第138話 有閑

 夏の甲子園は勝ち進めば勝ち進むほど、選手を、特にピッチャーを削る地獄になる。

 使えるピッチャーが二枚必要などとは言っていられないものであり、監督には使えないピッチャーを上手く使う能力が求められる。


 大会二日目。

 白富東と三回戦で当たる可能性のある、二校の試合が午前中にあるのでこれを見る。

 勝ち残ったのは、群馬の前橋実業と、香川の丸亀東。


「丸亀東、公立かあ」

「香川ってけっこう強いって聞くけど、対戦したことはなかったよな」

「前橋実業が勝ち上がってきてくれた方が、分かりやすいかな?」

「つってもここ最近は、あんまり当たってないだろ」

 

 四国はおおよそ野球熱が強い土地なのだが、その中でも特に愛媛と香川は熱い。

 だが香川西も前橋実業も、雑誌の特集記事などでは、おおよそB評価である。

 意外な長所があったりすると、一つの雑誌ぐらいは評価が違ったりするのだが、どちらのチームも一回戦を見る限りは、特別注意するようなストロングポイントはないだろう。

 だがそういうチームは逆に弱点もなかったりするので、何かのきっかけで強豪を食うこともある。


 だがそれよりはまず、二回戦の瑞雲との試合を考えるべきだろう。

 ピッチャーを左右二枚ずつの四枚も揃えた豪華な布陣に見えるが、左の方などは無理矢理左利きにピッチャーをやらせているような感じしかしない。

 専業ピッチャーは右の二人で、この二人の継投に加えて、左へのワンポイントの使い方が特徴的だった。

 小手先の戦術と言えるのかもしれないが、三番と四番が左の白富東には、案外効果があるかもしれない。

(まあ水上も宇垣も、左ピッチャーってだけでは特に苦手とも思わないしな)

 ただ大石は少し数字が落ちるので、打順を変えたほうがいいかもしれない。


 グラウンドで選手たちは、調整程度の練習を行う。

 接触で転倒した石黒は、特に問題なく動いている。

 怪我だけは心配だったのだが、走るのも投げるのも異常はない。


 ただ、これで石黒の使い方は、決まってしまった。

 スタメンでは花沢をセカンドで使い、石黒は代打の切り札として使う。

 単純なヒッティングだけではなく、小技で一点を取ることも出来る、器用なタイプの選手。

 普通に日本で野球をしていたら、出てこなかったタイプである。


 この先勝ち進んでいけば、下位打線で必ず、一点がほしいという場面が出てくる。

 そこで切り札として使うために、やはりスタメンからは外さざるをえない。

 本人にとっては不本意かもしれないが、これがおそらく一番柔軟な布陣だ。




 甲子園で最後まで勝つということは、生半可なことではない。

 特に夏は、三年生の執念が凄まじい。

 青森明星に勝てた理由の一つとしては、石黒が下手に打つことなどを考えず、バントで確実に一点という選択を自分で示したからだ。

 ここが最後、ピッチャーの力でどうにかしようとした青森明星との、決定的な差である。


 一番重要なピッチャーの運用も、文哲もユーキも特に深刻な疲労を溜めてはいない。

 瑞雲は比較的左バッターが多かったから、山村で次は先発を行こうかと考えている秦野である。

 

 体の調子を確認する程度の練習を終え、宿舎に戻る。

 甲子園の試合をリアルタイムでチェックしてくれていた国立が、おおよそ順当な結果を知らせてくる。

 三試合目に勝ったのは帝都一。

 ブロックが違うので、当たるとしても準々決勝以降になる。

 そして四試合目は理知弁和歌山が勝ち、二回戦で帝都一と対決することになる。


 正直なところこの二回戦までは、帝都一が勝ち上がる可能性が高いだろう。

 春の大会以降、関東では強いのは、帝都一と横浜学一で、白富東はやや実力が劣るとさえ見られている。

 評価などどうでもいいが、この両者が準々決勝で戦う可能性はある。

 もちろん準々決勝で白富東が対戦する可能性もあるのだが。

 



 甲子園を経験するのは、もう七回目の秦野である。

 世間からすれば名将なのだろうが、自身としてはただチームが強かっただけと言える。

 もっとも自分の力など本当に必要なかったのかと問われれば、少しは貢献したと言えるだろう。


 その秦野が経験する、甲子園の夏は、一回戦では長く感じる。

 もちろん休みがあった方がいいのは当たり前なのだが、緊張感を二回戦まで維持するのが難しいのだ。

 選手たちの様子を見守るのは、国立と交互に行うことにした。

 今甲子園で行われている試合の勝者とは、最短でも準々決勝までは当たらない。

 それでもリアルタイムで見ていてこそ、何か感じるものはあるだろう。


 一回戦で一番の見所は、やはり白富東と青森明星の試合だっただろう。

 それ以降の試合はおおよそ、順当に有利と見られていたチームが勝ちあがっていく。

 宮城の仙台育成、沖縄の尚陽、鹿児島の桜島、長野の上田学院、愛知の名徳、岐阜の岐阜商工、大阪の理聖舎、福岡の福岡城山、神奈川の横浜学一、埼玉の花咲徳政。

 ほとんどが私立であり、公立も過去の実績が高く、番狂わせらしきものが全く起こっていない。

 逆にこれだけ順当であると、見ている方は面白くないのかもしれないが。


 それでも接戦はあり、大阪の理聖舎と京都の静院は、お隣同士の接戦であった。

 理聖舎と二回戦で対戦する福岡城山も、愛媛の斉城と戦って勝っているので、一方的な試合ばかりではない。

 それでもまあ、こんなところが、という意外性がないのが、今年の夏と言えようか。

 強いて言うならそれこそ、センバツ準優勝の青森明星が、一回戦で消えたことだろう。

 ただこれは白富東が強いと周囲に認識されて、油断を誘いにくくなったとも言える。


 秦野としては、やはり首を傾げたくなる結果である。

 二回戦から登場のチームは除いて、番狂わせらしい番狂わせが一つもない。

 そもそも初出場が二チームしかなく、その二チームが一回戦で負けているので、フレッシュさは全くない。

 実際には中の人である選手たちは、これが最初で最後の出場であったりもするのだが。




 大会の六日目までが終わった。

 七日目の第三試合からは二回戦が始まる。

 そして七日目の最終第四試合が、白富東の二回戦である。


 大会初日に試合があったため、中五日の試合になってしまった。

 いいかげんにこちらに知り合いも多くなっていたので、合同練習の相手などには困らなかった。

「まずいかな」

「まずいでしょうね」

 秦野と国立の会話である。


 選手たちが、少し気を抜きすぎている。

 瑞雲は分析してみても、それほど強力なチームではない。

 贔屓目ではなく普通に戦えば勝てると思うが、その普通に戦うというのが難しいのだ。


 甲子園のマモノが出てくる条件を、これは満たしてしまっているのではないか。

 秦野は考えた挙句、気の緩みをショック療法でどうにかすることにした。

 前日に告げる、先発のピッチャー。

 回復充分な文哲でもなく、左の山村でもなく、一年でベンチに入っている耕作を指名である。

「なんで!?」

 他の誰よりも、耕作が悲鳴を上げた。

「甲子園のベンチ入りメンバーに入ってるんだから、そりゃ使われるかもしれないのは当たり前だろ」

「いやでも、一回戦からちゃんと間も空いてるし、先輩たちも全然疲れてないでしょ!」

 その主張はもっともなのだが、秦野には聞き入れる理由がない。


 経験の少ない一年生を、先発で使う。

 瑞雲はストロングポイントはないが、逆に言えば平均的にはちゃんと打ってくるチームだ。

 当然ながら耕作は打たれるだろうし、こちらも守備だけではなく攻撃も、しっかりとしていかないといけないだろう。


 ショック療法。

 誰よりもまず耕作にショックを与えてしまったが、これで三年生の気が引き締まったのも確かだ。

「お前がいくら打たれても、それ以上にこちらが打つからな!」

 宮武がそう言って励ますものの、耕作の顔色は悪い。

 自分が甲子園のマウンドに登るようなピッチャーだとは、思ってもいなかった。

 だが確かに、それならばどうして連れて来たのか、という話にはない。


 意外と図太いのは、お天道様には勝てない農民の証。

 そんな耕作でも、眠れない二回戦前日の夜であった。

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