第139話 重荷

 中学時代軟式で無名だった一年生の先発に対し、上級生の反感などはなかった。

「つーかキャプテンたち、どうしてそんなに反応薄いんですか!」

 一睡も出来ないというわけではないが、やや寝不足気味の耕作は、朝食の席で平然と食事をする宮武たちに、絶叫を叩きつける。

「まあ落ち着け」

 面倒見のいいキャプテン宮武は、完全に平静な表情である。

「監督は確かに先発で投げさせるとは言ったが、別に完投させるとも担当イニングも、そのあたりは言及しなかっただろう?」

 さすがに上山と並び、脳筋体育科の中では賢い宮武は、ちゃんと秦野の考えに到達する。

「純粋にまず、瑞雲にだったらある程度通用すると思っていたのと、あとは来年以降のために、経験を積ませたいとか」

「俺のレベルじゃあと二年たっても甲子園で投げられるところまでいけませんよ」

「それは分からない。それに今の段階でも、それなりには通用すると思うぞ」

 今の宮武たちにとっては、確かに耕作のボールは普通に打てるサウスポーのものでしかない。

 だがそれは毎日のようにそれを見て、バッピも左対策で投げさせているからで、初見ではかなり頭の中で起動調整するのは難しいだろう。


 そう言われた耕作であるが、次の日は朝になっても眠かった。

 ぎんぎんに目の下に隈を作った耕作を見て、秦野は布団に戻るように指示。

 お腹を満たした耕作は、今度こそぐこかーと寝こけることが出来た。

「意外と繊細だったんだな」

「図太いと思いますけどね」

 秦野と国立の会話である。

 まあシニアなどの実績もない一年生が、いきなり甲子園のマウンドに立てと言われれば、こうなっても仕方がないのだろう。

 だが宮武が言った程度の勝算は、秦野たちも立てている。




 瑞雲は県下有数の進学校が、少子化対策のために、さらにスポーツにも力を入れた結果誕生した新興強豪である。

 元々高知は徳明義塾高校が一強とも言われていたが、それなりに強いチームはありそのくせ学校数は少なかったため、参入する余地はあったのだとも言われている。

 新興強豪らしく、データを重視した野球を行い、練習も効率的だ。

 最高位はセンバツのベスト4であり、白富東と対戦した。

 その時のエースの坂本は、直史から高校二年の夏以降、唯一ホームランを打った選手でもあった。


 今年も監督の指揮下から、堅実な野球で甲子園出場を果たし、一回戦では地元兵庫県代表の帝都姫路を破っている。

 とんでもない偶然なのだが、これは去年の夏と同じカードであり、二年連続で地元を打ち破った瑞雲は、単純な戦力以上の力を持っていると考えていいだろう。

 だからこそ奇襲とも言える、耕作を先発に持ってきたのだが。

(まあ、やるしかないか)

 一回の表、瑞雲の攻撃に対して、マウンドの耕作はもう開き直っていた。

(どうせ打たれても、それ以上に打ってもらうんだ!)


 そして対する瑞雲ベンチは戸惑っていた。

 白富東は一回戦は二人で継投し、日も空いているため、回復はしているはずだ。

 左を持って来るにしても、三年の山村がいる。

「舐められてんのか?」

「それもあるし、でも逆にチャンスだろ」

 白富東は上位打線の攻撃力が高い。

 ピッチャーも枚数が揃っていて、相手に応じて継投の戦略が立てられる。

 それが一年生を出してきたわけだ。


 野球に限らずスポーツ競技というのは、一つの選択肢をとことん極めるか、それが無理なら選択肢を多く持つほうが勝つ。

 その意味では白富東は、瑞雲よりも強い。

 ピッチャーの質、バッターの質、使える戦術、守備、走塁と、ほとんどの部門が互角か、やや白富東の方が上回っている。

 だからこそこの序盤のやりとりで、先制点を奪いたい。

 甘く見ようが、来年以降を見据えようが、とにかく今は瑞雲にとってのチャンスなのだ。




 スタメンに左バッターが六人という瑞雲は、確かにサウスポーが効果的に思える。

 だが実際はどうなのかというと、確かに効果的であった。

 先頭打者はファーストゴロ、二番打者はセカンドゴロ。三番バッターはファーストライナー。

 見事に左打者の内角を攻めて、右方向にばかり打たせることに成功している。


「左の内角に投げるのって、けっこう怖いんですけど」

「そう言いながらしっかり投げてきてるけどね」

 耕作の愚痴に対しても、上山は軽い口調である。

 一年生の中でも耕作は選手としての個性がはっきりしているため、その人格まで既に周知されている。

 一言で言うと、しぶとい。


 練習試合でも、点を取られても球数が増えても、なお投げ続けるスタミナと精神力。

 一年生からは二人だけのベンチ入りだが、実際には塩谷は公式戦では県大会の二回戦とかに使ってもらった程度である。

 スポ薦組でもなく、体育科でもない。

 そんな選手が甲子園で投げるというのは、ロマンがある。


(なんだかんだ愚痴ってても、投げやりなボールはないんだよな。失投もほとんどないし)

 キャッチャーとしてはリードのしやすいピッチャーである。

 打者の内角、普通にデッドボールになるところにも、一年生が投げ込んでくるのだ。

 図太いと言うべきか、実は図々しいのではないかと思うこともある。


「ひゃっけんー!」

 応援の声がかかって、それに手を振る余裕もある。

 体育科の生徒も基本的には、授業は普通科と同じである。

 もちろんそのままでは授業についていけなくなる可能性があるので、しっかりと補習が入っている。

 補習に出ていると練習時間が減るので、意地でもある程度の成績は取らないといけない。


 そこで活躍するのが野球部研究班であり、やるより見る派の秀才たちが、体育科の面倒を見るわけである。

 その中で唯一ベンチ入りしている耕作は、やはり特別な位置にあるのだ。

(つーか、兄貴もいたよな)

 三年生の夏、進学校の生徒は勉強を最優先に考える。

 まあ中にはどこの学校にでも、普通に入ってしまえるような、特別な頭の生徒もいる。

 耕作も頭はいいが、兄はレベルが違う。

(あんだけトップクラスの成績なら、高校でもサッカー続ければよかったのに)

 とは言ってもどこの大学を受けるのか、しらない耕作ではあった。




 一回の裏は、白富東はヒットは出たものの、得点には至らなかった。

 二回の表、瑞雲はランナーを出したら、得点には至らなかった。

 そして二回の裏も、三回の表も、得点には至らない。


 投手戦と言うよりは、守備戦になったと言える。

 せっかくピッチャーのレベルが下がったのに、瑞雲は点を取れない。

 シンカーとスライダーを上手く混ぜれば、ここまで点の取れないピッチングになるのか。

 上山のリードに感心しながらも、耕作は無造作にリードのまま投げる。


 勉強がいくら出来ても、配球まで出来るかどうかは別の話だ。

 バッターの動作や現状の試合展開を考えるなら、いくらでも頭を使えるのがキャッチャーである。

 耕作としてもすごいなとは思いつつ、そろそろ先制点がほしい。


 三回の裏はラストバッターの耕作から。

 だがここで秦野は動いた。

「代打石黒」

 一回戦で決定的な仕事をした石黒である。


 この回は一人でも出塁出来れば、悟にまで回る。

 そこを冷静に瑞雲が敬遠したとしても、宇垣か上山が打ってくれそうな気がする。

 強打者とは一人だけではなく、次にもまた強打者が必要なのだ。




 石黒の役目は、とにかく手段は問わないから塁に出るころ。

 一回戦の試合を見て、バントに自信があることも、あちらは分かっているだろう。

 そんな石黒の構えは、やや小さい。


 長打は捨てる。

 だが確実に塁に出るため、全力は尽くす。

 構えを小さくした石黒に対し、これは長打はないと考え、瑞雲のピッチャーは投げる。

 その初球から石黒は狙っていた。

 軽く合わせた程度の打球が、ファーストの頭の上を越えた。

 ライト前へのごく自然なクリーンヒットである。

「代走長谷」

 石黒に比べると、長谷は間違いなく足は速い。

 ただ一応はピッチャーも出来た石黒に対して、長谷を出した。これはピッチャーも代えるということだ。

「文哲、次の会から行くぞ」

 左の耕作の後には、技巧派の文哲というわけだ。

 耕作はふうと息を吐いて、とりあえず自分の役目が終わったことに安心した。


 三イニングを投げて、打者11人に対して被安打二の与四球なしの奪三振なし。

 とりあえずの先発としては、充分な働きであった。

「一応水分補給しとけよ」

「おお、サンキュ」

 塩谷にもらったポカリを飲みつつ、試合を見つめる。


 まだまだ勝負は決まっていない。

 だが勝敗よりもずっと、自分の仕事を終えたことの安堵感がある。


 長谷が盗塁を決めて、ノーアウト二塁。

 ここで大石が送りバントをして、ワンナウト三塁。

 高打率の四人が並ぶので、普通に打たせていってもいいか。

 だがこちらの意図することの前に、瑞雲のピッチャーが制球を乱してフォアボール。

 あちらのベンチが伝令を出す。


 フォアボールはダメだと、耕作は聞いている。

 歩かせるならはっきりと歩かせればいいのだが、基本的に相手の失投を誘いつつのフォアボールなどは、考えが甘すぎるのだ。

 監督にとっても一番流れが変わりかける原因は、フォアボールとも言える。

 瑞雲は一応左ピッチャーを二人持っている。

 だが高いレベルにあるとは言えず、継投するとしたらまた右だろう。

 しかし悟と宇垣は左なので、ここでワンポイントっぽく使ってくるかもしれない。


 秦野としては、下手にサウスポーを出してくるなら、それを打てばいいだけと言える。

 そもそもサウスポーにしたところで、左打者の内角には投げにくいとか、そういった弱点はあったりするのだ。

(まだ三回の裏だからな。五回まではどうにか引っ張りたいだろうが)

 そう思っていたら、ピッチャー交代である。


 外野に入っているサウスポーがマウンドへ、そして先発のピッチャーは外野へ。

 ワンナウトランナー一三塁という場面で、ピッチャー交代なのか。

 リリーフのピッチャーは大変だな、と秦野は思う。高校生でこんな場面でリリーフに入るなど、どんなピッチャーでも嫌だろう。

 絶対的なエースであれば、話は別だが。

(これは判断ミスじゃないか?)

 サードランナーは長谷なので、内野ゴロでも一点だ。

 悟は特にサウスポーとの相性は悪くないので、確実に当てていくことは出来る。

(ゴロゴーで)

 このサウスポーには空振りが取れるスプリットがあるのだが、それでも悟を過小評価しすぎだ。




 ゴロを打て。

 シニア時代に悟がよく言われていたことだ。

 もちろん単なるゴロではなく、強く叩きつけるか、強く叩いたゴロだ。

 高校に入って飛距離を伸ばすことは出来たのだが、この場面では長打よりもまず一点。


 ただ秦野は、ランナにーに対してはサインを出したが、悟に対してはお任せである。

(打っていいのか)

 投球練習をするピッチャーのボールに目を慣らし、狙うべき球も決める。


 スプリットを狙う。

 決め球であるスプリットは、必ず投げてくる。それを掬う。

 ダウンスイングで入り、アッパースイングでフォーローする。いつも通りのバッティングだ。


 初球はストレートのボール球。悟の打撃を警戒している。

 最悪ここでフォアボールにしたら、満塁で四番の宇垣に回る。

 ダブルプレイやホームフォースアウトは取りやすくなるが、長打で入る点は多くなる。

 ここで悟を敬遠し、万一にも大量点となれば、かなり勝敗の行方は白富東寄りになる。


(だからこそ、スプリット来るだろ)

 二球目の内角は、膝元に落ちるスプリット。

 これを掬い上げるように打って、打球は高く上がる。

 長谷の足ならタッチアップでも充分だが、これはスタンドにまで届くのではないか。

 そう思ったが、フェンス直撃ではあるが、ぎりぎりホームランにはならなかった。


 長谷が帰って一点ではあるが、宮武が二塁までしか進めなかった。

 ライトが追いつくかどうか、微妙なところだったのだ。

 しかしアウトカウントは増えず、まだチャンスは続く。

(さて、どうするか)

 チャンスは続き、バッターは宇垣。

 ここで追加点を取れば、一気に勝利は白富東に傾くであろう。

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