第23話 階段

 高校野球のトーナメントというのは、本当に難しい。

 実力差が覆りやすいアマチュア野球で、一発勝負のトーナメントが、夏の選手権なのだ。

 この夏の勇名館の三年生は、吉村と黒田が甲子園のベスト4にまで勝ち進んだのを見て、入学を決めたメンバーである。

 その後も勇名館は、千葉の私立二強の座を東雲から奪ったような形になり、選手を比較的集めやすくなった。

 比較的と言ったのは、その秋から白富東の大躍進が始まったからである。


 野球だけでは入れない進学校が、なぜか県下最強。

 こんな状態ではトッププロスペクトの選手が、県外へ流れるのも仕方がない。

 特に千葉はすぐ近くに、東京、神奈川、埼玉といった強豪校のある地区がある。

 あえてそんな状況の中、学力で必死に入った淳、孝司、哲平などは本当に変わり者なのだ。

 だがおかげで一年の夏からベンチに入り、全国制覇の瞬間を味わった。


 センバツにも優勝し、甲子園三連覇。

 史上二度目の三連覇であり、もしこの夏を勝てば、四連覇となる。

 多くの強豪私立が特待生制度の見直しにより、純粋な野球特待生は少なくなった。

 だがそれでも、一部の強豪に選手が集まる状況は変わらない。むしろ加速している。

 そんな状況であっても、特待生を取らない公立が四連覇となれば、おそらく二度とない記録になるだろう。

 現在三年の武史たちは、甲子園に五回出場で、四回優勝の一回準優勝という、頭のおかしな成績を残すことになる。

 もっともそんなに上手くいかないのが、夏の甲子園なのだろう。




 白富東という学校の特色は、変人が多いことである。

 そして変人というのは、楽しむことが上手い。他の人間には理解出来ない楽しみ方であっても。

 甲子園を目指す野球部の応援に突飛なことをしようとして、慌てて止められたりもする。

 そんな変人の中では、傑出した存在であるイリヤは、最後の甲子園に向けたこの夏を、割と静かに送っていた。


 佐藤直史のいない夏。

 楽しくないわけではないが、やはり物足りない。

 別に男性として好きなわけではなく、むしろイリヤの感性とは相容れないものがあるように思える堅物だったが、それでも直史は特別だった。

 イリヤが元気がないと、ツインズも面白くない。

 この双子を楽しませるほどの世界に連れて行けるのは、イリヤだけなのだ。

 あるいはイリヤがいないと、危険なところに平気で出て行ってしまう。

 この双子をつなぎとめるだけの甲斐性を持つ人間など、そうそうはいないのだ。


 学校中が騒々しい。いや、この近辺の街が騒々しい。

 多くの人々の期待を込めて、白富東は甲子園を目指す。

 全国で4000近いチームの中で、この夏を勝って終われるのはたったの一つ。

 詳しくなれば詳しくなるほど、今の状況がどれだけ奇跡的なことか分かる。


 イリヤが魅了されたのは、あの夏のマリンズスタジアム。

 そして頭を殴られるほどの衝撃を受けたのは、甲子園とワールドカップ。

 大介も、もういない。

 千葉にやってきたときは、あえて見ようとは思わなかった。

 また暴力的なホームランを打っていったらしいが、大介がどれだけ傑出した成績を残しても、イリヤは不思議だとは思わない。

 方向性は違うが、大介もまた傑出している。


 今イリヤが見たいと思うのは、大介と上杉との対決だ。

 一度目の対決の時は、どうせ大介が勝つと思っていた。

 しかし大介が三連続三振を奪われたというのは、イリヤの理解の外にあった。


 もちろんイリヤも、上杉の名前は知っている。

 自分から見れば三つ年上の、プロ野球選手。

 史上最強と言われていて、確かに世界レベルで見ても、そのピッチングの内容は凄まじいものだと思う。

 もし二人の対決を見るなら、直接見てみたい。

 そう思って調べてみれば、甲子園明けに神奈川で、二人の対決が実現しそうだ。


 甲子園ではないのか、とそこは残念に思うが、交通の便ではこちらの方がいい。

「というわけで、チケットの確保をよろしく」

「えー」

 またマネージャーにぶん投げるイリヤ。

「あ、三人分で」

 さらに付け加えるイリヤだが、仕事の出来るマネージャーは、なんと超弩級のVIP席を用意してくれるのであった。

 だがそれはまだ、少し先の話である。




 白富東は県大会に限って言えば、現在八連覇を果たしている。

 まさに県内一強と言うべきで、順当に行けばこの夏も甲子園に出場できそうなものだ。

 だが、春と秋に勝つのと、夏に勝つのとでは難易度が全く違う。


 一番勝ちやすいのは春である。なぜかと言うと、本気で勝ちに来るチームが少ないからだ。

 勝っても甲子園には影響しない。夏のシードを決めるだけなら、ベスト4にさえ入っておけばいい。

 次に簡単なのが秋だ。秋は決勝まで進めば関東大会に出られて、そこでの試合の成績が、春のセンバツにつながる。

 県の代表二校が突出して強い場合は、二校ともが出られる場合がある。去年の春の三里がそうだ。


 しかし夏は、ただ一つ。

 記念大会などではチームの多い県が分かれて二校選出されることもあるが、それは偶然に頼ったものである。

 今年の夏、170近い千葉のチームの中から、甲子園に行けるのはたったの一つなのだ。




 準々決勝と準決勝の間には一日の調整日がある。

 雨天などで試合が延期になった時のものだが、今年の夏もまた雨の降らない暑い夏である。

 野球部の中でもベンチ入りメンバーは、校内の宿泊所で合宿のように寝泊りしている。

 冷房は最低限に、扇風機の風が心地よい。


 武史はスマホをぽちぽちと操作しながらも、時折物思いに耽る。

 千葉大会の決勝戦が終わると、女子野球の選手権大会が埼玉県で行われる。

 そしてそれが終わると、甲子園が始まる。

 なんとも千葉県の大会とは、丁度良く重ならないのだ。


 甲子園の前に――。

(いや、それはダメだな。甲子園の前だと――)

 武史もヘタレはヘタレなりに、色々と考えているのだ。

 主に女性関係であって、野球のことは二の次である。

 女に溺れながらも野球の海を泳いでいた直史ほど、武史は器用ではない。


「そうだな、それがいい」

「何が?」

 思わぬ女性の声に、武史の動きが止まる。

「イリヤか……」

 他の部員は開放されているプールで泳いでいる者が多いはずだ。ツインズもそちらに行っている。

 だからてっきりイリヤもそうだと思っていたのだが。

「プール行かなかったのか?」

「何? 私の水着が見たいの?」

 珍しくからかうように言ったイリヤを、胸元から腰辺りまで、遠慮なく武史は観察する。

「いや、あんまり」

 イリヤは気分を害した。


 野球部関連の人間だと、双子がかなり人目を引きつける肉体である。

 腹筋は割れているが、おっぱいがかなりツンと張っていて弾力がありそうなのである。

 あとは文歌は野球部マネージャーの中で一番胸が大きい。

 武史は比較的おっぱい星人であるが、イリヤは欧米の血が入っている割にと言ってはなんだが、体全体がモデルのようにやせ細っている。

 まあそれはそれで、実はスレンダーで美しい体型ではあるのだが。

 どちらかというと痩せすぎて不健康と言われるかもしれない。


「そういや今年の夏は、兄貴たちが海に行くって言ってたな」

 直史はこちらに戻ってきて、夏を満喫すると言っていた。

 おそらく甲子園直前に、野球部に稽古をつけてくれるのだろう。直史はそういう兄である。

「瑞希も戻ってくるの?」

「そりゃ当然だろ。……地元離れてるし、どんだけ色ボケしてるのやら」

 武史は瑞希のささやかな胸元を頭の中に浮かべるが、さすがに失礼と思ってすぐに打ち消した。

 なお、確かに瑞希は控え目だが形と色はいいのである。何がとは言うなかれ。

「あのさ」

 武史は今更ながら確認する。

「お前って兄貴のこと好きだけど、そういう意味の好きじゃないよな?」

 イリヤは確かに直史に好意がある。

 だが瑞希に嫉妬の視線を向けることなどはなかった。


 イリヤとしては人間として直史を好きである。正確には興味深いと見ている。

「やろうと思えばセックスぐらいは出来そうだけど」

「お前ってそのあたり、もっとオブラートに包んでだな……」

「別に武史相手でも、出来なくはないと思うけど」

 こういう爆弾発言を簡単にするのがイリヤなのだ。


 そばかすの浮いたイリヤであるが、化粧をすると別人のようになると武史は知っている。

「……お前って、俺のことそういう意味で好きじゃないだろ?」

「そういう意味で好きじゃなくても、セックスぐらいは出来るってことだけど。それぐらいの好きよ」

「お前の価値観が分からん」

 武史は童貞ゆえの潔癖症と、同時に女性に対する処女性を夢見ている。

 だがこの年齢の男子としての、当然の性欲というものは持っている。

「お前、たとえばやらしてくれっていったらやらしてくれるの?」

「武史ならいいけど?」

 割と貞操観念の薄いイリヤであるが、男性に対してこう言うのは実は珍しいのを、武史は知らない。

「……遠慮しとく。なんつーかお前とは、もっとちゃんとした友達でいたい」

「誠実ね」

 どこか誘うように笑うイリヤから、武史は顔を反らした。




 白富東は準決勝も勝った。

 勇名館は古賀監督の采配の下、取りうる限りの手段を取ったと言っていいだろう。

 だが秦野もこのぐらいのレベルになれば、隙を見せずに采配を取る。


 あとは得点機会を作り出す能力と、それを叩きつぶす能力の激突だ。

 チーム力で白富東は勇名館を圧倒した。

 これまでずっと白富東は、一部の戦力が突出していて、中央値を取ればさほどのチームではなかった。

 だが今年の一年は過去最高の人数がベンチ入りしているように、おそらく平均値はジンがシニア連中を誘って入部した、去年の三年並に高い。

 まああそこは直史に大介、そして岩崎と、一部の選手が平均値を爆発的に上げていたのだが。


 白富東が先に決勝進出を決めて、戦う相手を待つ。

 ここ数年、千葉県で白富東以外に甲子園を経験しているのは三里だけ。

 少し前に遡るなら、勇名館とトーチバと東雲となるのだが。


 三里の試合展開は、とにかく粘り強いものだ。

 内野と外野の守備は、本当に鍛えられている。国立監督が掌をぼろぼろにしてノックを打ちまくったからだ。

 グラウンドを線のように使って、一度に何本もノックをしたという。

 正面の強い球を確実に捕球し、横を通る球を高い姿勢から横に飛び、外野には抜けさせない。

 その外野もしっかりと、自分の守備範囲を把握している。


 三里のエースは東橋であるが、やはりこちらも継投をしてきた。

 右と左のピッチャーを上手く使い、とにかく長打を防ぐのだ。

 相手にホームランを打たれても、ソロの状況でしか打たれない。

 色々と工夫をしながら、トーチバと戦う。


 資金や人員に余裕のある私立が、どうして圧倒的に勝てないのか。

 それはやはり、白富東のせいで、トップレベルのシニアの選手が、県外で流出してしまうからだろう。

 そして今年からは体育科のおかげで、白富東は強化されている。

 だが去年は、実は三里のほうに、隠れた才能は多く進学していた。

 なぜなら白富東が強すぎて、受験が難しくなりすぎたからだ。

 進学率を看板にする公立校でも、甲子園というブランドの価値は極めて高い。




 試合は延長に突入した。

 この時点でどちらのチームの監督も、内心では難しい顔をしたのかもしれない。

 延長で消耗した状態で、白富東と戦う。

 それはただでさえ低い勝率を、さらに下げていってしまうものだからだ。

 だがここで全力を尽くさなければ、そもそも決勝に進めない。


 私立の選手層の厚さが、延長戦では有利に働く。

 ランナーが出てからの代打攻勢で、トーチバが一点を奪取。

 そこから守備固めの選手が出て、一点を守る切る体勢に入る。


 三里としても、ここまで試合に出ていなかった選手を代打起用する。

 思い出代打かと思えば、内野の頭を越えてヒットを打つ。

 このノーアウトのランナーに代走を出し、三里も全力で得点し、同点で次の下位を迎える。

 だが国立には分かっていたのだろう。

 一気に逆転できなかった時点で、三里の守備には大きな穴が空いた。


 次の回にまたトーチバは得点し、今度の三里は、そこから得点することは出来なかった。

 12回の延長を制して、決勝の相手はトーチバと決まった。

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