第18話 進路指導

 白富東は春のセンバツを制したが、実は秦野はあの試合は、負けると思っていた。

 エースの差である。

 真田が投げられなかったから、白富東は勝てたのだ。

 武史と真田の間の能力的な差はない。あるいは武史の方が上ですらあるかもしれない。

 それからも変化量の大きな変化球がほしいという要望に、武史はナックルカーブを習得して応えた。

 スペックで言うなら間違いなく、プロから最も熱い視線を注がれる。

 だがなんと言うか、次男気質とでも言うのだろうか、どこかのんびりしたところがある。


 秦野は武史に率直に訊いた。

「お前、甲子園で優勝するつもりあるんだよな?」

「当たり前じゃないですか」

 なんでそんなことを、といった表情で武史は答える。

「そんじゃその後のことはどうする?」

「あ~、それですか……」

 武史は机に突っ伏した。

「やっぱ野球やらないとダメですかね?」

「ダメってことはないが、周りは放っておかないと思うな。あと今の時点の考えなら、プロに行くことはやめとけ」

 明確に止められたので、武史はふいと顔を上げる。

「なんでですか?」

「お前、何がなんでもプロになりたいわけじゃないよな?」

「ええ、別に」

「野球で食ってく覚悟なんてないよな?」

「まあ、確かに」

「死ぬほど野球好きでもないと」

「普通に楽しむぐらいですね。今でも見るのはバスケの方が好きですし」

 ピッチャーならまだいいが、他のポジションだとボールに触る機会が少なすぎる。

 秦野の方が頭を抱えたくなるような返答である。


 超絶的な才能の持ち主は、精神的な裏付けがなくても成功できるのだろうか。

 秦野の知る限りでは、上杉、大介の二人が、投打の才能の極みだと思う。

 だが上杉の過酷なトレーニングは知っているし、大介は野球でやっていく覚悟を決めていた。

 ただ上手くなって勝ちたいだけで、あそこまで己を鍛えた直史は、やはり異常である。


 武史の欠点は、あの兄の弟であるというのもあるのだ。

「じゃあお前が将来一番やりたいことってなんだ? 仕事でもいいし、どこか行きたいとか、何か勉強したいとか」

「監督、なんか進路の話してるみたいですね」

「お前の精神性をちゃんと把握しとかんと、甲子園の決勝のマウンドには送り出せんのだ」

 武史の一年の頃の話は、伝聞でしか知らない秦野である。

 そう言われても、武史もまだ未来のことなど考えていない。

 モラトリアムの期間と言っていいだろう。

「まだ働く覚悟はないんですよね。兄貴が私立に行ってもいいようにしてくれたんで、東京には出ようと思ってますけど」

「才能の割りに野心がなさすぎだろ、お前……」

「でも兄貴もプロには行かなかったし」

「ありゃ夢より女と確実性を取ったんだ。何も決めてないお前とは違う」

 辛辣である。だが事実ではある。




 直史はそもそも、堅い就職先を考えていたのだ。

 そこに瑞希が現れて、弁護士を目指そうと考えた。

 実際のところは弁護士はかなり今でも難しく、状況によっては法務系の資格を取って公務員となることも考えていた。昔ほど給料の保証もない。

 だがそこで、野球が人生を変えていく。


 プロにならないことは、早々に決めていた。そして転勤の多い職業も無理だと決めていた。

 そんな中、大学には色々と恩恵付きで入れそうになる。

 直史は大学の一時期などを除いては、千葉を離れる気がない。

 だから武史に対しては、自由に生きていけばいいと考えている。

「とりあえず東京には出たいんですよね」

 その弟はこんな感じであるが。

「なんとなく上京したいって、田舎者の考えだよな」

「うちの近所は田舎ですよ。普通に畑がたくさんあるし」

「そういう意味で言ったわけじゃないんだが」


 とにかくふわっとしすぎている。

「あ、あと本気で東京に行くならもちろんプロはなしだぞ」

「え? でも東京に二球団ありますよね?」

「……やっぱり知らなかったか。どっちの寮も東京にはないんだよ。それに高卒は基本、入団から四年ぐらいはこの寮暮らしだぞ?」

「……なんかプロ行く気なくなってきました」

「それでそのプロの球団の寮は埼玉と神奈川だ。まあ東京には近いが」

「23区内に行きたいんですけど」

「それだと大学進学しかないな。大学でも野球するのか?」

「した方がいいですかねえ?」

「……大学から先のことまで俺は知らんが、そもそもそこまで東京に出たい理由はなんなんだ?」

「あ~……神崎さんが東京に戻るって言ってたんで」

「神崎? 誰だ?」

「ほら、聖ミカエルのキャッチャーの」

「女のためかよ」

 天を仰ぐ秦野である。

「いつの間に付き合ってたんだ? お前はイリヤじゃないのか?」

「いや、イリヤは確かに仲いいですけど。それに付き合ってるわけじゃないし、そこまでの関係じゃないんですよ。でも寮から実家に戻って東京の区内の大学に進学するって言ってるから、俺もそれに合わせて東京に出るって話で」

 机につっぷす秦野である。

 この現役高校生でも一二を争うピッチャーは、女に合わせて進路を決めるのか。

 そこだけは兄に似ているな。もっとも直史は、もっと先のことまで考えていたが。


 秦野は理解した。

 武史は今の段階ではプロでは通用しない。そもそもプロでやっていくという意識がないのは、全くプロの環境を調べてないことでも明らかだ。

「お前の成績だと、早稲谷でも行くか? 推薦で取ってもらえるだろ」

 実は大学野球は特待生で入学しても、野球部に入らなければいけないわけではない。

 ただ特待生でなくなって、学費などの無料・半減措置がなくなるだけなのだ。

 それにただ入るだけなら、白富東には推薦で慶応に行くことも出来る。

「早稲谷にしとけ。帝都でもいいけど、お前は普通の大学の野球部には合わせられないだろうから、ナオのやつが色々とやらかしたらしい早稲谷がいい」

 これで早稲谷は、あと三年は無双できることが決定した。

 リーグ戦の土日で佐藤兄弟が投げてくるのは、控え目に言っても絶望である。

「慶応は止めといた方がいいっすか?」

「一応大学でもそれなりには野球するつもりなんだろ? ならナオがいてお前に手を出せない早稲谷がいい」

 一般的な大学野球では、武史はやる気をなくして退部するだけだろう。

 ならば最初から直史に、ある程度任せておいた方がいい。

 ジンの行った帝都でもいいのだが、ブランドイメージは早稲谷の方が上である。

 武史はまだ、誰かに面倒を見てもらわなければいけないレベルの意識しか持っていない。


 かくして背番号順、一番の武史との面談は終わった。

 ある程度は分かっていたことだが、武史の意識は甲子園で真田と対決することが全てであって、その後の人生設計にほとんど野球を取り入れていない。

 プロという世界を、秦野は体験しているわけではない。

 だが人伝に話を聞いても、死ぬほど野球が好きだとか、野球で生きていくしかないとか、それぐらいの考えがないと通用しないと思うのだ。

 武史のようなピッチャーでも、それなりに打たれることはあるだろう。そこからだらだらと落ちていって、再度浮上することが出来ないと思えるのが武史なのだ。

(野球で食って行く覚悟でも出来たら別なんだろうけどな)

 武史の場合、彼女でも出来たら完全に腑抜けになるか、彼女にいいところを見せるかで爆発的に成長するかのどちらかだと思う。

 だがおそらく、三年で一番の難物は片付いた。




 二番手は倉田である。

 倉田の場合はもう明確に、既に進学と決まっている。

 リードもいいし、キャッチングや肩、そして長打もある倉田だが、プロからの注目は、せいぜいドラフト下位であろう。

 性格が生真面目すぎて、プロには向いていない。

 そしてプロに行ってこの生真面目な性格を失ってしまえば、あっという間にクビだろう。

「お前も早稲谷行くんだよな。タケの球受けて、いい会社に入ればいい」

「はあ」

 倉田としても自分がプロで通用するとは思っていない。

 この話も去年の秋からあったので、そのまま終わる。


 三番手は孝司である。もっともまだ二年生なので、少しは余裕がある。

 だが孝司としては、プロに行く気は満々なのである。

 そして秦野も、孝司はプロ向けの性格と素質だと思っている。

 打てるキャッチャーであるし、何より倉田より走れる。

 最悪でも今のポジションのファーストや、内野ならサードにコンバートも出来るだろう。

 高卒キャッチャーというのは仕上がるのに時間がかかるとも言われるが、大学でのんびり四年間するつもりはないらしい。


 四番手の哲平もプロ志望ではあるのだが、セカンドというポジションが微妙である。

 もっともやらせれば、難しいと言われるショートも、ちゃんとこなせる。セカンドを守っていたのは、シニア時代にセカンドを最重要ポジションとしてシフトを布いていた影響の名残である。

 足も打撃もいいし、状況判断力に強い。

 ただ上位で指名されるかどうかは、まだ先の話である。

 丸一年以上残っている高校生活で、どこまで伸ばせるかが課題だ。


 五番手の曽田は、ガチ野球は高校で終わるつもりである。

 二代前のキャプテンの手塚のように、大学は野球サークルで楽しもうという人間だ。

 甲子園で一桁の背番号を貰っていると、普通にどこかの大学には入れる。

 ただ本人は真面目な大学生活を送るつもりで、浪人も視野に入れた上で、就職に強い大学を選んでいる。

 ちなみに地元の国立大学が第一志望だ。




 そして六番手は悟であるが、さすがに将来のこととかを、この時期の一年生と話すつもりはない。

 今はまだ、ひたすら目の前の試合に集中していてほしい。

「どうだ、色々疑問に思ったり、感じたりしたことはあるか?」

 なので進路相談と言うよりは、お悩み相談所になったりする。


 悟としては、とにかく慌しい毎日が過ぎていく。

 日本一のチームで、スタメンでショートで三番。

 既にレジェンドになりつつある、白石大介と同じルートである。

 それに興奮するというわけではないが、シニア時代と比べても、やっていることが高度すぎる。

「他の強豪校でもこういうことやってるんですかね?」

「やってないな。MLBでさえやってない。なぜかって言うとMLBのトレーニングは欧米人の体格を基準に考えられたものだから、骨格の特徴とかも白富東の方が能力を伸ばしやすくなっている」

 あとMLBではそういったトレーニングは、個人でやっている場合が多いのだ。


 現在でも時々、訳の分からない計測などをしているのは、セイバーからの依頼である。

 だが一番成績の良かった頃のデータと現在を見比べて何が変化しているのかは分かる。

 悟の場合長打力が確実に増した。

 レベルスイングから、ダウンスイングで入ってアッパースイングで抜けるというのが、体質に合っていたらしい。

 ビデオで撮影して確認しても、軸足のステップ、頭の動き、体の沈め方など、原則をちゃんと守っている。


 悟の場合身長は平均以下だが、筋力は足りている。

 プロを見れば同じぐらいの身長でも、体重を増やしてホームランバッターになっている選手はいる。

 もっともショートというポジションを考えれば、それでも筋肉を増やすための体重増加には限界があるだろう。

「とりあえず一つだけ。プロに行きたいか?」

「……行きたいっす」

「親御さんとかは反対しないか?」

「うちは兄貴がもう働いてるんで、そのへんは大丈夫です」

 なるほど、こいつも次男か。

 だが武史よりは意思がしっかりとしている。ならば秦野から言うことは一つ。

「じゃあ勝利よりも、怪我をしないことを最優先にしろ」

 チームを率いる指揮官としては、こんなことを言ってはいけないのだろう。

 だがこれが、秦野の信念だ。


 かつて神奈川の私立にて監督をした時代。

 エースを使い潰す学校の方針に反対したものの、結局は解任されて選手を守りきれなかった。

 あの頃から秦野は、少なくともアマチュアである限りは、勝利よりも選手ファーストで考えている。

 あまり大事にしすぎても、それはそれで成長しないのだが。


 悟の成長は、肉体的なことを言えば、上向きにはもうほとんど止まっているらしい。

 あとはショートというポジションにて、どれだけのスペックを持つのが正解かである。

 これからは純粋に技術を磨き、パワーを増していって、戦術への理解を深めるのだ。

 秦野の目から見ても、悟はドラフト級まで成長しそうだし、ショートというポジションでどこまで通用するかも期待したい。


 プロ野球選手というのは、本当にはかないものだ。

 しかしそれでも目指してしまう人間がいる。

 悟の場合はまだ一年生なので、将来の可能性を一つに絞るべきではないだろう。

 だがここからすぐに、次のステップに進む者もいる。


 七番目。レフトを守る鬼塚は、かなり難しい立場にあるのだ。

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