第48話 ザ・スモールベースボール

 残り四イニングで一点差というのは、全く悲観するような点差ではない。

 しかしこれが、スコアが1-0であるとすると、全く意味が変わる。

 ここまでの五イニングで、一点も取れていない。

 もしも追加点を取られて2-0となったら、そこから逆転は出来るのか。


 出来る、と秦野は考えている。

 白富東の各選手の能力を考えれば、秋の大会でホームランを打たれていないという渋江であっても、誰かが打てる可能性は高い。

 それに連打を許さないタイプのピッチャーであるが、被安打率はそれなりだ。

 実際に対決してみると、とにかくゴロを打たせるのが上手い。

 そして同時に、今どきの流行とは違い、ゴロを打ってくるバッターが多い。


 転がすということは、捕球してから送球するという、アウトのために必要な動作が増えていく。

 なのでレベルのまだそこまで高くないステージや、相手の守備力次第では有力な手段なのだ。

 ホームランを打たないと点は入らないとか言っている専門家は、この相手をどうやって攻めるのだろう。

 フィジカルや環境、選手の資質によって、選択する戦術は変化するというのが、これほど明らかな相手も珍しい。




 トニーがレフトに切れながらも、場外レベルの打球を飛ばし、その後にピッチャーゴロに倒れた。

 ラストバッターの淳であるが、ピッチャーだから九番にいるだけであり、むしろ打率はトニーよりも高い。

 そして打撃のセンスも、上位打線には劣らない。

 逃げていくシンカーを綺麗に打って、レフト前に運んだ。


 ワンナウト一塁である。

 バッターは宇垣。パワーもあってホームランは打てるし、そのくせ足もかなり速いという、実はかなり厄介なバッターなのである。

 これに対して秦野が出した指示は「待て」となる。

 凡打を打たせるためのシンカーを見逃すと、他のボールもゾーンを外れていることが分かる。

 宇垣に対しては際どい球で攻めながらも、シンカーを全て見送られてフォアボール。

 これでまた、ランナーが二塁まで進んだ。


 ワンナウト一二塁で、バッターは哲平。

 普段なら状況に応じたバッティングが出来る優れたバッターなのだが、渋江とはどうも相性が悪いらしい。

 秦野が出した送りバントのサインに、迷いなくボールを転がす。

 これでツーアウト二三塁。

 確実に三塁にランナーを送りたいというのもあったが、哲平の相性の悪さで、ゲッツーを取られることを危惧した。

 三つ目のゲッツーとなれば、明らかに選手が動揺する。


 それに悟のシニア時代の異名は「三塁ランナー絶対返すマン」である。

 今日も一本のヒットを打っていて、最も期待できるバッターと言えよう。

 だがあちらの指揮官も、そこの判断に迷いはない。


 キャッチャーが立ち上がることもなく、申告敬遠をしてきた。

 満塁で四番に回るというのに、そちらを選択したのである。

 孝司も先ほどの打席では、ライト前にヒットを打っているというのに。

(次の一点で勝負が決まると分かってるな)

 秦野は厳しい顔で状況を判断する。


 初回こそあっさりと点を取られた淳であるが、それ以降はほぼ完璧なピッチングをしている。

 なんとか塁に出て、足でかき回すというのが水戸学舎の野球であるが、淳のマウンド経験値は高く、チャンスのきっかけをことごとく潰している。

 それなりに球数は増えているが、アンダースローが消耗するのは、肩や肘よりもむしろ下半身だ。

 ダッシュを繰り返す淳の体力は、延長に入っても問題はない。

 だがあちらのアンダースローはどうか。それにこちらの打線は、二巡目からはそれなりにヒットを打っている。




 一塁を埋められて、満塁策を取られた。

 孝司は別に、それを屈辱とは感じない。

 考えるのは試合展開である。ここまで両軍、ヒットの続く連打がマトモににない。

 悟が二打席目に、かなり上手くミートしたのが利いている。ヒットを打てば三塁ランナーの淳は確実に帰ってこれるし、長打となれば宇垣も確実だ。

 逆転されたら負けると思っているなら、悟を避けて自分と対戦すれば、フォースアウトでどこでもアウトが取れる。

 悟の足は下手をすれば内野安打もある。大量失点のリスクは増えるが、一失点のリスクは減る。


 まさかここまで、苦戦する相手だったとは。

 水戸学舎の選手は、それなりに鍛えられてはいるが、プロに行けるほどの素質の持ち主は一人もいない。

 だがチームプレイが白富東よりもしっかりしている。それに監督の指示を理解している野球頭脳も高い。

 シニア時代からの付き合いを、そのまま高校に持ち込んだということだが、チームプレイに徹することを貫けば、ここまでのチーム力になるのか。


 孝司の感じる、白富東はSS世代が一番強かったというのは、別にSSの二人がとんでもない選手だったからだけではない。

 ジンを中心とした鷺北シニア世代が、守備をしっかりとやっていたからだ。つまり、隙がなかった。

 バックがしっかりしていなければ、直史だってパーフェクトは出来なかったのだ。

 今の白富東は、守備が悪いわけではないのだが、まだまだ完成形には至っていないと感じる。


(ここで点が取れないとまずいな)

 孝司としても、キャプテンで四番である自分が、ここで打てないことの意味は分かっている。

 四番であるという矜持など持たず、どんな手を使ってでも一点がほしい。


 シンカーは狙わない。

 ボールになることが多いし、何よりミートが難しい。

 そんな孝司に向かって、初球は外に外れていくスライダー。

 からだは前のめりになったが、バットは振らない。

 二球目は、ど真ん中に入ってくるシンカーであった。

(マジか)

 手は出さなかったが、さすがにこれはストライクになる。


 シンカーでストライクを取ってくるのか。

 監督の指示か、バッテリーの判断か。

 ともかくシンカーでストライクを取ってくるのなら、振らないわけにもいかない。


 三球目のストレートは、外に少し外れた。

 そして四球目のシンカーは、先ほどほどには甘くはないが、ゾーンと確実に分かるコースに入ってくる。

 見逃したが、これもストライクのコースだ。


 これまではストライクゾーンを横切ることで、バッターに手を出させていたシンカー。

 今度はそれを、ストライクを取るために使うのか。

 そして勝負の五球目。

 シンカー、打てるコース。

 だが、曲がりが今までよりも大きく、そして遅い。

 カットにいったが、サード正面のゴロ。捕球されてベースを踏んでアウト。

 ランナーは三者残塁となった。




 これはまずいな、と秦野は思った。

 キャプテンで四番の孝司が凡退しチャンスを潰した。

 そこまでは別にいいのだ。問題は孝司がキャッチャーでいるということ。

 切り替えられずにリードに悪影響が及べば、絶対に許してはいけない追加点を与えてしまうかもしれない。


 ベンチに戻ってきてプロテクターを着ける間に、短く話をする。

「いよいよ向こうも、投球の幅に限界が出てきたな」

 今まではボールになるシンカーを、ゾーン内で使ってきたというのはそういうことだ。

 これでシンカーも、打てるコースに投げられる可能性が出てくる。


 相手がこれまでと違うピッチングをしてきたということは、それだけ引き出しが少なくなってきたことでもあろう。

 最終回までには、必ずもう一度打席が回ってくる。

「今の打席で打てなかったことはどうでもいい。重要なのは次の一点をどっちが取るかだぞ」

 孝司の顔が四番のものから、キャッチャーとして、キャプテンのものとしてのそれに変わる。

「はい」

 力強く頷いて、孝司はグラウンドに向かった。


「本当に大丈夫?」

 そう問いかけるのは、スコアラーを務めている珠美である。

 情報の分析や入力を任せているだけあって、珠美にもこの状況がまずいことは分かる。実際は直感的なものが大きいのだろうが。

「相手のバッテリーの選択肢が少なくなって、ピンチになってきているのは確かだな」

 秦野はそこは断言するが、勝てるとは確信していない。


 確かに相手のピッチャーの上限は見えてきた気がする。

 だがそれに達するほどの爆発力が、今の白富東にあるのか。

 相手のバッターがかなり揺さぶってくるのも問題だ。

 淳も孝司も切れてはいないが、特に孝司はバッティングの方へ影響が出ている気がする。


 四番に他の人間を入れるべきか。

 今日の試合はともかくとしても、他の試合であれば。

 だが淳のようにピッチングを綿密に組み立てるピッチャーでなければ、孝司もバッティングに専念出来る。

(悟を四番に置くか?)

 だがそれをすると、長年続けてきた白富東の三番最強システムにメスを入れることとなる。


 このチームでこういった相手と戦うには、選手起用を変えた方がいいのかもしれない。

 孝司が言っていた、自分ではなく久留米を四番というのも、おそらく今日の調子を見ていれば、打線の中で大きなブレーキになっただろう。

 とりあえず孝司の気分転換は出来た。

 六回の裏も三人で終わり、七回の攻撃に入る。




 久留米は右打者なので、内に入ってくるシンカーは、まだ根っこで打てる方だ。

 しかし外のスライダーを二つ見せられてからでは、ミートが上手くいかない。

 金属バットのミートポイントは広いし、久留米の打球は速かったが、それでもゴロになってサードが確実に処理する。


 六番の駒井は、かなり対応してきていると言っていい。

 無理にシンカーでヒットを狙わず、外に逃げていく微妙なコースはカットしていく。

 わりと手が長いので、外角には強いのだ。

 ここでもボール球を選んで、出塁に成功した。

(なんか意外と言っちゃなんだが、成長してるやつは多いな)

 このチームの、前の二つのチームに比べて明らかに優れている点。

 それは伸び代の多さだろう。


 ベンチも含めて一年が多く、チーム全体としてもまだ未完成。

 なので今の段階ではこれほど苦戦しているが、大切なのはセンバツまでにどうチームを作っていくかだ。

 これはまだ、可能性の話でしかない。


 七番の大石はまたシンカーに手を出してサードゴロ。

 自分の足が速いのでゲッツーは取られなかったものの、アウトカウントが一つ増えて、ランナーは一塁のまま。

 そしてトニーが打ち上げて、この回も終了である。


 残るは二イニングで、次は淳からの打席となる。

 一人出れば悟に回るが、まずはこの回の守備だ。

 だが一回の表にこそ先制点を許したものの、それ以降はほぼ完璧なピッチングの淳である。

 素晴らしいアンダースローは、こちらにもいるのだ。

 それだけにあっさりと取られた、初回の一点が重いのだが。




 八回の表、ピッチャーだからといって淳に凡退させる理由にはならない。

 そしてスライダーを上手く打って、ライト前のヒットになる。

 先頭バッターが出た。そして打順は上位打線。


 ここで絶対に避けなければいけないのは、ゲッツーだ。

 宇垣のセンスなら、最低でも進塁打ぐらいは打ってくれるだろう。

 それにしてもシンカーに翻弄された。

 厄介な球種は一つでも、使い方でその効果は何倍にもなるということか。


 逃げていくシンカーに対して、踏み込める位置に立つ。

 そこへ投げられるのはスライダー。

 避けられるものであったが、宇垣は背中を見せながらそれに当たる。

 ノーアウト一二塁という状況になった。


 これは、おそらく最後の機会だ。

 ホームランも打てるバッターが下位にもいる白富東だが、このピッチャーはとにかくホームランを打たれない投球をする。

 完全に単打を捨てて、三振覚悟で打つなら別だろうが。

 バッターは出塁率が高く、犠打も上手い哲平である。なのでここは、普通なら先ほどと同じように絶対にバント。

 だが相手もそれは分かっているだろう。今度の送りバントは失敗を狙ってくるかもしれない。


 ゲッツーになっても、おそらくツーアウト三塁という状況が作れる。

 さすがにトリプルプレイはないと信じたい。

 ツーアウト三塁から、悟を歩かせるだろうか。

 秦野であれば歩かせる。そして、カウント次第だが孝司も歩かせる。

 ツーアウト満塁にしても、今日は全く合っていない久留米だ。

 ただそうなれば、こちらも代打を出していく。

(う~ん、でもあのアンダースローとシンカーを、いきなり打たせるのも……)

 秦野の指示は、打て。

 哲平はシンカーを打つイメージを持ちつつ、打てる球を打つ。


 スライダー。ジャストミート。

 鋭い打球が、ライト真正面のライナーでアウトになる。

 今日は特に、哲平にはツキがないように思える。

 今の打球も。もう少し左右にズレていたら、二人が帰って逆転になったかもしれない。


 ただ、ワンナウト一二塁で悟には回った。

 歩かせれば同点のランナーが三塁に進むし、ワンナウトだから外野フライでもタッチアップで一点が取れる。

 できればピッチャーの淳には走らせたくないのだが、そう言っていられる場面ではないだろう。

 しかしここで水戸学舎は動く。

 ピッチャー交代だ。




 左の悟に対して、左の梅津に交代。

 渋江は外野に行き、またマウンドに戻れるようにする。

(これが最後の山場だ)

 選手も監督も、ほとんどがそう強く思った。

 思わなかったのは、ここでセットプレイを事前に準備していた、水戸学舎の監督とピッチャーの梅津。


 悟が打てば、打球次第では一気に自分も帰って逆転。

 それが頭にあったのが悪かったのだろうか。

「あ」

「あ」

「あ」

 左投手の牽制球が、一塁に投げられた。

 一塁ランナーの宇垣から、目を切った次の瞬間のことであった。


「アウト!」

 一塁線審のコールに、地面に拳を叩きつける宇垣。


 牽制死。

 さすがにベンチに戻ってきた宇垣も、顔色が悪い。

「切り替えろ。まだ二回も守らないといけないんだぞ」

 宇垣の背中をぽんと叩く秦野だが、痛いミスではあった。

 しかもツーアウト二塁で悟ということは――。


 悟に対しては、明らかに打ちにいったら凡打になりそうな配球で、フォアボールとなる。

 これでツーアウト一二塁だ。

(逆転のランナーを出しても、一点を守りきるってのが……)

 優先順位の定まった守備が、ここまでは見事に機能している。

 そして左の梅津はここで渋江と交代する。

 

 八回の表、ツーアウトランナー一二塁で、バッターは四番の赤尾孝司。

 孝司がここで考えるのは、打つこと以外には何もない。

 またもや入ってくるのは、初球シンカー。

 打ったボールはサード側のフェアグラウンドに飛んで行く。

 続くスライダーも微妙なコースで、振ってもファースト側のファールゾーンにしか飛ばない。


 追い込まれた。

 ここから孝司の、粘り強いバッティングが続く。

 ぎりぎりボールと判定されてもおかしくないコースを、確実にカットしていく。

 甘い球を待つのだ。

 中には大きく外れる球もあって、フルカウントまで持って来る。


 まずい。

 秦野は孝司の意識が、またシンカーに向きすぎているのを感じる。

(ボールに大きく外れるシンカーが来たら振っちまうぞ)

 前の打席でも孝司を打ち取った、変化量の多いシンカー。

 それが投げられるか。

 投げられたのは、シンカー。やや甘く入るように見せて、大きく変化してくる。

 それを打った孝司の打球はサードゴロになり、そのまま三塁ベースを踏んでスリーアウト。

(負けたな)

 残り一イニング、本来の白富東なら、普通に取れるだろう。

 だが、これで流れが決まった。

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