第116話 絶対的エースのいない時代
春季関東大会準決勝。
白富東の対戦相手は、神奈川県の横浜学一である。
なお山の向こうでは帝都一と刷新学園。
帝都一は都大会では早めに負けたが、やはりここまで勝ちあがる力は持っている。
センバツの疲労からの立て直しに失敗したということだろうか。だが関東大会には推薦で出てここまで勝っていることから、敗北からの復帰が早いのは分かる。
センバツで思いのほかいい結果を残したチームが、夏にはあっさりと負けるということはあるらしい。
夢にも思わなかったセンバツに出て、しかもそこで活躍して、夏を前に満足してしまうというパターンだ。
強豪は夏こそが最後の舞台だという意識があるので、春の大会であっさりと足元を掬われるということは少ない。
だがないわけではないというのが、帝都一の例を見ても分かる。
勝ち上がって帝都一と戦いたいというのは、白富東の選手の一致するところである。
あちらが負ける可能性もあるのだが、やはり仮想敵は帝都一だ。
もちろん横浜学一を甘く見るわけにもいかない。
センバツに出場したのはいいのだが、一回戦は勝ちあがったものの、次に蝦夷農産との試合で敗北している。
蝦夷農産のパワーに対して、精密な野球が敗北したといった形で、さぞかし悔しい思いをしたのだろう。
その感情に勢いを乗せて、今年の神奈川県大会を制したというわけだ。
ある程度試合を見ていたので分かっているはずだが、横浜学一は三人のピッチャーを継投しつつ戦っている。
その中で今日は、エースが六回までを投げた。
明日は休ませたいと思っているかもしれないが、どのみち他のピッチャーも消耗している。
白富東にしても、昨日六回を投げたユーキは、完全に回復しきっているか怪しい。
関東大会は、妥協の大会でもある。
下手に全力を尽くして故障などしても、全くその甲斐はない。
シードは既に決まっている以上、あとは適当に流すなり、新球種を試してみるなりと、実験が出来る。
「というわけで、怪我だけはしないようにな。ほれ、解散」
そして部屋に向かうわけだが、耕作は同じ一年の塩谷と同室である。
「は~、なんか気の抜ける言葉だったな」
「あれは選手をリラックスさせるためのもんだと思うけどな。半分弱は本音かもしれないけど」
塩谷からすれば、試合には出られなくても、色々と学ぶことは多い。
ピッチャーはキャッチャーよりもたくさん必要とされる。
それは分かっているが、普通科入学の耕作が、実戦でちゃんと通用しているのが、妬ましくて悔しい。
適度な嫉妬は人間が成長する上で必要である。
ポジションが違い、お互いに必要とし合う関係だったのもよかったろう。
「帰ったら夏に向けて一直線かあ」
呑気に耕作は言っているが、おそらく三年の夏までバッテリーを組む塩谷としては、このちょっと珍しいタイプのピッチャーは、ちゃんと理解しておかなければいけない。
「明日も投げるかな?」
「俺が? いやないっしょ。相手は横浜学一だぞ」
甲子園春夏連覇の偉業も達成したチームであるが、それを言うなら白富東は、さらに偉大な記録を残している。
不思議だな、と塩谷は思う。
ピッチャーというのは本当に、球速だけで通用するものではない。
肩の強さだけを言うなら、間違いなく塩谷の方が上である。
だがピッチャーとしての適性は、耕作の方がはるかに高いのだ。
明日の相手は横浜学一。
だがそれを言うなら今日の対戦相手は神宮優勝の経験もある水戸学舎であったし、初戦はこれまた全国優勝の経験があるウラシューであった。
どこも全国レベルでみても強豪なのだが、そこを相手にしても耕作のピッチングが通用しそうなのだ。
もちろん短いイニングという縛りはあるが、とにかく強烈な打線に対して、しっかりと腕を振って投げることが出来る。
「ここまで相手が強いとびびらねえか?」
塩谷の問いにも、耕作は首を傾げる程度である。
「びびって相手が弱くなるなら、いくらでもびびるけどな」
このあたりの精神力が、ピッチャーとしての適性なのか。
リードする立場であると、塩谷も打たれる危険性は考えてしまう。
基本的にリードはキャッチャーがするのだから、コントロールミスでなければキャッチャーの責任だ。
コントロールミスにしても、ピッチャーの限界がちゃんと分かっていれば、下手なリードはしないものだが。
その意味でも耕作のようなピッチャーを、堂々とリードする上山はすごいと思う。
打たれても、点を取られても、それは野球の宿命だ。
問題は取られすぎないことと、それ以上にこちらが取ること。
ロースコアにするには、それなりのリードというものが必要になる。
塩谷はかなり悩んだものであるが、早寝早起きの耕作は、とっとと寝てしまう。
神経が太いとか鈍感とかではなく、とにかく頑丈なのだろう。
農家ってのはこんなもんなのかと、変な方向にイメージを広めていく耕作であった。
関東大会準決勝の朝。
スターティングを告げられたメンバーは、やや困惑する。
先発はまたも耕作なのである。
確かに昨日も投げたとはいえ、三イニング。
ただ三イニングであっても、それなりに球数は使っている。
もっとも確かに、耕作は疲れていない。
ただ純粋に、通用しないと思うのだ。
左のサイドスローは、既にかなりそのピッチングを見せている。
球種も分かっているだろうし、これまでにどういう打球を打たせているかで、グラウンドボールピッチャーということも分かってはいるはずだ。
ただ左のサイドスローというだけで、ある程度はそれでも最初は通用するだろう。
左利きというものは、野球においては才能である。
だが同時に、縛りもある。
体の動かし方を見れば分かるように、内野を守る場合はファースト以外は守りにくい。
送球の関係上、キャッチャーも左利きはやりにくい。それでも内野に比べたらマシかもしれないが。
長所は短所にもなる。
耕作の場合は少なくとも、ピッチャーをやる上では長所になるが。
バッティングの方はあまり求められていない。
他のポジションをするなら、明らかに他のベンチ入り選手の方が上手い。
スタメンの発表からベンチに入り、練習をしてからマウンドに登る。
今日もまた、一番高い景色を見る耕作である。
自分が場違いなところにいるような感じはするが、かといってふわふわと腰が定まらないわけではない。
農民の下半身は頑丈なのである。
言われたからには投げるしかない。
ただ水戸学舎と違って、明らかなスラッガーの多い横浜学一は、抑えるのも大変である。
しかし一番と二番は、何とか内野ゴロに打ち取った。
ここから三番以降のクリーンナップはドラフト級だ。
もっとも一位指名を受けそうだ、スーパー高校生はいないが。
地道にコツコツと投げるのは、耕作は苦手ではない。
だがそれでもタイミングがあってフルスイングをされれば、スタンドに持っていかれることはある。
放り込まれたボールは、外野スタンドで大きくバウンドした。
よりにもよって一番深いところに叩き込まれたのだ。
それでも折れないのが農民である。
(さすがにここらへんには通じないか)
そう思った耕作であるが、これもまた普通のことだと納得する。
農民は理不尽に慣れている。
人間による理不尽は感触が違うが、プロに行くかもしれないバッターになら、打たれることはおかしくない。
そして続く四番打者を、しっかりと外野フライで抑える。
ベンチに戻ってきた耕作に、秦野は声をかける。
「どうだった?」
「まあ、さすがにプロ注目の選手は違うかなって」
そう答える耕作は動じておらず、本当に神経が太いんだなと秦野は思う。
あえて自らを、誇るように農民と言う耕作。
農家の育ちが人格形成に影響を与えているのかなとは思う。実際に天才という者は、その環境が作るとも言われる。
直史なども田舎の家長の長男というのが、かなり人格形成の上で大きな部分を占めていたものだ。
二回以降も投げ続ける耕作は、本当にタフである。
ピッチャーが動揺しないから、守備陣も安心して見ていられる。
これまでの白富東にはいなかったタイプの、それでもエースになりそうな器だ。
三回までを投げてお役ご免。
スコアは味方が追いついて、1-1となっている。
瑞希から珠美、そしてサラへと伝わってきた、白い軌跡。
サラは去年のピッチャーも見ているが、耕作は一番平凡なピッチャーだと思う。
左で高校生最速であった武史、基本は外野だがピッチャーとしても通用したアレク、幻惑的な左のアンダースローの淳に、パワーピッチャーのトニー。
今年の三年では、文哲は機械のように正確にコントロールをしてくるし、山村はそれなりに速いサウスポーで、カーブにしっかりと自信を持っている。
ユーキは身内であるから評価は別にする。
この試合の四回以降を投げたのは文哲である。
ノーヒットノーランのような派手なことは行わないが、統計的にロースコアになるピッチングをする。
ただどうしてもヒットが生まれてしまったら、そこから隙を突いてくるのが名門の野球である。
文哲が緻密なピッチングをして、集中力を切らさない。
それでも連打を浴びて、追加点を食らうことはある。
白富東側も、わりとすぐに得点をしていって、横浜学一もピッチャーは辛抱強く投げてくる。
ロースコアゲームになった。
ビッグイニングが起こらず、一点ずつをしっかりと取っていく。
そしてこういうゲームになると、下位打線でも得点出来るオプションを持っている、横浜学一の方が強い。
あとはベンチから出せる代打の質か。
ピッチャーに代打を送って、そこで点を取る。
白富東にも使える戦法だが、文哲もピッチャーの割には打てるので、ここで交代する意味があまりない。
ここで思い切れないのが、今の白富東の弱点だろうか。
打つだけならいくらでも打てるという選手がいれば、どうにか使いたいところなのだが。
九回の裏、横浜学一が4-3のリードで、白富東は最後の攻撃となる。
もちろんこのまま追いつけなければの話で、先頭バッターをフォアボールでランナーに出せた。
ここで代走の長谷である。
フィジカルエリートが多い三年の中でも、特に足には自信がある。
守備においても終盤の守備固めに入ることは多い。
ここで最低でも同点にしなければいけない。
だがこの後に続くのが八番と九番になっている。
八番は送りバントでいいのだが、九番の文哲をどうするか。
同点どまりであった場合、10回の表にも投げてもらうか。
そもそも文哲よりも明確に、バッティングの優れている選手がいない。
送った後、最低でもダブルプレイにはならないように。
すると先頭打者に戻ってくるのだが、今日のスタメンは大石が一番に戻っている。
大石がしっかりとボールを選んで打てるか。
少しは意識が変わったと思ったから、一番に戻したのだが。
九番の文哲が、右に打って進塁打とした。
さて、これで大石である。
つないでくれればいい。それに大石の足なら、内野安打もありうる。
ボールから入ってきたが、際どいところだ。しかし大石はしっかりとボールが見えている。
届く範囲でいいコースなら、積極的に振りに行く。
だが膝元ぎりぎりに決まると、これは打てない。
外に逃げ、高めに投げて、内を突く。
内のゾーン以外のボール球を、すっかりと見送る大石である。
だがこれはまずいかな、と秦野は思う。
今の内に投げてきたのは布石だ。
横浜学一の正捕手レベルなら、やってくるだろう。
最後のアウトロー。これも外れるか。
だがキャッチャーは、外から上手く被せるように捕り、そして体ごと少し動いた。
「しまったな」
秦野の呟きに、審判のコールがかぶさる。
バッターアウト。三振でゲームセットだ。
フルカウントからあそこに投げれば、ストライクになるのだ。
大石にも分かっていたはずで、これまではそういった際どい球を打ってきた。
早打ちと悪球打ちはするなと言っていたが、それが裏目に出た。
悔しそうな顔をしている大石だが、その見極めは間違っていない。
惜しかった。
だが、負けは負けだ。
それでも秦野にとっては、価値のある負けだったと思う。
前哨戦で、しっかりと手応えを感じた。
それでも負けは負け。
白富東は、関東大会のベスト4で姿を消した。
ちなみにこの大会の優勝は、白富東を破った横浜学一となる。
不満そうな顔をした選手たちを乗せて、バスは千葉へと向かう。
気持ちは分かるし、課題も出来たし、惜しかった試合だ。
成果は出たが、選手たちにはそれは伝わりにくいだろう。
夏に活かせばいい。
それを心の底では思いながらも、今は選手たちの悔しさを、解消しようとはしない秦野であった。
悔しさを持つ限り、人は成長できる。
最後の夏に向けて、全ての力を出し切る。
高く飛びあがるためには、まず屈まなければいけない。
白富東の最強世代は、夏の甲子園の決勝で、劇的な負け方をしたからこそ、強くなったとも言える。
敗北を、ただ負けただけにしないため、秦野の最後の仕事が始める。
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