第41話 戦力分析

 孫子は言っている。敵を知り己を知れば百戦して危うからず。

 だが実際のところ、どれだけ知っても完全に足りることはない。敵だけはなく、味方だけを見ても。

 白富東の監督である秦野は、秋季大会の期間中、明らかになってきた県内の他チームもであるが、それ以上に自軍のチームの分析を進めている。

 その過程において、なぜ白富東が強かったのかも、分かってきていた。

 一言で言ってしまうと、運である。


 北村がグラウンドを守っていなければ。

 ジンがこの学校を選ばなければ。

 鉄也からの人脈がなければ。

 直史がいなければ。

 大介がいなければ。

 セイバーが興味を抱かなければ。


 はっきり言ってしまう。白富東は偶然にここまで強くなった。

 偶然というのがあまりにも散文的であると思うのなら、運命だ。

 野球に神様がいるとしたら、おそらくその100年に一度ぐらいの気まぐれで、こんなチームが生まれた。

 そして強い選手を集め始めた現在、確実に白富東は弱くなっている。


 セイバーの手配した助っ人外国人は、アレクの希少性に比べると、トニーは汎用的ではあるが、能力の絶対値に欠ける。

 当たり前だが直史と大介の穴を埋めるような選手は一人もいないし、おそらく才能では一番の悟も、アレクよりは少し下だろう。

 ただアレクの場合はあの能天気さも含めて才能であったとも言える。

 160kmを投げられるサウスポーが、中学時代には野球をやっていなかったとか、そんなことがありえる世界がおかしい。

 あと、金髪でも虹色頭でもいいから、鬼塚のような便利なプレイヤーがほしい。

 SS世代はジンを中心に巨大な二つの才能が上手く機能していて、秦野が何もする以前に全国制覇を果たしていた。


 今の白富東を秦野が弱くなったと断じるのは、まず一つに多様性が失われたからだと言える。

 引退した三年生までは、強烈な個性があった。

 野球よりバスケが好きな、160kmを投げるサウスポー。

 ヤンキー。

 外国人。

 この中でも今でも存在する要素は、外国人だけである。

 まあ問題児という点では、その部分はいないわけでもないのだが。


 だが今の二年生より、さらに一年生においては、顕著な変化が分かる。

 勉強の出来ない選手が増えているのだ。

 偏差値控え目の体育科が出来たので、それは当然と思えるのかもしれないが。

 ただそれでも、あの鬼のような高偏差値の試験を合格し、二年の秋からようやくスタメンに入れるような選手もいる。

 白富東で野球をするために、猛勉強をした。

 そういう選手のいないことが、おそらく弱点になる。


 野球は判断のスピードや選択肢など、頭がよくないと出来ないスポーツだ。

 もちろん頭が悪くても出来るスポーツでもある。楽しみ方はそれぞれだ。

 だが試合で勝つために強くなり、実際に戦うためには、監督の戦術などを理解する頭脳があってほしい。

 まあ、小賢しいやつがどんどん増えても、それはそれで問題であるのだが。




 秦野はある程度把握している二年生はともかく、一年生から特に注目するべき選手を改めて確認する。

 歓迎試合で出せたのは、基本的には中学時代に実績があった選手だ。ただその後にも、何人かは自然とめについた。

 スポ選組の六人と文哲は、もはや言うまでもない。

 他に今の時点で目に付いているのは、五人である。

 もちろんまだこれから伸びていく者はいるはずだ。白富東の練習やトレーニングは、そういうメニューなのだから。

 また夏にやった中学生向けの体験入部で、もし入ってきたなら戦力になりそうな選手もピックアップはしている。


 本当の一級品で、素行なども問題のない選手であれば、夏の前には進路は決まっている。

 ただ地元を離れたくなくて、それでも甲子園を目指すという、都合のいいことを考えている、小賢しい中学生はいる。

 それになんだかんだ言って白富東は、温いチームなのだ。

 根性野球や間違った精神論の否定から入ったチームなので、それに抵抗感を覚える選手が集まったりはする。

 しかし秦野はとりあえず、一年生だけでもチームを作れるようには考える。

 白富東はスポ選はあるが、特待生などはないため、スカウトは全く行っていない。

 一応シニア組は元のチームに行って、ある程度声はかけているようだが、やはり即戦力クラスであれば、県外の私立に取られていることが多いらしい。


 来年からは早めにスカウトなどもするべきか、などと思いつつ秦野はリストアップする。

「塩崎、平野、長谷、花沢、石黒、とこのあたりはいい感じかな。それと宮下と麻宮もまあ……」

 部室にこもって、ざっと今の時点での戦力を計算してみる。

 試合に出せそうなのはこのあたりまでで、あとは本当にこれからの成長に期待といったところだ。

 夏休みに練習に参加していた生徒も、今年に比べれば素材は少なめであった。

 おそらく白富東に取られないように、県内の私立はそれなりの条件で、生徒を集めていたのだろう。

 もちろん部活体験に参加していなかった生徒もいるかもしれないが、明確に白富東進学を意識していた中で、秦野の目に付いたのは二人ぐらいである。


 今の一年が引退したら、一気に白富東は弱くなるかもしれない。

 もっとも秦野の契約期間も、丁度そこで切れるのだが。

「あの二人も内野だったし、ピッチャーとキャッチャーは奪われているわけか」

 またセイバーがどこかから、ピッチャーを獲得してきてもらえないだろうか。

 日本式の野球に、外国人キャッチャーが適応するのは不可能であろう。だからキャッチャーは経験者を鍛えるしかないのだが。


 そして今の一年だけでチームを作った場合、外野が弱い。

 キャッチャーは上山が肩は強くリードもなかなか良いのだが、控えとの差が大きすぎる。

(誰かキャッチャー出来るやついねえか? ……宇垣か、水上か、いや、宮武……)

 キャッチャーというのはある意味、ピッチャー以上の専門職である。

 だいたい野球選手というのは、ピッチャーの投げ方とバットスイングから始まり、最初からキャッチャーをする者などそうはいないだろう。

 宇垣などは動ける巨体なので、キャッチャー適性はあるように思える。だが性格が完全に向いていない。

 能力だけなら悟も出来るだろうが、インサイドワークに不安がありすぎる。

 宮武。これはかなり可能性がある。


 宮武は本職がショートで、シニア時代はピッチャーもやっていた。

 そのピッチャー適性は見せてもらったが、ショートの状況判断力と、ピッチャーとしてのそれなりの経験を考えれば、キャッチャーが出来るのではないだろうか。

 もちろん本人のやる気次第だが、チームにとって必要ならば、それを準備するのが監督である。

 



 宮武を呼び出した秦野は、率直にチーム事情について説明した。

 来年の話をすると鬼が笑うというが、キャッチャーというポジションはとにかく、経験という名の戦術メモリがものを言うポジションだ。

 孝司は間違いなく、打てて走れる絶対値も平均値も高いキャッチャーだ。

 総合力としては、ジンや倉田を上回っているだろう。

 一年の上山に、二年の小枝で、今年のチームのキャッチャーは足りている。

 だが宮武の最終学年がどうなるかを、今は問題にしているのだ。

「確かに先の話すぎるかもしれないが、お前も分かっている通り、キャッチャーを増やすのはピッチャーを増やすより難しい」

 そして夏休みの体験入部の件を持ち出し、来年の志望者の中に、豊富なキャッチャー経験を持っている者がいなかったことも告げた。

「もっともいきなり使えるキャッチャーが入ってくるかもしれないし、再来年にはいいキャッチャーが入ってくる可能性はある。だがお前たちの二年の秋からの最終学年を考えると、今の時点ではキャッチャーがほしい」

 秦野の説明に、宮武はしばらく考える。

 少なくともすぐに拒絶するということはない。


 秦野の言っていることは分かる。

 孝司は優れたキャッチャーであるし、上山もいいキャッチャーだ。正直二年の小枝は、それよりかなり劣る。それでもキャッチャーとしてある程度のレベルには達している。

 来年の夏でこの二人が抜けた時、確かに上山の次のキャッチャーが、ただの経験者というだけで実力はかなり劣るのだ。

「それにお前の正規ポジションのショートは競争率が激しいし、むしろ内野より外野の方が手薄なんだ。けれどお前の経験を考えると、内野は他に任せて、キャッチャーの控えとして入ってくれた方が安心出来る」

 あと地味に打撃では、長打力はともかく打率では、宮武の方が上山よりも上である。


 さらに、まだここでは言えないが、秦野は来年のキャプテンは、宮武がいいのではないかと思っている。

 上山も調整能力と言うか、部員間の緩衝材となるタイプのキャプテンは出来るであろうが、山村や宇垣に厳しく言えるのは宮武だ。

 シニア時代もキャプテンをやっていたので、元々そういったものが向いているのだ。

「今すぐに決めろとは言わない。ただ秋の大会を見て、試合を重ねた上で、冬の前には返事がほしい」

「俺に決定権があるんですか?」

「決定権と言うか、無理矢理やらせても面白くないだろ」

 人は楽しむ時が、一番上達が早いのだ。




 一年のキャッチャーは、明らかに上山が一番優れているのは確かなのだ。

 あの大きな体は、それだけで安心感がある。肩も強いし、インサイドワークはこれから鍛えればいい。

 ただ宮武が控えとして動けるようになるなら、それで安心感はさらに増す。

 内野のポジション争いは、かなり激しくなるだろう。今の一年生の世代になれば、宇垣のファーストと悟のショート以外は、使えそうなのが多すぎるのが逆に困る。

 そして外野は、これもやや弱い。

 足のある長谷が、もうちょっとフライの見極めと、中継に投げられるコントロールがつけばいいのだが、それでもまだ打撃力に欠けている。

 トニーがピッチャーをする時は、また誰かを入れなければいけない。

 ただセンターが大石に固定されていることは幸いか。今年のセンターラインはキャッチャーの孝司から、セカンドの哲平とショートの悟までは、かなり動かしようのない鉄壁さだ。


 先送りにしだ課題は多いが、とりあえず次の試合のことを考える必要がある。

 ここまでの二試合と違って、次の浦安西はある程度の緊張感が必要だ。

 青砥と深津のバッテリーに加え、現在の部員数は18人。

 つまり今年の春に、そこそこの人数が入ってきている。

「注意する選手は変わらず、青砥と深津、それに松宮か」

 スピードガンを持たせて他の球場に送り込んだのだが、140kmにまで球速は上がっていたらしい。

 変化球の種類もあるし、なかなか攻略は難しいピッチャーである。

 それだけに試金石になりやすい。


 決勝までの道筋を考えながらも、秦野は練習する姿を見ていく。

 三年がいなくなっても70人も部員はいるのだ。それでも研究班に20人近くはいるのだが。

 研究班の中には、将来はプロ球団に勤めたいとかいう変わり者もいるが、白富東においては変わり者は珍しくない。


 秦野はこのチームが弱くなったとはずっと思っているが、その理由のまた一つとして、野球のことを第一に考えすぎている者が多いというのもあるだろう。

 野球以外の楽しみがあるからこそ、余裕をもって野球を楽しむことが出来る。逆説的になるが、それが強さの秘密だ。

 つまり野球を最重要視しないために、プレッシャーからの逃げ場が頭の中にあるのだ。


 とりあえず様子を見て行くに、おかしな兆候はないし、それぞれが必要な練習をしている。

(ピッチャーは枚数こそ多いが、やっぱり来年は大変だな)

 どうしても全体の戦力を見ると、戦力の継承に頭がいってしまう。

 目の前の試合を考えないといけないとは、理性では分かっているのだが。




 九月下旬、ベスト8進出を賭けた、浦安西との試合が始まる。

 相手のピッチャー青砥は、全国に行っても通用するピッチャーだ。もちろん超高校級などではないが。

 そのバッテリーを組む深津と、あとは巧打者松宮が、注意する相手だろう。


 深津はここまでに三本スタンドに放り込んでいて、明らかに打撃力は向上している。

 白富東は公式戦で対決するのは三度目であるが、徐々に強くなっているというのは感じる。

 あるいは白富東が弱くなっているから、そう感じるのかもしれないが。

 それにバッテリーがいなくなれば、浦安西は普通の公立弱小校に逆戻りだろう。


 この試合をどう位置づけ、どう解釈していけばいいのか。

 秦野としても悩みどころであるが、贅沢な悩みではある。

 経験を積ませるためには丁度いいぐらいの強さの相手ではあるのだが、あまりに余裕を持っていると、負ける可能性はある。

 序盤に先制し、そして相手にビッグイニングを作らせないのが重要だ。

 こういった相手には淳が一番適しているのだろうが、ここは少し冒険をしてみる。


 それとあとは、先攻を選ぶか、後攻を選ぶかである。

 普段は先攻を、特に先制点を奪いたい場合は選ぶのであるが、ここは攻撃を裏に行う後攻がいい。

 最後まで逆転出来るという状況を作っておきたいのだ。

 幸いと言ってはなんだが、じゃんけんで勝った浦安西は、先攻を取ってきた。

 格上の相手と対決する時の、先制点を取りにきているのだ。


 メンバー表を見ても、明らかに先制点で打撃を与えようとしている。

 一番出塁率の高い松宮が先頭打者なのは分かるが、青砥が二番で深津が三番だ。

 もうこれは何が何でも、先制点を取りにきているとしか思えない。


「というわけで今日の課題は、取られたらそれ以上に取り返す、だ」

 秦野も打撃に優れた選手で、スタメンを組んだ。

 そしてピッチャーには、キャッチャーへのコンバートを提案した宮武を先発させている。

 さすがに少しは顔色が悪くなる宮武であるが、生来の生真面目な性格ゆえか、弱気なところは見せない。

(これでキャッチャーの役割も理解してくれたらいいんだが)

 波乱を呼ぶかもしれない試合に、秦野も内心では心配していた。


×××


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