第133話 灼熱の舞台

 雲一つない青空である。

 灼熱のグラウンドに揃った、全国からの49代表校。

 今日は白富東の一回戦を含む三試合が行われるわけだが、これは有利だな、と秦野は判断した。

「有利ですね」

 虫も殺さぬその顔で、国立も同じことを言う。

「相手のピッチャーの情報が確かなら、この開会式の暑さだけでも、体力を消耗するかもしれない」

 白富東は連日追い込み練習をするような、過酷な環境を体験させたりはしない。

 ただし暑さ慣れのために、それなりの練習内容は組んである。


 本当に球児たちの体調を考えるなら、開会式などやめておけばいいのだ。

 せめて一日開会式だけにすれば、選手もバテないだろうに。

 この夏休みという、本来なら一番暑さが厳しいため、授業をやらない季節。

 そこでわざわざ運動をやらせようというのだから、高野連も非人道的な組織である。


 まあその過酷さまでも揃えて、高校野球なのかもしれない。

 単純に技術だけではなく、精神力が求められる舞台。

 観客や視聴者が見ているのは、単なる高校生の野球の試合ではないのだ。

 ……もっとも本当のところは、お盆休みで視聴率を取るため、この季節はずらさないそうだが。




「クッソあっちいなあ。もうあいつら全員死んでさっさと野球やらせろってのな」

「そんだな。とりあえずまんだ審判一人病院送りにすんべ」

「お前ら、ちょお黙っとかんか。ええこと言うちょるじゃろが。まあお決まりのことじゃけどな」

 青森明星のプラカードを持つ女子生徒は、はっきり言って気の毒であった。

 エースはチンピラ、四番はジャンキー、キャプテンのキャッチャーは若頭。

 他の選手も軒並、金髪とかモヒカンがいるわけではないが、どう見てもカタギでない坊主頭が集結している。


 何より怖いのは、それまでグダグダと文句を言っていた選手たちが、若頭の一言でぴたりと黙ったことである。

 本当に恐ろしい人間は、無駄に威圧感を出したりはしない。

 そもそも見た目が威圧的ではあるのだが、メガネはほんの少しだけ知的な印象を与えるのかもしれない。


「さっさと終わらせて街行こうぜ。南とかによ、南」

「黙ってろ」

 また口から生まれてきたようなのが喋りだしたが、一言で沈黙する。

(もうやだ。帰りたい)

 プラカード女子の、偽らざる本心であった。




 昨年の優勝旗の返還がなされるのだが、大阪光陰は敗退しているため、新キャプテンが大優勝旗を持ってきている。

 新しいキャプテンは、どうやら蓮池になったらしい。

 実力はともかく、あまり協調性がないタイプだと思っていたのだが。

 あえて実力があって買ってに動くやつをキャプテンにすることで、全体にその影響を与えようとでも思ったのか。


 どこか冷ややかな表情の蓮池を、ユーキは見守っていた。

 去年の夏、押し気味であった白富東は、蓮池の個人技によって敗北した。

 一年生ながら150kmを記録した蓮池は、決勝では守備での貢献が大きかった。


 来年がある。

 ユーキと蓮池は、まだ二年生。

 勝ち抜いたら神宮、センバツ、夏、国体の四回、当たる可能性がある。

 あれだけの才能を持っていながらも、負けることがある。

 ユ-キは別に将来、野球の道を選ぼうなどとは欠片も思っていないが、それでもこの高校野球で、もう一度あのチームと戦ってみたいと思った。




 開会式もおおよそは無事に終わり、白富東は第二試合なので待機する。

 普段はプロがブルペンなどで使う場所であるのだが、ここからでも試合はテレビで見れる。

 開会式後の第一試合は、福島県代表と熊本県代表の試合。

 この勝者が二回戦から登場の、島根県代表と戦うことになる。


 試合は終始熊本代表が押し気味に試合を進め、全く逆転の気配はない。

 そもそも準々決勝までは当たる可能性のないチームであり、試合を眺めている意味はあまりない。

「よし、そんじゃ適当に見ながら聞け」

 秦野はほどほどに注意を集めながら説明する。

「開会式を見ていたが、やはり青森の福永は、スタミナに不安があって、暑さにも弱いみたいだ。だがそれ以上に、辛抱がきかない」

 過去の試合を見ていても、あれだけのスペックを持ちながら点を取られるのは、メンタルが安定していないからだ。

 粘られると歩かせてしまう場合が多いし、報復のような死球も多い。

 さすがに頭部を狙ってくるのはありえないが、本当に苛立ってきたらどうなるかは分からない。


 開会式後の第一試合ではなく、第二試合というのもいい。

 白富東の選手は待てるが、青森明星の選手はそこまで気が長いとも思えない。

 秦野の見る限りでは、キャッチャーの岸和田を崩せば、そこからどうにかなりそうだ。

 ただ序盤はリードされる展開になるかもしれない。


 一応青森大会では、下級生のピッチャーにも投げさせているが、コントロールだけはそこそこいいが、他に特筆すべきものはなかった。

 チーム状態によって隠しているのかと考えたが、一年生でベンチ入りしている者はいないし、ピッチャーの控えも二枚。

 情報で赤裸々に剥かれていると言ってもいい。

 チームの中の個々の選手の強さは確かに侮れない。

 だがその他の全てが、自分たちに有利である。

「我慢できれば、勝てる」

 秦野はそう断言する。


 このチームを相手に、先発は文哲。

 先攻を取るべきか後攻を取るべきかは迷ったが、あちらがじゃんけんに勝って先攻をとってしまったのは仕方がない。


 初めての甲子園で緊張する耕作と塩谷は、今日は出番はないはずである。

 そして甲子園に慣れた選手たちに、準備の声がかかった。




 開会式後の第二試合で、観客は満員であり、気温は35度を軽く超えている。

 グラウンドのマウンドは、40℃近くまで上がっているかもしれない。

 文哲はかなり暑さにも慣れているが、普通に継投は考えていくべきだろう。


 青森のオラオラ打線相手には、確かに文哲は相性がいいようだった。

 変化球とコントロールを主体として組み立てで、面白いように凡打を打たせた。

 球数も少なく、順調なスタートである。

 ただしあちらはやはり、ランナーがいない時もフルスイングしてくる。

 クリーンナップ以外でもおおよそ数本はホームランを打っているので、上山のリードと文哲のコントロールにはかなりの負担がかかるだろう。


 先制点がほしい。

 特に後攻で先制点を取るのは、ポイントが高い。

 だが本日の作戦は、まず相手の球数を増やすことなのだ。


 大石への初球は、甘めに入ったストレートと思ったが、手元で小さく曲がった。

 カットボールだ。絶対に一球目は振るなと言われていなかったら、これをいきなり引っ掛けていたかもしれない。

(主にカットボールとストレートが主体で、スライダーの変化で目先を変えていく)

 かなり単純な組み立てであるが、基本的にはストレートとカットのわずかな変化、そしてスライダー系の大きな変化を上手く組み合わせれば、打ちにくいピッチャーになるだろう。

(かなり直情的な性格らしいし、ピッチャーじゃなくてキャッチャーの心理を考えた方がいいかな)

 ゾーン内での変化でストライクを取ったということは、次はもっとぎりぎりを攻めてくるのか。

(ま、考えても分かんないか)

 あっさりと思考を放棄する大石である。

 もう少し状況判断が出来れば、先頭打者としてのレベルは一気に上がるのだが。


 二球目はボールの内角に入ってきたスライダーを空振り。

 これはしっかりと見送らなければいけなかった。

 そして三球目は甘いストレート。

 だがコースは甘くても球威はあって、ピッチャーフライでワンナウトである。




 最低でも五球は粘ってほしいところだったが、そうそう全てが上手く行くはずもない。

(その分俺が頑張るか)

 二番打者として、打席に入る宮武である。


 甲子園であるからには、当然注目している大学やプロのスカウトが見ている。

 両チーム共に、ドラフト注目の選手はいるのだ。

「東北やからお前の担当やろ? どう見てるんや?」

 ライガースのスカウトからそう声をかけられて、本来なら東北地方を担当している、レックスの大田鉄也は難しい顔をする。

 本来ならば情報の共有など、違う球団のスカウト同士で行うはずもない。

 そんなことを考えているなら、それは頭が固すぎる。

 正しい情報を与えた上で、あえて騙すという戦略もあるのだ。


 鉄也としては正直に言う。

 ただし全てを言うわけではない。

「柿谷はプロに合えば即戦力級だとは思ってますよ」

「人格はどないやねん」

「そこまではプロの世界に放り込んでみないと分からないですね」

 確かにそうなのだが、鉄也としては今のレックスの状況だと、欲しい選手ではない。


 プロには変人や、倫理観がギリギリの人間もいる。

 ただ野球が上手いだけのガキもいるのだ。

 しかし性格とはまた別に、頭をちゃんと使わないと、通用しないのも確かである。


 レックスの今の環境を考えると、青森から取るとしたら、キャッチャーの岸和田であろう。

 練習を何度も見にいったが、間違いなくしっかりとチームを掌握している。

 丸川のプレッシャーにも簡単に耐えそうな、強面のキャッチャーでもある。

 実力的に言っても、今の世代の高校生のキャッチャーではほぼトップであろう。


 分かりやすくプロに注目されているタイプの柿谷と福永は、鉄也の価値観からすると通用しない。

 素質的にはともかく、人格的にもともかく、純粋に練習が足りていない。

 ここであっさりと負けてくれて、そこから悔しい思いを感じて必死に練習するのなら、話は別になるのだが。

 もう三年の夏だ。この時点でこれだけ扱いのややこしそうな選手を、ドラフトでプレゼンするつもりには鉄也はなれない。


 むしろ鉄也が注目するのは、白富東の方だ。

 悟はもちろんであるが、四番の宇垣。

 下位指名で二三年をかければ、いい具合に伸びてくるのではないだろうか。

 少なくとも大学進学は決まっていないのだから、この大会のパフォーマンスによっては、本格的にスカウトとして動く必要がある。




 大学進学を決めている宮武は、この一回の攻撃で、しつこく福永のボールをカットしていく。

 カットと言うよりは、ファールにするのが精一杯なのだが。

 フルカウントからの15球目は、宮武の体に当たった。

 粘られた報復とも思えなくもないボールであったが、宮武は上手く背中で受けた。

 ふてぶてしく帽子を取って頭を下げる福永だが、そこには全く謝罪の心は感じられない。


 とりあえず、これでランナーが出て悟に回る。

 悟が歩かされても宇垣と上山に回る この状況は、かなり白富東にとって先取点のチャンスである。

 だが初球、またもボールが、今度は悟に当たった。

 そもそもコントロールの良いピッチャーではないが、まさかいきなり二連続死球とは。

 エルボーガードで上手く弾いたが、威力のある球はそれなりに痺れた。


 これでワンナウト一二塁になった。

 バッターはまた死球を考えなければいけなくなったが、四番の宇垣はデッドボールを避けるのも、避けるのが無理でも怪我にならない場所で当たるのが上手い。

 ホーム寄りに立って、まずは一点と考える。

(内野ゴロでダブルプレイ、とかそんなこと考えてるんだろうが)

 宇垣はそもそも好戦的なので、この二つのデッドボールから明らかな悪意を感じた。


 頭部への故意死球ではないのだから、危険球とは見なされないのだろう。

 だが単純にデッドボール連発というのは、審判への印象は悪くなる。

 舐められていると感じる宇垣は、じっくりとピッチャーを観察する。

 そして感じた。こいつは気に入らないやつには、デッドボールを平然と投げるやつだと。

 人間は自分に似ている人間のことは、よく分かるのだ。

 

 カットボールなりストレートなリを、上手く掬い上げる。

 ホームランを打って三点差にしてしまえば、かなり楽に戦える。

 そんな都合のいいことを考えていた宇垣であるが、狙い通りにカットボールを掬い上げた。

 その打球はライト方向に飛んで、フェンスぎりぎりにまでライトは下がる。


 あるいは大会第一号かと思われたが、風がある。

 わずかにグラウンドに引き戻されたボールが、ぎりぎりにライトのグラブの中に入った。

 二塁にいた宮武は、それを見て三塁へタッチアップ。

 ツーアウトになったが、これで一打で間違いなく点が入る状況だ。


 舌打ちをしつつベンチに戻ってきた宇垣は、文哲に声をかけた。

「おい、あいつら平気で当ててくるからな。打つほうは俺たちに任せて、お前は投げることだけ考えてろ」

「そこまでひどいか、あいつら」

「やってくるやつは目を見れば分かるんですよ」


 高校野球においては、危険球の退場というものはない。

 それに福永が当ててきたのは、あくまでも胴体だ。

 一応狙ってぶつけるのはありえないという建前の高校野球だが、逆に危険球でも退場にはならないのか。


 ひどい話であるが、試合と言うよりは、これは喧嘩だろう。

 舐められたらそこで負ける。

 上山は執拗な内角攻めのあと、そのボールを高く外野に飛ばした。

 これもフェンスを背中にセンターがキャッチして、白富東の攻撃は無得点に終わる。


 ここからが二回。

 なんだか最初の一イニングだけで、厄介な雰囲気をぷんぷんと感じる秦野であった。

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