第114話 耕すように腕を振れ

 ピッチングというのは、全身の力を連動させて、鞭のように撓らせて投げるのがいい、らしい。

 そりゃそういう投げ方でいい選手はいるのかもしれないが、完全に野手投げであるのに通用しているピッチャーもいるし、昭和半ばまでのピッチャーはそんな投げ方はしていない。

 スタメンに去年の甲子園経験者が三人残っている水戸学舎に、耕作は己のサイドスローでひたすら投げ込む。


 ナチュラルな変化があるストレートに、本人は縦スラだったつもりのシュート。

 そしてぽかっと浮かび上がるカーブのコンビネーションは、かなり通用するようになってきている。

(通用するじゃん)

 マウンドで自信満々の耕作を見つつ、まあ一巡目までだなと考える、容赦のない秦野である。


 ボール自体を攻略するのは、二巡目まではかかるかもしれない。

 だが別にボール自体はそのままでも、とにかくランナーを塁に出し、点を取るのが野球である。

 水戸学舎はスモールベースボールの究極のような攻撃をするので、強豪の容赦のない攻撃を凌ぐには、耕作では難しいだろうなと考える。


 だから先制点がいる。

 長打狙いではなく、小刻みに点を取っていくのが水戸学舎のスタイルだが、チャンスを最大限に活かすことにも長けている。

 そして白富東も作戦で点を取ることは重視している。

 普段とはやや違う並びの打線。

 先頭打者の宮武が、バッターボックスに入る。




 ベンチの中で耕作は、わずかに給水した後は、じっと向こうのピッチャーの仕草を観察する。

 同じサウスポーでも、あちらはオーバースローに近いスリークォーター。

 だがMAXのスピードには天と地の開きがある。

 140kmは耕作ではとても出せないであろうものだ。


 水戸学舎のエースはそれなりのコントロールもあり、球は低めに集めている。

 あとは変化球も沈むタイプのものが多いので、ゴロを打たせるピッチャーであることは間違いない。

 割と上背があるので、上からの角度もついて、余計にそうなるのか。

 角度を活かすという点では、おそらく上から投げるよりも、横から投げる方が、より違和感は大きい。

 長身の選手でもそのリリースの瞬間は、体は沈みこんでいるからだ。

 もちろん横から投げても、リリースはなるべく前でということは変わらないが、そもそも横から投げるという角度が、一般的ではないのだ。


 左のサイドスローは、もしも淳がいれば、教えてもらえていただろう。

 だがタイプが全く違うのだ。

 淳は元々サイドスローの頃から、低く沈み込んで体を柔らかく使っていた。

 耕作のサイドスローは、体をがっちりと固定し、そこから球を投げるのだ。

 だがそれでも普通の左より、ずっとリリースのタイミングは取りづらい。


 相手のサウスポーを参考にしようかと思ったのだが、正統派すぎて参考にならない。

 なんだか日々思い知らされるのは、自分がサウスポーの中でも、かなり異端の存在であるということだ。

 そしてその普通の本格派相手なら、白富東の打線は機能する。


 先頭打者宮武が、13球も粘ってから塁に出た。

 ピッチャーとしては一番いやなランナーの出し方で、これなら普通にヒットを打たれていた方がマシという者もいる。

 耕作は基本的に、ボール球を投げないようにしている。

 中学時代はちょっと大きく外れると、キャッチャーが捕れなかったりしたからだ。

 普通のストライクゾーンというだけではなく、確実にキャッチャーが捕れる場所へ。

 アバウトながら中学時代の思考は、直史に似ている。




 二番はキャッチャーの上山である。

 キャッチャーだが走れる上山がホームランをそれなりに打っていることを、水戸学舎のベンチはもちろん知っている。

(送りますか?)

(いいよ。そのまま打ちなさい)

 このチームで上山が一番求められるのは、最低でも外野フライというものだ。

 バントが下手なわけではないのだが、遠くに飛ばすフライを打つということは、飛距離を伸ばすことにつながる。


 この打順でも上山は、フライ性の打球を打つことに集中する。

 外野フライになってしまうかもしれないが、それでも内野ゴロのダブルプレイよりはマシである。

 長打を打つためには、フライを上げる必要があるのだ。


 この打席でも掬い上げるように打ったが、平凡なセンターフライ。

 さすがにこれでタッチアップなどは出来ない。

 だがランナーはしっかりと残したまま、悟の打席である。


 白富東の初回での得点パターンは、とにかくランナーが一人以上はいる状態で、悟に長打を打ってもらうというものだ。

 だがこの考えにも限界はある。単打であるとホームに帰ってくるのは難しい。

 もっとも四番の宇垣も長打力はあるので、とにかく一回の攻撃は重要なのだ。


 いっそのこと、と悟は思う。

 出塁率のいい宮武の後の二番に、自分がいた方がいいのではないか。

 そして宇垣を三番に、キャッチャーとしては俊敏だが、宇垣よりはややバッティングの単調な上山が四番にいれば、それはそれで四番らしい四番である。

 MLBでも三番打者最強説以外にも、二番打者に最強のバッターを置く場合がある。

 それは二番が、打率、長打、出塁、走塁の全てに優れていることが条件だが、悟の場合はこれに当てはまる。

 うぬぼれとかではなくて、実際にそういう成績が出ているので。


 さて、それでは水戸学舎はどう攻めてくるか。

 サウスポーの利点を活かして、大きなスライダーで初球から攻めてくる。

 大介は苦手にしていた攻め方であるが、それはあくまでも優れたスライダーがあってこそ。

 同じ左でスライダーを得意としている、タイタンズの荒川などには、それほど抑えられているわけではない。

 人間に得意と苦手があるように、同じスライダーでもやはり違う。

 真田のスライダーは、左打者にとってはひどい魔球だ。


 ここでホームランを打てたら、ウラシュー戦と同じで一気に流れを引き込めるのだが、やはり相手も警戒してくる。

 外角を中心に投げてきて、結局はフォアボールである。

 ワンナウトランナー一二塁というのは、上山が送りバントをしたのと同じ計算だ。

 やはり打たせていって間違いではない。

 そして四番は宇垣である。


 打率や意外な器用さから、一番バッターで使われることが多かった。

 そして一番バッターというのは一番ピッチャーと対戦することが多く、しかも事前の情報が少ない。

 そんな打順を経験したということは、宇垣にとって影響を与えている。

(最低でも進塁打)

 内野ゴロよりも、ライトへの深いフライを。

 内野ゴロの方が、ランナーは二人とも進塁できる可能性は高いが、そもそもの前提としては長打を求められる。

 打てないならば進塁打でいいのだが、宇垣は打てるから外野フライでいいのだ。


 開き直りから、思いっきり引っ張った打球。

 それはあまり上がりはしなかったが、ファーストの頭を越えたあとに地面に落ち、そこからファールグラウンドへと転がっていく。

 宮武はむちろんホームに帰り、悟も狙ったが三塁でストップ。

 宇垣も二塁を窺ったが、ホームへの送球をセカンドがカットして進ませない。

 微妙に堅実なプレイもあったが、先制点。それもワンナウトで一三塁となった。




 初回に点を取ることがものすごく多いのが、白富東の今のチームである。

 かつてアレクと大介が揃っていた時は、二番に鬼塚や哲平を置いて、柔軟な対応が出来る打線としていた。

 破壊力はあの頃の方が大きいが、隙のなさでは今の方が厄介なのである。


 五番に入っていた大石のスクイズが決まって、二点目が入る。

 スモールベースボールは水戸学舎だけのお家芸ではない。白富東もしっかりとバントの練習はしているのだ。

 下手に自分も生き残ることなどは考えず、確実に一点を取った。

 大石も先頭バッターから外されたことを考えている。

 いい影響だ。

 そしてこの流れのまま、水戸学舎の攻撃も凌ぎたい。


 二回の表の水戸学舎は、しかしそのスモールベースボールに失敗した。

 ランナーが出たところへ送ってこようとして、耕作の未完成スライダーを打ち上げてしまったのだ。

 ピッチャー前の小フライを取る。

 ランナーはなんとか一塁に戻ったが、これでツーアウトである。

 次の打者を内野フライで抑えて、これで二回の表は終了。

 ヒットは打たれたものの、耕作のピッチングは出来すぎである。


 水戸学舎の多摩川監督は、打ちあぐねているなとは感じている。

 左のサイドスローというのは、そうそういるわけではない。そもそもサウスポーが貴重なのだ。

 それなりの速度しか出ていないように思えるが、左のサイドスローでそれなりの速度が出ていれば、一年生とすれば充分すぎるのだ。

 対戦する側からすれば、単純に打っていくだけで崩すのは難しそうだ。

 ならば小技を使えばどうか。


 二回の裏は白富東に追加点はなく、三回の表へ。

 とりあえず打者一巡はと言われていた耕作であるが、この回は先頭打者にまで戻る。

 ランナーが出てから他のピッチャーに交代するのは、なかなかに難しい。

 耕作などは気にしない方だが、自分の責任でもないランナーがいると、カッカするピッチャーもいるのだとか。

 まあ山村あたりはそうなのだろうが。


 ベンチからユーキが出てきて、キャッチボールから投球練習を始めて、ほっと一息の耕作である。

 左のサイドスローからのナチュラルな回転を、水戸学舎は打ちあぐねている。

 だがそれも一巡すれば慣れてくるだろうというのが耕作の見方だ。

 甘い。

 甲子園で勝ち進むようなチームが、そんな甘いはずはないのである。




 八番バッターが初球から、バントで三塁側に転がす。

 絶妙な位置だが、これはサードに任せる。宮武はやや深く守っていたが、これなら間に合うか。

 だがぎりぎりのタイミングではあったが、ランナーはセーフ。

 この試合初めて、水戸学舎はノーアウトのランナーを得た。

 九番のピッチャーは、もう最初からバントの体勢である。


 やらせてワンナウトをもらう。

 だが簡単すぎるボールを投げると、バスターなどの奇襲をしてくるかもしれない。

 ゾーン内に、しっかりと投げる。


 転がされたボールはピッチャー前。

「一つ!」

 二塁に間に合うのではと思ったが、耕作は素直に一塁へ。

 視界の端で見てみれば、確かに二塁へは余裕で到達している。

 そして耕作の投げたボールは高く、危うくエラーになるところであった。

 体型からは信じられないが、宇垣が身軽にジャンプして、ようやく間に合ったが。


 ワンナウトで二塁。

 耕作は視線を切ってしまって、それが一塁への悪送球となった。

 危うく本格的なピンチになるところであったが、どうにかそれは防げた。

 こういう細かいところからも、ミスは出るのだ。


 そして先頭打者に戻ってくる。

 初回は内野ゴロに倒れてくれたが、そこそこ粘られた。

 ここで交代かなと思った耕作であるが、ベンチからの指示は出ない。

(まだ投げていいのか)

 耕作はあっさりと、注意を打席のバッターに戻す。


 ここで耕作が慌てるようなら、すぐに代えるつもりの秦野であった。

 だが耕作はすぐに立ち直って、バッターに集中しだしている。

 これならまだ、あと一人は任せられる。

 そう、あと一人。

 面倒な一番は、フォアボール覚悟で勝負してもらう。


 水戸学舎で一番厄介なのは、この先頭打者である。

 打率もいいがそれ以上に、出塁率が高くて盗塁も多い。

 それを防ぐために、二塁にもランナーを置いておく。

 そしたらワンナウト一二塁となり、近くのベースでフォースアウトが取れる。

 もちろんここからは上位打線なのであるが、水戸学舎は足を絡めてくるので、しっかりとアウトが取れるところで取りたい。


 二点差というのが効いている。

 これが一点差であれば、危険度の低い方法を選んだのだが。

 セカンドベースの八番も、充分に俊足である。

 だが一番はさらに上をいくのだ。




 難しい球を無理に打って、凡打になってくれても良かった。

 しかし見極めて塁に出るのを優先してしまう。

 ベンチからも打っていけという指示はでなかったが、打率も出塁率もいい一番であるが、際どい球を打ってヒットにするほどの力はない。

 ワンナウト一二塁。

 長打のない二番なので、ここで勝負である。


 水戸学舎側もそれは分かっているが、ならばどう動くべきか。

 単純に考えるなら、最低でも進塁打。

 右方向に打って、ツーアウト二三塁へ。

 それが最低限の仕事である。


 ただそれは秦野としても分かっている。

 とにかくランナーが三塁まで来てしまえば、ワイルドピッチでも一点は入るのだ。

(まあここで点が入っても仕方ないが、どれだけしっかりと投げられる?)

 秦野の課した試練に対して、耕作は変わらない態度でボールを投げる。

 打たれたどうだろうとかではなく、とにかく投げることを考えているのだ。


 これはいい。

 やはりピッチャーに必要なのは、下手な技術ではなくメンタルだ。

 もしかしたらスピードもコントロールも、メンタルを補う程度のものでしかないのかもしれない。

(ここをしのげたら、いい自信になるぞ)

 大きく踏み込んだ耕作は、内角を攻める。

 これを引っ張ったのだが、完全にセカンドの正面。球の勢いも強い。

 二塁ベースに入った悟に送って、そこから一塁へ。

 ダブルプレイ成立で、スリーアウトチェンジである。

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