第115話 亀は空を飛べない
四回の頭から交代したユーキのピッチングが、水戸学舎打線を抑えている。
春のセンバツで悔しい思いをしたのは、皆同じだ。
だがユーキにおいてはその前の夏からも、野球にかける熱意が変わってきたような気がする。
去年の夏、甲子園の決勝で、白富東は負けた。
その時に、ほとんど一人の活躍で攻防に活躍したのが、同じ一年生の蓮池であった。
一年生が、自分と同じように、主力となって勝たせる。
ユーキとは全く立場も事情も違うのだが、それでも比較してしまったのだ。
比較するということは、同じ舞台に上がってしまったことを示す。
ストレート主体の本格派でありながら、コンビネーションの組み立てはそれなりに奇抜で無難。
自分の意思を押し通すタイプのピッチャーではない。
ただ、勝つことには執念を持つようになってきた。
それでもセンバツでは、最後の敗北のマウンドに立っていたのは文哲だが、その前にランナーを出したのはユーキだ。
ユーキが甲子園でスタミナ切れを起こしたのは、体力ではなく完全に精神的な問題である。
プレッシャーを知らないことは、ユーキにとって最初は有利なことであった。
だが今はプレッシャーを感じたことによって、それに負けまいというメンタルが育っている段階である。
今はまだ二年生のユーキ。
それが卒業までにどう成長していくのかは、誰にも分からないことだ。
もしも野球の世界に引きずり込まれてしまったら、ご愁傷様と言うしかないか。
先制点を取るというのは、白富東にとって、完全に勝利のための方程式となってきている。
だが今は打撃力で計算出来るバッターがいる。
長距離砲で一気に点を取れるのだ。
しかし来年になれば、三年生世代が抜ける。
ピッチャーを除けば、今のレギュラーは全員が三年生である。
戦力の次世代への継承という点では、一人は二年生が入っていた方が、長期的にチームを見たらそちらの方がいい。
だが選手にとってはそんな理由で、レギュラーを奪われていい理由にはならない。
二年生、もしくは一年生が自然と伸びてきて、ポジションを奪うのが健全なのだ。
競争社会って世知辛いね。
三年生の打線は、イニングごとに必ず一本はヒットを打つ。
しかし水戸学舎は相変わらずの鉄壁の守備で、それをダブルプレイにしてしまう。
あちらのエースもかなり苦しいだろうが、守備陣がそれをしっかり支えている。
(けどそちらさん、勝っても次の試合では投げられないんじゃないの?)
ここまでの情報を見る限り、水戸学舎の二番手ピッチャーはかなりエースより劣る。
しかしあちらはそこそこ使えるピッチャーをそれなりには用意出来るチームのはずだ。
甲子園に何度も出たことで、水戸学舎もそれなりに強い選手を集められるようになったはずだ。
しかしあそこはチーム力で勝負するので、才能があってもチームプレイが出来なければ、出番はないのだろう。
一応二年生のピッチャーはいるらしいが、県大会の序盤ぐらいしか投げていない。
あとはエースともう一人の三年でピッチャーは回しているようだ。
初回に点を取ったものの、追加点がない。
こちらはピッチャーをユーキに代えてから、ランナーもほとんど出させない。
センバツを終えてこの春の大会の間で、一番球威が上がったのはおそらくユーキである。
文哲や山村は足し算で成長していったが、ユーキだけは掛け算に近い。そんな感覚だ。
来年もまだユーキがいるので、県大会でも準決勝ぐらいまでは、普通に投手力で勝ち進めるだろう。
だがトーナメントの終盤になると、どう休ませるかが問題になる。
耕作のような、完全に相手の打線を封じるわけではないが、強豪相手でもそれなりにアウトを積めるピッチャーが入ったことは幸運であった。
しかしそれでも千葉県のトーナメントを突破するのは、厳しいのではないかと思うのだ。
一つの学年に一人は、中心となるようなピッチャーがほしい。
いや、そういうピッチャーを育てなければいけないと言うべきか。
秦野の次の勤務先は東京になるが、せめてもう一人ピッチャー候補がいないものか。
(来年は上総総合がちょっと怪しいんだよなあ)
その時にはもう千葉の人間ではないはずなのだが、鶴橋が動いているのは知っている。
手足となって働いてくれる人間も確保出来たから、あと一回ぐらいは甲子園にと思っているだろう。
公立の強かった時代の千葉で、名将と呼ばれていた鶴橋。
既に定年を迎えながらも、むしろそれから自由にやり始めている。
さすがにもう自らノックをすることは多くなくなってきた鶴橋であるが、この年齢になってようやく、野球というものに対する勘が働くようになってきたと称していた。
妖怪のような存在であるが、普通に名将ではある。
試合が動かない。
ランナーは出るのだが、点に至らない。
ヒットの本数は白富東が優るのだが、三塁までで止められる。
典型的な逆転負けのパターンであるが、ランナーを背負ってもユーキがしっかりと投げられている。
元々メンタルが弱かったわけでもないが、着実に成長している。
春の大会はシードさえ決まればあとは、強豪同士の練習試合代わりとなっているというのも大きいだろう。
一点のリードがあれば、それを守って完封する覚悟があるのがエースだ。
これは文哲や山村、そしてユーキにも芽生えてきたが、明らかに耕作にはないものだ。
一点もやらないという気概。
それがあれば、スミイチで逃げられるかもしれないが、二点取っているというのがどう働くか。
普通ならば一点までは大丈夫なので、有利とは言える。
だがそれまで無失点で抑えていたピッチャーが、一点を取られることで崩れることはあるのだ。
そこで継投があるかもしれない。
ベンチの中でこそこそと、秦野は国立と話し合う。
「どうかな? 後ろにもう一人必要かな?」
「代えるとしたら文哲君ですか」
「山村は昨日投げてるからなあ」
球数はそれほど多くなかったが、少なくもない。
右のユーキの後に左の山村というのは、確かに鉄板のリレーだとは思う。
問題はこの試合の勝敗に、どこまでのリスクをかけられるかだ。
決勝まで残るとして、この試合を除いて残り二試合。
耕作は頑丈そうだが、長いイニングを任せるのはまだ怖い。
(文哲を使ったとして、明日もまた百間を使うか? さすがにそろそろ研究されてると思うが)
三イニングとは言わない。二イニング消化してくれるだけでありがたい。
まあそんな先のことは考えず、目の前の試合に集中するべきだろう。
試合は本当に、最後の最後まで動かなかった。
正確に言うと、最後の最後にほんの少しだけ動いた。
九回に出た先頭ランナーが、三塁までどうにか進んだ。
そこでタイムリーなポテンヒットが出て、ツーアウトから三塁ランナーが生還。
なおもまだランナーはいたのだが、ここで打った内野ゴロを、確実に一塁へ送球。
悪送球もなくスリーアウトで、試合は九回の裏を迎えることもなかった。
耐える試合だったな、と秦野は分析する。
先発であった耕作が、序盤を崩さずに無失点でつないでくれた。
ユーキはリリーフとして完璧な仕事をして、最終回で一点を取られても崩れなかった。
ただ課題があるとすれば、ヒットの数の割りには初回の二点しか取れなかったことか。
水戸学舎の守備は確かに堅かった。
だがもう少しやりようによっては、点は取れたはずだ。
具体的なやり方はいくらでも思いつく。
「さて、次の対戦相手か」
観客が少ないので、スタンドの隅で見物する。
ネットによる配信もあるのだが、ベンチの中の動きなども抑えるため、残っているのだ。
対戦は横浜学一と早大付属という関東の鉄板カード。
この勝者と明日は準決勝を戦うこととなる。
はっきり言ってどちらとも練習試合を組めるので、新興の強豪と当たってみたかった。
向こうの山では他の球場で、帝都一が勝ちあがっている。
相手になるのは刷新学園か前橋実業とのこと。
またここも変わらない顔ぶれである。
伝統ある両校の戦いは、隙のない玄人向けの試合となった。
エースが投げ合う展開であるが、双方上手く低めを攻めて、長打を打たせない。
ただエースと二番手三番手の差もあまりないらしい。
平均点の高いピッチャーをそろえて、調子のいい者を使って勝つという体制か。
本当に地味な試合になった。
もちろん両校名門だけあって、かなり選手の質は高い。
ただ絶対的なエースと絶対的な主砲がおらず、そのあたり決め手に欠ける。
当たり前の話だが、普通のチームであれば絶対的なエースになるピッチャーと、頼りになる四番という選手はいる。
それが埋もれてしまうのが、関東大会の準々決勝というものだ。
総合的に見れば、ほんの少し横浜学一が上だろうか。
「ちょっとベンチ入り見せて」
国立が確認するに、一応横浜学一の方は、一年生がベンチに入っている。
ここまで関東大会の試合には出ていないが、県大会のデータを見れば、投げてはいる。
そう、ピッチャーだ。
入学から間もない春の県大会で、投げているというのだ。
投げたのは三試合の合計12イニングで、被安打四本はいいとして、四死球を七つもやっている。
素材型の選手に、実戦経験を積ませるつもりだったか。
今年の夏には間に合わないかもしれないが、秋からは注意すべきかもしれない。
試合自体は玄人向けの、堅実な送りバントもあれば、大胆なヒットエンドランなどもあった。
堅実さと大胆さを組み合わせて戦術を立ててくるのが、強豪名門の恐ろしさである。
もっともこういった強さは、既に白富東も手に入れている。
「ヨコガクの方が押し気味だけど、点差はつかないな」
秦野は呟きながら、ベンチの中も見る。
早大付属のベンチの中は、そんなに慌てた雰囲気を持っていない。
ヨコガクの方は見えないが、果たしてどうなのか。
こういう時は指揮官が落ち着いているチームの方が、おそらくは勝つのであるが。
なのでスコアラーに撮影させる時は、時間を合わせてベンチ周辺の動きもチェックさせている。
「早大付属の方が勝ちそうな気はしますけど」
「まあそうだけど、高校野球は何がきっかけで空気が変わるか分からないからなあ」
国立の言葉に頷きつつも、そうそう甘くはないことを知っている秦野である。
2-2のスコアのまま、九回に入った。
そしてその表に、早大付属が一点を取った。
3-2とリードはしたものの、その後のランナーをしっかりと食い止められて、最小失点差で九回の裏が回ってくる。
もう一点入ってればな、というのが秦野の見解である。
二点のリードがあれば、変な緊張感もなく、適度な集中で挑めただろう。
だが一点差だ。しかも追加点が入ってもおかしくなかったところを、しっかりと守って最後の攻撃に移る。
逆転サヨナラの雰囲気がある。
ここで早大付属は、一点を取られても延長を覚悟すれが、それでどうにかメンタル的にも安定しそうなだが。
積極的にここで封じて一点差で勝とうというのも、それはそれで無理ではない。
「両方のチームの、根本的な強さの違いだけどな……」
「私はヨコガクの逆転サヨナラに賭けます」
「俺もだな」
打順がいいし、両エースの球数なども、限界に近くなっている。
だがヨコガクは途中で代えたのだが、早大付属の方がそのままだ。
エースに全てを託したとも言えるだろうが、そこまで頼りになるエースか?
秦野はちょっとどころではなく、意地悪な見方をしてしまう。
オペラグラスなどを持ってピッチャーの表情を見れば、顔が引きつっているのが分かる。
ここは最後にクローザーを持っていきたいのだろうが、強豪校であっても、そんな都合のいいクローザーはまず持っていない。
まさに試合は予想通りに進んだ。
ランナーが出て、そこから外野の手前にヒットを打った。
その後の二人はフライでアウトになったのだが、外野が前進守備である。
一点もやらないという気迫ではなく、ここで決まって欲しいという感覚だ。
ワンヒットまでならOKと考えれば、最低でも長打は防げると思ったのだが。
ここまで不振だった五番が、そのまさかの長打で外野の頭を越える。
二塁ランナーはもちろんだが、ツーアウトでスタートを切っていた一塁ランナーも、三塁を蹴ってホームへと向かう。
スライディングして充分なタイミングで、ホームイン。
逆転サヨナラという展開になった。
「厄介だなあ」
秦野の呟きに、国立は同意の言葉は吐かない。
逆転サヨナラで接戦をものにすると、勢いがつく。
その勢いを上手く逸らさなければ、次の試合の頭で勝負が決まってしまうかもしれない。
「ようし、帰ってミーティングするぞ」
ヨコガクは途中でエースを降ろしているので、連投で投げてくる可能性もある。
今日の最後までを投げていたピッチャーも合わせて、三枚体制でここまで勝ってきたのだ。
球数制限により、エースが一枚いれば勝てるというわけではない時代。
複数のピッチャーがいなければ甲子園にも行けないというのは、またしても強豪とそれ以外に格差を作った気がする。
もっともそれを言うなら、白富東はピッチャーには恵まれているのだ。
それもあくまで、今年の夏までの話だが。
(この関東大会を優勝できれば勢いがついて、夏まで勝ち進めそうな気もするんだけどな)
そうは甘く行かないのが世の中なのである。
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