第40話 秋の気配
今年は残暑が厳しかったと言われるが、それでも九月も下旬になると、夏の酷暑は気配を消す。
風が熱風ではなく、熱を振り払うこの時期、秋は新たなる力の発揮される季節である。
既に練習試合などには出ている一年生も、いよいよ公式戦のデビューとなる。
だがこれまでの対戦相手が、全国レベルの強豪の二軍であったりすると、地方大会の序盤などは相手にもならない。
一回戦、トニーが先発し、上山が公式戦先発デビューを果たす。
夏もベンチ入りはしていたが、スタメンで起用されるのは初めてである。
これはピッチャーとの相性の問題もある。トニーは倉田や上山のような、体格のガッチリしたキャッチャーに投げる方が楽らしいのだ。
そうは言っても最近の主流は、キャッチャーでも走れて機敏なタイプであるが。
県大会本戦の一回戦だと、トニーが投げても既にイジメレベルである。
練習中などでは時々150kmが出るのだ、トニーでも。
ただ体格などを考えると、その上限はもっともっと上にあるはずなのである。
トニーは上半身の力はあるが、下半身がまだ弱い。
正確には上半身の力が強すぎるが、下半身が弱いので発揮できていないのだ。
なので内野に混じって、一緒にトレーニングメニューをこなしたりしている。
来た、見た、勝ったの三語で済むような試合内容でコールドであった。
スタメン全員がヒットを打ち、途中からはベンチメンバーも繰り出して、五回までにはさらに得点差をつけての圧勝である。
それを観察する各チームのスコアラーは戦慄する。
白富東の強さは、全く失われていない。
続く二回戦は、一年の投手をメインに使っていく。
特に夏も投げた、文哲と悟以外のメンバーだ。
秦野が重視しているのは、やはりピッチャーである。
その中でも一年生では唯一の左となる山村だ。
人格的には宇垣と共に問題児の双璧であるが、一年のピッチャー候補では唯一の使える左だ。
左というだけでとりあえずピッチャー適性を見るのは、球が速いやつか、ストライクに投げられるやつをピッチャーとするぐらいに、当たり前のことである。
「なかなかいいカーブ持ってるんだけどな」
ベンチの中で秦野は見守っているが、二回戦でそれなりに手こずっている。
もっともこれは県大会の本戦であるので、二回戦でも千葉のベスト32には入っているのだが。
千葉県のベスト32というのは、あと一回勝てば21世紀枠で甲子園に行けるかもしれないレベルだ。
サウスポーでちゃんと使える変化球のある山村は、普通の公立校なら一年の夏からエースである。
だがより上のステージに向けて、白富東を選んだ。
すると自分よりはるかに上のサウスポーがごろごろいたわけだが。
山村をリードする孝司としては、まあ及第点と思う。
ストレートは130ほども出ているし、カーブが大きく曲がってコントロールされているので緩急差が付けやすい。
あと本人はスライダー気味と言っていた無意識のストレートが、カットボールとして使える。
カットボールをストレートとしてメインで使い、カーブで緩急差を作り、ストレートで勝負する。
これが今のところの山村の組み立てだ。
練習試合とは違うプレッシャーがある。
山村は中学軟式出身であるが、中学時代は勝ち進んでも、応援などはせいぜい身内だけであった。
だが高校野球は、と言うか白富東は、学校やその周辺町内だけでなく、県内全域に関東、あるいは全国から注目を集めている。
(やりづれーな)
プレッシャーに弱いタイプではないが、それでもその程度には感じる。
高校入学以来、山村が意識しているのはカーブだ。
中学時代は下手に曲げすぎると、キャチャーが後逸していたものだ。だから場面を考えてしか使えなかった。
だが上山は大暴投以外はほぼ後ろに逸らさない。ワンバンしても前には落としてくれる。
シニアには入らなかったのでお山の大将であった山村も、さすがに甲子園をスタンドで経験して、そのトップクラスの化け物度合いは分かっている。
それに引退はしたものの、国体までは参加する武史に、あとは何よりアレクのサウスポーが勉強になった。
アレクもまた、投げるボールの標準がスライダー系である。
ストレートを投げろと一度も言われずに育った、日本では考えられない野球の経験者は、肘に負担がかからないように投げると、自然にスライド回転がかかると言う。
山村はちゃんとストレートにバックスピンをかけて投げられるが、アレクにストレートを強要すると棒球になる。
カーブで緩急を作り、スライダーの制球力を増し、ストレートはここ一番の時に使う。
日本の指導者が嫌う変則的なスタイルを、そのまま個性として許容するのが白富東の理念だ。
山村の調子はいいのだが、打線の方は問題だった。
ノーサインで攻撃させていることもあるのだが、一年の中では悟と宇垣ぐらいしか、戦略的な攻撃が出来ていない。
人のいやがることをすすんでしましょう。
これは野球における攻撃側の鉄則だが、甘い球が来ると打ちに行ってしまうのが、公式戦の試合経験が少ない者には多い。
送りバントは大切である。
セイバー・メトリクスの誤った理解によって、送りバントは得点の期待値を下げると言われているが、状況による。
単に得点を取ればいいのか、大量点がほしいのか、なんとしても一点をほしいのか、それぞれで選択することが違うのだ。
シニア組は、誤解しているにしても、そのあたりの知識を持っている場合が多い。
だが中学軟式は、指導者の質が低い場合が多い。
いくらフィジカルに優れた選手がいても、指導者の質が低ければ、成長するのは難しい。
白富東という名前を相手は実際に対戦する選手以上に、強大に感じている。
自分たちの野球が、プレッシャーで出来ない場合は、粘り強く目の前の一つ一つのプレイをしていくしかない。
もちろん横綱相撲で白富東が戦えば、それでも普通に勝てる。
だが秦野にとって野球というのは、そんなに傲慢なスポーツではない。
対決の前から情報を収集し、分析し、勝つべくして勝つ。
その程度のことはしない限り、どれだけ戦力が揃っていても、向こうにも化け物がいれば同じことなのである。
三回が終わって7-0とスコアは圧倒しているが、それでもランナー残塁が多い。
このままでも五回コールドの点差にはなるかもしれないが、確実に勝つにはどうすればいいか。
ここまではかなり力技で、流れのままに戦ってきた。
だがここからは、自分たちで流れを作り出す試合にしたい。
特に大事なのは、こちらの攻撃時間を増やすことによって、相手の攻撃時間を減らし、選手たちの思考力を奪うということ。
先頭打者の悟に向かって、秦野は告げる。
「長打は打つなよ」
あえてランナーを一塁に置くことで、相手に色々と考えさせる。
野球というスポーツの特徴は、その試合時間の長さ、また定まった時間では終わらないことにある。
コールドなどはあるし、日没コールドなどもあるが、基本的には表と裏の攻撃があって、試合は進んでいく。
ここで必要とされるのは、体力ではない。
集中力だ。
集中力を保つために、体力が必要なのだ。特に夏場などは、暑さだけで集中力を失う。
そして集中力が必要なのは、攻撃よりは守備である。
攻撃にエラーは、まあ似たような状況判断ミスはあるが、守備ほどにはないと言っていい。
一人の人間がずっと集中していられる時間というのは、限界がある。
長時間練習の一つの意義は、その長時間練習によって、集中力をある程度保つことを覚えさせるのだ。
もちろん集中力の維持などは、他の方法でも達成できる。
というか長時間練習で集中力の維持力を高めるというのは、極めて前時代的なものである。
今は集中力を保つのではなく、少し緩め、少し引きつめ、切れないようにすることが大切なのだ。
相手に守備の時間を長くさせるのは、この精神面を攻めることになる。
逆に言うと、守備で崩れないチームは、精神的に強い。最後まで逆転のチャンスがある。
そんな秦野の考えはあったが、これまで既に一本放り込んでいる悟は、普通に歩かされてしまった。
あちらのチームは、悟に対してはもう、ある程度諦めてしまったようである。
あとは試合自体を諦めさせることであるが、それと同時に自分のチームの様子を確認しておかないといけない。
緩みかけている。
特にこの秋からベンチ入りした一年生に多い。
二年の秋にようやくベンチ入り出来た二年生の内、久留米と駒井は集中力を失っていない。
それはスタメンとして起用されているから、というのも理由にはなるだろう。
あとは甲子園を戦ってきたメンバーにも問題はない。
一年ではピッチャーの山村はさすがに緩んでいないが、まあいつも緩んでいる大石などは例外か。こいつはちょっとアレク的なところがある。
「ここからは一発長打じゃなく、地味に嫌な作戦でいくぞ」
秦野としては、そういった地味な作戦で相手を消耗させ、点を取っていくのも野球の醍醐味の一つである。
ゲームの中でも作戦を立てて、集中力の緩急をつけることが、強いチーム作りとしては大切だ。
誤解を恐れずに言うならば、去年までのチームは、この集中力のコントロールに優れた、頭のいいチームだったのだ。
スポ薦の試験などは、肉体的な素質は確かに優れているだろうが、集中力のコントロールが優れている者を選抜しているとは限らない。
スポーツによっては集中力が、ほんの短時間だけ必要なものだってあるのだ。
目の前に面白そうな課題を出し、それをこなさせることによって、集中力が切れるのを防ぐ。
秦野のやろうとしていることは、地味に大変なことで、しかも公式戦の中で行わなければ、なかなか効果の出ないものである。
ベスト16からの相手は、中学レベルでは通用しない相手となる。
だがそこを相手にするからこそ、実戦で貴重な経験を積めることになる。
(上が強すぎると、下がなかなか競った試合で勝てなくなるんだよなあ)
特に高校野球は一発勝負のトーナメントなため、競った試合で勝つためのメンタルが必要である。
精神力や根性ではなく、精神状態と呼ぶべきだろうか。
平常心を保ちながらも、闘争心を持つ。これはなかなか猛練習でも身につくものではないのだ。
試合には勝った。
16-0の圧倒的なスコアで、コールドが確定してからも山村のピッチングが雑にならなかったのは、意外といえば意外なことである。
練習試合では確かに雑なピッチングになっていなかったが、公式戦でこれだけの点差がついてもそうであるとは、なかなか思っていなかったのだ。
ただ山村はお山の大将であったと同時に、自分が崩れればチームも崩れるという状況で中学時代は戦ってきたはずだ。
それがこの場合にはいいように働いたのかもしれない。
そして次のベスト16で戦うのは、地味に強くて地味に面倒な浦安西である。
あちらも主戦力が最高学年となり、実績を残す最後のチャンスとなる。
だが次の試合は来週の土曜日であるので、それまでには色々としなければいけないことがある。
研究班の情報収集によると、青砥がまた厄介なピッチャーになっているらしい。
これを攻略するためには、攻撃面においては作戦が必要になる。
(準々決勝まで勝ったら、国体だからなあ)
三年生にとっては、本当に最後の試合である。
はっきり言って三年生も、あまり戦意が高いわけではない。
ただこれがこのチームで戦う最後の大会、公式戦となるのだ。
それに三年の中でも特に鬼塚は、将来の道が変わることになるかもしれない。
(一二年の現状分析をして、それから課題をもって試合をして、それで国体。国体が終われば次は準決勝か)
この国体への対処に気を取られて、準決勝で足元を掬われることだけは気をつけなければいけない。
最悪決勝でならば、負けたとしても関東大会には進めるのだ。
チームの指揮官を出来る人間が、もう一人ほしい。
秦野はそんなことを考えていた。
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