第17話 夏までの日々

 高校一年の夏がやってくる。

 悟は基本ショートを守りながらも、時々はピッチャーをしたりして、実戦経験を積んでいく。

 それは成長と言うよりはまだ、シニアの二年の時の状態を取り戻そうとしている段階だ。

 だが確実に成長しているのはバッティングだ。


 170cmの身長であっても、筋肉と体重があれば長打は打てる。

 これは間違いのない事実であるのだが、問題もある。

 体重を増やしすぎると、ショートの守備は難しいのだ。

 ただでさえ守備範囲は広く、そしてステップも多く、切り返しも多いポジション。

 そこを守るためには、体重を増やしすぎるのは問題であった。


 だが、今の悟には技術がある。

 ダウンスイング気味に入り、アッパースイングで抜ける。

 そのスイングを手に入れて、何度も繰り返して体に染み付ける。

 フォームを色々と試しているうちに、これはという結論に至る。

 一本足打法だ


 一本足打法は基本的なバッティングのフォームとは、段階を一つ外している。

 ダウンスイングからアッパースイングというのは、王貞治のスイングであるのだから、一本足打法がこれに親和性が高くてもおかしくはない。

 もちろん今の悟では、一本足打法を完全に使いこなせるわけではない。

 ただタイミングの取り方は、一本足打法が効果的であるのだ。

 一本足打法は不完全な形では、多くのバッターが使っている。

 打席の中でステップを踏むというのがそれだ。

 

 バッティングの原理的なことを言うなら、ダウンスイングは確率的に、一番ミートには向いていない。

 ほんの少しアッパースイング気味のレベルスイングが、一番ミート出来る可能性は高い。

 それは単純に、ボールを点で捉えるか、線で捉えるかの話である。

 もっともこのレベルスイングで当てるというのは、空振りは少なくなるものの、内野ゴロや内野フライの凡退も多くなるのだが。




 週末は午前中と午後のダブルヘッダーでの練習試合も多く、その意味では選手たちには多くの出場機会が得られている。

 一軍二軍という単純な分け方でもなく、上級生と一年という分け方でもなく、どうも直前の試合の成績で、色々とチームを分けているらしい。

 そうやって続けていくと、やはり一年の中から頭角を現して来る者はいるのだ。


 春にベンチ入りしたのは悟と文哲の二人であったが、試合では上山と宇垣が活躍しているのが分かる。

 それ以外にも宮武は色々なポジションを試されているし、悟もセカンドを守ることがあった。

 去年もその前の年も、白富東は夏の甲子園メンバーに、一年生を四人入れている。

 それと比べても今年の一年は、体育科の存在により、潜在能力の高いメンバーが選ばれている。

 あるいはそれ以上の数が、ベンチ入りするかもしれない。


 それでも確実に入れると思われているのは、今のところ悟だけだ。

 ショートで三番を打ち、いざとなればピッチャーも出来る。

 何より三番でショートというのが、白富東としてはいい。


 実のところ秦野も、ベンチ入りメンバーの選出には迷っているのだ。

 ピッチャーの数は揃っているし、キャッチャーは上山を入れるのはほぼ確定だ。

 内野もほぼ決まっているのだが、外野をどうするかが問題なのだ。


 センターにアレクを入れるのは決定済みである。そして鬼塚もどちらかには絶対に入れる。

 だがここに、外野を広く上手く守れる選手を入れるべきか。あるいは打撃力を重視すべきか。

(水上は外野も守れるんだよな。本当にこいつが入ってくれたのは運がいいわ)

 ただ外野の守備では、一年の大石がかなり上手い。

 足も早くて、外野特化であれば鬼塚より上だ。


 ここのところの練習試合でも、二三年はもちろん一年にも出場機会を与えているのだが、目だっているのは一年が多いのだ。

 体育科設立一年目だから当たり前なのかもしれないが、これまで頑張ってきた上級生をベンチ入りメンバーから外すというのは、監督の立場からしても苦しいものなのだ。

 幸い秦野は去年の春から監督をしているので、まだしも思いいれはない。

 教員でもないので、学校の中での選手たちの様子を知ることもない。

 単純に勝つことだけを考えるなら、すぐにでも合理的に選手を選抜出来る。

 やるべきは、勝つためのチームを作ることではないのか。ベンチに入ったからと言って、使わないのなら意味がない。

 使うかもしれない選手と考えれば、メンバーは自然と決まるだろう。




 やがて夏の大会のトーナメントが決まる。

 白富東はシードなので、当然ながら二回戦からの出場である。

 それでも七回勝たなければ、甲子園には行けない。

 東名大千葉、勇名館、東雲、上総総合、三里。個々最近で成績の良かったこれらのチームも、シードに入っている。

 だが注意すべきは、去年の夏に食い下がってきたチームである。


 たとえば浦安西。

 貧弱な練習の環境と、少ない部員数。

 それでも去年の夏は、ベスト16まで進出してきた。

 春の大会では当たらなかったが、順調に行けばまたベスト16で当たる。


 そしてトーナメントが決まったということは、ベンチ入りメンバーも決めなければいけないということだ。

 これに関してはコーチ陣には相談も出来ない。

 アメリカの場合、アマチュアの学生野球であれば、ベンチ入りメンバーを全て使うという思想がある。

 日本の高校野球の場合は、ピッチャーなどはともかくキャッチャーはほぼ固定だ。

 甲子園では18人と、さらに二人減らさなければいけないわけだが、実質15人ぐらいまでしか使わないのが普通だ。


 悟をショートに入れたことによって、佐伯が押し出された。

 佐伯の守備力は貴重であるが、セカンドには哲平がいるし、ファーストは倉田か孝司を使う。

 ならばサードかとも思うが、サードの守備力と、曽田と佐伯のバッティングの貢献度を考えると、曽田の方が上であろう。

 だが本当に実力で決めるのなら、一年の宮武の方が総合力では上である。


 外野にしてもあとの一枠は、淳かトニーを入れればいいかとも思う。

 だがこれも外野守備を考えるのなら、二人はピッチャーに専念させて、一年の大石を使った方がいい。

 これまでの白富東は、基本的に上級生に良い選手がいた。

 肉体的な素質の優劣がさほどなく、それを適切なトレーニングで伸ばしていったからだ。

 だが今年の一年からは違う。


 年功序列か、実力順か。

 秦野の信条としては、実力順が正しい。

 競技なのだ。ならば実力か、必要度で選択するしかない。

 ただ単純に実力順で選ぶのが、今後のチームを強くするためにも必要かと考えると、迷うしかないのだ。


 実際問題として一番、チームに軋轢を生みそうなのが宇垣である。

 大会期間に入れば、ベンチ入りメンバーがどうしても優先されて練習をする。もっともこれだけ人数がいれば、サポートの人間は入れ替えていけばいいが。

 近くの小さなグラウンドを、多すぎる部員の練習所として平日は使うことが出来る。

 もっとも管理の方もちゃんとしなければいけないので、それはそれでまたやることは増えるのだが。

 かつて白富東は、三年生が引退すれば、紅白戦も行えないほど部員数が少ない野球部であった。

 それがこれだけの人数になると、




 色々と考えはしたが、秦野はやはり実力順と言うか、必要度でベンチ入りメンバーを決めた。

 20人。これが甲子園のベンチになると、18人に減らさなければいけない。

 部室のミーティングルームに、ベンチ入りメンバーが貼り出される。

 一年生の数が多くなった。


1 佐藤武 (三年)

2 倉田  (三年)

3 赤尾  (二年)

4 青木  (二年)

5 曽田  (三年)

6 水上  (一年)

7 鬼塚  (三年)

8 中村  (三年)

9 トニー (二年)

10佐藤淳 (二年)

11佐伯  (二年)

12上山  (一年)

13大仏  (三年)

14佐々木 (三年)

15西園寺 (三年)

16宮武  (一年)

17大石  (一年)

18呉   (一年)

19宇垣  (一年)

20長谷  (一年)


 この発表の後、三年生はそれほどいなかったが、二年生の中から大量に研究班に移りたいという者が出てきた。

 秦野としては退部でないのなら、それはまだいい。

 だが一度研究班に移ってしまえば、アピールしてベンチ入りメンバーになる可能性は、ほぼなくなる。

 しかし秦野としても、それは無理がないことだとは思う。


 今の一年生の、フィジカル面での優位が強すぎる。

 二年生であっても、既に一年のかなりの数に追い抜かされている者は多い。

 研究班を作ってあるというのは、秦野が考えるにも、部員を減らさないためにはよく出来たシステムだと思う。


 野球強豪校で100人を超えるような部員がいるところで、とにかく猛練習をさせることの意味が、部員が増えてきたことで秦野には分かってきた。

 それは強烈な共通体験をすることによって、プレイヤーとして出られない人間を、ベンチ入りメンバーに感情移入させるのだ。

 宗教やブラック企業の研修と変わらない、ある種の洗脳だ。

 本当に野球が好きなだけなら、別に野球部である必要は無い。

 プレイするのが好きなら、野球部などやめてクラブチームに入ったほうがいい。

 それを制止して野球部に束縛するために、ああいった苦痛の共通体験をさせるのだろう。


 はっきり言ってしまえば、学生野球における部費というものは、全員から平等に徴収するにもかかわらず、その恩恵を受けるのはベンチ入りメンバー他数人である。

 猛練習をすることにより、帰属意識を植え付けるというのは、そんな部員を離さないための手段だ。

 私立でもそうだし、公立で強いチームでも、そういった面があってもおかしくはない。

 白富東の場合は、公立であるが体育科の予算が、ある程度優先的に回されているという事情はある。

 しかしそれでもイリヤのポケットマネーからの寄付がなければ、今の設備やコーチを維持することは出来ない。


 金がなくても、人がなくても、設備がなくても工夫しようと考えるのが日本人である。

 どうにかして金を調達して、人と設備をそろえようと考えるのがアメリカ人である。

 そして秦野の感情的には、後者の方が分かりやすい。

 だが前者の思考がなければ、弱いチームはいつまでも弱いままだろう。




 そう考える秦野にとって、どうにかしなければいけないことが一つある。

 宇垣の存在だ。

 一年生のスポーツ推薦組は、悟以外はある程度のプライドを持っている。

 歓迎試合で木っ端微塵にしてやったが、それでも宇垣と山村には、他の一般入試などを侮るところがある。

 山村は今回のベンチ入りメンバーに選ばれていないので構わないが、宇垣は問題が。

 だが問題があると分かっていても、ベンチ入りメンバーにはしたのだ。


 三年生にとっては最後の夏。

 だがそんな感傷的なこととは全く別に、チームのカラーを考えていかないといけない。

 宇垣は現時点での実力も、そしてフィジカルから考えられる伸び代も、かなりある選手である。

 勝利至上主義、実力至上主義なところはあるが、別にそこは問題ではないのだ。


 勝利至上主義で、実力至上主義であるにもかかわらず、勝利のために必要なことが分かっていない。

 シニア出身であればまだ、同じチームに匹敵する力の選手がいて、あそこまで自己中心的な思考にはならなかっただろう。

 山村にもそういった面はあったのだが、歓迎試合で散々に打たれただけに、良くも悪くも自信を失い慢心しなくなってきている。

 だが宇垣は別だ。同じ軟式出身でも、上山のような他を補佐できる人間もいるのだが。


 それとは別に、他の選手に関しても、秦野は色々と話したいことがある。

 チームの目標、チームが継続していく目標、自分の目標、このチームの中での自分の目標。

 そういったものをしっかりと決めていかないと、どれだけ個々の選手の能力が高くても、頂点までは目指せないだろう。

 それどころか状況によっては、県大会で足元を掬われる可能性すらある。


 たとえば今の三年生も、秦野が能力的に信頼できるのと、人格も含めて選手として信頼出来るのは、違う人物である。

 武史とアレクは、方向性は違うがマイペース過ぎる。そして倉田はキャプテンの正捕手でありながら、少し気が優しすぎる。

 殴ったことはないが、いざとなれば殴ってでも言うことをきかせるぐらいの気持ちを持っているという点で、秦野は鬼塚が一番頼りになると思っている。

 卒業したメンバーは、ジンを中心に直史と大介がいて、シーナが補助をし岩崎がスーパーサブで存在し、シニア出身が団結していて本当に強い組み合わせだった。

 そして今の二年も、孝司を中心に哲平や淳が、チームの核として存在している。


 今の一年が、三年になった時のことを考える。

 プレイヤーとしては悟が優れているし、文哲の投手としての安定感は頼もしい。

 だがチームをまとめるためには宮武の生真面目さと、上山のおおらかさが必要になるのではと思う。

 そこに宇垣をどう押し込むかで、二年後の夏は決まるだろう。

 その頃には秦野は三年の契約を終えているのだが、センバツまでは自分の仕事だ。

(こういうことはさすがに監督の仕事だからなあ)

 面倒だがやらないわけにはいかない、秦野であった。

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