第86話 お隣さん戦争

 白富東は千葉県のチームであり、帝都一は東東京のチームである。

 つまりこの二チームの対決は、隣り合った地区のチームの対戦になるのだ。

 チーム同士の仲は、ほどほどに良く、ほどほどに悪い。

 関東大会のみならず、練習試合を含めた合同練習などもやっていて、それでいて関東大会で当たることもある。

 春のセンバツでは帝都一が勝利し、そのまま全国制覇を成し遂げた。

 そしてその後の関東大会では、白富東が勝利した。


 春の大会など、オマケのようなものである。

 負けた帝都一だけでなく、勝った白富東も、さほど重要視してはいない。

 ただとりあえず、苦手意識が生まれなくて良かったとは思う。


 戦力を冷静に見れば、ほぼ互角と言っていいだろう。

 実際に各種野球雑誌では、この二校を三強の中の二つとしている。

 あとは日奥第三や名徳、明倫館あたりが強いとはされていた。

 まあこのあたりまでに来ると、どこが勝ってもさほどおかしくはない。


 宿舎に戻り、秦野は国立と共に、淳、孝司、哲平の頭脳陣と会議を行う。

 もっとも帝都一の戦力は春までとさほど変わらないし、都大会で傑出した力を見せた一年も、既に分かっている。

 今から新しい情報を調べることはない。

 そして事前に出していた結論、特効薬的な効果のある作戦もない。


 帝都一は堀田と青山に加え、一年のピッチャーもベンチ入りしている。

 甲子園でも投げているが、まだ発展途上というイメージしかなかった。

「今日は青山が先発し、堀田につなぐリレーだった。おそらくスタミナ切れはない。明日はどちらが来るかだが」

 センバツで負けた時は、理由はあったら青山を打ち崩せなかった。

 かといって春に堀田には勝ったが、完全攻略というわけでもない。


 真正面からの、本当に無策の勝負になるかもしれない。

 だが最低限、考えておけることはある。

「先発は誰でいきます?」

「俺だろ」

 孝司の問いに淳は澱みなく応じ、秦野も頷く。

「基本的にはな。だが途中で休みを入れるかもしれない」

 秦野の言葉に、淳は少しだけ眉をしかめた。

「トニーは基本的には使わない。それで、途中でユーキを使う」

「目先を変える?」

「そういうことだな」

 言いたいことは分かる。


 淳のピッチャーとしての強みは、標準からの逸脱にある。

 他のピッチャーにバッピをしてもらうにしても、どうにも上手くはいかない。左のアンダースローで、腕が長き、下半身が柔らかいからだ。

 だが帝都一レベルになれば、既に対戦していることもあるし、試合の後半には慣れてくるかもしれない。

 しかしその珍しいタイプの逸脱から慣れたところに、よくあるタイプの逸脱を持って行けば、また対応が難しくなるだろう。


 ユーキのボールは球速ではトニーにはっきりと負けているのだが、打ちにくいストレートを球威と呼ぶのであれば、トニー以上と言っていい。

 トニーはトニーで身長から角度をつけて投げてくるので、やはり標準からの逸脱はあるのだが。

「守備のポジションが問題になりますね」

 孝司が言うように、相手バッターによって、相性のいいピッチャーを使いたい。

 具体的には左のバッターには、出来るだけ淳を当てたいのだ。

 ただそれもずっと続けるわけにはいかない。

 相性が良くても、慣れてしまうからだ。


 ベンチとバッテリーの間の意思疎通で、選手起用を変えていく。

 はっきり言って面倒だが、これもまた勝つためだ。

「最初は淳が先発となると、ユーキはベンチですか?」

 守備力に関しては、ユーキもそれなりに鍛えてある。

 元々の身体能力が高いため、高い判断能力の必要なポジション以外はこなせる。

 具体的にはサードかファーストを意識しているのだが、ファーストはなんだかんだボールに触れる機会が多く、カバーが難しかったりする。

「最初からサードで使う」

 秦野の言葉に、三年はまた少し顔をしかめる。

 久留米を外すのか。だがすると打線もいじることになる。

「バッティングよりは、セットプレイが重要になるな」

 秦野もまた、難しい顔をしていた。




 大会12日目は、八強の対決が全て見られるため、人気の高い日である。

 第一試合の福岡城山と名徳の試合は、名徳が勝利していた。

 ここもかなりの接戦で、福岡城山の強打を、名徳のエース古沢が、2-1でよく抑えたと言うべきか。

 だが球数はそれなりにいっていて、エースと二番手との差が大きい名徳は、一日の休養日で古沢がどれだけ回復するかが鍵であろう。


 二試合目は桜島と聖稜の試合で、聖稜の恩田がどれだけ桜島打線を抑えられるかが、ポイントと思われていた。

 試合は序盤は聖稜の有利に始まり、恩田も桜島を抑えて、二点を先取して終盤に入る。

 三点目を追加して、これは聖稜が勝ちあがるかと思われたが、八回にわずかに恩田の球威が落ちたところを、桜島が見逃さなかった。

 連打を浴びたエースを、交代させる勇気を監督が持てなかった。

 この回で一気に逆転した桜島が、最終回でさらに突き放し、6-3で準決勝進出を決めた。


 まだ準々決勝は二試合残っているのだが、ここでくじ引きがされる。

 準決勝第一試合目は、桜島実業 対 大阪光陰と瑞雲の勝者。

 そして二試合目は名徳 対 白富東と帝都一の勝者と決まった。


 まだしもマシと思うべきか。準決勝で大阪光陰との試合で消耗したあと、桜島の打線に当たることなどは考えたくもない。

 だが桜島相手には、これまた淳が相性がいいと思うのだ。

 そう思えば少しは楽になったと考えられるか。


 そして準々決勝第三試合。

 白富東と帝都一の試合が始まる。




 この試合において白富東は、スタメンを変更してきた。

 

 1 (一)宇垣 (二年)

 2 (二)青木 (三年)

 3 (遊)水上 (二年)

 4 (捕)赤尾 (三年)

 5 (左)駒井 (三年)

 6 (右)トニー(三年)

 7 (中)大石 (二年)

 8 (三)聖  (一年)

 9 (投)佐藤 (三年)


 ポイントは淳とユーキを入れ替えることを、何度か行うと念頭に入れてあること。

 打撃に期待できる久留米を、代打として残しておく。

 右打者の久留米は堀田にも、左のサイドスローの青山にも苦手意識はない。

 どこかで出たら、そのポジションには佐伯を守備特化要員として入れたらいい。

 そして佐伯の打順でチャンスが回ってきたら、宮武を代打で使う。

 そのまま宮武が守備についてもいいし、外野なら平野あたりが入ったらいい。


 選手起用は監督の采配の大きな部分だ。

 ここで勝負が決まってもおかしくない。

(なんだかんだ言って去年までは、ほとんど代打なんて使えなかったしな)

 去年はスタメンが、最初からかなり打てるメンバーだったからだ。


 何気にこの試合は、孝司への負担が一番大きい。

 継投でピッチャーが代わることは知らされているし、四番を打たなければいけないからだ。

 確かに秋は普通に四番を打っていたが、帝都一相手にはキャッチャーに注力したかった。

 だが無理をせずに勝てる相手ではない。


 帝都一の先発は堀田。

 あるいは帝都一は、白富東よりも手強い相手と戦ってきたかもしれない。

 一回戦が宮城の雄仙台育成で、二回戦が名門の立生館。

 そして三回戦は愛媛の名門斉城で、それなりに苦しい試合ではあったはずだ。


 白富東はここまで、実は全試合無失点である。

 しかし4-0、3-0、2-0と少しずつ点差が縮まっているため、余裕がなくなってきているとも言える。

 何かの間違いで瑞雲が勝ち上がってくれれば一番楽だな、と秦野は考えている。

 だがこの組み合わせだと、桜島か大阪光陰だろう。

 大阪光陰が勝ちあがってくれば、また白光戦となるわけだが……。


 まずは目の前の一戦に全力を尽くす。

 先攻は白富東である。




 先制点がほしいこの試合で、思わぬところから点が入ることもある。

 先頭の宇垣が凡退し、堀田のストレートに合わせた哲平の打球はレフト方向に流れて、そのままスタンドインした。

 これで甲子園で通算三本を打ったことになる哲平である。


 ガッツポーズで戻ってきた哲平は、ベンチでバシバシと叩かれるのだった。

 完全な出会い頭ではあるが、スタンドに運べるのは哲平のパワーである。

 レフト方向に流れて、風が味方したとも言えた。

 だが最低限の実力がなければ、甲子園でホームランは打てない。


 こういった一打が、あるいは試合を決めることもある。

 延長などに入れば、ホームランであっさり終わることもあるが、初回の一点はあまり深く考えることはない。

 試合の流れなどとは無関係の、偶然の一打である。

 下手に調子に乗るかもしれないかと思ったが、むしろ入れ込んでいたぐらいのナインが、少しほっとしていた。

「まだ一点だぞ。もう一本出れば嬉しいけどな」

 秦野はそう言ったが、悟は外野フライに倒れて、初回はまず一点だけ。


 こういった予期しない得点があると、下手にうかれることもある。

 ベンチに空気を引き締めて、秦野は選手たちをグラウンドに送り出した。

 帝都一のベンチからは、松平が感情のない顔でこちらを見ている。

 人を殺しそうな顔をしているが、それぐらいの気持ちではあるのだろう。




 先発の淳の調子は、かなりいい。

 昨日の試合を完全に休めたのが大きい。球は相変わらずの軌道である。

 これに対して帝都一は、待球策を採ってきた。

(やな感じだが、淳はそれなりに体力はあるぞ)

 少なくとも150球まではしっかりとコントロール出来るし、球威で勝負するタイプのピッチャーではない。


 孝司は慎重に考え、大胆にリードする。

 秦野はああ言っていたが、孝司としてはユーキのピッチングには、そこまでの信頼を置いていない。

 もちろん実力はあるし、ポテンシャルもすさまじいものだとは思う。

 しかし今の時点では、戦力としてはかなりリスキーなのだ。


 それならば淳と同じ技巧派で、文哲を使った方がいい。

 文哲のピッチングであれば、かなり統計的にいい数値が得られるだろう。

 ただバッターを圧倒するというタイプのピッチャーではないだけに、失点することも織り込んでいかないといけない。

 哲平のまさかの先制弾で、こちらはその分有利だ。

 出来れば淳を完投させて、他のピッチャーには期待したくない。


 孝司にとって淳は、知っている中で最も、エースらしいエースだ。

 直史や岩崎、それに武史と比較しても、チームを自分が背負うという意識が強い。

 直史などはチームの他の誰も背負わず、一人で戦っていた印象が強いが。


(攻めていこうぜ。狙うは完封だ)

 孝司のサインに淳が頷き、大胆なコースに投げ込んでくる。

 キャッチャーは強気、ピッチャーは自信家。何かあったら崩壊しそうなバランスであるが、この二人の相性はいい。

 帝都一の選手を、ガンガンと凡退させていく。


 白富東の打線は、じっくりと堀田のボールを見ていく。

 センバツで負けた青山の方が、苦手感はあったかもしれない。だが堀田もまた優れたピッチャーだ。

 プロ注目のこのピッチャーを、白富東は少しずつ削っていく。




 この削りあいの試合は、両監督も不動の構えである。

 国立などは秦野も松平も、よく落ち着いていられるなという気分にはなる。

 だがそんな国立も、選手たちに不安を与えないように、じっと我慢している。


 口を開けば弱気の発言が出たりするかもしれない。

 三里の監督であった時代から、国立はグラウンドでもベンチでも、深刻な顔をしないようにしている。

 秦野の表情は硬いが、それが選手に伝染することもない。


 試合の動きはさざなみのようなものだ。

 どちらかに傾きかけるように見えて、実際は単に満ちては引いていくだけ。

 一点リードしているとはいえ、このままの状況でいいのか。

 なお松平が余裕の表情でいられるのは、負け慣れているからだ。

 帝都一の監督として30年。もちろんそのほとんどは負けて最後の夏を終えてきた。

 全国の頂点に立つのは、ただ一校であるからだ

 負けるのは仕方がない。全力を尽くしても、及ばないものはある。

 あとはどうそこから経験を取り出すか。


 秦野ももちろん敗北は知っている。白富東だけではなく、昔日本にいた頃から、何度も敗北はしてきた。

 最後の夏を終える三年の苦しみは知っている。

 だがこの白富東においては、二年連続で最後の夏を勝利している。


 高校野球で一番勝ちたいのは、監督だとも言われている。

 トーナメントを勝ち進むのだから、負ければほとんどはそこで終わりだ。

 選手たちに比べると、監督の方が何度も、公式戦の最後を敗北で終えているのだ。


 試合は小さな駆け引きで動かない。

 ランナーを進めるのと、アウトを重ねるのを、どちらのチームも間違わない。

 そして五回までが終わる。

 白富東としては、まるで昨日の試合の再現である。

 次の一点を取った方が、この試合を制する。

 だがここまで重たくなってしまった試合は、帝都一側から見ても面白くないだろう。

 何よりこのままなら、白富東が勝つのだから。


 お互いのチームの意識が、勝利に向けて一丸となっていく。

 この試合に勝つための機械になるのが、秦野にとっては面白い。

 チーム全体が一体となったような感覚。

 言わば全員が、ゾーンに入ったのと同じ状態。


 試合は終盤に入る。

 白富東のリードは変わらず、両者に大きな動きは見られない。

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