第85話 群像

 1-0でリードした八回の表、ワンナウト三塁。

 三振と内野フライは厳禁だ。

 クリーンヒットなら間違いなく100点だが、内野ゴロでも大石の足なら帰って来られる。

 一回戦はわずかに守備に就いた宮武だが、打席に立つのは初めてだ。

 甲子園のこの舞台で、監督は自分を使ってくれている。


(欲張るな)


 一点。先発のトニーを引っ込めて、宮武を使う理由。

 ミート力、あるいはバントなどの小技。

 相手のエース寺内の球種の中で、一番怖いのが大きく落ちるスプリット。

 自分よりもはるかにバッティングセンスのある悟が、あれで空振りを取られている。

 だがランナーが三塁にいる状況で、大きく落ちる球が使えるか?


 投げてくるとしたら、他にどんな球がある?

 手元で曲げてきたら、こちらはゴロを打つ。なんとか空振りか、内野フライを打たせたいはずだ。

 ただ、こちらがこう考えてくることすら、向こうも考えているかもしれない。




 宮武はそれなりに名の通ったシニアのキャプテンとして、有名校への進学の話が出ていた。

 それを断ったのは、県内の私立であり、それは即ち、白富東に勝たなければ、甲子園に行けないと思ったからだ。

 そして自分の力で白富東を破ろうなどという、傲慢な若さを持っていなかった。


 ある意味、計算高かったのだ。

 それしか選択肢がなかった悟や、名門の監督が気に入らないからやめた宇垣とか、もっと伸び伸びやりたいと思った大石とかとは、計算高さが違う。

 実際にここまで、その計算は間違っていなかったと思う。白富東は宮武が入ってからも三期連続で、甲子園に出場している。

 戦力にはなれなかったが、一年の夏には優勝していた。


 そしてこの二年の夏。

 ベンチ入りはしたが、出場の機会は多くなかった。

 県大会ではピッチャーになったり、代走や守備固めなどで使われたが、打撃はあまり期待されていないようだった。


 だが、この場面で代打に出されるということ。

 トニーに代わって出されるのだから、秦野の考えていることも分かるのだ。

 ベンチに座っていた秦野が立ち上がり尻のポケットに手を入れた姿勢で、こちらを眺めている。

 具体的な指示はないが、ここで何をするべきかは分かっている。


 ホームランも打てるトニーではなく、自分が打席に入った理由。

 県大会では一本放り込んだが、甲子園のスタンドは遠い。長打を望まれているわけではない。

 だからミートして、確実に点を取る。

 一点でいいのだ。それで勝利はぐっと近付く。


 だから読む。

 相手のベンチからも、伝令は出た。

 秦野は事前にミーティングで、明倫館というチームについて説明もしている。

 一番大事なのは、もちろん選手の情報もだが、監督の情報だ。


 どういう状況で、どういう作戦を立ててくるのか。

 一言で言うと、自由自在。

 その年ごとに、メンバーの特性に合わせて、戦法を変えてくる。

 攻撃においても守備においても、そのメンバーの能力に合わせてチームを作る。

 名将の器だと言えるし、あの白石大介の父親というのも頷ける話だ。

 元プロ野球選手で、事故さえなければという人でもあるらしいし。




 ここで上手く宮武をアウトにする方法。

 三振か内野フライ。最悪でも浅い外野フライ。

 内野も外野も前進守備をしているので、基本は内野ゴロ警戒か。


 前に出たファーストとサードの横には打ちたい。

 下手に強すぎる内野ゴロだと、ホームで刺されるかもしれない。

 おそらくはストレートをメインに使ってきて、スクイズも警戒するとしたら、高めにストレートを投げてくるか。


 そして高目から、低めのストライクゾーンに落ちるスプリットも考えておいた方がいいだろう。

 ワンバン捕球はさすがに怖いが、低めになら決めてくるかもしれない。

 ストレートと、高めから大きく落としてくるスプリット。

 この二つ以外なら、どうにか内野ゴロは打てる。


 だが、その選択肢だけに囚われてはいけない。

 好球必打で一点は取れるし、外野フライを打ってもいいのだ。

 ツーストライクまではやや広く意識を持つ。

 本命は内野ゴロだが、他の可能性も考える。


 寺内が構える。

 集中し、反応しろ。

 高め。だがこれは落ちる!


 宮武は、落ちたスプリットを強く地面に叩きつける。

 マウンドで跳ねたボールは、セカンドの手前でバウンドする。

 大石はボールが当たった瞬間、ダッシュをかける。

 明倫館のセカンドは、ボールを素手でキャッチしたが、間に合わないタイミングか。

 それでもキャッチャーに送られたボール。大石はキャッチャーの横を通り過ぎる。

 審判のコールも聞かず、キャッチャーはファーストへ送球。ここはアウト。


 しかしホームの判定はセーフ。完全に間に合っていなかった。

 2-0と、点差が開いた。




 初球から打ったか。

 秦野は感心し、大きく息を吐いた。

 大石もナイスランであったが、やはり宮武のバッティングが良かった。

 沈むスプリットと見て、確実に叩きつけるようにボールを打った。

 フライボール革命で飛ばすスイングばかりをしていては、打てない打球だったろう。


 もちろん試合はまだ終わっていない。

 二点差などというのはワンチャンスであり、残りの二回にそのワンチャンスを作るのは難しくない。

 スリーアウトになって、攻守交替。

 相手が左打者からであるので、まずは山村に任せる。

 そしてこちらは、ユーキもブルペンで肩を作らせる。


 基本は山村と文哲だ。その組み合わせでどうにか守り勝つ。

 だが相手はいきなり、左バッターに右バッターの代打を出してきた。

 県大会ではスタメンでも出ている。打撃成績は悪くない。

 いかにも左殺しというわけで、秦野は孝司の視線に頷く。


 先頭打者であるが、最悪歩かせても構わない。

 次の打者も左であるが、さてまだ仕掛けてくるか?


 慎重に投げて、ボール先行の後の四球目。

 カーブが斜めに膝元に入っていく。

 これを痛打したが、サードの久留米は間に合わなくても、悟がスライディングしながらキャッチする。そこからバネで飛び起き、ファーストへと送球。

 左に対して出した、右の代打をアウトにした。




 たった一人を打ち取っただけで、山村は消耗する。

 残り二イニングを投げることなど考えず、常に目の前のバッターだけに全力を尽くす。

 この左バッターには代打はない。三番打者なのでそれはそうだ。


 ここを乗り切れば勝てる可能性が上がる。明倫館はとにかくここで同点にはしたいはずだ。

 クリーンナップは、さすがに替えることが出来ない。

 だがここはもう、博打のように攻撃だけを考える場面だと思うのだが。

(九回に代打を出してくるのか?)

 だが下位打線では、一点を取るのが精一杯だと思う。

 ここからランナーが埋まった状態なら、寺内の一打逆転もありうる。

 

 ここまで寺内はヒット一つで出塁と、当たり自体は悪くない。

 だがピッチャーとしても消耗してきているので、かなりスタミナや集中力には問題があるのではないか。

 それでも代打など送る余裕は、明倫館にもないだろう。

 秦野はそんなことを考えるが、とにかく目の前のバッターを一人一人打ち取っていってもらうことを祈るしかない。


 試合の内容的には、2-0でリードはしているものの、トニーはそこそこ打たれたし、ランナーも三塁まで進んだ。

 それでも失点しなかったのは、トニーがぎりぎりの場面では、ちゃんと三振が取れたからだ。

 守備シフトで満塁策の成功などは、結果オーライの要素が強い。


 そう、試合の内容なら、互角か負けていた。

 それでも得点は防ぎ、実際はリードしているあたり、野球と言うスポーツは不思議である。

 そして厄介な三番の品川は、内野ゴロに倒れた。




 よりにもよってツーアウトから、山村は四番に対してフォアボールを出す。

 ツーアウトながら、バッターは長打の打てる寺内。

 ピッチャーとして消耗していても、瞬間的な力は持っている。

 ホームランでもまだ同点なのだが、寺内は左ピッチャーには強いという統計も出ている。


 秦野はここでまたピッチャー交代、文哲がマウンドに向かう。

 ベンチに戻ってきた山村は、二つのアウトを取っただけで憔悴している。

 代打と品川を打ち取ってくれて、それだけでも助かったのだが。

「ユーキ、肩を作れ」

 寺内を打ち取れば、残りは下位打線。

 おそらく代打攻勢になるだろう。

 文哲に任せるのは、絶対に長打だけは、特にホームランだけは打たれないこと。

 しかしこの精密なピッチングをするピッチャーは、期待に応えてくれる。


 初球から高めに投げて、それを寺内は空振りした。

 あえて高すぎる高めで、寺内を釣ってやったのだ。

 これであとは低めを有効に使える。


 だがここから寺内は、わずかに外れるボール球を見極める。

 ボールが先攻して、そこからフォアボール。

 同点のランナーが出たが、ツーアウトで寺内の打席は終わった。

 明倫館は左の代打を出す。これもまた打撃にリソースを振ったような選手だ。

 これに対してバッテリーは、コントロールで勝負する。


 向こうのバッターも打ちたいだろう。九回が下位打線になれば、まともに打って点を取るチャンスはなくなる。

 使える代打は、これまでに先に使っているはずだ。

 そんなバッターの心理も働いたのか、バテリーはわずかに外れたボール球を振らせる。

 セカンドゴロに対して全力で走るが、慌てずに一塁に投げてアウト。

 おそらくこれで、勝負は決まった。




 苦しい試合だった。

 トニーがランナーを出しながらも、どうにか七回までを無失点で抑えてくれたことが大きい。

 一人ランナーに出れば、岸の五打席目に回る。

 それを見越して、ユーキには変わらずに肩を作らせる。


 代打のところで守備位置が入れ替わり、白富東も追加点のチャンスではある。

 先頭打者の哲平がクリーンヒットで出塁し、ノーアウト一塁で悟という場面。

 ここでもう一点入れば確実に決まるのだが、寺内は最後のガソリンを燃やして、セカンド正面のダブルプレイで攻撃を封じる。

 久留米もセンターフライに倒れて、九回の裏へ。


 打順は七番からで、早速代打が出る。

 しかしこれは文哲が内野ゴロに打ち取る。

 一塁へのヘッドスライディングが、また九回には見られるようになる。

 普通に走り抜けた方が速いとも言われる。

 だが最終回の高校球児は、ヘッスラをやめられない。


 文哲は不用意なフォアボールを出さない。

 ホームランさえ打たれなければ、守備がどうにかアウトにしてくれる。

 特に内野に打たせるのだ。白富東の二遊間は強い。


 ここからの逆転があるのが甲子園だ。

 しかし実際は順当に勝敗は決着する場合が多い。

 劇的であるがゆえに記憶に残るが、実際には順当に終わることの方がずっと多い。

 一番嫌なバッターである岸だが、長打力はない。

 前にランナーがいるなら、その足を活かすことも難しくなるだろう。

 スリーアウトを取るためなら一点はやっても構わない。


 孝司のキャッチャーとしての性格は、やや強気といったところだ。

 文哲のようなコントロールが良く、際どいコースに投げてくるピッチャーとは、割と相性がいい。

 それにこの極限状態では、フォアボールを出さないピッチャーというのは強い。


 性格とコントロールは全く別のものかもしれない。

 だが気の強いピッチャーでなければ、際どいところに投げるのを嫌がることはあるだろう。

 気が強くてコントロールがいいというのが、孝司にとってのいいピッチャーだ。




 ネクストバッターサークルで、岸は最後の代打、思い出代打が出されるのを見ていた。

 まだ二点差で、一人出れば上位打線に回るのだが、バッティング特化の選手はもういない。

 本来ならば守備固めで使う、足の速い選手を、最後のバッターとして送り出すこと。

 内野安打で塁に出ることの方が、普通に打っていくよりはありえるのか。


 文哲はバンバンと三振を取っていくピッチャーではない。

 だからこそ内野も、自分のところにボールが来いと念じてみる。

 自分のところに転がれば、必ずアウトにしてやる。

 そんな気合の中、最後のバッターの打った打球はピッチャー前へ。


 フィールティングも上手い文哲は、ここで変なミスをしない。

 明倫館ベンチでは、ミスをしろと祈っていたかもしれないが、ここからどうやったら変なミスが起こるのか。

 一塁ベースに突っ込む、はるか前でファーストミットにボールが収まっても、スライディングをせずにはいられない。

 今年もあったその光景によって、試合は終わった。




 ロースコアゲームになるとは思っていたが、ここまで一点の大きなゲームになるとは。

 どうにかこれでベスト8進出だ。

 だが今日のイベントはまだ終わっていない。


 第三試合は帝都一と、愛媛の斉城の戦い。

 前評判は帝都一有利であるが、なにしろ愛媛県は野球熱の高い土地だ。

 過去に何度も全国制覇をしていて、帝都一でも侮れる相手ではない。


 だがその試合の間に、準々決勝の組み合わせが決まる。

 昨日行われた試合の勝者の中では、名徳と福岡城山が第一試合、第二試合が桜島実業と聖稜に決まった。

 そして瑞雲が第四試合。

 白富東はキャプテンの孝司が引く。

(第四試合、第四試合)

 瑞雲も強いことは強いのだが、帝都一や大阪光陰に比べればマシである。

 だが無情にも、白富東は第三試合。


 すると大阪光陰か、帝都一か。いや、まだ勝ちあがってくるとは限らないのだが。

 一応帝都一には春季大会で勝ってはいるが、向こうも甲子園に合わせて調整してきているはずだ。

 そして、試合順に水戸学舎のキャプテンが引く。

 水戸学舎と大阪光陰の勝者が、第四試合となった。

 つまり準々決勝の相手は、高確率で帝都一。


 センバツではベスト4で当たったが、この大会ではベスト8での対決となるのか。

 今日と明日の連戦となるが、それは向こうも同じこと。

 ユーキと淳が温存されているし、文哲と山村も長いイニングを投げたわけではない。

 おおよそピッチャーの悪くない状態で当たることが出来る。

 対する帝都一も、堀田を今日は先発させていない。

 むしろセンバツで負けた青山の方に、白富東の苦手意識はあるのだが。


 この日、当たり前のように帝都一は勝ちあがり、大阪光陰は延長を制して勝ち上がった。

 三強と呼ばれていたチームが、ようやく準々決勝で対決することになる。

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