第82話 去る者、残る者、そして現れる者

 最後の甲子園で、最後まで残る者は。

 栄光を掴んだ者と、そのあと一歩が届かなかった者だけ。

 開会式では49チームあったのが、一気に減っていく。

 そして最後に閉会式に残るのは、二チームだけなのだ。


 今の三年生の中では久留米と駒井と小枝以外は、去年の夏のベンチにもいた。

 一度はあの栄光の瞬間を知っているだけに、最後まで負けたくないとは思う。

 そしてスタンドでそれを応援していた者は、今度こそ自分たちもと思うのだ。


 毎日、勝者と敗者が分けられて、甲子園から消えていく。

 自分たちはまだだ、と思いつつも試合の最後には、諦めて消えていく。

 最後の最後まで諦めず、あるいは九分九厘勝ったというところから逆転される。

 そしてそれでも、消えていくことは同じ。


 大会も四日目となり、また今日も四つのチームが消えていくのだ。

 先日の最後の試合は京都の立生館、そして今日は埼玉の花咲徳政、愛媛の斉城、茨城の水戸学舎、沖縄の興陽。

 伝統のあるチームはやはり、ある程度勝ち方を知っている。その中ではやはり、新興の水戸学舎が注目株か。

 去年の神宮を制し、春のセンバツでもベスト8と、白富東には負けたものの、確実にその強さを証明している。


 だがそうやって毎日の試合を楽しみにしていても、グラウンドの上では最後の輝きを残す選手たちが躍動する。

 五日目ともなると二回戦の試合も出てくる。

 残りの一回戦は、まず二試合。

 栃木の刷新学院が、熊本商工に負けたのは、やや意外ではあった。

 そして一回戦最後の試合が、大阪光陰と青森明星の試合である。


 大阪光陰の今年のチームは、秋の神宮には出られず、春のセンバツは決勝まで進んだものの、帝都一に敗北している。

 ただ大阪光陰は一年から台頭してくる選手もいるため、もちろん夏までに一気に強くなっていたりもする。

「いたりもするわけだが……うちの聖とほぼ同じか、それ以上だろ」

 データでは見ていたが、画面にその姿が映っただけで、規格外だと分かる。


 身長は190cmもあるが、上背だけでなくしっかりとしなやかな筋肉も付いている。

 だがこれで、中学時代の成績はほぼ無名というから驚きだ。

 なにせ中学二年生までは陸上部であり、助っ人で出た試合でその能力を見込まれたのだ。

 同じ元陸上部と言っても、長谷とは違う。

 上半身までしっかりと鍛えた、全国トップレベルの身体能力。

 150kmが計測されて、テレビを見ていたメンバーは頭を抱える。

「大阪光陰はこれだから……」

 誰かが言った。誰が言ってもおかしくない言葉を。




 この一年生、一年のくせに四番を打っている。

 大阪光陰のクセにエースで四番など、許されていいのだろうか。

 本多が三年でやっていたことを、一年がやっている。

 こんな唐突にラスボスクラスが出てきていいのか!?

 ――まあ、大阪大会から既に話題にはなっていたので、唐突というわけではないのだが。


 緒方もいるし、緒方以外にもピッチャーがいるので、全てのイニングを投げるわけではない。

 だが七回まで投げて三安打の一四球で無失点と、今年の戦力はAクラスと言われた青森明星を、完全に抑えていた。

「蓮池透ね」

 こいつが二年、三年と成長していくなら、恐ろしいことになりそうである。


 今年の野球雑誌でいわゆるS評価をつけられているのは、センバツの優勝を争った帝都一と大阪光陰。

 そして関東大会でその帝都一を破った白富東の三校である。

 だがその中で最も、戦力の強化に成功しているのは、やはり大阪光陰らしい。

「あれが僕と同じ一年なのか」

 そう小さく呟いたユーキの声は、珍しく感情の色を強く含んでいた。




 この日の第三試合は、一回戦を戦わなかった幸運なチームによる二回戦となる。

 事前の説明どおり、滋賀の淡海が強力打線で二桁得点の勝利。

 ここで五日目は終わりである。


 次の日は白富東は当然練習を行うが、指導は若い国立に任せ、秦野はベンチでテレビを見ながら、勝ちあがるチームの分析を考える。

 テレビ中継の試合はベンチの様子も映り、試合の中でどう選手が動くのか、はっきりと映し出される。

 これはデータやグラウンドの上だけを見ていても分からない情報だ。


 大会六日目、第一試合は福岡城山が勝ち上がる。

 次に淡海高校と対戦することになるが、おそらくピッチャーのレベルから考えて、福岡城山の方が上であろう。

 鹿児島の桜島実業は予想通りに勝ち上がり、うどん県……ではなく香川代表が長崎代表を降す。

 そしてこの日最後の、そして初戦としては一番凶悪とも言われる、西東京の日奥第三と、愛知の名徳との試合である。


 日奥第三のエース市川が右の真田張りのスライダーを投げれば、名徳のエース古沢はフォークで対抗する。

 だが150km近い球速をポンポンと出すこの両エースでも、お互いの打線を抑え込むことは簡単ではない。

 一応両校Aランク扱いであるのだが、これは両方Sランク扱いでも良かったのではないかと思う秦野である。

 先制したのは日奥第三であるが、名徳も追加点を許さず試合は後半へ。

 そしてわずかに球威の衰えた日奥第三のエースから連打で二点。

 得点差はわずか一点であるが、名徳の左腕も粘りに粘る。

 結局はスタミナ勝負となったか、名徳が最後までエースが投げ切って勝った。


 この試合は秦野も、部員たちに見せた。

「日奥第三の敗因は、エースのスタミナだな」

 西東京大会ではそれなりに投げきっていたが、甲子園用のスタミナが身についていなかった。

 これまでも出ているはずだろうに、甲子園用の体の作り方や調整に失敗したのか。

 あるいは単に相手が強かったからこそ、よりプレッシャーで疲労が大きくなったのか。




 ここは名徳が勝ちあがってくるだろうと思われたが、次の日には名徳と三回戦で当たるチームが決定する。

 相変わらず桜島にも負けない豪打の蝦夷農産が、甲府尚武を粉砕して上がってきた。

 試される大地の民は今年も強いと言えるのかもしれないが、もう片方の北海道代表は、ひっそりと一回戦で負けていたりする。


 七日目ともなると、一回戦で既に一つ勝っているチームが出てくる。

 体力は充分に回復し、むしろ一度甲子園を経験しているために、聖稜が東名大相模原を破った勢いのままに、二回戦も勝利する。

 長野の上田学院と高知の瑞雲は、瑞雲が勝利。

 そしていよいよ明日は、白富東の二回戦である。


 あえて口にはしていないが、秦野は今年のクジ運はかなり悪いのではないかと思ったりする。

 大豊に理知弁和歌山と、打線が爆発したら一気に点を取られるタイプのチームと序盤に当たる。

 そしてベスト8を賭けて戦うのが、ここのところベスト4常連の明倫館である。

 さらにベスト8に残ったとしても、次に戦う相手は三分の二の確率で大阪光陰か帝都一になるのだ。

 逆に言えばそこで当たらなければ、大阪光陰と帝都一が潰しあってくれるのだが。


 大会八日目第三試合が白富東の二回戦。

 今日もまた最後の夏を終える選手たちが、大量に生み出される。

「え、桐野負けてるじゃん」

 意外と言えば意外であるが、この日の第一試合で、三重の伊勢水産が三回戦に進んでいた。

 瑞雲とベスト8進出を賭けて争うことになる。

 伊勢水産は以前にも、白富東と三回戦で当たっていた。

 負けてもあっさりとしていたチームだという記憶を持っている者は、もう今の白富東には一人もいない。


 そして第二試合では、明倫館が勝利した。

 監督が大介の父親というだけで、不気味なものを感じてしまう。

 チームに突出したものはないと言うか、全く弱点らしい弱点がないのが不気味である。

 ただ一点も取れないようなチームではないと思うし、大量点を取られるよなチームでもないとは思う。

 県大会ではコールドはわずか一回。

 エースらしいエースのいないのが、逆に攻略が難しそうだ。




 まずは目の前の試合である。

 理知弁和歌山。過去に全国制覇の経験もある、強打のチーム。

 和歌山県ではほぼほぼ最強のチームであるが、チーム力では打力以外は、明らかに白富東が上回ると思っていた。

 ただ試合前のノックを見る限りでは、守備も地味に確実に鍛えられている。


 大豊よりもさらにシンプルな攻撃プランしか持たないチーム。

 だがそれゆえに、やることが少ないので強い。

 守備なんてものはなんだかんだ言って、強い打球をしっかりと捕って、それを正確に投げるのみ。

 逆にバッティングは、ちゃんと送るかしっかりと振り切るのみ。

 ゴロであろうとフライであろうと、打球に魂が入っていれば、守備の範囲外に飛んで行くのだ。


 一回の表の白富東の攻撃は、まさにそれを体現するかのような守備にあった。

 宇垣も哲平もジャストミートはしたのだが、それを野手のほぼ正面でキャッチされる。

 低めに投げておけばとりあえず、ホームランにはならないということか。


 白富東ベンチで、秦野は国立に問いかける。

「低めの方が長打にしやすいんですか?」

「野球の常識だと馬鹿にされるかもしれませんけど、私はそうでしたね」

 たとえばゴルフを見ても分かるが、低めを打つというのは遠心力が最大になり、重力でスイングを加速させることが出来る。

「まあもちろん、ミートの適性がないと難しいんですけど」

 天才の言うことは分かりにくいが、ゴルフスイングがけっこう飛ばせるというのは事実である。


 忘れてはいけない。三年前の夏、白富東は決勝で、アウトローを読まれて逆転サヨナラホームランを打たれているのだ。

 読めて、そして狙いを絞っていけば、アウトローはホームランに出来る。

 そして悟は狙う。

 低めから、弾道は低く、しかし伸びていく。

 ライトスタンド中段にまで届く、甲子園通算六号ホームランであった。




 淳を先発にしたのは、良かったのか悪かったのか。

 毎回ヒットを打たれるが、連打を打たれることはない。

 そしてランナーを送ってきても、フィールディングが優れているので、ランナーの方をアウトにする。

 理知弁和歌山の攻撃の特質の一つである送りバントを、着実に失敗させる。

 今日は我慢の投球だ。


 対してバッティングの方は、継投策によって上手く機能しない。

 初回に一点が取れていたのは、やはり大きかった。

 それなりにランナーを出すのはお互いに同じであるが、既にリードしていれば、この投手戦はリードしている方が有利に思えるかもしれない。

 だがどちらもヒットを打っていれば、どこかで均衡が崩れることもあるかもしれない。


 流れを感じろ。

 ベンチの中で秦野は、グラウンドよりもむしろ相手ベンチの方を注意し続ける。

 相手が動いたと同時に、こちらも動かなければいけない。

 あちらはピッチャーこそ交代しているが、打線の中で動くことはない。

 フルスイングとバントを集中して鍛えたその攻撃は、シンプルであるがゆえに厄介だ。


 この流れからは、次の追加点が入れば、そこから一気に試合は動き出すかもしれない。

 怒涛のように大量点が入るのかもしれないし、両方の打線が爆発するのかもしれない。

 そんな流れを断ち切る力が、淳のようなタイプにはある。




 五回の表裏が終わり、ここでグラウンド整備が入る。

 一息入ったここが、試合の流れが変わるターニングポイントかもしれない。


 淳は体力はともかく、精神的にはかなり消耗している。

 打たれながらも己のピッチングを続けて、最小限の傷にしなければ、決定的な結果となって点が入る。

 あちらはあちらでしっかりと強くスイングし、そしてランナーが出れば送ってくる。

 この送りバントも必ずするという訳ではないのが、いやなところだ。

 残りの四回、一点も取られないと考える方が都合が良すぎるだろう。


 またホームランを期待するしかないか。

 だがそれは向こうも同じことが言えて、そしてホームランが打てるバッターはいる。

 淳のナチュラルに変化するボールが、ゴロを打たせることに成功している。

 だから内野を抜くヒットはあっても、外野の頭を超えるほどの打球はないのだ。

「我慢だな」

 そうとしか秦野は言えない。


 有利であるのは確かだ。クリーンヒットはこちらの方が多い。

 悟のホームラン以外にも、長打は出ている。

 だが最後に押し切れない。


 ランナーを進めると、向こうの守備の集中力が上がるのだ。

 スーパーファインプレイなどなくても、重圧の中でしっかりとプレイ出来るというのが、どれだけすばらしいことか。

 白富東はやや、外野の守備が弱い。

 その理由の一つとしては、センターの大石がギリギリの打球を捕球する時、危険でも突っ込んでしまうからだ。

 もちろんこれがスーパープレイになることもあるのだが、胃は痛くなる。


 一つのエラーから流れが変わる可能性もある。

 押して押して押し切れない時は、その前兆のようなものだ。

 六回は先頭打者が悟から。

 ここで塁に出てもらって、続く久留米と駒井で、なんとかならないか。


 試合が再開され、六回の表。

 期待通りに悟はフォアボールを選んだ。

 ノーアウトから俊足のランナーで、打席には四番打者。

 ただ久留米は器用ではないので、進塁打を打たせるぐらいなら素直にバントの方がいい。


 だが、バントのサインはない。

 好球必打。四番に任せる。

 ここで一点が取れれば、試合は大きく動くだろう。

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