第136話 まだ続く未来

 三年生の技巧派から、二年生の本格派への継投。

 贅沢なことが出来るものだと、青森明星の戸草は思う。

 才能はあっても慢心により、その成長を止めてしまう者。

 戸草が見てきたのはそういう選手が多く、それをどうにか育てることが、自分の使命だと思っている。

 あとはどうでもいいなら、さっさと野球以外の道を見つけるべきだ。


 勝つための練習やトレーニングなのに、サボって楽をしようとする者がいる。

 それでも生来の才能や素質のため、そこそこ勝ってしまうのだから、悔しさをバネに成長するということが起こらない。

 俺はまだ本気出してないだけ、というやつだ。

 岸和田がキャプテンになり、恐怖政治もどきになってから、ようやくチームは勝つために必要なことをするようになった。

 そしてセンバツに出場して、あと一歩で全国制覇を果たせるところだった。

 最後の夏に、やっと間に合った三年生たち。

 本当ならもっと、極限の試合を多く味わえただろうに。


 東北地方に初めての大優勝旗を、というようなことは全く考えていない。

 だが同じ学校の生徒にさえチンピラもどきと思われていた野球部が、明らかに違う目で見られるようになった。

 あそこから今の三年生はやっと、強制ではなく自らの意思で、己を追い込むことを選択した。

(せめて秋だったらな)

 一冬の時間があったなら、とは思う。

 センバツから夏にかけても、確かに成長は見られた。

 だが夏の甲子園で最後まで戦い抜く、基礎体力が身についていない。


 この試合に負けるとしたら、それは試合終盤に福永が打たれるからだ。

 そして勝ったとしても優勝できないとしたら、福永のガス欠だ。

 もちろん球数を考えれば、他のピッチャーも使わなければいけなかっただろう。

 だが根本的に、真夏に一試合を甲子園で投げられるスタミナが、福永には備わっていない。


 せめて冬の間に鍛えていれば、とは何度も思った。

 勝ち進んでいけば、休日なしの連投や、一日休んだだけの登板になる。

 優勝するために必要な最低値に、青森明星のチーム力は達していない。

 もしも白富東が、最後まで勝ち進んで優勝したならば。

 優勝したチームと戦って負けたのだからと、納得できるのだろうか。


 福永と柿谷、そして岸和田はプロに進めるレベルにあると思うし、他にも大学でやってみるべきだと思える選手は多い。

 負けることによって、その人生は変わってしまうのかもしれない。

 良い方に。

 おそらくまだこいつらは、成功体験よりも、切実な失敗体験を必要としている。

 高校野球はここで終わるが、野球人生はまだ終わらないし、野球を捨ててもそこからまだ人生は続いていく。

(負けてこい)

 おそらく勝利のための、現実的な道筋が見えているのは岸和田のみ。

 戸草には敗北までの、悲観的な道筋が見えている。


 負けて、この一回戦で終わって、もう雪辱の機会がないと思い知った時。

 そこからどう動くかで、こいつらの人生が変わる。

 三年の夏が終わった後に、本当の人生の戦いが始まるのだ。




 八回の表の青森明星の打線を、ユーキはストレート主体で抑えていく。

 独りよがりではない、上山のリードに従ったものだ。

 試合全体の流れを、こちらに持って来るつもりなのだろう。

 ピッチャーの力投は、それがどれだけ素晴らしくても点数にはならないが、チームに流れを引き寄せることは出来る。


 長打も打てる六番バッターを、カットボールであっさりと初球ファーストゴロ。

 あまり長いイニングを投げるつもりはないが、パワーだけで投げると一発があると、この打線に関しては言われている。

 丁寧に投げる。

 だが基本的には、ストレートを活かすための組み立てだ。


 三者凡退で、あとは一イニング。

 スコアは同点であるが、延長に入ったら有利なのは白富東である。

 ただし、10回の表は青森明星のクリーンナップに回るため、そこだけは気をつけなければいけない。

 それまでにこちらのクリーンナップに回る九回の裏に、勝負は決めたい。


 八回の裏、白富東の攻撃も、上手く打たされてツーアウト。

 ここから上位打線の大石に打順が回ってくる。

(どうなのかな~)

 こんな状況でも全くプレッシャーを感じないのは、大石の長所である。

(俺が出ても宮武キャプテンが打てる可能性は低い。けどそこでアウトになって終わったら、九回の裏は悟からになるし)

 ホームランを連発するが、悟は一番バッターとしての適性も高いと、やはり一番を多く打つ大石には分かっている。


 ここで大石が出たとして、次の宮武も出塁する確率は低い。

 だが制球が乱れてきた相手のエースを考えると、フォアボールで一二塁になることなどは考えられる。

 すると、ツーアウトで一二塁。バッターは悟となる。

 ツーアウトなので自動でスタートを切るから、ワンヒットで勝ち越しの点が入る。

 宮武がアウトになっても、悟が先頭打者なら、出塁してホームに帰ってくる可能性は高い。


 ここは素直に、出塁することを考える。

 ヒット狙いではなく、フォアボールを狙って。

 大石の大雑把な思考も、この甲子園の土壇場に来て進歩している。




 粘られたところに、またデッドボールを当ててしまった。

 一回以降も際どい球はあったのだが、当たってしまったのは久しぶりだ。

 狙ったわけではなく、完全なコントロールミスだ。

(才能は間違いなくあるんじゃが)

 岸和田が福永に感じるのは、とにかくもったいないという意識である。


 下手に実力があって驕っていただけに、必要な要素を取得していない。

 センバツはピッチャー有利と言われるが、そこで決勝まで勝ち残ったのが、良かったのか悪かったのか。

 三ヶ月と少しでは、根本的な体力増強には足らなかった。

 あとは去年も夏の甲子園に来ていたのに、三年のエースが投げたことで、一回戦敗退の青森明星は、福永が灼熱のマウンドを経験していない。


 才能と素質はあったが、経験と努力と蓄積が足りなかった。

 この大会、最後まで勝ち残るのは難しいと、岸和田も気付いている。

 そして自分が気付いていることを、戸草が気付いていないということもないだろう。

(だがここは踏ん張れ。それで身につくこともある)

 宮武を三振に打ち取って、八回の裏も終わる。




 九回の表。

 ここでどうにか点を取らないと、九回の裏に点を取られてサヨナラになる可能性が高い。

 だがラストバッターの福永には、代打を送ることは出来ない。

 こんな打順の並びにまで、流れの悪さが付きまとっている。


 ヘッドの微妙に下がった福永の打球は、ファーストフライでワンナウト。

 死んだフリをしているかもしれないから気をつけろ、と秦野には言われていたが、やはりこの疲労は擬態ではないと思う。

(三人でツーアウトを取ったら、柿谷には回らない)

 もしも柿谷に回ってしまったら。

 そこはフォアボール覚悟で、外角で勝負する。さっきのような内角での勝負はしない。あれは不意を突いたから打ち取れたのだ。


 だが上位に戻った相手の打順は、一番打者こそ打ち取ったものの、二番がフライを打ち上げて、内野と外野の間に落ちる。

 ツーアウト一塁で、打順が三番。

 この三番が柿谷につないだら、ツーアウトながら一二塁となる。

 それなりに足のある二番打者が二塁にまで進めば、自動スタートでワンヒット一点となる。

 九回の裏には一点を取ってサヨナラにする予定だが、この表に二点とか取られると、かなりまずい。


 最悪一点を取られるにしても、五番の岸和田もいやなバッターだ。

 連打が重なって、二点差になったらピンチだ。

 福永のスタミナが切れかけているのは確かだが、最後の一イニングぐらいならば体から搾り出してどうにかするだろう。


 マウンドに歩み寄った上山は、ユーキに語りかける。

「なんとしても、四番の前で切りたい」

 当たり前の話であるが、ホームラン以外にもいい当たりはしている。

 先ほどは抑えたが、二打席目にアジャストしてくる可能性も高い。

 ユーキも強く頷く。

 そして秦野も伝令を出してきた。

「抑えたいのは分かるけど、パワーだけで勝負するなよ、だってさ」

 ここで打つために、タイミングを合わせて振ってくる可能性は高い。


 このバッターで切る。

 ベンチとバッテリーの意思が共通のものになる。




 投げられたのはアウトロー。

 そこを待っていた三番に対して、カットボールが外に逃げていく。

 バットの先で打った打球はセカンド正面。キャッチしてファーストでアウト。


 もし延長があるとしたら、長打のある四番と五番の二人を相手にしなければいけない。

 この九回の裏で決める。

 一方の青森明星の戸草は、ここでピッチャーの球威で勝負したい場面なのに、しっかりと打たせて取ることが出来ることに感嘆する。

(緊張した場面でエラーも起こるだろうに、よく鍛えてやがる)

 緊張を知らない青森明星のナインであるが、それは同時に責任感も足りないことになる。


 九回の裏、白富東は最強の三番バッターから。

 下手をすればこの一発で、勝負が決まる。


 そう思っていたのはバッテリーも一緒だったが、悟としてはそんな都合のいいことは考えない。

 後ろには宇垣と上山がいるのだ。

 塁に出て、出来れば二塁まで進めば、あとはどうにかしてくれるだろう。

 心地いい緊張感の中で、ピッチャーの様子を見つめる。


 負けたくない。

 その気持ちは強いが、気持ちだけしかない。

 その気持ちをもっと早くに持って、練習やトレーニングに身を入れるべきであったのだ。

 体力不足。

 春は決勝まで行ったのに、夏はこの大会初日の一回戦で消えるのか。

 去年もそうだった。冗談じゃない。

 こんなところで最後の夏が終わってたまるか。


 そういった思考が湧くのは、むしろ当然である。

 だが悟たちも、最後まで勝ち残って夏を終わらせる、先輩たちの姿を見つめてきたのだ。

 気持ちの乗ったストレートを、気持ちと覚悟と信念を宿したバットで、振り切った。

 打球はやや押されたが、それがレフト線に飛んで行く。

 フェアグラウンドに着地したあと、ファールグラウンドに転がっていく。

 スピンのかかった打球にレフトが追いつく間に、悟は二塁ベースに達していた。

 余裕のスタンディングツーベースで、サヨナラのランナーが二塁に出た。




 首を振った後に投げたら、ストレートだと相手に伝えているも同然だ。

 コースを外に外していたのだが、それが甘く内に入った。

 それでも球威はあったので、どうにかスタンド入りは避けられたか。


 あの手元で少しだけ曲がるツーシームが、もう曲がらなくなっている。

 指先の感覚がなくなってきているからだろう。

 九回に入ったところで球数は150球を超えているが、この程度ならまだスタミナも落ちずコントロールも乱れないピッチャーはいるのだ。


 敗北の理由は、ピッチャーのスタミナ不足。

 単純に体力もだが、夏場の暑さに消耗している。

 開会式の愚痴は、おそらく正直なSOSサインだったのだろう。

 何か理由をつけてでも、少しでも休ませておくべきだったか。


 そんな後悔を抱く岸和田であるが、戸草はこれに気付いていなかったのか。

 あるいは気付いた上で、どうしようもないと割り切ったのか。

 いや、普段から「あいつらはやれるのにやらねえ」と愚痴っている戸草だから、ここでも乗り越えられると思っているのか。

 確かにここを乗り越えたら、勢いがつくような気はする。

 二回戦、三回戦と当たるチームの予想をしても、おそらくこの初戦が一番きつい。


(四番か)

 こいつにも、いい当たりはされている。

 ブレるように変化するツーシームがなければ、おそらくこれは打ち取ることは出来ない。

 だがもうコントロール用の筋肉は、疲労が溜まってしまっている。

 下手に球威があるだけに、いざとなってもそのストレートに頼ってしまうのだ。




 ノーアウト二塁。ランナーは悟。

 絶対に避けなければいけないのは三振。それ以上の罪はダブルプレイ。

 だが悟もほとんどリードを取っていないから、ダブルプレイは考えにくい。

 右方向に内野ゴロを打てば、最悪でも進塁打になる。

(って考えはだせえよな)

 四番として、狙っていく。

 ただし右方向だ。


 先ほどから向こうのピッチャーは、コントロールがやや甘くなっている。

 気合で球威は落とさなくても、コントロールは気合でどうにかなるものではない。

 それでも向こうは、もう気合の入った球威で押していくしかないだろう。

 外のボールは追い込まれるまで見逃していって、内角を待つ。

 

 内角。

 おそらくは次に外で勝負するための球だ。

 だが宇垣はこのカットボールを、引っ張って掬い上げた。

 角度も飛距離も微妙だ。これはおそらく入らない。

 だがライトがキャッチして、悟はタッチアップである。

 ワンナウトでランナーが三塁に進んだ。


 どんなミスがあっても、一点が入る場面。

 スクイズでさえも、この一点を取ればサヨナラだ。

(つまりこのバッターは)

 青森明星から、申告敬遠が出された。


 内野ゴロになった時、ホームで間に合わなくても、ダブルプレイでアウトにして失点を防ぐことが出来る。

 それにバッターとして見ても、五番よりは六番の方がかなり楽な相手だ。

(上山に盗塁をさせて、その隙に水上をホームに突っ込ませるか?)

 秦野は相手バッテリーとベンチの間の、サインの交換を見つめる。


 ワンナウトランナー一三塁。

 これ以上はないという点が取りやすい場面。

 そして打席に立つのは六番の平野。

 打てないバッターではないが、この試合白富東は、打力で彼を上回るバッターを、控えとして置いている。

 代打石黒。

 花沢からスタメン奪還を狙っている石黒だが、色々と小技が使える。


 勝てるはずだし、勝てなければまずい。

 10回の表にはあちらのクリーンナップに回るし、こちらは下位打線から始まる。

 表に勝ち越し点を上げられれば、代打を送ったこの状態では、守備力も低下するし、期待できる代打も少なくなる。

 石黒ならば、いくらでも小技を使うことが出来る。

 その期待通りに、彼は自らがサインを出した。

 熱闘の一回戦が、終わりを迎える。

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