第148話 決戦の日
※ 本日は大学編153話の方が先の時系列になります
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蝦夷農産。
正式名称は北海道立蝦夷農業産業高校。
農業に畜産業、さらには酪農や林業、農業土木などの多岐に渡る農業関連の知識を教える学校である。
近年急激に強くなったのは、土木の実習で設備を作り、経営学をノウハウを取り入れて練習をシステム化したのと共に、純粋に頑強なフィジカルを持つ選手が揃っていることによる。
いくら機械化したとはいえ、その機械が通用しない部分では、人間が手作業で行うしかない仕事もあるわけだ。
科学的に考えられた、瞬発力を高めるトレーニング。
それとは別に行われる、日々の実習作業により、基礎体力なども向上していく。
純粋にスポーツに特化した肉体よりも、純粋に筋力が必要な作業で身についた筋肉は、体を強靭なものにする。
「そういや百間って頑丈だよな」
「硬球当たってもあんま痛そうじゃないよな」
「いや、痛いことは痛いけど、農家では筋肉ないとリアルで怪我することが多いですから」
耕作の家は農業であるが、畜産や鶏卵の農家とも普通につながっている。
そして得た教訓であるが、人間は牛には絶対に勝てないし、豚に勝つこともまず不可能だということだ。
体重が人間の三倍どころではない牛は、激突されたら普通に骨が折れる。
豚はまだしも小さいように思えるが、あいつらの突進力は平気で人間の脛の骨を折る。
まあそんな印象の話ばかりせずに、ちゃんと選手の分析もしなければいけないだろう。
「まず投手は三人の継投体制。先発が三年の和田、次が二年の金子、抑えが三年の関口。はっきり言って特に特徴はないんだが、それが逆に微妙な差になって、結果的に打ちにくくなってる」
アジャストが上手いバッターなら、打てて当然というレベルだ。
一応一番球が速いのは関口なのだが、肩のスタミナに欠けるところがあるらしい。
二年の金子が長いイニングを投げることが多く、ピッチャー陣の背骨であるそうだ。
先発の和田はとにかく、序盤で試合を壊さないピッチングに徹している。
守備面ではとにかく、強い打球にも恐れず飛び込み、ゴロで内野を抜かれることは少ない。
ただ高度な連繋などは行わず、しっかりと一つずつアウトを取るのが方針だ。
あとは学校紹介でも流れたが、だだっ広いグラウンドがあるので、外野はフライを取るのが上手い。
つまるところは基礎には忠実だということだ。
そしてやはり問題は打撃力だ。
特に速球に強い。なんでも廃棄する農業機械を改造して、170kmが出るピッチングマシーンを作ったそうだ。
コントロールが微妙なため、完全防備で打席に立つらしい。
「すると速球には強いと?」
「マシーンの速球なんて、なんとなく目が慣れるぐらいの意味しかないけどな」
秦野の言葉は辛辣だが、おおよそ事実でもある。
桜島と同じく打撃が特徴の蝦夷農産だが、ホームラン偏重というわけではない。
送りバントもしっかりとするのだ。ただスイングスピードは、誰もが速い。
弱点らしい弱点は、あまり足を使った野球はしてこないということか。
だが別に足が遅いというわけではなく、純粋に走塁の技術がないのだろう。
あとは得点を取るためのセットプレイも、単純なものしかない。
だがそれは、一つのことに集中しているからでもあり、技術が多いからといって試合に勝てるわけではない。
蝦夷農産のバッターは、割と好みのコースや球種がはっきりしている。
そこ以外に投げればいいではないかというと、そんな単純な話でもない。
厳しいコースはしっかりカットしていく技術と、多少の当たり損ねはパワーで遠くまでもって行くのだ。
右打者も多いということで、先発は文哲。
出来れば最後まで完投してほしいところである。
ひょっとしたらユーキは、相性が悪いかもしれない。
結局耕作のスライダーは、完成しなかった。
沈まない、ホップ成分の多い、コントロールされたスライダー。
自由に使えていたなら、決勝でも一イニング限定などで、使えた可能性は高い。
ユーキにしても同じように、クローザー的に一イニングだけ投げてもらうこともあるか。
ただスピードボールに強いなどと言っても、本物のスピードには対応出来ないこともある。
ユーキのストレートは、そういう類のものだ。
生きたボールを打っているにしても、蝦夷農産のピッチャーには150kmを投げられる者はいない。
各種の要素を取り出してみても、白富東が負ける可能性は低いと思う。
だが蝦夷農産は準決勝を見ても分かるとおり、点を取る時には一気に取るのだ。
その時に上手く相手打線を止められるかだけが、秦野の悩みどころである。
苦手なはずのコースにも手を出して、結局ヒットにしてしまう。
高校野球ではままあることだが、根本的な対策は難しい。
散々ピッチャーのイメージをコピーして、直史がバッティングピッチャーをやってくれた。
よくもまあここまで、と思えるほどに模倣したピッチング。
だがおかげで、白富東の打線陣の準備は整った。
「どうやったらここまで他のピッチャーをコピーできるんだか」
秦野は呆れたものだが、直史としては出来るまでやればいいのである。
そういうところが天才なのだ。
秦野にとっては、白富東での最後の試合。
次はまだ正式には決まっていないが、東京のシニアチームを教えることになるという。
高校野球と違って、さらにまだ肉体的に未成熟な選手たち。
ただ秦野はそういった年齢層にも、ブラジルでは指導してきたのだ。
これでもう、現役時代の直史と関わった人間は、白富東からはいなくなる。
もっとも近いうちには、北村が異動で白富東に来る予定ではある。
そしたら直史も、ピッチャーへのコーチぐらいはしてやってもいい。
監督は絶対に嫌だ。自分のような人間が一人でもいたら、それだけで気がめいることだろう。
そのあたり直史は、意外と自分の性質を自覚している。
休んでいる間に見ていると、疲れ知らずの体なのか、耕作が塩谷に対して投げ込みをしている。
まずないと思うが延長などになった場合、あるいはアクシデントが起きた場合、念のために準備はしておかないといけない。
基本的にはコントロールのいいピッチャーのようだが、スライダーが未完成なのだという。
だいたいどんな球種でも、一日あれば投げられるようになる直史としては、変化球が投げられないという人間の悩みが分からない。
ただ耕作のモーションをスロー再生で見れば、気付くこともある。
握り方を変えてみればいいのではないか。
そのアドバイスでスライダーは、コントロール出来るようになった。
だが直史は単純にアドバイスしただけではなく、それを自分にも活かせるように考える。
耕作としては自分の悩みをあっという間に解決してしまって、さらにそれを自分の球種にも活かしてしまうところが、完全に天才としか思えない。
ノーヒットノーランどころか、完封さえも難しいタイプのピッチャーである耕作であるが、これだけの才能を感じるのは初めてである。
悟のバッティングやユーキのストレートなど、圧倒的な才能というものは存在する。
だがそれらでさえ全く別次元の、底知れない才能が佐藤直史だ。
SS世代というのは、野球をやっている少年たちにとっては伝説であった。
試合に出れば必ずホームランを打ち、一人のランナーも塁に出さずに試合を決める。
白富東に入学したのは、確かに学力の面もあるが、あれに憧れなかったとは言えない。
プロに憧れているわけでもないし、自分がプロに進めるとも思わない。
そんな耕作であるが、投げるのが上手くなりたいとは思うのだ。
「佐藤さん、俺みたいなのがもっと上手くなるのって、何がいいんでしょう」
耕作の育成計画については、秦野と国立が話し合っている。
貴重なサウスポーなのだ。来年の戦力で甲子園に行くためには、絶対に必要になる。
だがピッチングに関しては、直史は世界でもトップレベルの位置にいる。
技術としては世界ではトップでもおかしくはない。
「球速がほしいのか?」
「もちろん速い球もほしいですけど、なんというかもっと……勝てるピッチャーになりたいんです」
「点を取られず、それどころか相手のチームが意気消沈するぐらいのピッチャーか」
「それは……そこまですごければ、それになりたいですけど」
「ふむ」
直史はよく誤解されるが、基本的には親切な人間である。
ただ自分の都合ばかりを通そうとする人間が嫌いなだけなのだ。
耕作のように正面から尋ねられれば、ちゃんと回答してくれるのだ。
「とりあえず体の柔らかさが問題かな」
耕作のフォームを見るに、足腰はしっかりとしているのは分かる。
だがそれと、瞬発的な筋力とは別なのだ。
踏ん張ることに慣れてしまって、柔軟性を失っている。
足からの力をもっと伝えることが出来れば、それだけで球速は上がると思う。
ただそれは数ヶ月単位で行うことで、秋の大会以降の課題になるだろう。
直史が見る限り、次の世代の白富東がセンバツに出場できるかは、かなり微妙なところである。
県内でもベスト4ぐらいの戦力はあるだろうが、優勝できるかも微妙なのだ。
なんとか関東大会まで進めたとして、ピッチャーがユーキ一枚だと厳しい。
この耕作がある程度のイニングを潰してくれれば、ユーキを温存できる。
ただ打線の援護にしても、今の二年以下はあまりたいしたバッターがいない。
もちろんそれはバッティングの名手国立が、どうにかしてくれそうなことではある。
秋に勝っても負けても、フォーム改造は必要になる。
ストレッチで柔軟性を増し、さらにウエイトもするべきか。
耕作の持つ農業用の筋肉は、速い球を投げるために必要な筋肉とは別のものなのだ。
サウスポーのサイドスローで、あのスライダーを使えるようになった上で、135kmぐらいまでMAXを上げる。
一冬の間には難しいだろう。だがそれが三年の夏までに完成すれば、再来年も甲子園は狙っていける。
直史の見る限り、耕作の最も優れた部分は、その頑丈さなのである。
あとはスタミナだ。ある意味では直史よりも、スタミナには優れている。
「コーチと相談してやることだな。俺はもう、来年からは一線を退くし」
「え、でも次まだ四年生ですよね?」
「法科大学院に三年修了時点で編入するからな。さすがに野球ばかりしてるわけにはいかないんだ」
佐藤直史の全盛期はいつだったのか。
ワールドカップか、高校三年の夏か、大学でパーフェクトを連発していたときか、それともWBCか。
色々と評価はされるのだろうが、大学四年の自分は、確実に実力を落としているだろうな、と考える直史であった。
全国から集まった都道府県代表校の中で、決勝まで残ったのは二校。
五年連続決勝戦出場の白富東と、決勝まで勝ち進んだのは初めての蝦夷農産。
戦力的には白富東有利と見られるが、蝦夷農産は準決勝でも見せたとおり、爆発力が恐ろしい。
ある意味単発のホームランを放り込んでくる桜島より、途切れのないマシンガン打線なのだ。
プロのスカウトたちも、ここまでくれば評価など変えようがなく、純粋に試合を楽しむ。
スタンドは両校の応援で満員である。
白富東は悟のホームランが出るか期待されているし、蝦夷農産はとにかく逆転の試合が面白い。
色々な意味で、実力差はそれなりにあるかもしれないが、面白いカードではあるのだ。
先攻は蝦夷農産。白富東の先発は呉文哲。
夏の終わりの決勝戦が、今始まる。
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