第28話 試される大地の民
甲子園の二回戦、対蝦夷農産戦は打撃戦となった。
先発の淳が打たれたのだ。
秦野としては意外なことだが、原因というか理由らしいものは、ないではない。
蝦夷農産の去年のキャプテンは、背番号18の切り札的なピッチャーであった。
ものすごく遅い、遅さで勝負するピッチャー。
左ではないがアンダースローで、蝦夷農産はアンダースローには慣れていた。
「慣れてるからって打てる球じゃないんだけどな……」
完全に秦野としては計算違いである。
アンダースローという以外に、他のものは全て違う。
スピード、コントロール、球種と、全て淳が優れている。なのにどうして打たれるのか。
(たぶん、ただの思い込みなんだろうなあ)
秦野は思わず遠い目をしてしまう。
アンダースローの打ちにくさ、そのたった一つの特徴を潰した「慣れ」によって、蝦夷農産は淳を打ってくる。
まるでプラシーボ効果である。交代させた方がいいのかと思わないでもない。
だがこういった、とにかく振ってくるチーム相手には、トニーなどはさらに相性が悪いだろう。
対処不能のスピードで武史に封じてもらうという方が現実的だが、先発以外で武史を使うのは、これもまた危険だ。
どんなピッチャーにだって、打たれる時はある。
上杉だって直史だって、打たれて負けたことはあるのだ。
それに淳を代えない理由としては、孝司とのバッテリーでどうにか打開案を探っているから。
そしてもう一つは、打撃戦において、白富東が優っているからというのもある。
五回が終わってグラウンド整備が入る。その間は作戦タイムである。
「代える必要はないです」
誰かが言う前に、孝司が言った。
試合の流れがいったん止まり、ピッチャーなどは糖分を補給する。
「対処法は?」
「一つは、淳の調子自体は悪くないこと、もう一つは、本物の技巧派の真髄をまだ見せてないこと」
孝司の自信満々の物言いに、秦野は頷く。
一回の表に三点を取られ、ベンチにグラブを投げつけようとして、直前でそれを止めた淳である。
切れそうなところで、まだ切れていない。
それに相手の打線の得点は、徐々に少なくなっている。
スコアとしては9-7でリードしているし、球数が圧倒的に増えているわけでもない。
これは試練だ。
だが乗り越えられない壁ではない。
一方の蝦夷農産は、前キャプテンの八田に対してのリスペクトがすごい。
「八田さんのおかげだな!」
「ああ! あのクソみたいに遅いボールを打っていたおかげだ!」
「八田さんにも見せてやりてえなあ」
なお、別に八田は死んだわけでもなく、ちゃんと北海道でこの試合を見ている。
相変わらず大味な試合だなと、少しではなく死んだ目で。
グラウンド整備が終わり、六回の表が始まる。
七点を奪われながらも淳は力投し、この回を三者凡退で抑えた。
これまでと違うのは、振らせるためのボール球を投げただけである。
ボール球でも届くなら打ってしまうアレクと違い、蝦夷農産は大味な攻撃をしてくるが、バッティングは基礎を守っている。
これまで淳はゾーン内の変化や緩急で、バッターと勝負してきた。
だが球速の上限値の違いで、どうにかバットには当てて、それが内野の頭を越えてしまうということがあった。
だから打てないし、当たってもゴロになるボール球を増やしていく。
もちろんこれはフォアボールになる危険性もある。
直史はコントロールを活かしてボール球の数を減らし、その上でボール球を投げて振らせ、三振を奪っていた。
基本的に遊び球は存在せず、淳としてもそれを理想としていた。
ボール球を使うというのは、ピッチングの組み立てとしては当然の選択なのだが、そこをあえてゾーンだけで勝負出来るのが直史であったのだ。
淳はそうではない。
技巧派で孝司と組んではリードを組み立てていくが、相手の視線を引くための、見せるボール球が必要になる。
打たせて取るタイプという点では直史と一緒だが、直史はツーストライクまで追い込んだら、素直に三振を狙ってくる。
球数を抑えるということを、重視しているからだ。
それに単純に、三振はバッターに与えるダメージが即効性で大きい。
そして六回の裏、白富東はワンナウトながら満塁のチャンスで、バッターは三番の悟である。
白富東の、小柄で、三番の、ショート。
それだけでトラウマを刺激される高校球児、特にピッチャーは多いだろう。
(だけどこいつは白石じゃないからな)
(よし、アウトローで攻めてやるか)
一般的な配球だが、ボール球が先行してツーボールとなる。
ただ悟が反応しないので、外角は狙っていないのかと思う。
もう少しだけ内。
そんな微妙なコントロールを、持っているピッチャーはそうはいない。
やや内に入ったボールを、悟は懐に呼び込んでから、角度をつけてレフト方向に飛ばす。
金属バットの力で、スタンドイン。
満塁ホームランで点差が一気に広がった。
試合の流れは白富東のものである。
秦野はようやく安心して試合を見れるようになり、二年生の主張に頷いた自分の、正しさを確認する。
今の三年は、倉田は安全策、鬼塚はイケイケ、そして武史とアレクはマイペースで、かなりの部分まで秦野が采配する必要がある。
だが二年生は名門シニアでプレイしていたこともあり、自分たちでも試合を組み立てられる。
秦野の監督としての契約は、淳の世代が卒業するまでだ。
だがあとを、夏の大会までは見守っていたいとも思う。
セイバーは最近も、時々秦野と連絡を取ってくる。
悟の世代の夏が終わるまで、契約の延長は出来ないだろうか。
思考が横にずれるほど、試合の展開は白富東に傾き、もはや逆転は不可能であろうという段階になっていた。
六回以降の淳は、ランナーこそ毎回出すが、上手くストライクゾーンにボールを出し入れし、得点にまでつながる連打を打たれていない。
球数はある程度増えているが、やはり蝦夷農産に対しては、淳のようなピッチャーの方が相性はいいのだ。
その後も一点は取られたが、そこまでだった。
豪打の蝦夷農産は普通なら勝っていてもおかしくない八点を奪いながら、16-8で敗北した。
淳に最後まで投げさせた白富東と、エースのところで代打を抱いた蝦夷農産の差とも言えよう。
あちらのピッチャーも点は取られながらも投槍にはなっていなかったので、もっと投げさせるべきだったのだ。
ともあれこれでベスト16にまでは進んだ。
次の対戦相手は予想通りと言うべきか、群馬の桐野高校である。
「頑張れよ!」
「せっかくなんだから優勝しろよ!」
去っていく蝦夷農産の選手たちは、やたらとさわやかであった。
おそらくこちらが打ち合いに応じて、その上で負けたからであろう。
九回完投で疲れていた淳であるが、メールやSNSでの返信はこまめに行っている。
聖ミカエルの権藤明日美は、淳にとっては理想の女性であるらしい。
秦野としても、あの天真爛漫なところはいい子だと思うが、トニーと二人で女を巡る争いが起こらないように祈るだけである。
それよりも重要なのは分析だ。
桐野高校の特徴はまず走塁。そして守備だ。
甲子園の舞台でも、細かく守備を入れ替えていたりする。
どうやらベンチの中にいるのは、終盤の守備固めの選手が多いらしい。
試合の序盤から足でかき回す野球で先取点を取り、中盤から終盤は守備で一点を守り抜く。
実際のところ、統計では高校野球の場合、守備は最低限にして、バッティングの技術を高めた方が勝ちやすくなるらしい。
だが現実の桐野は一回戦を1-0で、二回戦を2-1で、一点差をものにしたロースコアゲームで勝ってきている。
すごいピッチャーがいないチームは、とにかく低めにコントロールするピッチャーを用意して、それを守備で支えるという思想が強いらしい。
だが秦野の長年でのブラジルでの指導経験からも、日本の守備練習は時間をかけすぎていると思う。
あとは走らせすぎというのもあるだろうが、桐野の選手は瞬発力に優れていて、走塁の力が守備にも影響している。
これは調べていて分かったことだが、一人の選手は三つ以上のポジションをこなして、他のポジションへの理解力を高めるという練習もしているらしい。
実際の試合でもポジションチェンジは多く、それでちゃんと勝っているのだ。
足を封じたい。そのためにはどうすればいいか。
剛速球でランナーさえ封じてしまうというのもあるが、桐野は内野安打での出塁が多い。
それと単純に、ピッチャーの力頼みで試合に勝つというのは芸がない。
エースに全てを任せるというのは、秦野の頭の高校野球にはない。
そもそも最初から桐野と当たればとうするかは決めていた。
足でかき回してくるチーム相手には、それに動じないピッチャーを使えばいい。
武史やアレクは気にしないので動じないし、淳であればプレッシャーに耐えられる。
だがトニーはそこまでの信頼はおけない。
ミーティングを行い、桐野の野球について説明をする。
一言で言うとそれは、隙を見逃さない野球だ。
バッターは常に前の塁を目指して、守備はフィルダーチョイスが少なく、ポジショニングを少しずつ変えている。
監督の相手の隙を突くという思想が、選手たちに浸透している。こういうチームは強い。
白富東の選手は、表面的なチームワークではなく、勝つことを目的にプレイする。
守備での考えではかなり、白富東に近い。
「先発は文哲でいくからな」
甲子園での一年生ピッチャー抜擢である。
この試合に勝つと、準々決勝との間に間隔がないのだ。
相手が分からない状態では、武史と淳を温存しておきたい。
そしてマジメにコツコツ当ててくる、今では主流ではない桐野のゴロを打つ野球は、文哲のようなピッチャーの方が相性がいい。
それに文哲はフィールディングと、牽制がトニーより上手い。
淳の左のアンダースローは、牽制はしやすいのだろうが、盗塁自体を防ぐのは難しい。フォームが大きいのと、球速がないからだ。
それはそれとして、今年はジャイアントキリングがなく、本当に強いと予想されているチームが順調に勝ち上がっている。
おかげで準々決勝の相手は、データが揃ったチームと戦えそうである。
もちろん目の前の桐野を軽視してはいけないのだが、頂点に立つまでの道しるべを、はっきりとしておかないといけないのが、優勝候補の監督の辛いところである。
(せめて大阪光陰か帝都一のどちらか一つだけでも、どこかに負けてもらえないかね)
秦野の希望は人任せすぎる。
大会第11日目、白富東の試合の前までに、ベスト8に進む高校がいくつかは決まっている。
福岡城山、横浜学一、明倫館、津軽極星、大阪光陰などである。
この中では大阪光陰が桜島と当たってくれて、どうにか厄介なチームを一つ減らしてくれた。
もっとも白富東も、戦力評価Aの蝦夷農産を破っている。
白富東が勝ったとして、残り二チームはどうなるか。
白富東が準々決勝で当たる相手は、大阪光陰、日奥第三と上田学院の勝者、帝都一と沖縄興洋の勝者のどれかとなる。
どれがマシかと言われると、日奥第三か上田学院となるのだ。もしそうなら大阪光陰と帝都一が潰しあってくれるというのもあるからだ。
だがおそらく、大阪光陰か帝都一と当たることになるのだろう。だいたいそういう星の下にあるのだ。白富東というチームは。
そして予想通りに、帝都一と沖縄興洋の勝者と準々決勝で当たることがクジで決定した。
帝都一と大阪光陰と、準決勝、決勝と連戦するよりは、マシだと考えるべきなのだろうか。
何気に帝都一の甲子園で対戦するのは初めてである。
だがこれらは捕らぬ狸の皮算用、まずは目の前の桐野が相手である。
帝都一の対戦相手である沖縄興洋も、かなり手強いチームではあるのだ。
桐野の先発は文哲にしてあるが、継投は充分に考えられる。
だが出来れば帝都一相手には、万全の状態のエースを使いたい。
(大阪光陰は真田をあまり使ってきていない)
府大会や序盤には一試合完投させているが、後は緒方や他のピッチャーを投げさせている。
だがそれだけに、真田を使ってくるのは勝負の試合だ。
準決勝にどこが残るのかは分からないが、明倫館と大阪光陰という、その並びでの対決だけは避けたい。
準々決勝は他に、明倫館と横浜学一、福岡城山と津軽極星の対戦だ。ここまでは確実に決まっている。
それもまた、まずは目の前の試合に勝ってからだ。
監督が勝ちたいと思っていないと、チームは負ける。
その意味では桐野の監督は、陣頭に立って果敢な指揮をしている。
時々、ベンチから出すぎと注意を受けたりもするのだが。
「よし、じゃあ行くか」
パンと顔を叩いて、秦野も気合を入れた。
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