第15話 春の終わり

 スピードとコントロールは、負の相関関係にあると、一般には言われている。

 即ちスピードを出そうとすれば、コントロールは乱れる。

 コントロールを重視するなら、スピードは上げられない。

 自分に当てはめてみて、そうだな、と感じる者も多いだろう。

 実はこれは、完全な誤りである。


 スピードを出すために必要なものは何か。

 それは瞬発的に大きな力を出す筋肉だ。

 ではコントロールを高めるのは何か。

 ここで決定的に間違える指導者が多い。


 正しいフォーム。ボディバランス。体幹。体軸。投球動作。

 確かにこれらは、コントロールを定めるためには、必要な要素である。

 だが正しいフォームを保ち、ボディバランスを保ち、体幹や体軸や投球動作がずれないようにするものは何か。

 これもまた筋肉だ。


 つまりスピードもコントロールも、筋肉が必要なことには変わりはないのだ。

 使っている筋肉が違うだけで。

 もちろん空間認識能力や、遠近感を正しく捉えることも重要だ。

 しかしバッターの構えている平面に投げ込む分には、そこまでの能力は必要ではない。


 これもまた当たり前のことであるのだが、コントロールも良くスピードもある選手が存在することを、どう説明するのか。

 スピードを犠牲にしたところで、満足なコントロールも得られず、置きにいくだけの投球となって打たれるピッチャーは多い。

 最近はようやく体幹などを鍛え、インナーマッスルを重視することが、ボディバランスを保つ上では重要なことが常識となってきている。

 コントロールとスピードは並行して鍛えられるものであり、どちらかを選べばどちらかを捨てなければいけないものではない。

 きつい言い方をすれば、コントロールもスピードも、両方を鍛える必要がある。




 直史は抜群のコントロールから、球速を高めていっても全くコントロールは落ちなかった。

 武史も最初はノーコンと言われたこともあったが、現在ではMAXを出しても少し抜いて投げても、コントロールの精度は全く変わらない。

 序盤のなんとか打てる球から、中盤の全く打てない球になっても、その制球力が乱れることはない。

 ただ制球がいいということは、読まれて狙い打たれることもある。

 逆に荒れ球のピッチャーの方が、読むことは出来ずに打てないこともある。

 ど真ん中のストレートでも、打てない時はあるのだ。


 ここから必要になるのがコンビネーションである。

 スピードとコントロールだけでなく、変化と緩急を使う。

 場合によってはストライクゾーンをわざと外すことも、立派なコンビネーションの一つだ。

 コンビネーションが増えれば増えるほど、対処すべき球は多くなり、狙い打つことは難しくなる。読めなくなるのだ。


 日本においては投球のリードは、キャッチャーに任されることが多い。

 だがこれが本当に正しいのか、プロのレベルにまでなれば疑問が湧く。

 キャッチャーは対戦相手のチームの選手の、全データを頭の中に入れる。

 そして自軍のピッチャーのデータもそれぞれ入れた上で、相手のバッターを対決する。

 だがこれが、リードを基本的にピッチャーが考えるとしたらどうか。

 自分の持っているボールで、あらゆるバッターと対決することに集中出来る。


 このあたり、キャッチャーは難しいと、日本で言われる所以である。

 実際のところ、日本型のキャッチャーをやっていれば、確かにそれは難しいのだ。

 打撃にはある程度目を瞑っても、リードの上手いキャッチャーを、念のために一人は入れておきたい。

 そんな考えの下、日本には打てないキャッチャーが量産される。


 ピッチャーが自分で情報を処理出来るようになるのは、キャッチャーの負担を軽くする。

 チームによってはキャッチャーにも打撃を求めることになるかもしれないし、それに相性というものがあるのだ。

 大阪光陰の真田が、竹中や木村とは上手くいっていたのに、大蔵相手では成績を落としたのと同じだ。

 豊田はむしろ大蔵になってから数字を良くしたので、大蔵が一方的に悪いということでもない。




 水野は自分で配球を考え、キャッチャーのリードと答え合わせをしながら投げるタイプである。

 真田は基本的には我を通したいが、完全にキャッチャーのリードを無視するタイプでもない。

 そして武史は、基本的にはほとんど首は振らないが、振るときは振る。

 ただしそれは感覚的なもので、理詰めで違うと考えるものではない。


 投手経験が短く、ギリギリの打者との勝負は少ない武史であるが、別の観点からは一対一の経験は多く積んでいる。

 バスケットボールは一対一で抜きにかかる場面もあるし、味方を利用してフェイントをかけるなど、視野が広くないと出来ないポジションをやっていた。

 だから打者と対した時の嗅覚は、それなりに信用していい。


 武史と水野と、そして真田。

 どのピッチャーが一番優れているかは、単純に数字だけを見ても決められない。

 だが相性というものは確実にある。

 水野の場合は、ノーデータの相手に弱かった。

 正確に言うとノーデータではなかったのだが、悟のこの短期間での成長が、データからは見えなかったのだ。




 九回を投げ切って無失点に抑えた武史もだが、MVPは悟が選ばれるぐらいの活躍はした。

 二打席目は先頭打者で、ライン際に飛んだツーベース。

 その後はタッチアップで三塁まで進み、武史のタイムリーで二点目のホームを踏む。

 そして三打席目は三塁まで進んでいた鬼塚を、高めに外れたボールをライト前に返し三点目。

 四打席目はさすがに、高めの球を打たされて外野フライになったが、三得点の全てに絡んだ。


 一打席目と二打席目は体格に似合わないパワーがあると思わせて、三打席目はボール球であっても打てる球を単打にした。

 ランナーがいなかった四打席目の凡退は、さすがに全打席安打はありえないといったところか。

 敗北した帝都一だけではなく、スコアラーを派遣していた強豪校は、水上悟の名前を記憶した。

 そして記憶の中から思い出して、やっぱり特待生で取っておけば良かったと後悔する都内の強豪私立も多かったそうな。


 秦野としても、これはさすがに予想外である。

 見た目の体格と比べて、実際のフィジカルが優れていることは分かっていた。

 ミート力が優れていることも分かっていた。ただパワーだけはさすがに足りないと思っていたのだ。

 国立の言っていたバッティング技術を、一応は話してはいた。

 しかしそれはフォームを崩す可能性があるため、慎重に行うべきだった。

 パワーだけの問題で言うなら、大介があそこまで飛ばすには、さすがに単純な筋肉の量が不足しているように思える。

 そこに飛ばすためのテクニックがあるのだろう。


 大介の飛ばすための技術は、説明されればそういう理屈なのかと思わないでもないが、それが真似できるかと思えば疑問が残る。

 そして悟の場合も、解決策は簡単なアドバイスであった。

 国立の言った、ダウンスイングから入り、アッパースイングで振り切る。

 今の悟では、低めでバットの重さと遠心力を使わないと、ホームランの軌道にするのは難しい。

 しかし一般的には長打にしにくいという低めを、長打に打つことが出来る。

 これはとてつもない武器になるだろう。


 フライボール革命以降、高めは絶対的に危険なコースと言えない場合が多くなっている。

 しかし水野ほどのコントロールと球速で、あそこに投げられたら打つのは難しい。

 だがここにジンと岩崎がいたら、はっきりと分かっただろう。

 最初の夏の甲子園、樋口の打った逆転サヨナラホームランと同じだと。




 春の関東大会は、全国大会にはつながらない。

 県内のシードさえ取ってしまえば、あとはどうでもいいというのは確かだ。

 だがだからと言って、負けてもいいというわけではない。気分的に。


 入学早々の一年にホームランを打たれた水野は、冷静でありながらもプライドを傷つけられている。

「監督、あいつのデータを集めましょう」

「集めたんだが、中学時代は一本もホームランなんて打ってないんだよな」

 松平としても、仕事をしていないわけではないのだ。


 白富東高校の情報収集は、全国制覇を目指すためには必要なことである。

 大阪光陰のように誰でも知っているような選手を集めるのと違い、そこそこの実績を持っている程度の選手が、急激に伸びてくる。

 あとは中学時代未勝利のピッチャーであったり、中学時代は野球をやってないピッチャーだったり、外国人だったり、ヤンキーだったりする。

 悟についても、出身がそもそもは東京であるので、もちろんデータは揃えていた。

 ただ今回はそのデータが、仇となってしまったわけだ。


 中学最後のシーズンを、怪我で完全に棒に振ってしまった。

 それは確かに可哀想なことではあるが、この成長の時期に長いブランクがあるというのは、松平であってもスカウトを責める気にはなれない。

(しっかしタッパのないやつは取らないっていうの、いまだにやってるやついるのか)

 松平も一昔ほど前は、フィジカルの優れた選手、つまり高校入学時点で既に大きな選手をスカウトさせてきた。

 今でも体格はある程度参考にしているが、一時期それで勝てなくなってしまった。


 そして改めて勉強したのだが、体の大きな人間は強いフィジカルを持つ傾向はあるが、体の大きな人間が必ずしも強いフィジカルを持っているとは限らないという、当たり前の事実である。

 強いフィジカルとは何か。

 野球においては、瞬発力だ。

 あとはトレーニングをすればパワーが増していく土台だ。

 ただそこまでのフィジカルは、高校野球の段階では必要な要素ではないとも、やがて気付いた。

 大切なのは体格から期待される数値上のフィジカルではなく、フィジカルをコントロールすることだ。


 松平も監督として長いので、潰してしまった選手や、育てきれなかった選手は散々見てきた。

 育成の部分はある程度コーチに任せているが、自分でもトレーニングの知識はアップグレードしている。

 ただアメリカの最先端を取り入れるだけでは、いつまでもアメリカの後を追うだけだ。

 なので大学と協力して、アメリカとは違ったアプローチから、トレーニングについては考えているが。


 なんだかんだ言って松平は、自分を構成する野球が、昭和の野球で固まってしまっているとは気付いている。

 大阪光陰の木下が、ここ最近は微妙に帝都一の上を行っているのも、木下が昭和をほとんど経験していないからだろう。

 今は若い者は、ネットから様々な知識を学び、自分で合った練習を探そうとしている。

 自主性という意味では、昭和の時代よりも上だ。

 ただ合理的過ぎて、最後の気合が足りないように思えたりもする。

 しかしそれこそが、老害の言う「昔は良かった」なのだろうとも思う。


 だがなんだかんだ言って昔でも、本当に実力を発揮するような選手は、監督やコーチの指導など聞かなかったやつの方が多いようにも思う。

 最近では一番の素材と言えた本多でも、一年の頃は上級生に平気で反撃し、乱闘騒ぎを起こしたものだ。

 松平の現役の頃などは、不良は野球かラグビーをさせろという時代であったが、確実に日本の若者は変わっている。

 今でも変わらないのは、野球を上手くなろうとするハングリー精神がないと、高いレベルには至れないというところか。




 白富東は、前監督の時代から、非効率で不合理な練習やトレーニングは行っていない。

 だが選手の中には、体質として鍛えても鍛えても壊れないタイプがいたりもするのだ。

 あれだけ投げて壊れない上杉や、他の人間では到達不可能な距離に飛ばす大介は、おそらくそういうタイプなのだろう。

 あとはいくら全力投球の数は少ないとは言え、500球も投げてしまう直史も、耐久力は高い。


 選手の体質や体格から、一人一人それこそ補欠まで、確実に能力をアップさせていく。

 ヘタクソにまで目を届かせるのは難しいが、本当に強いチームは部内での競争が激しい。

 たとえ今の実力では優っていても、下からの突き上げがあれば、上も安穏としてはいられない。


 春の大会ではこれまでにも一年を使ってきたが、水野相手に得点源となった悟は、どこか一皮剥けたと思える。

 単に打てたとかではなく、水野という全国屈指の好投手から打ち、試合を決めたというのが大きい。

(打順は入れ替えた方がいいかな)

 秦野としては倉田の五番はともかく、孝司の三番というのが、しっくり来ない。

 ファーストを守っている時はそれでいいのだが、キャッチャーの時には守備での負担が大きいように感じる。


 三番を打たせるのか。

 白富東で三番を打つというのは、どうしても大介のイメージになってしまう。

 大介はほんのわずかに四番を打っていたこともあるが、基本的には三番打者であった。

 三番打者最強論は、白富東の今の打線の力であれば、試してみてもいいのかもしれない。

(しっかし関東大会まで最後まで進むと、ほんとにやれることが限られてくるな)

 90人も部員がいると、それを指導する方も大変である。

 まず何より、グラウンドが足りない。

 だがそちらの方は、それなりに確保することも出来そうだ。


 七月も中旬になれば、いよいよ夏の県大会が始まる。

 シードを取っている白富東だが、それでも六試合を行わなければいけない。

 組み合わせが決まるのは六月の下旬だが、そこから逆算して対戦相手の偵察も行わないといけない。

 そして週末には一つ以上は練習試合を入れていくべきだろう。


 夏の大会までに、ベンチ入りメンバーを変えるべきか。

 もし変えるとなれば、実力的には宇垣だろうが、ポジション的には上山だろう。

 そのあたりも練習試合で、どれだけアピールしてくるかが問題だが。




 ともあれこの関東大会では収穫があった。

 使える選手がはっきりしたし、他県の公立の妙な動きも明らかになった。

 まさか東名大相模原が都立に負けるとは思わなかったが、そういうこともあるのが高校野球なのだ。

(難しいよなあ)

 白富東は現在の戦力で、全国制覇は狙える。

 だが確実に勝てないのが一発勝負のトーナメント戦なのだ。


 秦野は前年度の夏に関しては、反省すべき点があると思っている。

 結局真田を攻略できず、直史に15回も投げさせてしまったことだ。

 そして次の日に九回まで投げさせて、結局は一点も取られなかった。

 化け物だと言うことはたやすい。だがその化け物でも、それだけ投げれば倒れるのだ。


 あれはまともな試合ではなかった。

 少なくとも秦野の知っている高校野球とは違う。

 センバツの決勝は、選手たちも不完全燃焼だった。

 真田がいなかったこともあるが、夏が最後の大会だからだ。

 ここで燃え尽きてしまうために、高校野球をやっている者も多いだろう。


 競技人口は減っているのに、大学の野球部員は増えている。

 普通スポーツというのは、裾野が広がってこそ頂点も高くなるものだ。

 現在の野球人口はまた増えているらしいが、全員が上杉や大介や直史のような人間ではないのだ。

 あの三人レベルになると、団体競技であるはずの野球が、ほとんと個人競技になってしまう。

 それでも一人では勝ちきれないから、チーム力は大切なのである。


 まともな野球の指導がしたい。

 秦野は贅沢ではあるが、そんなことを考えている。

 サウスポーで150km台後半を平均的に投げてくるピッチャーがいては、普通にやっていては負けない。

 それでも甲子園の頂点に立つのは難しいし、プロまで含めればまだ上がいるのだ。

(去年よりはマシか)

 夏の大会までの日程を考えながら、秦野は選手を引き連れて、地元へと戻るのであった。


×××


 こちらは少し休んでプロ編となります。

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