第81話 一年生のピッチング
この世界には、正確なストレートというものは存在しない。
当たり前だが重力と大気の壁によって、投げられたボールは常に減速し続けている。
そのスピードによって、基本的にはどれだけ沈むか、あるいは沈まないかが決まる。
しかしそこにスピン軸、スピン量、リリースポイントなどにより、平均値から外れたボールが生まれる。
それがそれぞれのストレートの違いである。
同じストレートでもこの違いを求めて、ピッチャーたちは探求する。
その中でもユーキのストレートは、理想的な逸脱を持つストレートだった。
空振りが取れるストレート、そして振り遅れるストレート。
俗に球威があると言ってしまえるストレート。
一番と二番を空振り三振に取り、三番をイージーなピッチャーフライに。
変なエラーをやらかすこともなく、三者凡退でベンチに戻る。
ストレートの威力があり、それに沈む変化球があれば、三振はいくらでも取れる。
そしてリード次第ではゴロではなく、フライにすることも出来る。
(う~ん、こいつもひょっとしたらプロ級なんじゃないか?)
ほとんど毎日受けている孝司だが、こういう舞台でははっきりとピッチャーの良し悪しが分かる。
(でもプロには興味ないんだよな~)
どうしてそんなやつばかりいるのやら。
かつて野球選手がヤクザな商売だと思われていた頃には、娘と結婚したいならカタギの職に就け、などと言われた人物もいた。
また六大学のエースでありながら、まったく野球とは関係のない会社に就職した者もいる。
確かに即戦力のはずの大卒投手でありながら、一軍にさえ昇格出来ずに引退した者もいる。
孝司は昔からプロ野球選手を現実の職業として考え、そしてそれに相応しい実力を示してきたと言える。
だがその中で、直史やユーキのような、プロに行かない天才を発見すると、自分の進路に疑問を抱くことがある。
まあそんなことは、後で考えるべきだろう。
まずは点を取って、ユーキを援護するべきだ。
大豊のピッチャーは左右の二枚を揃えていて、左打者の多い白富東には、やはりサウスポーを持ってきた。
大きなスライダーが持ち味であるらしいが、スピードもキレもそれほどではないので、これで打ち取るとは考えられないだろう。
宇垣も哲平もジャストミートして、たまたま打球が野手の守備範囲内だっただけである。
ミートした球は、不思議と野手の正面をつくと言われる。
ならばフルスイングでミートすればどうなるか。
答えは、今の目の前の光景を見ればいい。
――ダン
バックスクリーンに届く悟の特大ホームランで、まず一点を先取。
これで甲子園通算五号のホームランとなる悟である。
「う~ん……」
国立から見ても悟のバッティングは、ほとんど修正する部分はなかった。
ただ狙い目などを絞ることは指導したし、そのための駆け引きも教えた。
だがそれですぐに、こういった結果を出せるのか。
まだ二年生の夏だが、公式戦だけで30本以上のホームランを打っている。
この大会でもまだ何本か打って、一気に甲子園記録の第二位にまで躍り出るのか。
一位は無理だ。大介の記録は異次元過ぎて、誰にも更新出来ない。
そもそも二位にダブルスコア以上をつける、30本塁打というのがありえないのだ。
しかも大介は、一年の夏には甲子園に出場できなかった。
甲子園は勝ちあがって試合数を多くしないと打席も増えないし、しかも自分の後ろの打者が打てる打者でないと、それなりに敬遠されることもある。
大介の場合は三番を打っていたからこそ、あの数が達成可能であったとも言える。
まあ真正面から勝負してくるような桜島や、大滝のような対戦相手と戦ったことも幸運ではあるのだろう。
ホームベースを踏んでベンチに戻ってきた悟を、ハイタッチで迎えるメンバー。
そして秦野と国立にもハイタッチ。
(この子は私よりも上だなあ)
国立の場合もあまりホームランバッターには見えない体格から、神宮のフェンス際に入る打球を打つのが得意であった。
もうちょっと飛距離は出せたのだが、重要なのはスタンドに運ぶことであって、場外を打つことではない。
一点でいい時は、外野の前にちょこんとヒットを打つ。そんな器用さを悟は兼ね備えている。
これにて、まずは先制である。
一点では全く油断できない大豊打線であるが、二回以降もユーキのピッチングは冴える。
少なくとも一巡目はいけるな、と思った孝司がかなり攻撃的なリードをするのだ。
普通なら躊躇するコースであっても、ユーキは経験の少ないのがかえっていいのか、開き直ったようにそこに投げ込んでくる。
打者一巡の三回まではパーフェクトピッチ。
そしてこの三回の裏に、白富東は追加点を一点入れる。
(一点か)
追加点は入っても、秦野は手放しには喜ばない。
ユーキのピッチングは、ここまでは圧倒的と言っていい。
だが二巡目以降は、何か対策は立ててくるだろう。
能のないフルスイングというわけではなく、大豊の打者はコンパクトに強く振り切ってくる。
ストレートを打って前に飛んだ球が、ことごとくフライ性の打球になっていたので、ラストバッターはバントを仕掛けてきた。
ダッシュしてきた久留米が、そのままファーストでアウトにしたが、ユーキのフィールディングの反応の遅さに気付いたかもしれない。
「赤尾、高めのストレートを多めにな」
こくりと頷く孝司は、大豊がアジャストしてくるのに、そう時間はかからないだろうと見ている。
先頭打者が一番からのこの回、何かを仕掛けてくる。
そして秦野は文哲に肩を作らせる。
相性で言うなら、淳が一番失点の期待値を低く出来る。
だが強打のチームと当たるたびに、淳ばかりを投げさせるわけにはいかない。
それに淳のような軟投派の技巧派は、なぜか打ててしまう人間が一定数いるのだ。
四回の表から、ユーキは肩で息をしだした。
短いイニングではあるが、明らかに疲れている。
この甲子園のスタンドは、あまりにも高い。まるで壁のようだ。
監獄の中でピッチングをしているような、そんな異常な雰囲気がある。
甲子園が特別だという意味が、ようやく分かってきた。
だがこのプレッシャーの中でも、ユーキのピッチングは鈍らない。
球が高めに浮いてくれば、それを計算に入れた上で配球を組み立てる。
打たれればまずいはずの高めでも、ボール球を振らせれば武器になる。
そして低めに落ちるスライダー。
ムービング系のボールと比べても、さほど負担は変わらない。
ただあまり多投すると、指先が攣ってくる。
右打者へはツーシームが有効だが、へっぽこカーブとへっぽこチェンジアップは見せ球としてしか使えない。
ただこの見せ球を打たれて、ライト前のポテンヒットになる。
ワンナウトからランナーが出た。
大豊は強打のチームだが、送りバントなどもそこそこ使ってくる。
だが三番から五番までは、バントの記録はない。
(バントしてくれたら、三番でアウト一つ取れるからありがたいんだけど)
縦のスライダーについてきて、その打球が一二塁間を襲う。
飛び込んだ哲平がこれをキャッチし、二塁カバーの悟へ送る。
ここでフォースアウトは取れたが、一塁はかろうじてセーフ。
ツーアウト一塁で四番。
むしろ二塁にランナーがいた方が、歩かせやすかったか。
だがこの四番を前に、ユーキの荒い呼吸が止まる。
集中力が、精神的疲労を凌駕する。
野球選手としてさえ未熟でありながら、明らかなピッチャーとしての才能。
浮いていたはずのストレートが、しっかりと地を這うように低めに決まる。
低いかと見逃したはずの球がストライク宣告され、ホップ成分を意識する。
そこへチェンジアップ。
強いゴロはファースト正面で、宇垣はそれをちゃんとキャッチ。
そのままベースを踏んで、スリーアウトチェンジとなった。
充分すぎる内容で、ユーキは四回を投げた。
五回まで投げられれば最高だと思っていたが、四回で無失点ならこれも及第点以上だ。
次の回からは、文哲が投げる。
点差は小さいが、そろそろこちらも向こうのサウスポーに慣れてきたし、打球自体はかなり強いものが飛んでいるのだ。
ヒット性の当たりこそが、野手の正面を突いてしまう。
そんな偶然はあり、それこそを流れなどと言ってしまうのかもしれないが、流れは意識しなければ流れではない。
むしろここで四番を打ち取ったことをこそ、こちらの流れとしたい。
試合展開は押しているはずだが、点差は広がらない。
だがあちらのピッチャーも、既に疲れは見えてきている。
サウスポーで左打者相手には有利と言っても、ここまでジャストミートが多ければ、プレッシャーは大きいだろう。
追加点が取れればこちらも楽になるのだが、下位打線はあまり連打で点を取る構成はしていない。
ただ、一発はある。
左相手でもさほど不利を感じない、トニーのフルスイング。
引っ張った打球がポール際に入り、この試合二本目のホームランとなった。
強打のチームだとは分かっている。
単なるフルスイングなのではなく、ミートした球を振り切るのだ。
パワーに優れているのではなく、スイングを改善して強い打球を生み出す。
こういうチーム相手には、文哲は球数を使って、しっかりと一人ずつ片付けていく。
一度勢いを許せば、一気になだれ込んでくる心配はある。
繊細なピッチングで、ボール球を上手く振らせたりもする。
「振らせればボール球もストライクだろ」
ジンの言っていた言葉は、文哲のコントロールがあれば実行可能だ。
右打者の多い大豊には、スライダーでアウトローを攻めやすい。
内角と外角を、上手く使って攻める。
カーブを高めに使うが、これも打ち損ねが多い。
ただスイングが鋭いだけに、打ち取ったと思っても内野の頭を越えていったりする。
しかし連打さえ許さなければ、それでいい。
三塁までは進めても、ホームは踏ませない。
四点目が入る。
一点が入れば一気にそこから同点、逆転と突き進むのが、追いかける時の大豊の得点パターンだ。
だがその一点が遠い。
大豊の打力は、単純にストレートに強いというものではなく、緩急をじっくりと待ってスイング出来る強さだ。
バッターの選球眼がよく、ボール球を振らせるのにも組み立てがいる。
そしてその組み立てを、集中して最後まで続けられるのが文哲のピッチングだ。
三イニングあたり投げて交代しても良かったのだが、集中力の途切れないピッチャーは、安心して見ていられる。
このあたり文哲の方が山村より、安心して見ていられる理由だ。
アウトを確実に取っていく。
完封などと欲張りはしない。ランナーを進めても、アウトを積み上げていく。
すると結局点には届かず、イニングが無失点に終わる。
九回の裏の攻撃はなかった。
4-0の隙のない継投で、白富東は一回戦を突破した。
力任せの勝利ではない。
一年生ピッチャーに経験を積ませた上で、さらにそのピッチャーが結果を出す。
強打で鳴らす大豊を、無失点で抑えたのは驚きであった。
球速などより大切なものがあると言わんばかりに、二番手ピッチャーはヒットを出しても点を取らせない。
無理に失点を防ぐのではなく、淡々とアウトを積み重ねていく。
その確実性を、指揮官も選手も守っているのが恐ろしい。
確かに去年までに比べると、爆発的な力はなくなった。
だがセンバツで負けた帝都一に対しては、関東大会で勝利している。
一年生ピッチャーが四回を投げて無失点など、新しい戦力も加わっている。
三年の左右の二枚を使わなくても、強打のチームに勝ってしまう。
センバツで負けはしたが、点差はわずかに一点。
今年も白富東は強い。
驚異的なスタープレイヤーは減ったのかもしれないが、チーム力ではそれほど劣るとは思えない。
もちろんプロ入り選手を二人出し、届を出せばこれもまた一位指名されたであろう、一人を擁していた時の方が、戦力は高かったのだろうが。
圧倒するのではなく、堅実にアウトを取っていく。
そして打撃では、連打もあればホームランもある。
歩かせたら走ってくる三番バッターがいるというのは、なんとも強力だ。
白石大介の後継者と言ってもいいぐらいに、ホームランも量産している。
だが勝利後のお立ち台でも、秦野は気を抜かない。
これまでと違いこの大会は、最後には精神力の勝負になりそうな気がする。
白富東は精神論を廃止、まずはフィジカルと技術に重きを置く。
メンタルもまた、テクニックの一つだと捉えているのだ。
二回戦の相手は、理知弁和歌山と決まった。
強打のチームと言われているが、それはもう大豊以上と言っていいだろう。
噂によると攻撃時のサインは、打てとバントの二種類しかないのだとか。
それでも和歌山では最強を誇り、21世紀以降も甲子園で準優勝にまでは進んでいる。
それより少し前には、優勝も複数回経験しているのだ。
攻撃の種類が二つしかないというのは、雑なわけではない。
秦野も知っているが、あえて選択肢を二つにすることで、打者に余計なことを考えさせないようにしている。
そして何より、今日勝った大豊の監督は、理知弁和歌山出身なのだ。
つまりより純化された打撃のチームと、白富東は対戦することになる。
さすがにここは、エースを出さないとダメだな、と秦野は覚悟を決めるのであった。
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