第21話 一年生たち

 夏の大会の初戦は重要である、というのは高校野球の常識だ。

 どれだけ実力のある選手たちでも、これが最後の高校野球。

 あるいは人生で最後の野球になるかもしれないので、自然と力が入ってしまう。

 そして白富東のような強豪は、過去のデータからありとあらゆる分析がされていると思ってもいい。

 逆に相手のチームに関しては、シードに入っていない無名であることだけは間違いないのだ。


 秦野が少しだけ気にしたのは、シードの白富東に対して、あちらのチームも一回戦が免除だったことである。

(最後の大会に一回ぐらい勝つトーナメントを組んでやってもいいだろうに)

 そんな舐めたことを考えつつも、秦野はそれなりに初戦のことは気楽に考えていた。


 白富東は部員が多いため、春の関東大会以降は一軍は県外、二軍は県内のチームと多くの練習試合を行ってきた。

 もちろんトーチバや勇名館などの、それなりに甲子園を現実的に目指しているところは、手の内を明かさないために二軍との試合など受けない。

 国立の率いる三里や、鶴橋の上総総合などは、二軍相手でも受けて来た。

 そして白富東の一年生たちは、一軍のスタメンでなくても、県大会レベルならばかなり上までいけると分かっている。


 白富東は強い選手を集めているのではなく、強い選手をさらに強くしているのだ。

 秦野としてはどれだけ相手に踏み込まれても、一気に逆転出来ると計算した上で、スタメンを組んでいく。

 初戦で敗退したらさすがに冗談では済まないので、武史を先発させている。

 だがキャッチャーは上山をスタメンで起用した。

 楽な相手ではあるが、状況は楽ではない。

 そんな場面において、上山に経験を積ませる。

 実戦に優る経験なしなどとも言うのだろうが、いくらなんでもこれは、と多くの者が思ったはずだ。


 だが実際に呼ばれた上山は、明らかに緊張してはいたが、それを下手に隠そうとはしていなかった。

 自分がミスをしても、他の者が絶対にカバーしてくれるという信頼感が、この三ヵ月半の間に芽生えている。

 それにかなり実験的なポジションだが、上山以外のセンターラインは、ほぼ最良のものだ。


1 (中) 中村 (三年)

2 (二) 青木 (二年)

3 (遊) 水上 (一年)

4 (右) 鬼塚 (三年)

5 (一) 宇垣 (一年)

6 (左) 大石 (一年)

7 (捕) 上山 (一年)

8 (三) 宮武 (一年)

9 (投) 佐藤武(三年)


 打撃でも四番の鬼塚まではほぼ最良の打順である。

 だがスタメン半分以上一年というのは、さすがに舐めすぎではないのか。

 夏の大会は負けたらそこで終わり。そんなことを言っている観客は多いのだろうが、秦野はそのリスクも踏まえた上で、一年を使っている。

 ピッチャーの文哲と、代走要員の長谷以外は全てスタメン。

 勝てる相手だと判断したからこその、この布陣である。


 秦野の監督の契約は、来年も残っている。

 ならば来年のことも考えて、一年を使っていかなければいけない。

 これが甲子園の決勝であれば、上級生主体でガチガチに固めて使っただろうが。




 舐められていると、向こうのチームも思ったかもしれない。

 だが舐められているのは、ジャイアントキリングのチャンスでもあるのだ。

「けどまあ、先攻を取れなかったのは失敗かな」

「すみません」

 秦野の計算違いは、それぐらいである。

 そしてじゃんけんで負けるのはキャプテンの責任ではない。


 先攻であれば上位打線で最低でも一点は取って、守備の固さをほぐしてやることが出来ただろう。

 だがそういったことも考えて、武史を先発に入れたのだ。


「おおしっ!」

 気合を入れた相手の一番バッターが、打席に入る。

 投球練習を見ていただろうが、あれは肩を暖めもしていない。

 武史としては、とにかく上山のリードに頷いてその通りに投げていくだけである。


 秦野は細かいリードにまでは干渉してこないが、この試合の展開をおおよそは考えている。

 とりあえず初回は、守備が何も考えなくていいように、三者三振だけで終わらせろと。

 雑すぎる指示であるが、出来るから言っているのである。

 そして実際のところ、それは充分に可能である。




 一般的な高校においては、ピッチングマシンが一つぐらいはあるだろう。

 それに満足できないバッターは、140kmが出るバッティングセンターで打ちに行く。

 だが武史のストレートは、適当に投げても140km台後半が出るのである。

 それも甘いところではなく、コントロールされた四隅に。


 三球三振が三回続いた。

 一回の表はこれでいい。

「二回からは変化球使っていけよ」

 秦野も安心して見ていられる。


 この一回の裏は、まず一点を狙う。

 大攻勢をかけてコールド狙いにするのは、まず一点がちゃんと取れてからだ。

 投球練習を見る限り、相手のピッチャーには特に不審な点はない。

 過去のスコアしか手に入れていないが、問題があるとは思えない。

(アレクの最初の打席にどう向かってくるか)

 投じられたボールは、アウトロー。

 だが右投手の平均的なアウトローは、アレクにとってはホームランボールである。


 レフト方向に広角に打って、まずスタンドへ。

 さすがは初球をホームランにする男である。

「よし! じゃああとは好きに打っていいぞ!」

 そう言われても嫌らしい攻撃をするのが、白富東の上級生である。

 二番の哲平はボールの後に来た甘いボールを、わざわざバントで転がしてセーフティを決めた。

 内野が深く守りすぎなのである。

 三番の悟はまた甘い球をセンターオーバーの二塁打で、哲平は簡単にホームに帰って来た。


 ホームランも狙える程度のボールだが、確実にミートすることを意識する。

 すると鬼塚は遠慮なく打って、スタンドにまた放り込む。

 この四番までは、秦野の計算通りである。

 五番は宇垣だ。練習試合ならともかく、公式戦でクリーンナップに使われ、どんな打撃を見せるか。

 するといきなり初球から打っていき、フェンス直撃のツーベースとなった。

 容赦も遠慮も緊張もない。


 なんだかんだ言って宇垣は、優れた選手ではある。

 フェンス直撃の強振は、悟に対抗したものだろうか。

 こういった負けず嫌いなところは、競技者としては優れた資質だ。

 宇垣には人格に問題があると言ったが、それを埋めるぐらいに、宇垣の人格には個性がある。


 続く大石もヒットを打って、ようやくワンナウトが取れたのは、上山が打ったタッチアップ出来るセンターフライであった。

 だが宮武がまたヒットを打って出塁し、ラストバッターの武史が、気力を失いつつあるピッチャーの球をまたスタンドに叩き込む。

 一回の裏で八点。

 ワンナウトしか取れていないところで、相手のピッチャーは降板する。




 改めて一年生たちは感じていた。

 自分たちが高校に入学してから、まだ三ヶ月と少し。

 それなのに野球がかなり上手くなっている。

 いやそれもあるのだが、パワーとスピードが飛躍的に増している。


 技術を教えるよりも、フィジカルの正しい使い方を教える。

 元々フィジカルに優れた選手が揃っていただけに、教えるべきテクニック自体は簡単であった。

 だが上級生と違いある程度の野球の素養があるのは、それまでの常識を疑うという点では、なかなか固定観念を打ち砕くのは難しい。

 それでも信じてやってきた一年は、確実に手応えを感じていた。


 20点差がついたところで、武史は交代して文哲に投げさせる。

 とりあえずコールドの点差がついたところまでは一年を使って、あとは上級生で守備固めをした。

 文哲のピッチングだと、時折打たれることはあるのだが、それを得点に結びつけるだけの気力を、あちらはもう失っていた。

 28-0の五回コールドで、白富東は初戦を突破したのである。




 去年の夏と同じく、白富東は圧倒的な強さを持っていた。

 去年と違うのは、そして春の大会とも違うのは、控えの選手を積極的に使っていることである。

 ピッチャーは毎試合代えて、継投もさせる。

 代走を出して、守備固めをして、代打も出す。

 ピッチャーだけならずキャッチャーも交代して、ポジションも色々と実戦で試している。


 これは夏の大会なのだ。

 負けたらそこで終わりのトーナメントなのに、ここまで動かすのはどうなのか、などと他校の監督などは思う。

 だが秦野としては、まだしも相手が弱い県大会の間に、色々と試していく必要がある。ベスト16ぐらいになれば、さすがにベストメンバーを入れ替える余裕はほとんどない。

 自分でも傲慢だとは思うが、雑魚を相手に公式戦の練習をしていると言える。

 チームの強さをずっと維持するためには、新戦力をどんどんと使っていく必要がある。


 点差の安全マージンはしっかりと取って、それでチャレンジしていく。

 一年生たちも後ろに上級生がいると思えるからこそ、積極的なプレイが出来る。

 チャレンジして点を取られても、それよりさらに点を取り返してくれる仲間がいる。


 自分だけが頑張らなくても、チームで勝てばいい。

 宇垣や上山のような、中学時代は突出していた選手が、仲間に頼ることが出来るようになる。


 だがエースは別だ。


 エースは一人で試合を決める力を持つ。

 そしてエースが崩れたら、チーム全体が崩壊する危険性もある。

 その意味では白富東で一番エースらしいピッチャーは、武史ではなく淳であろう。

 武史にはどうしようもない、どこかいい加減なものが見える。

 もちろんそれで、肩に力がかかりすぎないので、悪いことばかりではないのだが。




 四年連続となる、野球部の快進撃。

 学校だけのみならず、地域全体がお祭り騒ぎになっていく。

 どういう理屈かは知らないが、地元の商店なども、この時期には売り上げがアップするのだ。

 白富東は、空気を変える。


 地方局は白富東の試合を全て流し、多くのマスコミが連日グラウンドを囲む。

 センバツでも優勝した白富東は、春の結果を受けて、夏も優勝候補である。

 それも新しい戦力が加わってこの強さなのだ。


 秦野はマスコミを極力シャットアウトしたいが、学校のほうから寄付金の有力者を通して取材を申し込まれれば、断るのも難しい。

 このあたり完全に寄付金になど頼らなかったセイバーのことは羨ましく感じる。

 だがマスコミも味方につけなければ、甲子園出場まではともかく、甲子園での優勝は無理だろう。


 そんな練習の中で、秦野は偶然、クラブハウスで淳と二人になったことがあった。

「あ、淳、甲子園だけどな」

「はい」

「もし何か怪我でもしてタケが投げられなかったら、エースはお前だからな」

 秦野は監督である。淳の強いメンタルを理解した上で、さすがにこれだけは事前に心構えがいるだろうと思ったのだ。

「アレクでもトニーでもなく、エースの代わりが出来るのはお前だけだ。だからいざという時のことを考えて、あとは故障もしないようにな」

「はい!」


 この時期に秦野が一番恐れているのは故障である。

 センバツの最大の勝因は、真田の故障であったとさえ思っている。

 真田と投げ合って、少しでも勝機のあるピッチャーは淳しかいない。

 アレクは外野の守備に必須ということはあっても、トニーではまだ抑えきれないチームが多いだろう。


 今更ながら、直史は凄かったのだと思う。

 秦野が実際に采配を振るったのは三年の夏だけであるが、直史は全国制覇のために、己の全てを管理していた。

 真田との投げあいには、完全に勝利した。

 三年の夏に限っては、おそらく大介がいなくても優勝できただろう。

「今年も……優勝出来なかったら、監督の責任以外の何者でもないよなあ」

 三年前のセイバーと、同じようなことを言っている秦野であった。

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