第22話 白い覇道
おおよそ全ての試合を、五回コールド出来るように選手を起用する。
試合の中では一年生の投手適性がある者たちを、継投で投げさせたりもした。
傲慢なことは承知の上で、弱い相手には守備力重視のスタメンで挑む。
だがそれらのスタメンも、純粋な打力では劣るかもしれないが、得点をする方法は心得ている選手である。
ベスト16で当たった浦安西は、去年もコールドで勝ちはしたが、それなりに手応えのある相手であった。
ここで初めて失点したが、それも一点まで。
大介はいなくなったものの、代打として出られるバッターが増えたので、得点機会の得点率自体は増えているかもしれない。
その気になればちゃんと数字が出るかもしれないので、研究班に頼んでおこう。
ベスト8までは問題なく、全試合コールドで勝ち進んできた。
だがここから先が、少し注意しなければいけない相手である。
「強いチームは継投が多くなってるんだな」
スコアを分析して、秦野は呟く。
白富東は投手王国と言われているが、秦野が本質的にエースであると認められるタイプのピッチャーは、淳と文哲の二人だけである。
エースナンバーを背負っている武史でさえ、本質的にはエースとは異なる。
もちろん責任感がないとか、力量が不充分ということではない。
武史のようなタイプは、むしろプロに行った方が力は発揮しやすいかもしれないのだ。
高校野球のエースピッチャーというのは、もっと孤高の存在であるべきだと、秦野は思っている。
精神論かもしれないが、この感覚を失うつもりはない。
地方大会においては、むしろ白富東のアドバンテージは大きい。
甲子園は一つの球場で行われるがゆえに、試合間隔が空き、調整日も設置されている。
だが地方大会は球場を分散して行われるため、短期間にトーナメントが進行していく。
短期間にピッチャーを使うという点では、地方大会の方が苦しい。特に千葉などのチームに比例して試合も多い県では。
国立も鶴橋も、複数のピッチャーを使って、ここまで勝ち上がってきている。
スコアを確認しても、誰がエースという印象はあまりない。
それに比べると私立は、確実にエースを一枚作った上で、それをある程度温存しながら戦い続けている。
もっともスコアに加えて映像を見ても、特に注意するほどのピッチャーではないと思う。
準々決勝の相手は上総総合で、準決勝はおそらく勇名館。
そして決勝に上がってくるのは、トーチバか三里か。
「今年もトーチバかな……」
三里も普通の公立としては、ありえないぐらい良い成績を残している。施設や伝手などでは同じ公立でも上総総合にさえはるかに劣るのにだ。
まあそれは秦野や鶴橋と話したり、練習試合をすることによって、白富東の練習法や、鶴橋の采配を学んでいるからだろうが。
バックアップの薄弱さと比較したら、国立が一番監督としての力量は高いかもしれない。
少なくとも選手時代の実績では一番だ。
そんな上総総合との準々決勝である。
先発のピッチャーはエースナンバーではなく、一年生のサウスポーを使ってきた。
(なるほど)
勝ちにきている。
全力を出してそれで満足なら、白富東との試合でも投げたエースを先発で投げさせただろう。
ここまで継投で体力を温存してきたので、それほどの消耗はないはずだ。
だがただ全力を出すのではなく、こちらにデータの少ないピッチャーを使ってくる。
それはつまり三年の思い出作りではなく、明確に勝とうとしているということだ。
「爺さんたまらんな」
「エースピッチャー、後半に使ってきますかね?」
「使ってくるかどうかは、別に問題じゃないけどな」
倉田の問いに答えて、秦野は考える。
一年生ピッチャーは、具体的にはその試合用の投球を見たことがない。
映像もなく、事前の研究はスコアを見たぐらいだ。
いくら作戦があっても、実力差がありすぎてはどうにもならない。
秦野は野球が、確率でかなり勝敗が変わるスポーツだとは思っているが、それでも限度というものはある。
それに鶴橋は確かに指導力も育成力もあるが、無茶なことはさせない。
今の白富東に、県強豪レベルのチームが勝とうとするなら、どこかで絶対に無理が出る。
唯一上総総合に勝ち目があるとしたら、白富東の先発がトニーであることぐらいか。
トニーはそろそろ球速は150kmを超える本格派であるが、武史や淳、アレクに比べるとまだ打ちやすい。
それにコントロールやコンビネーションも、文哲ほどに緻密ではない。
(スモールベースボール対決なら、こっちも全力を出すだけだ)
ベンチから身を乗り出すような秦野に比べて、鶴橋は奥に座ってのんびりとしていた。
上総総合が白富東に勝つには、いくつものifが前提の上で、相当の運がないといけない。
だがとりあえず、前提条件の一つは満たした。
先発が佐藤武史ではない。
いくら練習をしても、150km台後半の球というのはそうそう打てるものではない。
それにあのストレートは魔球だ。
ピッチャーが佐藤淳一郎でないのも有利である。あの技巧派で軟投派のピッチャーは、ヒットは打たれてもその後のリカバーが上手い。
対してトニーは確かに強力なパワーピッチャーであるのだが、前二者に比べればはるかにマシである。
だがこのピッチャーもまた、全国レベルであることは確かだ。
ピッチャーの攻略法は二つ、立ち上がりを叩くか、球威の衰える回を叩くか。
当然後者だとコールド負けの可能性があるので、先手を打っていかないといけない。
(先攻が取れたことも、前提条件の一つ。運はこちらにある)
10回やったら10回負ける。
だが100回やったら一度ぐらいは勝つ。
ならばその一度を最初に持って来るのが監督だ。
一回の表に、ランナーを出すことが出来た。
しかしそれは塁に残したまま、スリーアウトで点にはつながらず。
この段階までは想定内だが、一回の裏に相手の得点を防ぐことが出来るか。
0で終われば最良であるが、二点までなら想定内だ。
それにしても良く打つ。
だがいざという時はバントヒットなども狙ってくるため、守備陣は強い打球に備えているだけでは通用しない。
結局一回の裏は、なんとか想定内の二点で抑えた。
「我慢しろよ。このままどこまで我慢できるかが、試合を決めるからな」
野球というのは丁寧に投げていれば、よほどの相手でもそれなりに抑えられるスポーツなのだ。
だが、早めに一点をあのピッチャーからは取りたい。
表面的には泰然自若とした鶴橋であるが、胸の奥には熱い思いがある。
(こいつらを勝たせてえなあ)
鶴橋は人生の老境にいたっているが、これだけは確かな想いだ。
公立校で、あと一回甲子園に行きたい。
もし一回行ければ、もう一回行きたいとなるのかもしれないが。
なにぶん相手が強すぎる。
今年の春のセンバツの優勝校で、春の関東大会の優勝校。
大阪光陰と並んで、夏の全国優勝の最有力候補だ。
二回の攻防が終わる。
トニーはまた一人のランナーを出したが、倉田のリードもよく連打は浴びない。
そして三回、上総総合はヒットと犠打で、一点を返した。
こういった送りバントやスクイズのタイミングの読み合いは、鶴橋に一日の長がある。
もっとも秦野は、白富東をそういった戦術を必要としないチームに育てたつもりだが。
三回の裏、詰められた一点を返したが、これでまだ5-1である。
「気を抜くなよ」
秦野は注意をする。
「一点取られても一点返したと思ってるのかもしれないが、これまで二点ずつ取れてたのが、一点しか取れなかったんだからな」
これが三点取れていたなら、もう完全にこちらのペースと言えるのだが。
鶴橋は試合の機微をよく心得ている。
四回の表もランナーを出して、三者凡退の回を作らない。
監督の役割の中でも、もっとも大事なことの一つは、練習時にも試合時も、選手のやる気を引き出すことである。
まだ試合は分からないという感覚は、選手に諦めさせないということで、一番大切なことだ。
野球はツーアウトからの競技なのだ。
四回の裏、白富東はツーアウトながら一二塁。そしてラストバッターのトニーを打席に送る。
ピッチャーだから九番なだけで、その打力が下位打線相当などとは、誰も思っていない。
ホームランが打てるバッターだ。それなりの確率で。
ここでさすがに鶴橋はピッチャーをエースに替えたが、こんなピンチの場面で替えるというのは、かなり酷なことであろう。
だがマウンドに登ったエースは、多少の緊張はしているようだが、腕を強く振って投球練習をする。
おそらくここが、この試合の肝だ。
ここでゼロに抑えるか、それとも得点出来るかで、この後の展開は変わる。
もちろんまだまだ白富東が有利ではあるが、流れがだいぶ変わってしまう。
(じゃあ、こういうことで)
秦野のサインに、ランナーは応えた。
トニーへの投球に対して、初球でダブルスチール。
右打席のトニーが、わずかに送球には邪魔か。
それでもサードに投げたボールが、グラブから外れて悪送球。
ランナーはホームに帰る。レフトのカバーは早く、一塁ランナーは三塁でストップ。
ついにエラーで得点が追加された。
(どうだよ、爺さん)
(容赦ねえな~)
鶴橋は脱帽した。
エラーがないという心のよりどころをなくして、明らかに上総総合は勢いを失った。
七回の裏で七点差となり、コールドが成立した。
鶴橋としては思い出代打が出せなかったのが、心残りであったろう。
マリンズスタジアムを満員に埋めた観客は、またも強い白富東の試合が見れた。
一方的になりすぎない試合で、楽しめはしただろう。
秦野としても苦戦とまではいかないが、なかなか気が抜けない試合であった。
「帰ってビール飲みてえ」
インタビューも終えてバスに乗った秦野は、ぼやくように言った。
「帰ったらまずミーティングでしょ」
お目付け役の珠美がそうきっぱりと言う。
なかなかに難しい試合であった。
これまでの試合は、割と早くに相手が折れてしまっていたのだが、上総総合はビッグイニングを作れなかった。
やはり監督の器が、選手たちを育てるのだ。
その意味で秦野は、まだ一人前の甲子園監督ではない。
一年から教えてきた淳の世代を甲子園に送り込んでこそ、初めて甲子園監督を名乗れるのだろう。
選手たちもはっきりと分かっている。
力の差自体はとてつもなく大きかっただろうが、アウトを確実に取っていって、最小失点で抑えていった。
ピンチを最小失点でしのぐというのは、試合の序盤から中盤にかけては必要なことだ。
甲子園に行けば白富東からでさえ、それなりに得点出来るチームはたくさんある。
「よーし、じゃあ学校に戻るよ~」
そう言ってベンチメンバーの数を数える珠美は、立派なオカンである。
スタメンの中でも上級生たちは、この試合をもっと早く終わらせられなったことが課題だと分かる。
得点力がまだ不足している。と言うかどれだけの打撃力があっても、これだけ防ぐことは出来るのだ。
「あっちの試合も終わったってさ。準決勝は勇名館」
午前中に他の二試合も終わっているので、決勝はトーチバか三里と、既に決まっている。
ここまで上がってくると、対戦する顔ぶれもだいたい似たようなものになる。
多くの高校球児たちの夏は、既に終わっている。
県によっては既に、代表が決まっているところもあるのだ。
千葉県も全国的に見れば、かなり早くに代表が決まる県である。
「あと二つ」
誰かが呟いた。おそらく一年の中の誰かだ。
上級生は当然のように続いていた甲子園の出場記録であるが、一年生にとってはこれが初めてなのだ。
そして負ければ、そこで三年の高校野球は終わる。
ほどよい緊張感を残して、バスは学校へ戻るのであった。
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