第62話 帝都一の逆襲

 秦野の分析した、帝都一の強さ。

 それは単純に、打率、防御率、盗塁数、ホームラン数、ピッチャーの奪三振率、四球率などを数値化したものである。

 ただしそれに、対戦相手のレベルを考えると、同じ数字でも意味が異なる。

 たとえば千葉県は現在白富東一強であるが、東京は帝都一の他にも、早大付属、日奥第三などの全国制覇複数回達成のチームがあるし、神宮大会でも結果を残しているからだ。

 その帝都一を倒すための一つの材料が、淳の状態である。


 神宮大会にて帝都一は、水戸学舎に決勝で敗北している。

 常に甲子園出場だけではなく、全国制覇を狙っている帝都一が、アンダースロー対策を考えないとはありえない。

 だがそれでも、左のアンダースローの希少さが、相手に通じてくれる可能性を試す。

 トニーの長身から投げられるオーバースローもかなり角度は珍しいが、それでも帝都一の対するピッチャー像の延長線上にあるものだ。


 朝から軽く体を動かして、様子を見る。

 しっかりと準備運動をしてから試合に出ている白富東ナインであるが、どこかしら軽い怪我をしている者は多い。

 ここで頑張ってもいい怪我と、ダメな怪我を判別するのも、監督の大切な仕事である。

 宇垣はデッドボールで背中に痣があるが、動きを妨げるほどではない。

 駒井はレフトフライを追いかけて、フェンスにぶつかったことがある。

 淳は準々決勝で、マウンドの段差でつまづいて足が攣った。


 内野はおおよそ、全員が無事である。

 久留米はイレギュラーバウンドを顔で受け止めたが、痛みを全く感じないかのように、そのボールを一塁へ送ってアウトにした。

 悟は横を抜けそうなボールを何度もダイビングキャッチをしていて、それは少し不安である。

 もし悟が抜けると、打力も守備力も、かなり落ちてしまう。何より怪我は、全ての可能性を奪うものだ。


 万全を求めればきりがないが、それでも今はこれが精一杯だ。

「行くか」

 気負いのない秦野の声に、選手たちは腰を上げる。




 甲子園は今日も満員御礼だ。

 四強に残った顔ぶれは、既に甲子園の常連となったチームで、もうどこが勝ってもおかしくはない。

 不敗の遺伝子を継ぐ白富東。

 東の大横綱にして大本命の帝都一。

 西の大本命地元の大阪光陰。

 新興ながら上位にいたる、初優勝を目指す明倫館。


 どこが優勝してもおかしくはないが、ただ観客が願うとしたら、決勝が白光戦になることだろうか。

 甲子園に白富東が出場して以来、六回の大会で五回の対決。そして勝った方が優勝することが四回。

 決勝で三回を戦っており、そこでは全て白富東が勝っている。

 いくら両者が強豪と言っても、ここまで重なれば何かの因縁である。

 だがその六回のうちの唯一の例外を作った明倫館も残っている。

 そして大阪光陰の栄光の時代の直前に優勝した帝都一もいる。

 もしも甲子園に物語を演出する神がいたとしたら、どこが勝ってもおかしくはない対戦となる。


 決勝は白富東とやりたい。

 大阪光陰は相手が強いと分かっていても、そう思っている。

 特に選手たちにとっては、先輩たちがことごとくこの地元の甲子園で、白富東に敗北するのを見てきた。

 去年ドラフトで三球団競合になった真田と、二球団で競合になった後藤を有してさえ、白富東には勝てなかったのだ。


 大阪光陰の木下も、決勝は白富東とやりたいと思っている。

 それは因縁があるということもあるが、それ以上に今年の帝都一が強いからだ。

 秋に東京大会で優勝したのは、絶対にマグレではない。

 そもそも監督の松平が、全国に知れた名将なのだ。

 木下は試合の采配においては、秦野には勝つ自信があるが、松平となるとかなり微妙だと思っている。

 あとは士気の問題だ。

 目標となる白富東の打倒がなくなってしまうと、下手をすればこれからの準決勝にさえ悪影響が出かねない。

 白富東と大阪光陰の対戦が、甲子園の中の雰囲気の中で待たれている。




 帝都一の松平は、今年は勝てると思っている。

 そう思っていても負けるのが甲子園で、今年は無理かなと思ったチームが大化けして、夏を制したこともあった。

 だから油断は全くしないが、還暦越えでしっかりとノックを終えて、守備に散っていく選手たちを見守る。

(来るなよ、甲子園のマモノ……)

 どっしりと腰掛けているように見えるが、内心ではいつも心配だ。


 白富東に対して、単純な数値上の評価だけをしている松平ではない。

 今年の白富東は、左打者が極端に多い。

 去年も多かったが、今年はスタメンが六人左と、右の倍の人数がいる。

 合理的に考えればベースの近い左打者は有利とか、多い右ピッチャーの懐に入ってくる球が打ちやすいとか、そういうことはある。

 ただ、利き目を無視して左を増やしてはいないだろうか。


 人間にはもちろん利き手があるし、実は白富東の左打者も、多くが右利きだ。

 だが右であっても、引き手と押し手という関係のように、バッティングには関係ないと言われてりもする。

 重要なのは利き目で、これがピッチャーに近くないと、遠近感をしっかり捉えられないと言われている。

 それを知らずに左の強打者の真似をして、本来のポテンシャルを発揮出来ないという選手は多い。

 ただ、日本人は右目が利き目であることが多いので、本来は左打者が多くなるのは当たり前という説もある。


 帝都一の一枚目のエース堀田は、右腕である。

 ストレートもいいがチェンジアップ、スライダー、カットボールを球種として持っており、チェンジアップが利き手側に変化する。

 ただそれでも左打者に対しては懐に入っていくので、やや不利ではないかとも思う。

 よって本日は左からサイドスロー気味に投げる青山を先発に持ってきている。

 左打者は左投手に弱いというのは統計で確かであり、白富東のバッターも何人かは、左投手との対決の数字は悪い。




 白富東のバターで一番恐ろしい悟に対して、松平は最大の警戒をしている。

 一年の夏に三本、一回戦でも一本をスタンドに放り込んでいる強打者だ。

 そのくせ足も速く、守備位置がショートで三番と聞けば、それだけで白石大介の悪夢が甦ってくる。

 だがさすがに、あそこまで理不尽な存在ではない。

 甲子園での打率は五割程度で、毎試合のようにホームランを打たないというだけで、充分にありがたいのだ。


 一回の表から、さっそくその打者に打順が回ってくる。

 だが大切なのは、その前にランナーを溜めないこと。

 悟は基本的には、アベレージヒッターであるのだ。その延長でホームランも打てるというだけで。


 凡退した宇垣が戻ってくる。

「どうよ?」

「まあ左のサイドスローであのスピードってだけで珍しいわな」

 クロスファイアー気味に投げてくるので、どうしても外を狙って打つことが多くなる。

「バッターボックスの前に立った方がいいかもしれない」

「それはそれでやだな」

 二番の哲平もショートゴロに倒れ、悟の打席である。


 初球から、悟には違和感があった。

(なんだ?)

 妙に球が、打ちにくく感じる。


 左のサイドスローというのは、それだけでかなり珍しい。

 だが淳が元々左のサイドスローであったこともあって、それなりにはバッティングの練習はしたはずなのだ。

 もちろん昨日は完全にノースローの淳であるが。

 他にはツインズも、バッピでそういった球を投げてくれた。


 明らかに男子とは体格の違うツインズのボールとは、それは違って当然なのである。

 だが、何か打ちづらい。

 三球目、外に逃げていくスライダーを打ちそこなって、スリーアウト。

 三者凡退で試合が始まる。




 首を傾げながら戻ってきた悟に、秦野は問いかける。

「どうして?」

「いや、なんか変に打ちづらいピッチャーです」

「そうなのか」

 事前に調べた限りでは、まあ確かに打ちづらいであろうということは分かっていた。

 だが水戸学舎の渋江に比べれば、まだ普通に打ちやすい方だと思っていたのだが。

(こういう時にバッピ要員のツインズがいないのは、けっこう痛いな)

 直史がいた時も、仮想して対戦投手の練習することはよくあった。


 一回の裏は淳も、帝都一を三人でしとめる。

 とりあえず立ち上がりには問題はなさそうだ

 チーム力は向こうが上回っているかもしれないが、こちらだって打力はあるのだ。


 しかし二回の表、左のサイドスローに対して、比較的相性がいいはずの右打者、孝司も引っ掛けて小フライとなる。

 五番の駒井は内野ゴロアウト、そして六番で右打者の久留米も、内野ゴロを打ってしまう。

(手元で動いてる? いや、それなら誰かがそう言うか)

 秦野としてはこのピッチャーが、特別に驚異的だとは思わない。

 純粋に珍しいピッチャーだから打ちにくいと考えるのが自然であろう。

 だがどこか、しっくりこないのは確かである。


 こういう感覚は、残しておくと後で必ず問題になる。

 ベンチの前に乗り出して、あちらのピッチャー青山を観察する。

 左腕を鞭のように撓らせて、綺麗にサイドスローから投げてくる。

 映像と、ここから見る限りでは、サイドスローにしてはホップ成分が効いていると言えよう。

 正確にはサイドスローではなく、それにほぼ近いスリークォーターだ。


 変化球はスライダーを持っていて、これとカットボールを混ぜてくる。

 微妙に角度の調整が効くようで、これは確かにミートはしづらいのかもしれない。

 ただここまで、打ち損じがとにかく多いのが気になる。


 ベンチの中で改めて確認するが、特に事前の情報と変わるものはない。

 データの通りのピッチングをしていて、それをこちらが捉えきれていないだけだ。

 だが……なんだ、この違和感は?




 三回まではパーフェクトピッチをやられたが、別に手も足も出なかったというわけではない。

 だがミートがしっくりときていないのだ。

 三振を一つもしていないので、完全に打てない球ということは、もちろんない。

 選手たちもフラストレーションはたまっているのかもしれないが、それでも守備に就く足取りは重くはない。


 戦えている。ちゃんと戦えているのだ。

 淳もやや粘られている傾向はあるが、ここまでは凡退続きである。

 三振は二つ奪い、こちらもパーフェクトピッチだ。

 思ったとおり、正統派の強力打線である帝都一には、技巧派で軟投派の淳の方が合っている。


 だが、何かを見落としている。確信がある。

「なんか皆、ちょっとスイングおかしくない?」

 娘の冷静な指摘に、二巡目の宇垣の打席を見る。

 言われてみれば、確かにスイングの起動がおかしいが、それは左のサイドスローという、珍しい存在に合わせているからではないか。

「スイングが……どうおかしい?」

「なんていうか、ミートポイントもっと前じゃなかった?」

 ミートポイント?




 帝都一の監督松平は、今の白富東の状態を、はっきりと見抜いていた。

 そして勝利を確信する。

 これに気付いていないようだが、気付いてもどうしようもない。

 一応解決策はあるが、それは帝都一ならどうにかなっても、白富東では難しい解決法だ。

 それでもやるとしたら、後半で一気に賭ける方がいいのか。


 これは、監督の経験の差だ。

 確かに秦野も甲子園を何度も経験しているが、かなり珍しい状態にチームがあったのを、分かっていなかった。

 自分だったら、一日あれば充分であったが、秦野には分からなかった。気付きもしなかったのだ。

 おそらくは、帝都一の分析に力を注ぎすぎた。


 ベンチの奥に座る松平は、にやりと笑う。

 ここで勝って決勝に行き、そこでも勝って優勝旗を奪う。

 大阪光陰黄金期が始まる前に失った覇権は、白富東を破ることで奪還する。

(さあ、早めに手を打てるか? 博打にしかならないが、今のままでどうにか出来るか?)

 白富東の苦闘は続く。

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