第78話 誰かにとっての終わる夏

 後にプロ野球選手になり、タイトルを取ったりする選手であっても、意外と甲子園には出ていなかったりする。

 だがそれでも、高校時代にはなんらかの足跡は残している。

 浦安西高校のエース、青砥光太郎は、そんな選手の中の一人だ。




 完全に進学校であり、しかも白富東と違って、専用グラウンドもないような野球部。

 浦安西高校野球部はそんな環境でありながら、野球部以外のグラウンドや、開放された公園の一部などを使って練習を重ねてきた。


 最後のチャンスは、既に逃していた。

 監督教員の青砥晶は、責任を痛感している。

 最後のチャンスは、去年の秋だった。

 まともにやっても、白富東はもちろんのこと、私立の強豪に勝つのも難しい。

 だから三里のように、21世紀枠での出場を考えるべきだったのだ。


 甲子園未出場、恵まれない練習環境、進学校で歴史もある。

 ついでに言えば監督が女であるという話題性もあったから、どうにかそこそこ勝ち進めた去年の秋、そこから今年の一月までが、センバツで甲子園に行ける最後のチャンスだったのだ。

 選ばれなかったのは、運ではある。

 だがぎりぎりまで希望は捨てられなかった。


 光太郎を、甲子園の舞台で見せたかった。

 もっと上のステージでやっていく才能が、あの子にはあったはずだ。

 それを自分の夢に付き合わせてしまって、結局は最後の夏を迎えようとしている。

 せめて私立か、県外の高校に行けば、一度ぐらいは甲子園に行けたと思う。

 チームの皆には勝利の味を与えてくれたが、彼自身は何を得たのか。


 教師である自分は、何度も甲子園を目指すことが出来る。

 だが光太郎の、選手としての甲子園は、ここで終わる。

 他の私立強豪なら、やりようによっては勝てると思う。

 だがどうしても、白富東には勝てる姿が思い浮かばない。




 河川敷のグラウンドは狭いが、草野球をやる土日以外は、浦安西が使える貴重な練習場だ。

 そこでノックの練習をしたあと、校庭の隅で素振りをしたり、どうにか確保したブルペンで投げ込みを行ったりする。

 最近は安定してベスト16以上に入っていることが多かったため、学校によるサポートも良くなった。

 だがこの成績は、ごく一部の突出した選手によって支えられているのだ。


 最後の夏に向かって、バッテリーは調整のピッチングを行う。

 なんだかんだ言って、県大会も上位まで進めば、光太郎が投げる以外にはない。

 強いて言えば松宮がコントロールも良く投げられるし変化球もあるのだが、とても強豪相手に一試合を投げきることは出来ない。


 なんとか、この子たちを。

 そう思う晶に、声がかけられる。

「どうも」

 ネットの向こうから声をかけてきたのは、既に何度か足を運んでいる人物だ。

「測ってもいいですか?」

「どうぞ」

 大京レックスの敏腕スカウト大田鉄也は、第二担当の関東においては、ドラフトの下位指名に出来そうな選手を集めるのが多い。

 あとは関東のチームとの練習試合で目をつけた選手を、その地元まで追いかけて行ったりもする。

 だいたい関東に来るのは、東北や北陸に東海のチームが多い。

 九州のチームなどは、遠征でも関西までで済ましてしまうことがある。


 光太郎のピッチングフォームは、かなりサイドスローに近いスリークォーターに変化している。

 そのフォームから投げて、146kmが出ている。

(まだ肉付きは薄いから鍛えないといけないけど、これで140km以上をコンスタントに投げてるんだからなあ)

 最近の千葉県からは、多くの野球選手が誕生している。

 ただ鉄也がもっと低い順位でと思っていた選手が、案外高い指名になってしまったりもする。

 吉村などがそうだった。甲子園にさえ行かなければ、ワールドカップにも選ばれなかっただろう。そしてドラ一競合ということもなかったはずだ。

 結局は取れたので良かったのだが。


 そんな鉄也が今年の隠し球として狙っているのが、青砥光太郎である。

 千葉県の選手は、白富東にボコボコに負けることが多いので、実力よりもずっと低い評価をされていた。

 大原だって五位か六位で取ろうと思ったら、ライガースに四位で持っていかれたりもした。

 ドラフトというものは、いい選手を、他の球団が狙っている一つだけ上の順位で取るのが醍醐味なのだ。

 この数年、それに成功しているのが、レックスとそしてライガースだ。


 あのおっさんはドラフト部長のくせに、わざわざ千葉の試合を見に来て、大原を取っていったのだ。

 だがそれ以外は、元は千葉出身の豊田や、茨城水戸学舎の佐竹、沖縄石原工業の金原など、おいしい素材をちゃんと取れている。

 投手陣はかなり充実していっていて、次は打撃陣だ。

 珍しくもそこそこ金を出して、ライガースからFAで西片を取った。これで五年ほどはセンターを任せられる。

 ただ鉄也の見る限り、なかなか打撃のおいしいバッターはいない。

 白富東の水上悟は、おそらく来年何球団か競合すると思われる。


(ショートなんて、大阪光陰の緒方を取るべきだと思うんだけどな)

 緒方は今はほとんどピッチャーでスタメンに出ているが、本質的には内野としてバッティングにも頑張るタイプだと思うのだ。

 球速も145kmぐらいがMAXで、変化球もしっかり持っているが、プロの一軍レベルではないと思う。

 だが二年生の時、二番手投手としてショートのスタメンであったときは、本当に守備もバッティングも良かった。

 レックスの守備はセンター以外のセンターラインがまだ弱いので、緒方は順位にもよるが取りたい。


 だが鉄也の目に入るのは、ピッチャーが多い。

(キャッチャーもなあ)

 丸川は12球団のキャッチャーの正捕手の中では、かなりレベルが低い方だ。

 控えとして働くならともかく、一年を通してマスクをかぶる器ではないと思う。

 そんなキャッチャーだから、投手陣がまだ安定していないのだと思う。


 キャッチャーとしては、青砥と組んでいる深津も、才能は感じる。

 だが親の後を継ぐために、浪人してでも医大に入らなければいけないのだという。

(医学部って言えば、村田もいいキャッチャーだったなあ)

 明倫館の村田も、高校で野球を辞めたキャッチャーだ。

 だがその才能と言うか、配球とリードのセンスは、素晴らしいものだと鉄也は評価していた。

 同じ慶応なら、大阪光陰の正捕手だった竹中。

 父親の会社を継ぐために、野球は大学で終わりと決めている。




 才能はあるのに、他の選択肢を選ぶ者が多すぎる。

 それだけプロ野球選手というものには、もう魅力がなくなってきているのか。

 あるいは小賢しい若者は、将来のリスクを考えて、大学に進学して、野球以外の進路を選択する。

「光太郎君には、話しましたか?」

「ええ。喜んでいましたけど、今はとてもそんな先は考えられないって」

 甲子園に行く。

 今の千葉から夏を突破して行くのは、ほとんど不可能だろう。


 ベスト8ほどで負けてほしい。

 トーナメントを見れば、白富東と当たるのはベスト4だ。

 そこで負けても好投したりすれば、他の球団も目をつけてくるだろう。

 特に地元の千葉だ。鬼塚を上位指名したように、かなり冒険的な選択をしているように見えるが、鉄也にはかなりいいドラフトをしていると思える。

「怪我をしない限りは、下位指名になるかもしれませんが、必ず取りますよ」

 鉄也は断言する。

 そしてそれは、この秋に現実となる。




 千葉県大会は進んでいく。

 白富東の戦略の一つに、ユーキに経験を積んでもらうというものがある。

 だいたい先発をさせて試合での感覚をつかませ、そこから二年生を継投させ、勝負がまだ決まらなければ淳かトニーが最後をしめる。

 だがおおよそは、二年生までで試合が終わってしまう。


 試合内容と各選手の数字を見て、秦野は判断する。

 数字以外にはフィールド内にどれだけの打球が飛んでいるか、ヒットを打っているのだ単なる運か、それとも強く打球を叩いているのかも判断する。

 そして思うのが、孝司の言葉は間違ってなかったな、ということだ。


 これまでにも何度か試したが、久留米を四番に持って来る。

 孝司は五番にするべきか、それとも六番にまで下げるべきか。

 駒井がコンパクトなスイングで、長打力はそれほどないが、打率はかなりいいのである。


 打線の組み立てというのは、監督の重要な仕事の一つである。

 采配という点では、試合前から勝負が始まっているとも言える。

 ベスト16までは問題なく勝ち進んできたが、ここからがシード校同士の潰しあいとなり、本物のチーム力が試されてくる。


 眠れないこの作業が、これから甲子園の終わりまで続く。

 これが楽しめてしまうあたり、高校野球の監督というのは業の深いものである。




 千葉以外にも、各都道府県で、地方大会は開催されていく。

 ベスト16の試合もベスト8の試合も、今年の白富東の戦力なら、スタメン以外の力を使って勝っていくことが出来る。

 ただユーキは夏の暑さに慣れていないので、二年生からピッチャーを使うことになる。

 マウンド勘が鈍らないように、三年生も使う。


 他のチームから見れば、白富東は投手王国に見えるだろう。

 宮武をピッチャーにしたり、宮武に守備機会を作るために、悟や哲平をピッチャーにしたりする。

 それでほとんど点を取られないあたり、やはり継投というのは有効なのだ。


 他球場で行われている、白富東と次に当たる、準々決勝の試合。

 テレビ中継が準々決勝からは入っていて、試合の様子はリアルタイムで確認することが出来る。

 浦安西 対 上総総合

 試合は上総総合が、リードして進んでいる。


 浦安西も頑張ってはいるが、負けるだろう。

 原因はピッチャーだ。

 二番手との差がありすぎるため、対戦する相手はエースの青砥を必死で研究してくる。

 そうなると粘って球威の衰えを待つという手段もある。

 キャッチャーの深津も苦心のリードをしているのだろうが、一人だけのエースを潰す鶴橋の容赦のなさは、いっそすがすがしい。


 それに結局、打撃力が上げられていない。

「いいピッチャーなんだけどな」

 あのあたりからなら、私立ではトーチバに通うことが出来たはずだ。

 もしトーチバに青砥がいたら、かなり厄介なチームになっていただろう。

 少なくとも今年のトーチバのエースと比べると、青砥の方が上だ。


 ここまで勝ちあがってくる中でも、多くのイニングを投げている。

 万全の状態なら、上総総合でも勝てなかったかもしれない。

 そこまで連投する体力をつけられなかったのが、青砥の限界か。

 それとも二番手ピッチャーが出てこなかったのが、弱小公立の限界か。

 多少の成績を残したところで、あの練習環境では、どうしても密度の高い練習は行えない。


 試合が終わる。

 上総総合が最後の裏をしめ、4-2で勝利。

 準決勝の相手が決まった。




 面白みのないベスト4の面子が決まった。

 第一試合は白富東 対 上総総合。

 第二試合は勇名館 対 東名千葉。

 どのチームも甲子園の出場経験があり、その中でもベスト4以上に勝ち進んだ経験がある。

 もっとも近年は白富東の一強がずっと続いている。


 三里はベスト16まで残ったが、勇名館相手に敗退した。

 その勇名館は久しぶりに、なかなかいい一年生ピッチャーをスカウトしてきている。

 なんでも吉村と同じく、東京のシニアからの拾い物だとか。

 ただ吉村の一年時と同じく、まだコントロールに難がある。

 上級生ピッチャーと合わせて、上手くイニングを分担しているのだ。


 勝てるだろうな、と秦野は分析する。

 準決勝前のこの日、休養日が調整日となっている。

 上総総合は突出したピッチャーがおらず、最近の流行である継投を確実に行ってくる。

 データを集めて初対決から攻撃していかなければ、ぽんぽん変わるピッチャーを、打ち崩せない可能性はある。

 だが、負けるとは全く思わない。


 夏休み期間中に入り、野球部は合宿所に泊まりこみになっている。

 基本的にはベンチ入りメンバーと、数人の研究班が泊り込む。

 そして最後の最後まで、勝利までの手を休めない。

 画面を見てデータを最新のものとし、必勝の体勢を作る。


 最後の夏を甲子園で楽しみたいと思わない三年生はいない。

 たとえ自分が試合には出られないのだとしても、テレビでぼんやりと応援しているのだけは嫌だ。

 そのためには、対戦相手の分析は欠かせない。


 同時の他の都道府県の試合も、集められるだけは集めている。

 東京の試合などは、そこそこ集めることが出来る。

 やはり帝都一が強い。西の方では日奥第三が本命視されている。


 一番最初に代表校が決まったのは沖縄県である。

 千葉の場合は始まるのは早かったが、チーム数が多いので終わるのはそこそこ後になる。

 170校以上もある地区が、他の地区と同列に扱われるのは、釈然としないこともある。

 だが大阪や神奈川と比べればマシだと思うしかない。


 夏が過ぎていく。

 多くの高校球児たちの夏が終わり、そして白富東にとっての、夏が始まっていく。

 甲子園。

 最後の舞台に向けて、時間は駆け足のように通り過ぎていく。

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