第84話 僅差
白富東の先発はトニー。
この最後の夏、150kmを投げられるピッチャーの一人である。
面白いもので傑出したピッチャーがいるとそれに合わせたように、他の場所にも優れたピッチャーが現れたりする。
上杉勝也のデビュー以来、毎年のように優れたピッチャーが輩出されていっている。
その中で白富東は、外国人傭兵を連れて来るという、だいたい眉をしかめる補強を行っているが、日本全国から素材を集めまくるチームと、何が違うのか。
身長2mオーバーで、150kmオーバーのストレートを投げるトニーは、将来的にはMLBに入るのかもしれない。
だがとりあえず今は、甲子園の舞台で頂点を目指す。
15球を投げて、一番の岸をようやく打ち取る。
ピッチャーの多い白富東に対して、待球はそれほど有効な策ではない。
ただ単純に、岸が異常に粘り強い打者なのである。
県大会では出塁率が七割と、もう最初から歩かせた方が、ピッチャーが消耗しないだけマシと言われる選手。
そして塁に出ると、高確率で盗塁を狙ってくる俊足。
明倫館の攻撃の中心は、岸が塁に出てからどう動くかにかかっている。
なのでどれだけ球数を使おうと、塁に出さないことが重要だ。
(とは分かっているけど、ほんとに厄介な先頭打者だな)
センバツで大阪光陰が決勝で帝都一に負けたのは、準決勝で岸に粘られまくった緒方が、消耗していたからというのもあるだろう。
二番三番四番とアベレージヒッターを置いて、エースの寺内は長打も打てる五番。
だが打撃においては三番の品川が、一番厄介なのである。
とにかく点を取ることを、様々に想定して考えられたチーム。
長期的に育てられるチームというのは、こういう仕上げ方が出来るのである。
とりあえず秦野は、この試合は継投を覚悟した。
勝てば連投になるので、出来れば淳は投げさせたくない。
だが負ければそこで終わりである。投げることも覚悟してもらう。
一回の裏は三者凡退に抑えた。
だが三番の品川にも、10球粘られている。
(五回ぐらいを目途に継投か……)
幸いと言うべきか、明倫館には左の打者が多い。
山村を上手く使って一イニングか二イニング凌げば、それだけ後のピッチャーは楽になる。
その間にまず、先制点だ。
まるで仕返しのように、先頭打者の久留米が粘っている。
だがこれは別に仕返しでもなく、久留米というバッターがそういうスタイルなのだ。
好球必打。これが打率を上げ、クリーンヒットを打つ基本である。
久留米は追い込まれたら、難しい球をカットしていく。そしてその中で、甘い球をヒットにする。
天性の才能というわけではない。
ひたすら粘り強く打っていく。
偶然かもしれないが、そんなバッターが四番を打つのは、鬼塚に続いて白富東の特徴のような気もする。
粘りに粘った12球目が、ライト前のヒットになる。
ベースの上で小さくガッツポーズをする久留米。
相手が粘ってくるなら、こちらはそれ以上に粘って出塁する。
「タフな試合になりそうだな……」
秦野の言葉は当たる。
先制点自体は、そこそこあっさりと入った。
久留米がランナーとして出た後、秦野は迷った末に五番の駒井には送りバントの指示。
しっかりと駒井が送って、ワンナウト二塁となる。
これが試合の終盤であれば、久留米には代走を送っていたことだろう。
(長谷を代走の切り札として入れておくべきだったかな)
足の速さでは佐伯や宮武、山村などが、明らかに久留米よりは速い。
だがこの場面ではまだ、四番を下げるわけにはいかない。
六番になってはいるが、孝司の打力は久留米以上と言っていい。
そして今日は七番に入っている大石が、内野安打を狙えるぐらいの足を持っている。
ただ内野ゴロで一点を取るには、久留米の足がやはりネックになる。
そう思っていたら孝司がスプリットを狙い打って、レフトオーバーの二塁打。
これで久留米が余裕でホームを踏むことが出来た。
(案ずるより生むが易しってとこか)
孝司にはクリーンヒットまでは願っていたが、長打で帰ってこれるとは思っていなかった。
やはりこいつを六番に置いておく打線は強力だ。
隣では国立もほっとした顔をしており、だいたい同じことを考えていたのかな、と秦野は思う。
「この後の打線が微妙ですからね」
「まあ足である程度選んでるからな」
七番の大石と、八番の平野は、あっさりとアウトになった。
今日の白富東の守備は、やや外野が弱い。
センターの大石は守備範囲が広いのだが、レフトの駒井、ライトの平野と、それほど肩が強くないのだ。
守備範囲は二人ともそれなりに広いのだが、やはり外野の守備が弱点になる。
(平野に加えて……長谷か、あとは一年から大井あたりもか)
意外とユーキも外野は出来たりするので、秋以降の課題になるだろう。
先制点を取ったものの、まだ二塁に残っていたランナーを活かせず、二回の裏に入る。
明倫館の中で一発が怖いのは、五番のピッチャー寺内である。
ただ打率自体はそこまで高くはない。体がでかいから当たれば飛んで行くというだけだ。
打ち損ねは内野フライとなり、ここも問題なく三者凡退。
やや試合は膠着する。
時々ヒットやフォアボールで出塁しても、進塁の間に確実にアウトを重ねて、ホームには返さない守備。
それが両軍共に徹底している。
孝司は必死のリードで、とにかく内野ゴロまでにしとめようとする。
トニーのストレートは球速はともかく、ホップ成分はそこまでではないので、コンビネーションで上手く内野ゴロを打たせることが出来る。
外野が弱いと秦野は言うが、孝司的にはそれは求めるものが高すぎるというものだ。
確かにアレク、鬼塚、トニーのそろっていた去年の外野は、今年よりもはるかに鉄壁であったが。
それでも五回を終えて、どうにか1-0のスコアのまま試合を持ってこれた。
秦野は孝司に確認する。
「どんな感じだ?」
「球は浮いてないし、まだいけるとは思います」
六回の明倫館の攻撃は、右打者の多い打巡からになる。
もしも左の山村を使うなら、もう少し先がいい。
文哲に投げさせるとしたら、また孝司のリードが大変なものになるだろう。
だがキャッチャーが苦労すればするほど、ピッチャーは投げることに専念出来る。
トニーはまだ引っ張る。
コントロールがつかなくなれば、そこでピッチャー交代だ。
文哲と山村、どちらを使うかは相手の打順によるので、二人を交互に準備させる。
(ブルペンがもう一個あったらなあ)
以前にはあったのだが、現在はまた一組分となっている。
白富東がリリーフの準備をしだして、明倫館も動きを見せる。
だがこの場合の動きとは、動かないことだ。
代打の代打は出来るが、リリーフのリリーフは出来ない。
一点差で負けてはいるが、双方ともに点が入りそうな場面はあった。
だがまだ試合が終盤ではなかったため、動けなかっただけである。
接戦では、先に動いた方が負ける。
お互いにエラーがない場合、監督の采配で試合が決まる。
胃が痛くなる。
だが白富東と、この時点で戦えるのはまだマシだと言えよう。
ピッチャーの枚数は、あちらの方が豊富だ。
センバツでも寺内は最後に消耗していたのだから、夏の甲子園ではより体力の温存を考えなければいけない。
おそらくこの試合でも継投をしてくるであろう白富東と、まだ体力の削れていない段階で当たれたのはいいことだ。
(ただ、次に当たるのが三分の二の確率で大阪光陰か帝都一ってのが)
もちろんそこまでに二校が負ける可能性もあるのだが、戦力的には勝ち残るのが自然である。
ピッチャーの育て方と使い方が上手くなければ、夏の甲子園では優勝出来ない。
そして一人のエースに全試合を任せるというのは、今の時代では現実的ではない。
だが現実問題として、エースクラスが何人も揃えられるチームなど、全国からスカウトして集めてくるしかないだろう。
明倫館も控えはいるが、品川以外には完投能力はない。
この先、下手をすれば帝都一、大阪光陰、名徳あたりの全てと戦う必要がある。
いや打線の攻撃力を考えれば、福岡城山や桜島も相当の難敵だ。
それなのに白富東は、バッターが粘り強く球数を投げさせてくる。
甲子園四連覇などをしているチームなのに、チーム全体の意識が驕っていない。
センバツで負けたからというのもあるだろうが、監督の意識が選手に浸透しているのだ。
秦野と大庭は、ほぼ同世代である。
国外での指導法を学んで来たという秦野は、いまだにある程度などの多い監督だ。
だが化け物を抱えていたとはいえ、何かのきっかけで負ける甲子園を、三連覇させた。
そして春もベスト4、今年も一二回戦を完封など、投手運用の力は高いと言っていい。
それに国立だ。
六大学で首位打者にも選ばれた、怪我さえなければプロに行っていた人材。
監督一年目からチームを甲子園に導き、一度校歌を流した。
そんなのが異動で部長になったりするのだから、公立高校は恐ろしいものがある。
試合も終盤に入る。
明倫館のエース寺内は、八回の表に先頭打者をフォアボールで歩かせてしまった。
下位打線とは言え、俊足の大石が一塁に出る。
やや制球が甘くなるのは、おおよそこの七回あたり。
白富東は八番の平野は送りバントの体勢である。
(九番はピッチャーだけど、代打を出すのか?)
大庭は頭脳をフル回転させる。
トニーの球威は落ちていないが、やや制球は甘くなってきたと感じる。
八回と九回を控えか、一回戦で使っていた一年を出してきたら、一点取れるかどうか。
打巡的にどうにかなりそうと思えなくはないが。
平野のバントは上手い。自分自身は尻餅をつくが、バントすら空振りをさせるつもりだったスプリットを、ちゃんとファースト方向に転がした。
完全に二塁は間に合わず、ボールを持った寺内は、憎々しげにファーストへと投げる。
そこで、大石が加速した。
寺内の送球が山なりの、完全に一塁しか見ていないものだったのだ。
ファーストも最初はそれに気付かず、ショートが叫ぶ。
「三つだ! 三つ!」
大石はベースランニングで言えば、悟や哲平も抜いて、白富東では一番速い。元陸上部の長谷よりも速いのだ。
ファーストはカットしてでも三塁への進塁を防ぐべきであったが、山なりのボールが仇となった。
キャッチしてバッターアウトにはしたが、そもそもの送球が高かったこともある。
そこから三塁に投げたが、ここの送球も少し高い。
滑り込んだ大石にタッチは間に合わず、これでワンナウト三塁。
痛い。
来た。
両チームの監督が、ここが勝負どころだと判断する。
「宮武」
秦野はトニーよりもずっと、ミート力には優れた宮武を呼ぶ。
宮武は既にバットを持っていた。
「スクイズはない。転がすか打つかはお前に任せる」
そして大石に対しては、行ければ行けというサイン。
ここで決める。
同時に相手のチームの打順を見て、まずは山村に肩を集中的に作らせる。
八回を山村、あるいは回の途中で文哲に替えるかもしれない。
そしてユーキも使うかもしれないし、淳もまたグラブを持つ。
全てのピッチャーを使う覚悟。総力戦だ。
元々終盤には継投をする予定ではあったが、ここで一点が取れれば、かなり勝率は上がる。
あとは問題は守備だが、それはこのままで行くしかない。
呼吸が浅くなりそうだ。
ふと横を見れば、国立が真剣な顔をしながら、それでも唇の端を笑いに歪めている。
監督じゃなければ楽しい場面だ。
「何か他にありますかね?」
「……この試合に勝つだけなら、佐藤君を使う方がいいでしょうね」
「次に当たるのがどこか分からないですからね」
瑞雲であれば、まだしも打撃力は低い。
しかしその確率は、三分の一だ。
淳は今日は完全に休ませて、明日の先発をさせる。
それでもプロ基準だと中三日なので、かなり厳しいのだ。
だが淳のアンダースローは、基本的には肩や肘への負担が少ない投げ方になっている。
柔軟性と腕の長さが、まさに淳のアンダースローの持ち味なのだ。
直史ならば手抜きピッチングで、連投して完封していた。
武史でもガンガンストレートで押して、少な目の球数で済ますことが出来ただろう。
淳の投げた159球は、他のチームのエースに比べても、休んでいる期間があるだけマシではある。
だがこのベスト16と準々決勝の間に、一日も休養日がないのは辛い。
そこそこ強いチームと一回戦二回戦を戦い、厄介な明倫館が三回戦。
そしておそらく準々決勝は優勝候補と、あまり今回のクジ運は良くない。
だが決定的に悪くもない。
(というわけで、頼むぞ宮武~)
ここで、なんとしてでもいいから点を取ってくれ。
秦野は泰然と腕を組んでいながら、内心では必死で祈っていた。
もちろん明倫館の大庭も、この状況は分かっている。
伝令を出して、基本はホームでアウトと決めておく。
試合を左右する一点かもしれないが、だからといってアウトを取りやすい満塁にするのはありえない。
それをしたらツーアウト満塁で悟に回ってしまうかもしれないからだ。
タフな状況だ。
そしてこういう状況には、白富東の方が慣れている。
あるいはその経験が、勝負を決めるのかもしれない。
(そろそろ優勝したいんだが、次の相手もなあ)
瑞雲と当たりたいと思っているのは、大庭も同じである。
甘く見られている瑞雲がどう思うかはともかく、決着は近付いている。
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