第70話 変化の良し悪し

 白富東の一軍の練習試合、ウラシュウとの戦いは、4-1で白富東が勝利した。

 ピッチャーとバッターを撮影していた映像をあちらにも渡して、さてここから分析するのだが、実は白富東のグラウンドはセンバツの間に、新しく導入されたものがある。

 正確には前からあったものを、グラウンドにも設置した。

 打席における圧力計測器である。


 これまでも主に室内練習場では、体重移動が適切であるかを計測するため、使用していたものである。

 だが実際の試合において、練習通りの力が出せているとは限らない。

 トラッキングマンによって見える範囲では計測しているが、体の中の筋肉や、体重移動まではそこまでやらないと分からないのだ。

 ただ国立は、見ただけで分かる。


 せっかくの新設備が無駄になるかというところであったが、国立が全てを見るわけにもいかない。

 また国立の感じた違和感を、明確に数字に出来ることは、選手たちの理解につながる。

 国立曰く、何も考えずに打った方がいい場合もある。

 それまでひたすらセンスだけでやっていた人間に、無理に標準に合わせるように言うことは、そのクセと一緒に個性まで消し去ってしまうことになる。

 クセを残すことと個性を残すこと、どちらがいいかとは一概には言えない。


 とりあえず国立の指導によって、孝司と哲平の打球は、平均の飛距離が5mは伸びた。

 タメが足りなかったらしいが、人によって体のどこを使ってタメを作るかは違う。

 国立もまた、プロ志望の二人のためには、とにかく飛距離を伸ばしていくことを考えている。

 このチームは甲子園まで行ければ、全国制覇を狙うよりも、選手の可能性を閉じない指導をするのだ。


 アマチュア指導者としての、葛藤がそこにはある。

 チームが勝つために必要なプレイヤーのスキルと、より高度な舞台でプレイするためのスキルは、必ずしも一致するとは限らない。

 秦野は比較的、勝つための野球をするタイプだ。

 全体練習が少なく、我の強いチームになりそうな白富東であるが、試合におけるチームプレイはまとまっている。

 これは秦野が選手を誘導しているのもあるが、とにかく選手たちに、負けず嫌いが多いことも理由だ。


 勝つためには、滅私の意思が必要になる。

 その意識は高学年ほど高く、無敗であった白富東を知る三年は、失った覇権を取り戻すことに必死だ。

 国立はかつては敵として、今では味方として選手たちを見ているが、確かに孝司と哲平は、プロ入りする素質は充分に持っていると思う。

 両者共に、走れるしパワーもある。スラッガーとまでは言わないが、現代的なキャッチャーと、技術に秀でたセカンドだ。

 しかし、キャッチャーというポジションは本当に難しい。


 プロのチームであっても、正捕手はただ一人。

 もちろんバックアップは重要であるが、長年の貢献と信用が、一番必要とされるポジションだろう。

 孝司は他のポジションも少し出来るが、キャッチャー以外のポジションは必要最低限である。

 それに国立は、悟についても思うところがある。

 現在でも悪くはないのだが、もっとパワーを付けた方がいいのでは、ということだ。


 今の三年生の戦力と、今年入学した一年の戦力。

 体育科で集められた選手たちは、確かに三年の平均より、一年の平均の方が高い。

 だが三年の中の突出した選手ほど、一年に突出した者がいるとも思えない。

 一番バランスがいいのは、今の二年だ。

 その中で悟には、もう一段階上のバッティングを求めたい。




 今後の選手の育成について、秦野と国立は話し合う。

 秦野の白富東の監督の任期は、当初三年であった。

 そのままならば、淳の世代が引退して、体育科の第一世代が冬を越えたところで終わる。

 だが交渉して、その次の体育科第一世代が、引退する夏までを担当することになった。


 はっきり言って、秦野は戦力が落ちるところで、白富東から去ることになる。

 体育科第一世代が抜けた後は、来年の新入生にもよるが、甲子園を目指すのが精一杯になるかもしれない。

 ただ同時に、体育科第一世代までは、全国制覇が狙える。

「水上をサードにして、打力アップですか」

 あくまで来年度の構想と言いながら、国立はかなり危険性の高いことを言ってくる。


 悟は現在でも充分な長打力を持っているが、これをさらに高めていきたい。

 偉そうに技術論を語っても、瞬発力で巨大な体重を動かせば、それだけ飛距離は伸びる。

 だが体重を増やせば、それだけ故障の可能性も増える。

 守備負担の大きなショートに残すのは危険である。

 瞬発力と反射神経は優れているので、サードにコンバートというのは、将来的にはありかもしれない。

 もっとも悟は身長がそれほどないおかげで、筋肉の絶対量はそこまで増えない。


 これだけのことを話し合ってはいるが、二人は結局、野球好きのおっさん的な話をしているに過ぎない。

 実際には悟がどう考えているかが重要になる。

 チームが勝ち進めるチームだったということもあるが、悟は一年の夏と二年の春で、四本のホームランを甲子園のスタンドに叩き込んでいるのだ。

 悟は中長距離の打ち分けの出来る、器用なバッターだ

 そして本人はプロ志望であり、おそらく今の白富東の中では、高卒で高い指名を受ける確率は、一番だと思われる。


 むむむ、と二人は考える。

 二人のチーム指導方針は、既に共有してある。

 勝利ではなく、育成を最重要課題とする。

 ここをまず一致させておかないと、監督と部長が全く別の考えだと、チームが空中分解する。

 そしてそれとは別に、チームに下手な派閥などは作らせない。

 そして一番大事なことは、選手生命に関わるような故障だけは、絶対に避けるということである。


 チームワークなどなくても、目的が共通であれば、勝てるチームは作れる。

 ただ高校野球レベルであるとまだ、チームワークとか団結とかを口にして、無理矢理にでもチームワークっぽく見せないと、劣勢の試合では呆気なく負けかねない。

 そういう時に必要なのが、選手の間で注意出来る人間だ。

 今の三年はもちろん問題ないし、二年も自己中な選手はいるが、それも許容範囲内だ。

 宮武と上山が調整役に向いてるので、そのあたりがグラウンドの中ではチームを主導するだろう。

 上山はキャッチャーで、そして宮武がショートとなると、守備において指示を出すのがスムーズでいい。

 ただ選手としてはやはり、悟にはショートで内野の要となってほしいというのはある。



 

 秦野は全体を見つつ、主に選手のフィジカルコンデションを注意する。

 身近に迫った県大会本戦は、二度勝てば夏のシードが得られるので、最低そこまでは進む必要がある。

 千葉はとにかくチーム数が多いので、激戦区とまでは言わなくても、試合数は少しでも少ない方がいい。

 夏の県大会をどこまで消耗を抑えて上まで勝ち進めるかが、夏の甲子園を制する鍵となる。


 国立は秦野から白富東のメソッドを教わりながら、バッティング面での底上げを図る。

 国立は間違いなくバッティングの天才であるが、この天才タイプには感覚型の天才と、理論型の天才がいる。

 感覚型はなかなか他人に指導するのは難しいが、国立は幸い理論型の天才だ。

 その国立が注意して修正したのは、センバツで狂った上級生のバッティングである。


 アンダースローの渋江に合わせすぎて、フォームを崩した。

 それが準決勝で帝都一に負けた、最大の原因である。

 秦野は試合中に修正されることに希望を見出していたが、国立としては白富東の練習方法からすると、簡単に修正出来ることであった。

 即ち、普段とは反対の打席でのスイングを行う。


 白富東は実戦では絶対に使わないとしても、バランスよく体を使うために、逆の打席での素振りも行っている。

 こちらのスイングフォームは、渋江に慣れすぎたバッターも、狂っていなかった。

 なぜなら実際には、それで打っていなかったからだ。

 試合中でも逆の打席でのフォームを意識しながら元の打席で振れば、すぐにフォームは修正される。

 三里などではそこまで行っていなかったが、逆の打席で素振りというのは、国立も行っていたことだ。

 これを上手く利用すると、スランプの時の修正が簡単になる。


 なるほど、と思いつつも、これを知っていたら帝都一との試合結果は、逆転していただろうなと思う秦野である。

「去年、白石がプロでスランプ気味になった時、右打席で打ってたけど、こういう理由があったんだな」

 もちろん今の白富東にはスイッチヒッターはいないが、実際に逆の打席でも打てれば、実戦で使う機会もあるのかもしれない。

 左バッターの多い白富東のスタメン打線だが、始めた時は右打席であったという者は多い。

 それがどうして左になるかと言うと、単純に一歩一塁に近いからというのもあるが、人気選手のモノマネという理由の方が多い。


 水戸学舎などは起動力を活かすために、白富東以上に左打者を多くしていた。

 ただ左打者は、左のピッチャーに弱い傾向がある。

 これも自チームに左ピッチャーがいれば、それに投げてもらって慣れることが出来るのだ。


 国立が来たことは、間違いなく白富東にとってはプラスになった。

 甲子園出場経験のある監督が二人も揃っているなど、ほとんどありえないぐらいの豪華な指導陣だ。

 そして二人が賢明であったのは、どちらの指示が優先されるのかをはっきりとしていたことだ。

 船頭多くしてということわざがあるように、指揮系統の統一は、試合においてもっとも大切なことである。

 選手がプレイで選択できるのは、一つしかないからだ。

 国立は練習内容についての微調整はするが、基本的には秦野を全面的に立てる。

 もっとも秦野のやり方が、国立にも合っていたのだが。




 そして県大会が始まる。

 ブロック予選の結果から、ある程度注意すべきチームは分かっている。

 なんだかんだ言いながら、センバツの優勝校に甲子園の準決勝で負けた白富東は、優勝候補の筆頭だ。

 それに続いていくのが、現在の私学二強と言われるトーチバと勇名館。

 どちらとも勝ち進めば、決勝と準決勝で当たる組み合わせである。


 またベンチ入りメンバーも発表された。

 一年生からベンチ入りしたのは、ユーキ一人である。

 そしてもう一枠は、代走要因として長谷が入った。

 さすがに一年の春に平気で140km台半ばを投げるのは、即戦力として鍛えなければいけない。

 ユーキに不足しているのは、まず経験であるからだ。


 現在の白富東は、三年でそれなりに投手経験があるのが、淳、トニー、哲平の三人になる。

 そして二年は文哲と山村の二人がピッチャーの筆頭であるが、目先を変えていくために、悟や花沢なども投げさせている。

 文哲も山村も、哲平レベルにはなるが、淳やトニーのレベルには至らない。

 継投を重ねることによって、どうにかしなければいけないというのが、秦野の考えであったのだ。

 もっともユーキが入ってきたことによって、これを上手く育てられれば、ピッチャーは充分に揃うとも言えるかもしれない。


 ただやはり、一年生の層が薄い。

 体育科を創設したことによる弊害も、二年生はともかく一年生では明確に発現している。

 実戦部隊と研究班との齟齬である。


 野球研究部という名前で、データ分析などに加えて、選手の管理を行ってきたのが白富東だ。

 今の三年生まではその効果を実感出来る、実際の運動能力とデータ解析は別だと、理解出来る頭脳があった。

 だが二年生以下は、どこかそれを見下す傾向がある。

 まだ二年生は三年生の姿を見ているだけにマシなのだが、一年生は完全に分かっていない。


 これは戦争に例えるならば、試合に出る選手は兵士であり、研究班は斥候、分析、兵站などの舞台である。

 より野球の内容が高度になるにつれ、これらの役割の大きさも変わってくる。

 だが血や汗を流す人間が、机で数字を弾く人間を嫌うということは、古来からずっと変わらず起こっていたことだ。

 白富東のような、本来なら公立として私立には敵わなかったチームが強くなったのは、まさにそこに理由があったのに。


 これについては秦野も国立も頭を悩ませているが、とにかくやれることは選手の前で、研究班を誉めることである。

 どちらが偉いというわけではないのだ。どちらも偉いのだ。

 だが役割の違いを、偉さの違いと勘違いするのは、間違いなく選手の方だ。

 またマネージャーについても、問題はある。

 白富東の、部員間の恋愛禁止など、野球部員目当てでマネージャーに応募してくる者などが、これをしっかりと守れるのか。

 単純な野球以外の問題も抱えながら、県大会に突入していく白富東であった。

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