第126話 三番と四番、そして五番
野球においてもっとも重要な打順は何番だろうか。
あるいは、最強の打者はどこに置くべきか。
長らくこれは、四番であると言われてきたし、実際にそこに置かれてきた。
理屈づけて考えれば、初回の攻撃に四番まで打順が回った場合、必ずランナーが出ていることになる。
そのチャンスで打てる四番というのが、一番打てるバッターを置いておくべき理由だろうか。
ただMLBにおいて統計的に見た場合、良い打者は三番や、あるいは二番にさえ置かれるような場合もある。
選手層やチームの状態によって違うのだろうが、白富東は白石大介以降、全て三番に最強の打者が置かれている。
そんな三番打者を敬遠し、いきなりワンナウト一二塁となった一回の裏、打席には四番の宇垣。
悟の影に隠れようもない、デカイ体のこの四番は、間違いなくチームでナンバーツーのバッターであり、一番バッターを任されたこともあるほどに、信頼度は高い。
先頭バッターというのは三番や四番とはかなり性質が違うが、それでも求められる役割は多い。
そんな一番を経験してから四番になった宇垣は、視野がだいぶ広がったと言っていいだろう。
三番を敬遠して四番に回す。
打率や長打率を考えれば、それは妥当な判断なのだろう。
だが宇垣を怒らせるには充分なことで、その怒りを冷静に昇華させることが、今の宇垣には出来る。
(外野は深いな。内野は中間守備で、ゲッツー狙いか)
冷静になれる。
一塁を埋めることは、アウトを取る確率を上げてくれる。
だが奪われる得点が増えることも、考えているのだろう。
まだ甘く見られているのか。
いや、単純に統計ではそうなっているのだろう。
破壊衝動を凍結地獄に送るようなイメージで、宇垣はバッターボックスに入る。
殺意の波動を感じて、トーチバのピッチャーは震える。
白富東の四番。つまり甲子園で四番を打っていた。
ホームランも打っていて、二年の時には特攻隊長の一番で、つまり攻撃的なバッター。
どれだけ注意しても、しすぎることはない。
だがそう思って歩かせてしまっては、さすがに注意のしすぎである。
ワンナウト満塁になって、バッターは五番の上山。
白富東のバッターの中で、本当の意味で危険なのは、この五番までだと周囲には認知されている。
だがそれはここまでが四割打者というだけで、他のバッターもしっかりバットは振れているのだ。
(まあ外野まで運んだら、大石君の足なら帰ってこれるか)
上山としては無欲で無心である。
基本的に上山はパワーがあるので、フライボール革命の指導を受けている。
あれはフライを打つことが目的なのではなく、正しいバレルゾーンでボールを打つことによって、フライ性の打球を遠くまで飛ばすことを求めるのだ。
三番の悟と、四番の宇垣という強打者と当たると、二人とも敬遠などという無茶をしてくるところもある。
そういう時に絶対に、ゴロでダブルプレイになることだけは避けなければいけない。
この打席においても、満塁である以上は、ゴロでもフォースアウトが成立する。
なので外野に飛ばして、まずは一点。
悟や宇垣であれば、ホームランを狙っていくところだろう。
だが上山は慎重なのだ。
先取点を奪いたい。
文哲の調子は良さそうだが、トーチバ相手に無失点というのは難しいだろう。
体力的な面を考えても、明日の決勝のためには、左打者のところで山村に交代か、抑えとしてユーキを投入だろう。
何点かは取られる、と見ておいていい。
そして戦力が拮抗しているならば、先取点を取ることは大切なのだ。
今年の白富東は、春の県大会で優勝したものの、去年ほどの絶対的な力はない。
そんな中で三年の二人のピッチャーは、失ったものを取り返しにいく。
(打撃でも二人を支えないと)
そう思った上山のスイングは、見事に変化球を空に上げた。
(よし、タッチアップには充分なはず)
充分すぎた。
伸びたボールは、スタンドに飛び込んだ。
つまり、満塁ホームランである。
準決勝の相手は、甲子園経験も何度もあるトーチバ。
そこを相手にいきなりの四点リードは、かなりありがたいものであった。
三番と四番が、決定的な一打を放ちはしないものの、得点への機会を広げた場面。
そこでちゃんと掃除をするのが、五番の役目である。
トーチバと白富東の実力の差は、確かに白富東の方が上であるのだろうが、それでも圧倒的なものではなかったはずだ。
だが初回の満塁ホームランというのが、あまりにもインパクトがありすぎた。
ここで白富東は、打線陣は伸び伸びと自分のスイングが出来るし、ピッチャーや守備は腕を振って緊張なくプレーできるし、何より応援が一気呵成の雰囲気を作る。
高校野球はこの雰囲気というのがバカにならない。
トーチバとしてもまだ一回の四点差なので、諦めるには早すぎる。
満塁ホームラン一発で入った四点は、満塁ホームラン一発で同点に出来るからだ。
秦野としては、次の一点がどちらに入るかで、この試合は決まると思っている。
たまたま入った四点なのか、それとも実力の裏付けがあって入った一点なのか。
トーチバはこの数年の白富東の強さを知っているだけに、むしろ上級生こそが諦めてしまうかもしれない。
そう思っていたのだが、最後の夏にかける三年生の執念は凄かった。
トーチバのように野球で上に行ける選手が多いと、とにかく高校生活の全てを野球に捧げていた選手もいる。
白富東とはまた違った、歪なまでの団結力があるのだ。
間に合わない内野ゴロにも、ヘッドスライディング。
実際は駆け抜けたほうが早いし、怪我の原因にもなるのだが、こういった我武者羅な姿を見せることが、味方の応援団の声を引き出す。
だが、マウンドにいるのは文哲だ。
おそらく白富東の中では、もっとも精密なピッチングをするピッチャー。
勝気な山村とも、鈍感なユーキとも違って、冷静に投げられるピッチャーなのだ。
そして上山も、秦野からの司令を受けて、変に構えすぎないようにリードをする。
キャッチャーは相手の意表を突く強気なタイプと、最悪を考えて最善を尽くすタイプの、両方をその性格の中に備えていないといけない。
もっともピッチャーの気性によっては、そのどちらかに偏っていた方がいい場合もある。
文哲のリードをする場合は、上山は中庸を意識する。
それでもどちらかに分類するなら、最悪を考えて組み立てる方だろう。
文哲にはそれに応える技術があるのだ。
一気に勝負が決まるかと思った試合であるが、二回と三回は両者ともに無得点。
特に白富東の三回は、またクリーンナップに回るだけに得点が期待されたのだが、そうそう毎回チャンスを作ってものに出来るわけでもない。
こんなことなら最初の打席の悟とも、対決しておいた方が良かったとも考えるトーチバの監督であるが、いまさらそんなことを言ってももう遅い。
対する秦野としては、クリーンナップで追加点が取れなかったのは痛い。
だがトーチバもここまでヒット一本と、完全に抑えられている。
四点差で四回。
明日も連戦となる決勝を考えれば、継投も考えていかないといけない状況である。
ただ初回の満塁ホームラン以外は、勝負は拮抗している。
下手にピッチャー交代などをすると、流れが変わることもある。
まだ代えられない。
最悪明日の決勝は、文哲なしの三人で回していくことになる。
いや、さすがに決勝のマウンドに、耕作は厳しいか。
そう考えるならやはり、どこかで追加点を取っておきたい。
四点差というのは、あと三点を取れば、コールドになるのだ。
七回までを投げるなら、それなりの球数にはなるが、それでも完投するよりはマシである。
かなりの点差がついて、勝敗がおよそ決したとしても、決着がついていなければ、逆転の機会はある。
それが最後まで諦めなかった高校球児にもたらされる、時々はある奇跡だ。
一方で監督にも、ピッチャーを温存するための勇気が必要になる。
もう後がない者と、先を考えないといけない者。
計算をしなければいけないだけ、監督の立場としては秦野は不利だ。
初回の大量リードからも、バッテリーは油断しなかった。
しかし下手に守りに入ることもなく、勝負するところでは勝負して、相手の反撃の芽を摘んできた。
それでいて球数が多くなっているわけでもない。
理想的な試合の展開ではあるのだが、ここで追加点がはいって、あちらの心を折っておきたい。
そして文哲は四回も、ヒット一本を打たれたが、失点はなく抑える。
四回まで投げて被安打二という、四球のないのが文哲のスタイルである。
この四回の裏は、白富東は下位打線である。
だからこそ、この下位打線で点を取りたい。
六番の塩崎が、先頭打者としてフォアボールで出塁した。
初回に四点を取られながら、立ち直ったピッチャーは立派であるが、やはり精神的に消耗しているのか。
まだ四回なので、エースを代えたくないというのは分かる。
もしも白富東であれば、三人はエース級のピッチングが出来るので、交代もしていただろう。
だがトーチバには、そんな理由はないらしい。
白富東を倒せば、明日の決勝は勇名館か上総総合、どちらが上がってきてもまだマシな相手となる。
なのでピッチャーには全力を尽くして欲しいし、準々決勝まではそれなりに温存してきたのだ。
ここをしっかりと抑える。
それがエースの役割である。
七番の平野は、積極的に打っていったが、ライトフライ。
そして今日はスタメンで出ている花沢である。
最近、県大会の序盤などでは、ピッチャーで投げることも多かった花沢。
セカンドは石黒がスタメンで出ることが多かったのだが、正直守備力は花沢の方が上である。
それでも石黒の方が使われていたのは、パワーの差である。
花沢は身長も165cmもないし、それでも遠くまで飛ばせるほどの、化け物じみた筋力やミート力も持っていない。
だがバントなどの小技のセンスはある。
出来れば石黒と逆の打順でいてほしかったが、ここはバントを決めてツーアウトながらランナー二塁。
バッターはラストバッターの文哲だ。
文哲はピッチャーということもあってラストバッターに入っているが、打てないわけではない。
むしろ二三年のピッチャーの中では、一番打率は高いのだ。
ただ長打力は、山村やユーキの方がある。
ツーアウト二塁では、打っていくしかない。
上手くヒットになれば、単打でもセカンドから帰って来られる。
ただ、ここは出来れば大石につなげてほしい。
それすら無理でアウトになっても、次の打順が一番の大石からとなる。
(ここは……うちにとってはそれほどでもないけど、向こうにとっては大ピンチかな)
秦野が出すサインは、待てというものだ。
トーチバのベンチも文哲が、それなりに試合では打っているというデータは持っているだろう。
単純に打力の高い選手がいるから九番なだけで、もっと上位を打っていてもいいのだ。
それこそ六番あたりに入って、器用に仕事をしてもらってもいい。
勝手にボール先行でカウントを悪くしたトーチババッテリーに対し、もう秦野が出すサインはこれだけ。
打て、だ。
ゾーンに甘く入ってきた球を、文哲は強振した。
打球は内野の頭を越えて、全身守備だった外野がやや、回り込んで捕りにいく。
バウンドした打球を、フェンスにまで転がすことはなくキャッチしたが、そこから投げてもホームには間に合わない。
塩崎がホームを踏んで、これで五点目。
おそらく相手の心を折ったであろう、追加点が入った。
実のところ、かなり自軍に有利になったのは確かだが、まだ勝負は決まっていないと秦野は見ていた。
残りのイニングと、五点差ということを考えれば、継投を考えなくてはいけない。
だが、まだランナーが残っていたところに、おそらく精神的ダメージから回復していなかったピッチャーが、力こそこめたがイマイチ甘いストレートを投げる。
それを打った大石の打球は、この日二本目のホームランとなってスタンドに入った。
大歓声が応援側スタンドから上がる。
そして秦野も、自分の新しい任務が出来たのが分かった。
「ユーキ、肩作れ」
七点差である。
つまりこのままのリードを七回まで保てば、コールドで勝てる。
トーチバもまた、ここでエースを諦めた。
まだ四回ではあるが、七点差だ。
ピッチャーはもう、代えるしかない。
気の毒にな、と秦野は思う。
上山にしろ大石にしろ、確かにホームランを打てる長打力はあるが、確実性はない。
そもそも高校生で、そんな確実にホームランが打てる者など、まずいないのだ。
悟だって完璧にスラッガーではあるが、ケースバッティングをしている。
「状況にもよるが、五回までは文哲でいって、そこからユーキに代えるからな」
継投だ。
もう秦野は、決勝を見てピッチャーを温存するつもりである。
千葉県のようなチームの多い県では、決勝近くになると試合の間隔が狭い。
これまではコールドで勝ってきて、ピッチャーの球数は減らすことが出来た。
ここでもコールドで勝てれば、決勝で少しでも楽になれる。
また一つ、三年生の夏が終わる。
その屍の山の上に立ったとき、甲子園への扉が開くのだ。
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