第127話 指導者の質

 残酷な夏の終わり方とはなんだろう。

 力を尽くし、全てを出しつくし、そして破れることであろうか。

 あるいはもっとあっけなく、目の前に用意された敗北に対して、淡々と進んでいくものだろうか。

 劇的な逆転の敗北などは、その瞬間をずっと記憶していくような気もする。


 千葉県大会準決勝は、敗北への道を一歩一歩進んでいく、そんな試合になった。

 六回の裏、追加点を取った白富東は、さらにランナーを置いて、二番の宮武。

 8-0で、七回の表に点を取らなければ、そこで試合が終了するという場面。

 ランナーは二三塁で、ツーアウト。

 ここで切れば、一番怖い打者と対決しなくても済む。

 そして七回の表の攻撃に、希望をつなぐことが出来る。


 強豪私立でずっと野球をやっていたような選手が、最後に思うことはほとんど同じだ。

 まだ、野球をしていたい。

 それは三年生だけではなく、まだ来年のある一年や二年も、同じことを思うらしい。

 もちろんグラウンドにさえ出られなかった選手は、違う意見もあるだろうが。

 三年間をかけて、何かの怪我や、そもそも実力が足りず、最後の試合にも出られなかった者。

 せめて甲子園のスタンドで応援したいと、そう思った者もいるのかもしれない。


 宮武は思う。

(なら白富東に来れば良かったんだ)

 様々な理由はあるだろうが、少なくとも甲子園に行きたいなら、千葉なら白富東だと思った。

 スポ薦が出来て、体育科も出来た。

 それでもまだ足りないなら、最初から夢のままでいろ。

 俺は白富東に来て、特に活躍はしなかったけど全国制覇をして、キャプテンになってからも甲子園に行って、そして最後の夏も甲子園に行こうとしている。

 何も手加減などしてやらない。

 敗者には、容赦なく、後悔も残させずに、はっきりとした敗北を。

 宮武の振ったバットは、打球を大きく飛ばし、前進守備であった右中間を抜いた。

 二人が帰ってきて、10-0のコールドが確定。 

 白富東は今年もまた、夏の県大会の決勝にまで進んだ。




 強い。

 試合を見ていた、勇名館と上総総合の両監督は、同じ思いを抱く。

 去年の秋から、特に追加された戦力はない。

 敷いて言うなら一年のピッチャーであるが、あれはまだ雛の段階だ。

 SS世代以来では最弱。

 白富東は毎年そんなことを言われているが、それでも普通に甲子園には行ける。


 ただ、甲子園での成績は、年々落ちていっているのは確かだ。

 あの四連覇の後、関東大会でも敗北して、センバツはベスト4で夏は準優勝。

 そして今年は同じく関東大会で敗退した後に、ベスト8でセンバツを終えた。

 ただそのどれも、優勝したチームに敗退している。


 結局のところ、弱くなったと思いたいのは、白富東の打倒を考える者か、過去を美化した人間だけなのだろう。

 あの、全く無名だった二人を車の両輪にして進んだ、栄光の日々。

 春夏連覇に加えて、国体や神宮までも含めた五連覇。

 あれは本当に、奇跡のようなチームであった。

 打つほうも投げるほうも、スーパースターがいた。

 そして幾つもの記録を作り、そしてそれ以上に記憶に残った。

 日本を世界一にしたし、プロや大学に進んで、野球というスポーツの人気を再興したと言っていい。


「そんな化け物退治なわけだが、まあその前哨戦だな」

 上総総合の監督である鶴橋は、定年後にほとんどボランティアに近い形で、上総総合を率いている。

 毎年のようにベスト8ぐらいまでは勝ち残って、県内では名将と言われている。

 過去には複数の甲子園出場経験があり、体力がなくなってきた今も、その勝負どころでの勘は冴えている。


 勇名館の古賀監督も、白富東のSS世代を唯一破って甲子園にいったとして、県内では名将と言われている。

 だが基本的にはスカウトもせずに、集まった戦力で戦うという点では、鶴橋の方が上だろう。

 個人的には同じ公立のチームを指揮する者として、秦野や国立と語り合ったこともある。

 チーム力では圧倒的に白富東が上だろうが、ジャイアントキリングが起こせないほどの、どうしようもない差でもない。


 いかんいかん。

 まずは目の前の勇名館が相手だ。

 150km近いストレートと、数種類のスライダーを持つエースを、どうやって打ち崩すか。

 まあ準備したことを、しっかりとやっていこう。

 鶴橋の戦術は、選手たちに徹底されている。




 勝利後に早々に学校に戻り、準決勝を観戦する。

 試合は勇名館が先取点を取ったが、上総総合もすぐさまそれを取り返している。

(どちらにしろ、エースを明日も使わないといけないわけか)

 その点は白富東が、やはり有利な点である。


 上総総合のエースはサウスポーであり、三回戦は休んでいるが、それ以外は全てに登板している。

 だがある程度の点差がつけば外野に入り、ある程度のイニングは他のピッチャーに任せている。

 先発に他のピッチャーを送って、〆にエースを送るというパターンもあって、かなり便利な使い方をされている。

 そのあたりに精神的な応用が利くあたり、優れたピッチャーだとは言えるだろう。

 ただこの試合は最初から、エースをフル回転させている。

 勇名館が打てるチームというのもあるが、向こうのエースのスペック的に、ロースコアにしかならないと考えているのだろう。


「勇名館、去年もかなり投げてたよな、あいつ」

「ノーコンであんまり信頼出来ないって感じじゃなかったか?」

「まあ今日も二つフォアボール出してるけど」

「それでも前に比べればはるかに改善されてるわけか」


 勇名館のエースは、確かに去年の時点で、二年生ながらエースクラスではあった。

 しかしコントロールに課題を抱えていたのも、明らかだったのである。

「春の大会からはフォームが安定してきて、コントロールもかなり良くなってきたな。そのくせ球速は元のままを維持してるし」

 秦野はそう評価したが、国立は不思議なことを言う。

「去年の方が怖いピッチャーでしたね」

「そうだな」

 秦野も頷いて、不思議そうな部員たちに説明していく。


 フォームが安定せず、コントロールも安定しないピッチャーと、フォームが同じでコントロールもちゃんとついているピッチャー、どちらが打ちにくいか。

 言われてみれば前者の方が打ちにくい。

 ただ一般的に言われるならば、後者の方がいいピッチャーだと思うのだが。

「コントロールを重視して、ダイナミックなフォームをコンパクトにまとめすぎたんでしょうね」

「まあ前のままだと、試合を崩してしまうこともあったから、仕方ないと言えば仕方ないのか」

 指導者も苦心しただろうなあと、二人は思う。

 なお二人であれば、フォームをそこまでコンパクトにはさせなかっただろう。




 ダイナミックな、つまりはどこか標準的ではないフォーム。

 そこから投げられるボールは、リリースポイントが標準からずれていたり、タイミングが取りにくかったりと、様々な打ちにくい要素がある。 

 本当に優秀な指導者なら、そのダイナミックなフォームはそのままに、コントロールの改善を考えただろう。

 だが高校野球の、しかも私立の監督というのは、どうしても高校三年間での成果を求められる。

 成果を求められるのは、甲子園に行きたいのは、監督だけではない。

 

 こういった、間違いではないのかとも思える選択をしながらも、勝ち残っていかなければいけない。

 全ては甲子園のために。

 選手個人がプロを目指しているのなら、本当はその素質を最大限に伸ばさなければいけない。

 昔と違って今は情報の拡散も発達していて、甲子園に出られなくても、プロに行く道はある。

 だが学校が求めているのは、とにかく甲子園だ。

 甲子園をプロまでの行程の一つとして、割り切って考えられる選手も少ない。

 やはり誰だって、甲子園には行きたいのだ。


 国立が三里を甲子園まで連れていけたのは、はっきり言ってあのメンバーでは、プロに進むほどの者がいなかったからだ。

 古田だけはわずかに可能性があったが、高卒の段階でもまだ、とてもプロで通用するとは思えなかった。

 大学も特待生までは難しく、そこで社会人野球の企業に紹介したのだ。

 順調に活躍しているが、やはりあれから三年目、つまりプロからのドラフトが解禁になる今年も、指名されるほどに明らかな伸びはなかった。

 もっとも本人も、プロの道は諦めていたようだが。

 SS世代と同学年で、プロで通用すると思って志望届を出したのは、大原ぐらいである。

 まああれは、ボコボコに打たれた大介と同じチームに進んだので、彼としては良かったのだろう。

 プロ入り三年目、先発ローテの一枚として、チームに貢献できるようになっている。


 安定した勇名館のエースを、百戦錬磨の鶴橋が攻略出来ないわけがない。

 徐々に上総総合の方の攻撃時間が長くなってくる。

 ピッチャーが安定してコントロールされたボールを投げられるのは、一イニングに15球程度が限度と言われていたりする。

 それが本当かどうかはともかく、単純に球数が増えて、ベンチに休める時間が減るのは、負担が大きくなるのは当たり前だ。


 終盤にかけて、八回、九回と上総総合が点を取っていく。

「決まったな」

 4-2で上総総合が勝利し、久しぶりに公立校同士の決勝戦が行われることになったのだった。




 上総総合が強くなった理由は、もちろん色々とある。

 元々それなりに強かったというのもあるが、六大学で活躍した選手が、部長兼コーチとして、赴任してきたということが大きい。

 早稲谷大学でクリーンナップを打ち、SS世代が初めての夏を迎えたときの白富東のキャプテンだった北村。

 当初は白富東への赴任を希望していたのだが、長期的に見た場合に、最初は違うチームに行った方がいいと判断したのだ。


 一つには国立がいることで、秦野の後の監督は任せられるということ。

 公立高校の教師の異動を思えば、北村と国立が一緒にいられる時間は長いが、二人が共にいなくなってしまうことがあると思われたからだ。

 鶴橋のように監督経験が長い人間の下で、学ぶことはいいことである。

 三年後には白富東に異動し、そこで国立の補佐をすれば、次に国立が異動する時に監督へ就任するのが、自然な流れとなる。


 直史と樋口が好き放題に変えてしまった早稲谷の効率的なシステムを、北村は当然ながら知っている。

 その知識とノウハウを鶴橋が活かしたら、それはやはり強くもなるというものだ。

「70歳近いのに、元気な爺さんだなあ」

「それでも私が現役だったころよりは、ずっと大人しくなっていると思いますけどね」

 かつてホワイトヘアードデビルなどと呼ばれていたらしいが、今は優しすぎず厳しすぎず、上手く選手を活用している。

 何より私立ではないので、甲子園を圧倒的に求められることがない。

 好き放題に、ただ選手を伸ばして、強いチームを作る。

 そしてそれを補佐してくれる部長は、指導者経験こそないが、早稲谷のキャプテンまで務めた、さらに言えば白富東のキャプテンまで務めた北村。

 本当に今、鶴橋は恵まれた環境にあるのだ。


 監督というのは単純に能力だけではなく、肩書きが重要になることもある。

 プロ野球の監督が、スーパースターじゃないとなれないというのが極端な話であるが、勇名館の古賀も公立での育成で目を付けられたわけだし、鶴橋も長い時間をかけてその評価を作ってきた。

 六大学のスターであった国立、そもそも推薦してきた人間への信頼感が段違いだった秦野、そしてキャプテンシーに優れた北村などは、ちょっと違う分類なわけである。

 妖怪爺の補佐をするのが、最新の野球理論に触れていた北村。

 選手たちの能力を比べるなら、明らかに白富東の方が上である。

 だが選手たちの能力の個性を上手く組み合わせれば、全く敵わないこともない。と思う。


 秦野と国立は、おおよその説明を終える。

 そこそこの長打力がある選手はいるが、ホームランをそこそこ打っているのは一人だけ。

 基本的には守備のチームで、サウスポーをどう攻略するかが鍵だ。

 あとバッターには特に左を多く揃えていたりなどしない。

「先発はユーキで。ガンガン飛ばして投げて、途中から山村、そして最後には文哲につながる流れで」

 文哲は今日は六回までを投げたので、まだそれほどの疲労は溜まっていない。

「まあ最後まで完投出来るならその方がいいけど、とにかく下手に抜いて投げると、下位打線からでも得点してくるチームだからな」

 それはこの試合を見ていても分かった。


 とにかくランナーが三塁にいて、アウトカウントがまだワンナウトだった時の、得点奪取が見事すぎた。

 バッターが死ぬ代わりに、必ずランナーをホームに返す。

 そうやってこつこつと点を取るのが、下位打線も上手くなっている。


 下位打線でも振れるように、という考えの白富東とは違う。

 なんだかんだ言いながら、この高校野球で燃え尽きることを、覚悟した選手たちだ。

 細田を育てた時は、伸び伸びと育てていたものだが、選手によって教え方を変える。

 これも鶴橋の経験が成せる技なのだろう。

 秦野や国立では、そこまでは手が回らない。


 公立校同士の決勝戦。

 勝った方が千葉の代表として、甲子園で戦う。

 甲子園までの間に回復出来るので、上総総合も選手を酷使してくるだろう。

 秦野も国立も、もちろん甲子園までの期間の回復は考えているが、やはりどうしても甲子園出場後のことを考えてしまう。

 そこで鍵になるのは、監督の差であるのかもしれない。

 秦野と国立、二人の高校野球の指導経験を倍にしても、鶴橋には全く及ばないのである。

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