませて、実力を引き出していかなければいけない。
そんな中、ワールドカップに行った武史とアレク、そして鬼塚が戻ってきた。
大会は武史が四試合に投げて三勝0敗であり、真田がクローザーとして10イニング無失点と働いたのだが、今年はピッチャーの数が足りなかった。
準決勝を水野と真田、決勝を武史と真田の継投で戦ったのだが、球数制限で真田の後のピッチャーが打たれ、決勝でアメリカに負けた。
だが選手の能力は日本が一番だったろう。真田はリリーフ部門、武史は先発部門、ファーストの後藤、センターのアレクと、オールスター枠11人のうちの四人が日本から出たのだ。
また個人成績では打率でアレク、防御率で真田、勝率で武史の三人がタイトルを取った。
それでどうして負けるんだと言われるが、ピッチャーの枚数が足りなかったとしか言いようがない。
海外との対決の結果から見て、アレクには確実にドラフトの一位指名がかかるだろう。
鬼塚は二試合に先発、五試合に代打か守備固めで出て、ヒットは打った。
ただ鮮烈な印象とまではいかない。そもそもワールドカップは、甲子園で燃え尽きた高校球児が多いため、ベストパフォーマンスを発揮していないという見方もあるのだ。
全体的な敗因を考えると、全ての試合で勝とうと思ったのが間違いだ。
ピッチャーもしている打てる野手に投げさせて、球数をぎりぎりまで温存する。
そして決勝を武史と水野、真田に投げさせれば勝てただろう。
トーナメントに慣れた日本の高校野球の監督の、弱点としか言えない部分である。
(俺が指揮すれば勝ってたな)
秦野はそう自負するが、高校野球のチームを率いた経験などが少なかったため、監督としての声はかからなかった。もっともかかっても、チームの方で忙しかっただろうが。
日本の高校野球の監督は、最終的な勝利のために、捨てる試合もあるのだということを分かっていない。
あとは兼任ピッチャーの質が、二年前とは違ったというのが、やはり弱点であったろう。
150km台が五人、140km代後半が四人いた二年前に比べて、今年のメンバーで甲子園で150kmを投げたのは三人しかいなかった。
だが秦野にとっては、正直どうでもいいことなのだ。アレクがドラフト前に商品価値を高めたことぐらいが成果であるか。
秋の大会が迫ってくる。
トーナメント表を見ても、各所から集まってくる情報を集めても、新チームの白富東に勝てるチームがあるとは思えない。
問題は関東大会を勝ち進んで、出場のほぼ確定となるベスト4までを勝ち残れるかだ。
あとは県大会の中で、どれだけ一年生のピッチャーを試し、チームを整えていくか。
思えば一番引継ぎが楽だったのは、SS世代が抜けた時であった。
あれほど強力な二つの軸が抜けたのに、秦野は楽だと感じたのだ。
エース、正捕手、主砲がいなくなったのに。
我ながらおかしな比較になるなとは思いながらも、初戦の相手から情報を整理していく。
これまでの二年間のような、力技でどうにかなるチームではない。
去年も同じことを思った気がするが、気のせいだろう。
「初戦はお前はベンチスタートだからな」
新キャプテンの孝司を、グラウンドから引き抜く秦野であった。
戦術眼のある孝司に、このチームの公式戦を、外からの目で見ておいてほしかったのだ。
同じく先発から外れているのは淳である。
本日の先発バッテリーは、右のパワーピッチャーのトニーと、一年の上山である。
どうも練習試合などで試したところ、この両者は相性がいいらしい。
孝司の考える複雑なリードは、淳には快適であるのだが、トニーには考える量が多いとのこと。
パワーがあれば、ピッチャーはそれだけである程度抑えられてしまう。
ただ今のトニーのレベルであると、全国レベルでは安心出来ない。
あとはこの試合の注目点は、佐伯が上手く外野をこなしてくれるかだ。
佐伯はなんと言うか、才能のない人間が限界まで上手くなったような、そんなパフォーマンスを内野守備では見せてくれる。
これで外野までこなせたら、正真正銘の守備職人だ。
本人もかなり割り切っているので、そこは安心している秦野である。
この年の白富東は、最高学年に野球IQの高い三人がいる。
淳、孝司、哲平の三人だ。特に淳と孝司のバッテリーは、戦術理解度が高く、トレーニングも深く理解している。
秦野はコーチ陣よりはむしろ、この三人を参謀のように使って、チームを組み立てている。
初戦において、孝司が四番から抜けてしまうので、そこをどうするかという問題はあった。
孝司が推薦していた久留米ではなく、当たれば大きいトニーが入っている。
プロ野球でも四番に、打率は低いが当たれば大きい選手を入れることはあるが、これは暫定的な措置である。
孝司は自分と哲平、そして淳がこの最高学年の中心だと認識している。
その中で、一般入試で入ってきて、そこから一番伸びているのが久留米だと思っているのだ。
サードとしては前に出て、強い球を捕る気合がある。白富東には、少なくとも二年生以上には、珍しかったタイプだ。
しかしサードの守備につくことも多かった鬼塚が、かなり目をかけて教えていた。
おそらく気合に満ちているのは、そのあたりの流れであろう。
パワーはあるし、選球眼もある。ただ強打者ではあっても巧打者にはなりにくいだろう。典型的なプルヒッターなのだ。
それだけに内角に投げ込まれると、ホームランを打ったりはしていた。
外角を攻められると上手くセンター返しにまでしていたので、そのあたりは確かに長距離砲っぽい。
新チームで一番打力の高いのは悟である。
打率と長打率、そして出塁率と、出塁してからの足。総合的に判断すると一番である。
だから白富東の三番打者最強システムを継承するかは、他のバッターの打力も計算して考えなければいけない。
孝司は長打があり、読みでヒットが打てるタイプなので、四番として前の打者を帰すことも出来る。
だがキャッチャーとしての守備負担も考えて、打順は総合的に判断しなければいけないだろう。
もっとも将来のプロ入りを考えるなら、キャッチャーで四番を打っているというのは大きなセールスポイントになるが。
トーナメントを見るに、やはりベスト16までは、それほど脅威となるチームはない。
だがそこまでにどれだけ新戦力を鍛えられるかと、ベスト16以降までこの戦力で戦っていけるかは、確実に確認しなければいけない。
(相手がどんなチームであっても、負けるはずがないっていう自信は、ちょっとないなあ)
秦野の正直な本心である。
戦力の絶対値が、武史、アレク、鬼塚、倉田が抜けたことによって、明らかに下がっているのだ。
伸びてきた二年や、これから伸ばしていく一年には期待するが、天才と簡単に言ってしまえる存在は減っている。
秋はそれでも、どうにか関東のベスト4までは勝ちたい。そこまで勝てばまず間違いなくセンバツ出場は決定だ。
あとはこの冬をどうやって過ごせるか。
新しい練習システムが必要だ。
白富東のチームカラーは、明らかに変わっている。
そのために必要なのは、やはりまず金なのである。
(あの女、今の白富東はどう考えてるんだ?)
秦野が頼らざるをえないのは、それでもセイバーなのである。
なおこの時点でのセイバーは、自分が監督をしていた頃のメンバーが全て引退したため、白富東に対する愛着は薄れている。
彼女が今一番優先して考えているのは、シニア強化である。甲子園に行く選手を、シニアの段階で育ててみたい。
あとは大学との協力であったり、クラブチームの創設である。
そしてこの頃、大学ではまた直史が、おかしなことをしていたりする。
世代が変わって、チームも変わる。
だがその中で、物語となるチームや選手が登場し、人々を引きつける試合を行うことは変わらない。
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