第5話 洗礼
白富東高校野球部における、三年目の助っ人外国人である呉文哲は、台湾人である。
台湾は歴史的に見ても日本とのつながりが深く、野球においてはアジアでも日本と韓国を合わせて三強と言える。
セイバーは新たなリーグの作成のために東アジアを訪れていた時、日本に留学したがっている文哲の話を聞いた。
なんでも語学留学の他に、高校野球も経験してみたいのだとか。
「ダイヤ○Aを読んだので」
というありふれた動機と、優れた野球センスを持つ文哲が、セイバーのスカウト条件にマッチしたのである。
一年目のアレクは南米ではマイナーな野球の好きな変わり者。
二年目のトニーは本場アメリカのフィジカル超人。
そして三年目の文哲は、これまでと違って既に、日本の高校野球への適正は高いと判断されていた。
正確には白富東に合うタイプだと思われたのだが。
普通に台湾の高校に入学すると日本では二年の夏までしかプレイ出来ないので、わざわざ日本の外国人学校を一度通している。
そんな彼に期待するのは、日本人以上の日本人らしい野球。
昨今は非主流派になりつつあるスモールベースボールである。
文哲は台湾人の15歳としては、やや背が高く、筋肉もついている。
子供のころからやっていたスポーツは、他には水泳。
家は裕福であり、ハングリーなところはない。
ただ将来の選択肢の一つに、プロ野球選手が挙げられるぐらいに野球が上手くなりたいという、素朴で単純な願いがあった。
高校入学までの短期間だけだが、高校球児が教えてもらえない立場の人から指導を受け、高校野球の基本技を身につけている。
150km近いトニーのボールを、際どいところはカットして、球数を増やさせる。
狙うのは、昨年に台湾で行われたあのアジア選手権で活躍した、佐藤武史の球を打つこと。
元々日本への留学は考えていたのだが、その留学先までは決めていなかった。
だが21イニングを投げて失点がわずか一、そして40個以上の三振を奪った姿は、鮮烈な印象を与えた。
わずか数ヶ月だが、彼と同じチームでプレイ出来る。
そんな希望を他の誰かにも抱かせるほど、武史もまた周囲を動かすプレイヤーなのだ。
15球めの縦スラを引っ掛けてしまい、内野ゴロでアウトになった。
だがこれで二種類のスライダーと小さなスライダー、つまりカットボールは引き出した。
「縦横のスライダーとカットボール」
「オッケー」
三番の悟に伝えて、ネクストバッターサークルの宇垣にも伝える。
「縦横のスライダーにカットボール。緩急差はあまりなくて、純粋に変化で打ち取るタイプだったよ」
「一番が一番の仕事しねえと、二番が大変だなあ!」
これをわざわざ大石に言うのだから、性格は間違いなく悪い。悪いだけでなく、協調性にも難がある。
別に性格は悪くてもいいのだ、と秦野などは考えている。
ただ団体競技をやる上で、必要な人格というものはある。
高潔である必要も、人格者と一般に言われるものとも違う。
必要なことを、必要なだけやれることだ。そして優先順位を意識すること。
バッターボックスに立った悟は、改めてトニーの巨大さを認識する。
(ランディ・ジョンソンと同じぐらいあるんじゃねえか?)
それもランディ・ジョンソンと違って、オーバースローで投げてくるのだ。
ただのど真ん中ストレートであろうと、この球威は初めて体験する。
そしてトニーはコントロールもきちんと投げ分けるだけのものは持っている。
変化球をカットして、甘い球を待つ。
しかしリードする倉田としては、もう歩かせてしまった方がいい。
フォアボールを選んで一塁へ向かう悟を、敵にするとかなり厄介なバッターだなと判断した。
そしてここで、四番に回ってくるわけである。
宇垣としてもネクストからしっかり、トニーの球筋は見ていた。
当たり前の話であるが、中学時代に対戦したどのピッチャーよりも手強い。
それでも打てなくはないと判断して、バッターボックスに入る。
トニーとしてはランナーを出してしまって、ようやくここでスイッチが入る。
ストレートを高めに投げ空振り。
そして低めに投げ見逃し。
最後には縦スラで三振を奪った。
散々偉そうなことを言って三球三振である。
「お前も口だけ番長かよ」
山村のバトル相手はシニア組だけではない。
「一打席目は様子見でいいんだよ」
別に怒っているわけでもなく、意外と冷静な宇垣である。
「まあ最後までに三点取れるなら文句はないけどな」
そしてグラブを持って、マウンドに向かう。
対する上山もプロテクターを付けて向き合う。
内野でもボール回しをするが、悟はクラブチームで言われていたことが、さっそく役に立つのに驚いた。
本気でプロになるつもりがあるなら、サブポジションを出来るだけ多く持て。
つまりショート以外に、今やっているセカンドなどと、高校野球レベルならサード。
そしてバッティングでもある程度の自信があるなら、外野もやっておくのだ。
それは単に使ってもらえるポジションが増えるという以上に、守備負担が関係する。
守備負担と言っても、試合中に処理する球などの配分などではない。
純粋に守備における、足腰における不安だ。
内野の中でも特にショートとセカンドは、足腰への負担が大きい。急な方向転換がプレイの中で多いからだ。
サードに関してはまだ、勢いの強い球に対する能力だけで済む。あとはバント処理などだが、これもダッシュだ。
そして外野は、フライの軌道を見定めること、守備範囲、肩の強さなど。
年齢と共に関節から柔軟性が失われ、守備負担の低いポジションに回されるとしたら、最低限の打力と共に、穴にならないだけの守備力は必要なのだ。
考え方が全く、シニア時代とは違うのだ。
守備の華であるショートを極めればそれでいいと考えていたが、もしもショートに自分とほぼ同じ守備力で、自分よりも打てる選手がいたらどうするのか。
故障のしやすさを考えるにしてもスタメンをもらうにしても、他のポジションが出来るということは強みになるのだ。
ショートしか出来ないから代打でしか使えないのと、セカンドでスタメンで使えるのは、成果を出す上で大きな差がある。
そしてやってみたところ、セカンドはショートよりは守備範囲が広くはならない。
ただ試合の場面では、選択する状況の幅がショートよりも多い気がする。
身体能力はショートの方が必要だが、判断力を含めるとセカンドの方が難しいかもしれない。
悟は宮武よりも、自分の方が上手いショートだという自信がある。
ただ宮武にセカンドをやらせるよりは、自分がセカンドに回った方が、全体的な守備力は高くなる。
(それに中村さんは左だし、たしか引っ張る打球の方が多かったはず!)
そう思った悟の頭上を、強い打球が越えていく。
先頭打者による、ライトのネットにまで届くホームランであった。
上山は困っていた。
(ストライクを投げたいのはピッチャーの本能なんだろうけどさ)
初球を外に外して反応を見たかったのだが、山村が首を振ったために、サウスポーを活かして体から内角に入ってくるカーブを要求した。
甘くはないストライクのゾーンであったが、簡単にホームランにされた。
それはまだ予想の範囲内であるのだ。なにせ高校選抜ベストナインの候補に入れてもいいぐらいの打力を持っているのだから。
問題はその後も、舐めたピッチングをしてきたことだ。
女子高校野球選抜級の選手相手にストレートで押し、二打席連続で外野の頭を越えられた。
また一点が入って、ノーアウト二塁である。
そして四番の鬼塚。先ごろまで行われていたセンバツでも、スタンドに放り込んでいたはずだ。
(全中ベスト16とか言うけど、この人たち甲子園で優勝してる人なんだもんな)
タイムを取って、さすがにマウンドに集まる。
「この口だけヤローが。さっさと誰かにピッチャー代われ」
「んだとコラ」
宇垣と山村で、いきなり勃発直前である。
この二人の間に、一番身長のある上山が入って抑えるわけだ。
「真っ正直に行きすぎたんだよ。基本的に打たせて取ればいいんだから」
正確には打たれたのを取るしかないのだが、もう言葉を選ぶしかない。
「相手もこっちを甘く見て早打ちしてるんだからさ。ボール球を打たせていこうよ」
「まだボール触ってないしな。こっちに打たせてくれよ」
悟も言葉をかけるが、山村もグラブを振る。
「分かったって。打たせて取るピッチングだろ」
だが対するは鬼塚である。センバツ優勝チームの四番打者なのだ。
「お待たせしました」
キャッチャーボックスに戻った上山に、鬼塚は声をかける。
「大変そうだな」
「でも実力はそれなりにあるんで」
鬼塚が洩らしたのは苦笑である。
ストレートもカーブも、今はまだとても全国レベルではない。
制球もそこまで優れているわけではないので、これをリードするのは大変だろう。
(まあ俺も凡退してやるつもりはないけどな)
初球はアウトローのいいところに決まった。
そして二球目は厳しく、インハイへと投げてきた。
(キャッチャーのリードか)
もしそうなら大人しそうな顔をしているが、攻撃的なリードだと言える。
そして三球目は、初球と同じくアウトローであったが、スピードが遅い。
あえて遅いストレートを投げさせたことで、鬼塚は引っ掛けてしまった。
ショートゴロで、ようやくワンナウトである。
初めての凡退を四番で取って気分がよくなった山村であったが、続く五番の倉田は、狙っていたカーブをあっさりと外野ネットにまで運んでいった。
この回二本目のホームランで、早くもスコアは4-0である。
(まずいな)
そう感じたのは悟だけではなく、上山や宮武といった、試合の流れを意識する者たちに共通のものであった。
点差がつくのもそうだが、山村の集中力が切れかねない。
(なんとかこっちに打たせろよ)
悟と宮武が同じように考える。
そして上山も、意識してセカンドかショート、あるいはファーストへのゴロとなる配球を構築する。
しかし六番大仏は、公式戦でも代打出場をある程度している。
今日は打つ打者が二人抜けていることもあって、スタメン出場である。
低めに集められた球を、センターの奥に運ばれる。
しかし高く上がったため大石が追いつき、ファインプレイのキャッチング。
七番の佐々木はセンター前に向ける球を悟が追いつき、体を回転させて一塁へ送球。
連続してヒット性の当たりであったが、どうにか一回の攻防が終わった。
全国制覇は伊達ではない。
甲子園三期連続優勝。五期連続出場。敗北した二試合は、優勝校との対戦である。
こんな化け物のようなチームを相手に、この間まで中学生であった寄せ集めが、勝てるはずはないのだ。
「アピールは個人でするしかないのかな」
スーパーセーブを見せた大石が言うが、守備はともかくピッチャーの集中力が切れかけている。
ここは引き締めるために言っておかないといけないだろうと淳は判断する。
「山村、うちは左投手は豊富だから、ここでアピールできないと、夏のベンチ入りはかなり厳しいぞ」
そう言う淳が左利きの変則派であるし、エースの武史も左腕で、専任ではないがアレクも左腕だ。
「タケ兄も俺も、一年の春から試合には出てたんだ。それを考えるとちょっとな」
別に役に立たないなら立たないで、秋まで体力づくりと基礎をやればいいだけではあるのだが。
一年は他にも文哲、そしてピッチャー経験のある選手はいる。
山村は三回までは引っ張るつもりだったが、他の人間を試してもいいのだ。
「冗談、先にバッティングで魅せますよ」
そう言ったが、二回の表は宮武から始まり三者凡退。
トニーが決め球に使ってくる縦スラが、今日は調子がいいらしい。
二回の裏、先頭の西園寺は比較的常識的な内野ゴロに倒れたが、ラストバッターのトニー。
外を狙ったつもりのボールがやや甘く入り、見事にセンターの一番奥にまで放り込まれた。
そして一番のアレクに戻って、そこからまた連打である。
一打席目は凡退した鬼塚が、フェンス直撃のツーベースを打ったところで、さすがに限界である。
ベンチに引っ込んで、サードの文哲がピッチャーとなり、サードには他の一年が入る。
上山としては将来もバッテリーを組むかもしれない山村が心配だが、完全にベンチに座って死んでいる。
タオルで顔を隠しているが、ひょっとしたら泣いてるのかもしれない。
(こんなところで折れてほしくないけど、これが高校野球のレベルなんだよな)
山村のことも気にかけはするが、上山はそれより文哲の方に注意を払う。
先ほどは孝司が受けていたので、上山が文哲の球を受けるのはこれが初めてだ。
しかしわずかな投球練習の間にも、その特性はつかめてきた。
まず第一に、コントロールが凄まじくいい。
ミットを構えた場所から、全く動かさなくていい。
ストレートは回転のいいストレートだが、その球速を上手くコントロールしているように思える。
そしてカットボールとツーシームが使いやすそうだ。
チェンジアップも見分けがつきにくく、タイミングを外すのに便利だろう。
(三年になった時に、左右にそれなり以上のピッチャーがいるわけか)
上山は中学時代は、スピードはないがコントロールが良く変化球が一つ投げられるピッチャーをリードしてきた。
あとは本来野手の選手がピッチャー兼任などをして、どうにかこうにか勝ちあがっていく試合が多かった。
これほどコントロールが良く、球種を制御出来ているピッチャーがいるなら、自分のリードで活かせるはずだ。
そう、上山はピッチャーとキャッチャーの違いこそあれ、中学時代の直史と同じような過去を持っていた。
もっともちゃんとストライクのボールを投げられるピッチャーがいた分、上山の方がはるかに恵まれてはいるのだが。
スコアは既に8-0となっており、ここからの勝利は望めないだろう。
(でも白富東はキャッチャー二枚だし、ここで活躍しておけば、三人目のキャッチャーでベンチ入りできるかも)
上山も謙虚ではあるが、この程度の野心は持っているのである。
そして迎えるバッターは倉田。
一打席目のホームランの記憶はまだ新しい。
(この人を抑えられれば、後の打者はまだしも楽なんだよな)
センバツベンチ入りメンバーではあるが、スタメンほどの突出した打力はない。
文哲と上山、二人のサイン交換から、試合は新たな展開となる。
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