第79話 八月を迎えて
全日本高等学校野球選手権大会千葉県大会。
決勝戦は白富東と勇名館の対決となった。
県内での覇権を握っている白富東は、先に行われた春季大会でも、関東大会を優勝している。
センバツでは敗北したとは言え、その覇権は県内では揺ぎない。
この白富東を倒すために、勇名館の古賀監督は、奇策に出る。
夏にデビューした一年生ピッチャーの吉見を、先発に起用したのである。
秋からはエースだと思われていた一年生であるが、まさか夏の決勝で先発として投げるとは。
「まあ、あるとは思ってた」
秦野は余裕である。
強大な敵と対するとき、無能な監督と有能な監督が、明らかに分かれる。
無能はただ、やれるだけのことしかやらない。
有能はやれることの他に、やらないであろうことをやってくる。
勇名館の古賀監督は、後者である。
ただ戦力を最大に使うだけでは、白富東には勝てない。
虚を突く必要がある。
「でもそれぐらいなら、見抜けるんだよな」
前日、勇名館の採ってくる作戦について、色々と選手たちにはレクチャーしていた秦野である。
そのあたりの経験値は敵わないな、と国立は思うのだが、秦野の場合は歩いてきた道が裏道過ぎるのである。
白富東の方は、特に下手な手は打たずに、トニーを先発に持ってきている。
昨日の準決勝を二年生の継投で勝っているので、今日は三年の左右を両方使える。
この状態で挑めた時点で、ほぼこの決勝ももらったようなものだ。
あとは高校野球につきものの、マモノがおとなしくしていてくれることを祈る。
先攻は勇名館で試合は始まる。
一年目から活躍した吉村に加え、去年三年目の黒田がライガースで活躍しだしてから、勇名館はプロを輩出できる学校として認識されつつある。
そういう学校には、プロになる気がある選手が集まる。
トーチバはどちらかというと大学進学に強いため、保険をかけておきたい選手が集まる。
特待生のない白富東は、それとは全く違う。
ただ最高級の指導を、選手の特性に従って受けられる。
その中から中学時代は無名だった選手が、四番を打つようになったりするわけだ。
トニーが三者凡退で勇名館を退けると、一回の裏は一番の宇垣からの攻撃となる。
それに対して怖い者知らずの一年坊は、内角攻めで凡退させる。
次は殺すと宇垣に殺気を発散させながら。
哲平はそれに比べるとずっとクレバーだ。
このピッチャーは確かにこれまでに先発で投げていることもあるが、九回までフルイニングを投げたことはない。
調子よく投げさせて、さっさとスタミナを削りきろう。
その意図を見抜いて甘いところにストライクを投げれば――。
わあっと歓声が上がる。
センター前へのクリーンヒットで、哲平が塁に出る。
すると次は当然、三番の悟である。
悟の応援曲は、まずネクストから立ち上がると、ロッキーが流れる。
そこからイッキマンに移行していく。
イリヤがいなくなっても、なぜか80年代アニソンの系譜は途絶えない。
ブラバンが外部の人にお願いして編曲してもらっているそうだが、詳しいことは選手も知らない。
なおイッキマンというのはかつて日曜早朝にやっていたアニメであり、格闘技と野球を合わせたようなスポーツの、よく分からないがメインルールは野球のアニメであった。
バットの代わりにラケットを使ったり足で打ったりと自由度があり、デッドボールでも相手の心臓の位置へ直撃させればアウトになったり。
曲のノリはキン肉マンをモチーフにしたのかもしれない。
やや年配の人であれば、すごいよマサルさんのMADムービーで知っている人もいるだろう。
勇名館も、ここまで六試合で七本のホームランを打ってる強打者と、まともに勝負するつもりはない。
歩かせて、次の四番と対決した方が、まだマシなのである。
県大会の途中から、白富東の四番には久留米が入っている。
そして五番にも駒井が入ることが多く、孝司は六番まで下がることが多い。
ただこれはピッチャーにもよる。リードのしやすさを考えると、淳の時などは考えることは多いのだが、むしろリード自体は楽である。
多い選択肢の中から、一つを選ぶのは簡単だ。
難しいのは少ない選択肢で配球を組み立てることだ。
ワンナウト一二塁から、久留米の打席。
勇名館ベンチもバッテリーも、久留米の厄介さは分かっている。
フルスイングをしてくる長距離砲なのだが、追い込まれると粘り強く出塁を目指す方向にシフトしてくる。
なのでいいのは、追い込む前に難しい球に手を出させて、凡退にすること。
特に今の状況なら、内野ゴロでゲッツーが取れるのが最高だ。
ただ久留米も、そんなことは分かっている。
小さく動いてくる変化球を、初球から大きく叩いた。
レフトのポール際のフェンスを直撃し、哲平は余裕で帰ってくる。
そして悟は三塁を回ろうかというところでストップ。
まずは四番の一振りで先制である。
五番の駒井も、ゲッツーの危険がほとんどないだけに、鋭く初球から振っていく。
久留米ほどのパワーはないが、ライト前にクリーンヒットを打って、さらに追加点が入る。
そしてランナー一三塁となったところで、今日は六番に入る孝司である。
外野は深く守っている。孝司の長打力を分かっているからだ。
だがそれでは浅い当たりのフライでも、ヒットになってしまうだろう。
それが分かっていながら、孝司はそれでも強振する。
センターの深いところまで飛んで、そこから久留米はタッチアップ。
スタメンの中では足が遅い方ではあるが、それでもさらに一点を取った。
初回から三点を奪い、白富東の打線は好調である。
勇名館の古賀監督は、自分の選択が間違っていたのかとも思う。
負けるなら負けるで、三年のピッチャーを先発として起用するべきだったか。
だが、少しでも勝率の高いほうに賭けるというのは間違ってないはずだ。
事実白富東は、二回の攻撃からはランナーを出しても、点に結びつかないことが多くなった。
ただ勇名館は、そもそもランナーを出すことすら難しい。
せっかくのランナーを送りバントにしようとしても、キャッチャー前だと孝司が捕ってフォースアウトにしてしまう。
かと言って連打を狙えるほど、トニーの球は遅くない。
ピッチャーを多く作ることは、現在ではもう常識と言っていいのかもしれない。
ただ一人のエースの力によって、甲子園まで勝ち進むというのは、試合数の多い県ではもう現実的ではないのだろう。
もちろんコールドを狙える打力があるなら別だが、どれだけエースを休ませるかというのが、トーナメントを勝ち進む戦略になってくる。
勇名館の古賀は、五回辺りから継投の準備をさせ始めた。
二回以降に追加点が入っていないのは、バッターの当たりが野手の正面であるからにすぎない。
守備はしっかりと鍛えるというのが、日本の高校野球の基本である。
実のところMLBレベルでも、高校生レベルのお粗末な守備しか出来ない選手は存在する。
だがそういった選手は、必ずどこか他のストロングポイントを持っているのだ。
守備に穴がないというのは、日本の野球の基本だ。
それでも下手くそがいないわけではないが、日本ではキャッチャーをやっている人間が、アメリカ以外の国だと普通に内野で通用したりする。
勇名館も白富東も、守備はしっかりしている。
国立によってバッティングの技術が上がったのと同時に、それを受け止める守備の技術も向上している。
あとはここに必要なのは、三振が奪えるエースと、ホームランが打てる主砲だ。
なんだかんだ言って三振とホームランは、確実なアウトと確実な一点を取るために必要なものである。
トニーも一年の時に比べれば、ずっとスタミナがついた。
この場合のスタミナとは、単なる体力だけではなく、回復力も指している。
日本の高校野球の夏の連戦は、これだけは世界でも本当に珍しいものなのだ。
やや球が浮きかけてきたと孝司は感じ、七回には交代を進言する。
点差は三点。
ただ初回以降に、点が取れていないのが気になる。
ここは確実性を重視する。
既にブルペンで投球練習を始めていた淳が、そのままマウンドに立つ。
出来れば他のピッチャーも試してみたかったのだが、負ければそれで終わりの夏の試合は、なかなかそんな勇気は持てない。
佐藤三兄弟の三男の登場に、マリスタの観客は湧きあがる。
その空気の中で淡々と、淳はピッチングを開始する。
正統派の後の軟投派。
本当は逆の方が、球速の差に戸惑うため、相手を打ち取りやすい。
だが淳の場合は、安定感が違う。
三者凡退に抑えたところで、七回の裏は三番の悟に四打席目が回ってくる。
ここで一発出れば決まるな、と秦野は感じている。
そしてここで一発出せるのが、スーパースターへの第一歩であるのだ。
勇名館も、迷ったかもしれない。
歩かせるのか、逃げ気味のピッチングを行うのか、それとも勝負して真っ向から叩き潰すのか。
流れを変えるための、ピッチャーの投球に賭ける。
ストライクゾーンに入ってきた球は、確かに渾身の一球だったのかもしれない。
だがただ速いだけの球なら、打てないはずもないのだ。
気合とか根性とか、そんなものではどうでもない領域というのが、必ずある。
コンパクトなスイングから生まれた打球は、やや高く上がった。
しかしそれでも飛距離は充分で、スタンドに入る。
歓声と絶叫の中、悟はベースランニングを始めた。
勝ったことには喜びよりも、安堵の方が大きい。
甲子園を決めた選手たちが整列し互いに礼をした後、勝者の白富東は応援への挨拶をしに戻ってくる。
とりあえず、これで一つの壁は越えた。
いよいよ甲子園である。
各地の甲子園出場校が決まっていく。
その中でも七月の終わり、ぎりぎりにまで伸びたのが、西東京と大阪の代表だ。
大阪もかつてはシードがなく、強豪同士が潰しあって意外なチームが漁夫の利を得ることもあったが、強いチームが自然と勝ち進むのは間違っていないはずだ。
代表校は大阪光陰。
データを見れば緒方以外にも、この夏デビューの一年生がいたりする。
既に決まっているところでは、やはり帝都一などが優勝候補だ。
甲子園が決まった時も、地元は大騒ぎであった。
だがその中で三年生は、必要以上の大騒ぎはしない。
センバツで、白富東は負けた。
関東大会に勝ったことで、苦手な感覚などはなくなったと言えるだろう。
だが夏は特別なのだ。
他の全てで負けても、最後に夏に勝てばいい。
そう考えているのは、監督も選手も多いだろう。
八月。高校球児の、大半にとってはもう無関係になってしまっているが、それでも一番暑い夏。
またいくつものドラマを待つ甲子園へ、代表校の選手たちが向かう。
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