第29話 監督の色
群馬県代表の桐野高校は、元は私立の進学校であったという。
それが少子化の流れからスポーツ以外にも力を入れようと考えたのだが、これが大失敗。
設備も人も揃えたが、元からある進学校のイメージも崩して欲しくないと、学校の理事会から現場に口が入り、招聘した監督がへそを曲げて出て行ってしまった。
このつまづきから新たな監督を迎えても、失敗続き。下手をすれば一年に二度監督が変わるということがあった。
そこでぶち切れたのが選手たちである。
まともな指導者と言うよりは、理事会だのPTAだのの横槍に強い、とにかく一貫した指導をやってくれる人間を自力で探してきたのだ。
もっとも最終的には、監督に給料を払うのは、もちろん学校法人であるのだが。
この監督は学校の言葉もPTAも父母会も完全に無視して、選手にばかり声をかけた。
さすがに殴ったりはしなかったものの、集中力の落ちた部員に、バケツから水をぶっかけるぐらいのことは平気でやった。
自分たちで選んだ監督であるが、さすがにこれで本当に強くなるのかとは疑問に思ったらしい。
だが監督は告げた。
「そんな効率のいい野球がしたいなら、もっと予算がねえと無理なの! コーチも何人も雇って、栄養面とか生活管理とか全てやらないと無理なの! 俺はそれなしで勝てる範囲でやってるんだ!」
白富東とは真逆の方法論であるが、秦野としては頷けないこともない。
アマチュア野球における合理性は、確かに必要である。
だが桐野の選手は、自分たちで監督を選んだのだ。
そして監督の無茶振りに耐えて、甲子園出場を果たした。
去年の夏から三期連続出場と、一気に甲子園常連の仲間入りである。
今年もまた、桐野は気合と根性で地方大会を勝ち抜き、過去最高のベスト8を目指して白富東と戦うのである。
桐野高校監督森川は、部員からモリモリ君とひそかに呼ばれている。
夏の合宿中などに、実家の弁当屋から大量に食材を持ってきて、もりもりと盛るからだ、と言われている。
口が悪く強気で、負けても次にすぐに行くタイプだ。
今どきこんなんで通用するのかというタイプの監督であるが、まだ30歳前の若い監督である。
公立高校をガンガンと幾つも短期間でベスト8以上にしたので、その手腕は確かである。
「けど、今どきあんな監督でも、強くなるんですね」
「まあ選手次第だよな」
武史の嘆息に、秦野は否定も肯定もしない。
(昔は俺もあんなだったな~)
素手で殴ることはなかったが、プラスチック製のメガホンでぽこぽこと頭を叩いてはいたものだ。立派なパワハラである。
しかし、白富東の選手たちが、自分たちの常識によって、桐野と森川を評価しているのはまずい。
「お前ら、まさかとは思うけど、あんなチームなら勝てるなんて思ってないよな?」
秦野としては、あれはあれで、また強いチームの形であるのだ。
「ああいう野球のことに頭脳全振りできてるバカはな、調子に乗ったら本当に強いし、負けていても逆転出来るって考えるもんなんだよ。先制点絶対に取って、完封、いやノーノー食らわせるぐらいのつもりでいかないと、足元掬われるぞ」
秦野はチョイ悪親父系なおっさんであるが、こういう言い方をするのは珍しい。
白富東の去年までの明らかに有利だった点は、選手の頭がいいこと。
しかも単に勉強が出来るというだけでなく、物事を楽しむことが上手かった。
それは野球部と言うよりは、白富東という学校の持つ力であった。
これもまた、一つの伝統である。
体育科の創設によって、実はこのアドバンテージが少なくなった。
特にスポ薦を入れたのは、秦野としては失敗だと思っている。
悟のような挫折組はともかく、スポーツエリートは周囲を見下す、
試合において上から目線で圧倒するというのは悪いことではないが、練習からヘタクソを見下したり、まして練習に手を抜くようになるとそこでチームが終わる。
この場合の秦野の言葉は、相手を舐めるなと言うよりは、もっともっと上から目線で戦えということさえあった。
つまり桐野は本当に、白富東を倒す力があるということか。
秦野の言葉は二年生以下には、確実に浸透している。セイバーの教育を受けた三年相手とは違う接し方を、秦野はしている。
だが三年も、秦野の力量は認めている。純粋に野球の采配であるなら、秦野は確実にセイバーより上だ。
選手たちは表情を無に戻し、対戦相手を観察する。
鍛えられた守備。そして黙々と肩を暖める先発ピッチャー。
そういえば守備が鍛えられているのはともかく、ヒットはそこそこ打たれているのに、ピッチャーが崩れずに投げ続けているのは奇妙だった。
そのあたりに桐野というチームの特徴があるのか。
監督の森川もピッチャー出身だと聞くし、ピッチャーの起用には自信があるのかもしれない。
秦野にネジを絞め直された白富東だが、アレクは常にマイペースだ。
だがそのアレクが、上手くタイミングが取れない。
バッテリーのサイン交換が早すぎる。
ちゃんと構えてから投げてはいるのだが、全く首を横に振らない。
初球は大きく外に外したが、その後は内角を速いテンポで攻められた。
球速やコントロールはそれほどではない。ただ、タイミングが外れている。
結局は引っ掛けて内野ゴロで、珍しくあっさりとアウトになる。
二番の哲平に伝えられるものはない。とにかく速くはないが、早い。
哲平もまたバッターボックスで構えたら、食い気味にすぐにボールを投げ込んでくる。
(なんだこのピッチャー)
多くの者がそう思っただろう。
球速は130kmは出ているだろうが、そんなに大きな変化はない。ひょっとしたら本当に変化しれいないのかもしれない。
コントロールにしても内か外の二つぐらいで、高めに甘い球が来ることもある。
「去年は投げてないピッチャーだよな……」
鬼塚が確認するように言うが、確かにそうなのである。
桐野の野球の特徴は、堅い守備と走塁。
それは確かに間違っていないのだが、ピッチャーの育成に最も大きな特徴がある。
分かっていた秦野であるが、これぐらいなら問題にならないと言うか、問題にせずに勝ってほしい。
特に試合終盤の勝利の方程式は、そこにはっきりと隙がある。
冷静に比較してみれば、白富東と桐野のそれぞれの要素は、ほぼ全ての部分で白富東が上である。
ただ一つだけ、匹敵しているものがある。
それは高校野球ではかなり甘く見てはいけないこと。
勢いに乗ったときの爆発力だ。
ビッグイニング。桐野の試合はだいたい、これが試合のどこかである。
森川の采配は攻撃的で、チャンスを潰すこともあるのだが、そこから「オラ次だ!」とさっさと選手を送り出す。
選手たちは積極的で、それがまさに桐野のいいところであるのだ。
試合を序盤で決めてしまったり、あるいは終盤の五点差を一イニングで逆転したりと、長打力のある選手はそれほど揃えていないが、それはランナーが消えずに塁に残っているということで、ピッチャーを複数の方向から攻撃してくる。
逆に守って一点差で勝つこともある。それはビッグイニングで逆転するために、相手の追加点を許さないという確固たる信念があるからだ。
普段は手前のベンチでしっかりと試合を見守る秦野だが、この試合では乗り出すように試合を見つめる。
監督自身が攻撃的な姿勢になっている。それが選手に伝播しないわけはない。
ただ殴りあう覚悟はしているが、秦野の文哲と孝司のバッテリーに出した指示は緻密であった。
淳は計算高いピッチャーだが、それでもピッチャーらしい熱さを持っている。
台湾人という国民性が関係しているのかもしれないが、文哲はコントロールを重視する。制球というだけでなく、自分のメンタルのコントロールもだ。
春の大会から試合に出ているだけあって、この甲子園も三試合目で初のマウンドだが、高揚はしていても緊張した様子はない。
ただおそらく、終盤には継投する必要は出てくるであろう。
一回の裏の守備は、何気にこの試合の流れを決めるものになる。
秦野はそう思っていたが、そこから逆転する力は、白富東にあるとも思っている。
だが杞憂であった。
確かに文哲はそれなりに打たれはしたが、二遊間の連繋が上手く、三つとも内野ゴロでアウト。
二回は四番の鬼塚からの打順である。
初球を見て分かった。このピッチャーは、ピッチャーらしいピッチャーではない。
エースナンバーを付けていないことからも分かるが、急造だ。そして特徴がはっきりしている。
とにかくバッターにリズムを付けさせず、少し手元で沈むストレートを投げてくるのだ。
ホップするストレートに慣れている甲子園に来るほどのチームは、逆にこのボールが打ちにくい。
特に内野の頭を抜けていくヒットは打ちにくいだろう。
(まあそういった相手には慣れているさ)
鬼塚は打席を外すと、集中してから打席に入る。打席に入ってから集中するのでは遅い。
ここで森川は外せというサインを出すべきだったのかもしれないが、それで腕の振りが鈍くなっても困る。
そしてこのピッチャーは、コントロール自体は甘い。
振り切った打球は完全にミートしたものではなかったが、フェンスを直撃する。
スピンがかかっていてバウンド処理に時間がかかり、鬼塚は三塁まで一気に進んだ。
「倉田に伝えてくれ。外野フライのつもりで打ったら普通にヒットになるって」
その伝言を聞いた倉田は頷く。
犠牲フライで一点なら仕方がない、そういう場面だ。
外野はやや深く守り、フライを確実に取ろうという意識がある。タッチアップで一点ならいい。ランナーがいなくなって守りやすい。
だが倉田の打球は、外野の前に丁度落ちるクリーンヒットで、鬼塚は余裕で帰ってきた。
ノーアウトで先制点を取られて、ランナーもいる。
だが一塁ランナーの倉田に足はない。バッター集中で勝負だ。
今日の白富東は、やや守備力を重視しているので、六番の孝司までで点を取っておきたい。
レフトに入っている佐々木、サードの曽田は、白富東の中では打力は低いのだ。
それに文哲も打つことも得意なピッチャーではない。
守備力重視でも、サードに武史を入れて、レフトには鬼塚でライトにはトニーという考えもあった。
だがこの二人はこの先を戦っていくために、ピッチャーとして使う必要がある。
それに何より、この二人のスタメンで使わなくても、この試合は勝てる。
孝司も左中間を抜く長打を放ったが、倉田がホームまで帰ってくることは出来ずにノーアウト二三塁。
バッターは七番の曽田で、ここまでに比べると比較的打者としては劣る。
「スクイズ行きますか?」
「いや、この序盤からスクイズはねえだろ」
ベンチから出た声に、鬼塚は強きの返答をする。
だが秦野はスクイズのサインを出した。
なぜならここは、スクイズが決まる場面だからだ。
桐野は相手がスクイズをしてくると思った時には、極端な前進守備をしかけてくる。
そして倉田はあまり足が速くない。スクイズをしても失敗の可能性はある。
白富東は王者であり、ここでもまだ打ってくるという見込み。
(でもあんたらにとっては、スクイズの方が嫌だろ?)
内野ゴロで一点は、倉田では厳しい。
足の速さも問題であるが、それ以上にホームに帰ってくる瞬間的な走塁の判断のセンスがないからだ。
だからバントである。
それに秦野は、あちらが持っている強気のバントシフトを使ってこない今が、監督の采配もミスっていることが分かる。
狙い通りにスクイズが決まった。
まさか王者がここからやってくるか、という相手チームのみならず観客の反応であるが、これで二点目が入った。
そして八番の佐々木は、最初からバントの姿勢である。
一死三塁。ここでスクイズのみならず、内野ゴロでも一点は入る。孝司はキャッチャーだが足があるからだ。
スクイズはないだろうというところでスクイズをし、スクイズ出来るところで最初からバントの姿勢。
(あいつら、マジでやってきてるな)
森川としては心の中で溜め息をつくしかない。
強豪校には驕りがある。去年の夏に甲子園に出た桐野は、はっきり言ってストロングポイントが分かりにくいチームであった。
だからこそ県大会で優勝出来たし、甲子園でも勝利し、センバツにも出場した。
それは全て、強豪の驕りを突いたからだと言える。
白富東は真の意味で強豪校だ。
圧倒的に強いくせに驕りがない。
ここはあくまで通過点で、目指すのはさらに先という目標があるからこそ、圧勝していける。
秦野は注意していたが、桐野の特殊なバントシフトなどは、使うところが限られている。
それに白富東は下位打線でも、かなりの確率で内野の頭は越えてくるだろう。
だからと言って、ここで下手に動くことはしない。
ピッチャーにはとにかく、腕を強く振らせる。
スピードはそれほどでなくても、荒れ球には力がある。
佐々木はセカンドゴロを打ち、それでまた一点が入った。
しかしツーアウトで、ランナーはいなくなった。
次の文哲を打ち取って、ようやく初めての凡退を取れた。
一回の表を抑えても、二回の表に三点を取られた。
「実力の差だな」
森川は言葉を飾らない。
「だが相手に実力を出させない、そういう練習をお前らはしてきた」
もっとも口では強気を装うが、頭の中ではしっかりと計算をしている。
あちらのバッテリーも完全に、落ち着いて組み立てている。
内野ゴロを三つ打たせるというのは、かなり効率を重視した配球だ。
球数をそれなりに使っているところが攻めるポイントか。ただあちらにはいくらでもピッチャーの代えがいる。
こちらは二人で全試合を回してきた。
そして抑えのエースの欠点は、体質的にスタミナがないこと。
食って走って体を作れと動かしてみたが、どうしても完投する力はない。
もちろん抜いた球を使えば別だが、このチーム相手にそれは自殺行為だろう。
だがキレはある。
終盤まで試合を崩さずに、ビッグイニングを作り出せば、逆転の目はあるはずだ。
「よし行けお前ら! ねちねち粘っていけ!」
二回の裏も、とにかく球数を放らせることを目的とする。
秦野にとっても、それは正解だと分かる。
あちらはとにかく目の前の試合に勝つことに集中出来るが、白富東としては次に当たるであろう帝都一との対戦を、頭の隅に置かずにはいられない。
いや、考えるのは秦野の仕事で、選手たちはあくまでも目の前の試合に集中すべきなのだが。
(帝都一相手にはタケ、淳は球数が多かったから仕方ない。いいかげんに甲子園もコールド入れでほしいぜ)
絶対に無理とは思うが、秦野はそんなことまで考える。
この試合の後半は、トニーを使っていく。
そこで何点を取られるか、何点取られても大丈夫なのかまで、試合を上手く運ぶのが監督の仕事だ。
(文哲は技巧派だが正統のピッチャーだ。帝都一相手にある程度の失点はある)
だからこの大会ではもう使わないかもしれない。
だからこそこの試合は出来るだけ長く使いたい。
(そんな上手くいくかな~?)
試合運びは順調でありながらも、見据える先はまだ遠い秦野であった。
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