第159話 結果は同じ

 高校野球には、定跡がない。

 定跡に見えるものでも、実際には選手の実力差、潜在能力差があるため、下手に画一的にやっていては強くならない。

 それでも最低限これだけは、というのがキャッチボールである。

 守備の練習、バッティングの練習、色々とやるべきことはあるのだが、高校の二年半でそれを教え込むのは不可能である。

 そしてキャッチボール以上に、限定した場所で行えるのが素振りだ。


 極端な話、ノックは飛んできたボールをキャッチするので、キャッチボールで代用出来る。暴論であるが。

 そして実際にボールを打つよりも、正しく力強いスイングを、まず身につけるのだ。

 浦安西に比べれば、三里は断然恵まれた環境にあった。

 毎日という訳ではないが、週に一度はグラウンドを全面使うことが出来るのだから。

 浦安西は小さな校庭グラウンドの、ほんの隅でノックも行っていた。

 ネット無しではティーバッティングも出来ないし、フライのノックを捕るためには、近くのグラウンドを予約したり、河原の草野球グラウンドを整備して使わせてもらうしかなかった。


 移動時間や整備時間を練習に回せる。

 それだけでも晶が三里で出来る練習は、一気に増えたのである。

 もっともそれらの練習は、既に国立がやっていたことであるのだが。




 一回の表、白富東は二番の塩野が意地を見せて、懐に入ってきたストレートを強振。

 しっかりと引き付けて打った打球は、レフト前に落ちた。

 三番の大井もスイングしていったが、セカンド後方へのフライで、微妙に難しい球ではあるがフライアウト。

 進塁することは出来ず、四番の悠木に回ってきた。


 悠木は一年生の中では、おそらく一番フィジカルやセンスの総合値が高い。

 フリーバッティングをやらせれば、ネットにまで直接飛ばしていく。

 走るのもかなり速い部類だし、肩も強い。

 だが頭の方が、単純に勉強が出来ないという以上に、残念なのだ。


 本当ならば一番か九番に置いて、独立した戦力として使いたいキャラである。

 チームバッティングをやらせると、動きがぎこちなくなって、途端に打てなくなるのだ。

 本人としては性格も天才肌で、確かにスポ薦で入ってきたというのも分かる能力を持つのだ。

 だがこれまた、強豪私立では微妙な扱いになるタイプ。

 俗に言う宇宙人であるが、それに目を瞑ってまで取りたいかというと、躊躇うレベルの選手である。

 白富東のスポ薦には、面接と作文もあったのだが、よくも受かったものである。


「ちゃらら~ ちゃちゃちゃちゃちゃちゃ ちゃらららら~」

 自分でテーマを口ずさみながら、左打席に入る悠木。

 サウスポーということを考えると、四番に置いたのは間違いであったかな、と思わないでもない国立である。

「いざ!」

 こいつのゾーン広くしてやろうかな、という審判の視線が見える。

 少し首を振りながら、プレイとコールする。


 ベンチの中からも、不安でしかない。

「監督、あいつ四番で良かったんですか? 相手サウスポーだし」

「悠木君は相手が右でも左でも、打率とかは変わらないからねえ」

 国立も多少苦笑気味になる、悠木の能力である。

「それにこういう時には、しっかりと打ってくれるだろうし」

 一塁の塩野は動かさない。

 もちろんツーアウトなので、打ったらゴーであるが、得点の確率を高めるための盗塁などは考えない。

 ランナーがちょこちょこ動いていると、集中して打てないらしいからだ。


 つまるところ、あまりにも感覚的に野球をやっているのだ。

 適切な指導を受ければもっといい選手になっていたのかもしれないが、そもそもどんな指導を受けても無駄なタイプかもしれない。

 とりあえず今は、打ったら走るで戦力化するしかないのだ。




 夏まではベンチにも入っていなかった一年が、秋には四番に入っている。

 データが少ないのかと言うと、中学時代のシニアで色々と話は出てくる。

 問題児であったことは確かだが、鬼塚のようなタイプでもない。

 自己中心的とかそういうレベルではなく、自分の好きなようにしか動けない、かなりの難物であるのだ。

 ただ別に性格が悪いわけでもない。

 団体スポーツをどうしてやっているのか、正直首を傾げるレベルなのだが、打てることは打てるのだ。


 あとは調子の波が短期間で激しく変わるのも、欠点ではある。

 さてこの日はどうであろうか。


 初球のスライダーとバットの間が、30cmぐらいは離れていた。

 思わずベンチはがっくりとくるが、スイングの迫力だけは満点である。

 ぶんぶん振り回してくるタイプの四番は、高校野球でも珍しくはない。

 むしろ四番に何より求められるのは、長打であるのだ。


 スライダーをこれだけ豪快に空振りすると、さては変化球が苦手なのかと思われることもある。

 だが露骨過ぎる空振りに、何か意図があるのかとも思う。

 ない。

 ただ全力で打つことだけを考える。

 ホームランの打ちそこないがヒットだと考える、頭のおかしなスラッガー。

 それが悠木なのである。


 二球目はどうするか、というバッテリーの無言の対話。

 悠木は一回戦も二回戦も、割と打線の回るのを止めてしまっている。

 だがホームランは打っているのだ。

(外角に逃げていったスライダーを空振りしたから、今度はちょっと内に投げてみようか)

(いいけど、際どいな)

 サウスポーが左の打者の内角に投げるのは、割と難しい。

 角度的にも、デッドボールになる可能性が高いのだ。

 だがそこはしっかりと腕を振って、内角に投げてくる大道。

(外れた)

(いや、これでいい)

 下手をすればデッドボールかというぐらいの内角球を、悠木は振っていった。

 打球は完全にライト方向。飛距離は充分。

 だがポールの向こう、ファールスタンドに入っていく。

(あっぶねええ! こいつガリガリに内角打ちか)

(なんか事前の情報と違うような)

 打てると思ったら打つ。それが悠木であるのだ。


 内角のストレートをああも打たれたので、今度は外に外したい。

 それもストラークからボールになるスライダーで。

 そう思って投げたボールに対して、悠木はバットを振ってくる、

 バッテリーをヒヤリとさせたものの、この鋭いスイングは空振り。

 白富東は先制点を奪えなかった。




 能力的なことだけを言うなら、ユーキは去年の秋から、既にエースであった。

 試合での防御率や失点、またバッターから三振を奪う力も、チームナンバーワンであった。

 だが秦野はその力を、主にクローザーとして用いていた。

 そしてその起用法が、一番ユーキの急速を活かすものでもあったのだ。


 ユーキには、エースというものがいまいち分からない。

 だが卒業した同じチームの先輩ピッチャーだけでなく、対戦したチームのエースなどを見ていると、なんとなく感じるものはある。

 誇りだ。

 そして戦う意志だ。


 アフリカの狩猟部族と交流していた父の下、ユーキも旧来の狩猟で獲物を狩る戦士たちを見てきた。

 生き抜くための、糧を得るための戦い。

 それを何度も繰り返してきた男たちと、似たような雰囲気を持つ。

 それがユーキなりに理解した『エース』である。


 かかっているのは生死ではないが、チーム全員の運命を左右する。

 そのプレッシャーというものを、ユーキは自然と消化していた。

 文哲の機械のような冷静さ、山村の立ち向かっていく矜持。

 そのさらに上では、チームを勝たせるための淳の背中を思い出す。


 日本で一番強いチームが、最高の舞台の最後のマウンドを、ユーキに与えた。

 エースの誇りとか、そういうものをユーキは持たない。

 だがプレッシャーに負けないだけのメンタルは、既に持っている。




 このチームがどこまで勝ち進めるかは、ユーキ次第だと国立は考えている。

 明らかに全国レベルで、本人が望めばプロからの声もかかるであろう、才能に溢れたピッチャー。

 だが彼の進む道も、野球の世界ではない。


 アマチュアで燃え尽きるなら、確かに日本の甲子園以上の舞台はないであろう。

 ユーキにとっても野球で遊ぶというのは、確かに楽しいことではある。

 だがこれで食べていくということには、直史以上に関心がない。

 そもそもやるのは好きだが、かつては全く見ることもなかったのだ。

 今では自分の参考にするために、対戦相手の試合を見たり、プロの試合を見たりもするが。


 一回の裏の三里の攻撃は、あっという間に終わってしまった。

 ストレート主体のコンビネーションで、速球の威力を見せ付けてから、動くボールでゴロを打たせる。

 三里の今の選手の中には、これを正面から打ってヒットに出来る選手はいない。

 晶としても初回からユーキを攻略出きるなどとは、全く思っていなかった。


 だが試合の前に言ったことは本気だ。

 ユーキさえ打ってしまえば、他のピッチャーは恐れるに足りない。

 実際は左のサイドスローの耕作もある程度ややこしいピッチャーだとは思っているのだが、ユーキの圧倒的なボールに比べればまだマシだ。

(ほらほら元気良く! 守備から流れを作っていくわよ!」

 そう送り出してみたものの、バッターの目が慣れて、ある程度ユーキも消耗してくる終盤まで、こちらの点は入らないかとも思う。

 



 国立がユーキを起用する一番の理由。

 それは人格である。

 もちろんメンタル的に優れているとか、そういう従来の分類で分かりやすいものもあるが、ユーキは日本の野球で育たなかったため、陋習を備えていない。

 高校のピッチャーの中では、どうしても下級生のキャッチャーを信頼出来ないピッチャーがいるが、ユーキは普通に塩谷のリードに従う。

 勉強家のユーキは、論理的に配球を考える。

 そしてその配球から発生しているリードも、塩谷の考えは優れていると納得出来るのだ。


 これが今の三年の、八巻と長門であると、少し塩谷と呼吸が合わない。

 なので二年の小野寺をキャッチャーとするのだが、小野寺よりも塩谷の方が、キャッチャーとしてもバッターとしても優れているのは確かなのだ。

 もしもこのままの成長曲線を全ての選手が描いていくなら、来年の夏にはユーキと耕作、そして運良く入ってくるなら次の一年のピッチャーが主力となる。

 それらは全てこの試合が終わって、さらには秋の大会が全て終わってから考えるものだろう。

 とりあえず目の前の試合は、かなり苦戦しそうだ。


 二回にも白富東はランナーを出すが、三里の監督采配で適切なアウトを取っていく。

 三塁までは進んだが、ホームベースを踏むことは出来なかった。

 対して三里も、ユーキのボールを満足に打つことは出来ない。

(勝負は中盤以降)

 他の部分も全体的に白富東が優れているが、一番優越しているのはピッチャーだ。

 ただしユーキが完投出来るかというと、それはなかなか難しい。

 二回からは三里のバッターは、早打ちをやめている。

 ユーキのボールに目を慣れさせて、球威が衰える終盤に勝負をかけてくるつもりだろう。


 白富東としては、中盤に先制点を取りたい。

 三里としてはどうにか互角の展開で終盤を迎えたい。

 お互いの思惑が交差する中、序盤の三イニングが終わる。

 白富東は四本のヒットを打ったが無得点。

 三里はパーフェクトに抑えられて無得点。

 明らかに内容は白富東が上だが、攻めていって優勢なのにもかかわらず、最後の一押しが出来ない。


 だがあせってもいけない。

 ここは采配のミス一つで、大きく試合が動く場面だ。

 国立も晶も、選手たちの士気を見ながら、お互いのベンチの中を窺うのであった。

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