第149話 北の国から
※ 今回も大学編154話が時系列先になっております
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かつて東北以北の地方は、野球不毛の大地とされていた。
温暖化以前、東北地方や北海道の積雪は、野球以外にも屋外のスポーツをやるには不利に働いていた。
だが現在では積雪量が減ったのもあるが、それ以上に設備の充実により、北海道のチームが優勝を果たした。
積雪量ならば多い新潟県も、長く甲子園での優勝はなかったが、春日山が果たした。
蝦夷農産は十勝地方、食糧自給率1000%の土地に存在する学校であり、農業だけではなく農業土木の科まであるため、とにかくなんでも自前で作ってしまえという風土がある。
セイバーが数千万円を投下して作った室内練習場なども、自前の機材と学校内の木材などを使えば、労働力以外は無料で作れるわけだ。
別に野球が特別強くはなく、ただ身体能力の高い人間がいたため、そこそこは強かった。
そこに数年前入ってきた生徒が、現代的な練習法やトレーニングを、この広大な大地と機材があれば可能だと思って、改革してしまったのだ。
それから一気に蝦夷農産は強くなった。
野球に特化しているのではなく、汎用の作業に鍛えられた肉体。
それは下手に効率などを追求した野球用の肉体よりも、耐久力が高かったりする。
蝦夷農産がこの甲子園の大舞台、ついに決勝までやってこれた理由。
それは何よりも、鍛えた肉体が野球用ではなく、とにかく実用性に優れたものであったからである。
白富東の、短時間で効率よくとは、正反対のシステムだ。
ただ蝦夷農産も野球の練習自体はそれほど多くなく、農業高校の実習の中で、自然と体は鍛えられたのである。
あとは農業経営論に沿って、無駄なトレーニングなどを排したというのも大きい。
効率化による生産性の拡大は、農家などにとってはリアルに実感出来るものなのだ。
蝦夷農産の不思議なところは、打順にもある。
おおよそは固定してあるのだが、一番と二番が替わったり、三番と四番が替わったり、五番が二番に入ったりもする。
また下位打線も下位打線で、一人か二人はベンチのメンバーと替わっている。
この打順の変更はその前後の試合の結果を見てると、なんとなく分からないでもないところはある。
仙台育成相手に、控えのピッチャーにはそこそこ苦戦したのに、エースはどうして打てたのか。
正確にいうと、打線がどうしてつながったのか。
それはそもそもの打順を、エース用に組み立てていたからではないか。
ヒット一本と出塁一つは同じ価値だという視点がある、
OPSが生み出された元の思考の一つであり、打率よりもOPSを重視してバッターの勝ちを決めることとなった。
ただこの統計的な手法は、一発勝負のトーナメントでは、あまり役にたたないのだ。
あくまでもシーズンを通じて行われる、統計で判断すべきだ。
蝦夷農産はもっと単純に、前の日に打てていたバッターから、その最適な打順を決めていく。
打順をコロコロと変えるのは、決していいことだとは言えない。
だが慣れていれば、そういうものだと割り切れるのだ。
蝦夷農産、初回の攻撃。
先頭打者は竹園。この甲子園でも五割を打っていて、ランニングホームランも含めて三本のホームランを打っている。
高打率、高長打率、高出塁率のバッターであるが、一番バッターだ。
地味なことも得意な蝦夷農産としては、竹園を三塁まで送れば、あとはどうにか一点が取れるという意識がある。
対して文哲は外した高めのボールと、低めのゾーンに集めたボールで勝負する。
甘くないコースの低めであったのだが、それを見事に捉えた。
クリーンヒットで一塁へ。決勝の幕開けとしては、蝦夷農産に流れがあるような始まりである。
この竹園も、夏の甲子園で評価を上げたバッターだ。
元々中長距離を打てるバッターで、守備のポジションは要のセンターと、マークしていたスカウトはいる。
ただいきなりプロでは通用しないだろうと思っていたのだが、卒業後は大学に進学もせず、普通に農家を継ぐらしい。
なので手を出すなら、この高卒の時点で手を上げなければ、プロに進むことはない。
甲子園を決勝まで戦ってきていながらも、蝦夷農産の選手たちに疲れた様子は見えない。
そして変に気負うこともなく、次のバッターも打席に入る。
積極的なチームであることは分かっていたのに、打たれてしまった。
だが低めのあのコースは、苦手なはずであったのに。
キャッチャーの上山は思考を整理しながら、次のバッターでダブルプレイを狙う。
ただこの試合は、ある程度点の取り合いになることも覚悟しているのだ。
文哲のコントロールで打たれるなら、それはキャッチャーの責任だ。
宮武が声をかけて、文哲は帽子を少し動かす。
今日も灼熱のグラウンドであり、中でもマウンドは一段と暑いだろう。
白富東のピッチャーは上手く体力を温存できているが、それでもこの暑さは辛い。
そんな中であせらずに投げられる文哲は、さすが南国台湾の出身であると言うべきか。
二番バッターがボテボテのサードゴロだったので、二塁には間に合わない。
ファーストでアウトは取れたものの、得点圏にランナーが進んだ。
そしてここで三番の北野であるが、蝦夷農産でも一番の長打率を誇っている。
ここまで三本のホームランを打っているので、やはりスカウトからの注目が急上昇しているのだ。
低めの球をこれまたジャストミート。
左中間を抜けた打球はフェンスに届き、一塁から竹園が帰ってくる。
初回の先制攻撃で、いきなり一点を取られてしまった。
上山は納得しづらい表情で、マウンドに向かった。
タイムリーツーベースで、いきなり一失点。
確かに打撃力の高いチームではあるのだが、確実に低めを狙ってきていた。
これは事前の情報を、逆に利用されているのではないか。
文哲も頷き、配球を変えることに同意する。
パワー任せの脳筋集団と思っていては間違いだ。
確かにパワーはあるが、しっかりと作戦も立ててきている。
(低め、もっと確実に外した方がいいな)
考えることの多い上山であるが、まだ慌てるような時間ではない。
バッテリーの路線変更は、すぐにベンチの秦野にも分かった。
そしてそれは正しいとも思える。
「弱点を狙ったボールが狙われてますね」
「あいつらストレートには強いらしいからな」
蝦夷農産は確かにストレートに強いが、変化球もカットしていく程度の技術はある。
そこを上手く空振りさせるか、変化球でじっくり攻めるわけだ。
安易にストレートでストライクを取りにいってはいけないが、ストレートを封印するというわけにもいかない。
大切なことは、一つの考えに囚われないことだ。
(しかしまあ、先に一点を取られたか)
予想していなかったわけではないが、文哲で一巡目はどうにかなると思っていたのだ。
蝦夷農産は確かに打撃力のあるチームであるが、桜島と比べると丁寧なバッティングもしてくる。
ホームランにならなくても、しっかりとアウトにならない打球を考えているのだ。
もちろん基本的には、長打狙いのスイングが多いのだが。
後続を断って、ナインはベンチに戻ってくる。
秦野の作戦は、既にミーティングで話してある通りだ。
蝦夷農産は攻撃こそ打順の変更などで多彩に見えるが、ピッチャーは同じタイプが三人継投している。
これを打っていくことは、それほど難しくはない。
白富東もまた、打撃には優れたチームなのだ。
「思ったよりもしっかり考えてたな」
ベンチの中の秦野は、別に動揺してはいない。
少なくとも文哲であっても、それなりの点は取られることは覚悟していたからだ。
ただし点の取り合いにしても、それほど大量点が入るような展開は見たくない。
蝦夷農産の打撃爆発の条件が、他の試合を見てもいまいち分からないのだ。
もちろんノリのいいやつが多いとは感じるが、それだけという単純な話ではないだろう。
とりあえずこの裏、一点は取ってすぐに追いついておきたい。
ミッションを下された大石は、キャチャーとピッチャーを確認しながら、打席に入る。
今日の審判は、低めの判断がどうなのか分かっていない。
出来ればこの一回の裏で、ゾーンを確認しておきたい。
蝦夷農産の先発和田は、とにかく立ち上がりから調子が悪いことのないピッチャーだ。
イニング数の消化も、他のピッチャー二人と比べて多い。
つまりこいつをどうにかして早めに叩きのめせば、試合の後半は有利に戦える。
(狙ってみるか)
大石は一球球筋を見た後、二球目にセーフティバント。
意外であったのか、蝦夷農産のチャージは遅れた。
ピッチャーの和田がボールを処理したものの、ファーストのミットにボールが収まる前に、大石はベースを駆け抜けた。
先頭打者出塁。
ここからどう攻撃していくかは、ベンチの采配である。
だが二番の宮武は準決勝でホームランを打っており、そこを相手がどう考えてくるか。
ベンチの秦野が実際に見ても、やはり蝦夷農産の守備というのは、軽妙さがない。
今のバントへの反応にしても、チャージしてくるべきファーストとサードの動きが遅かった。
もちろん鍛えられていないということもないのだが、まだまだ隙が多い。
なので宮武から出たサインに、秦野は頷きを返す。
バントの姿勢からバッターボックスに入る宮武。
だが初球からバントをするわけではない。
バントの姿を見せたことに対して、守備がどう動くかを見ていたのだ。
(行けるな)
二球目へのサインを出す。
どうやら蝦夷農産は、送りバントをしてでも、アウト一つを取ろうと考えているようだ。
それでも少し難しい、高目へのボールが投げられた。
宮武のバントの姿にダッシュしようとしていたファーストとサードだが、宮武はバットを引く。
一二塁間を狙ったバスター。
ダッシュしていたファーストの横を通りぬけ、セカンドもそれには追いつけない。
大石は三塁にまで到達し、これでノーアウト一三塁。
舞台は整った。
ここであとは打つだけだ。
蝦夷農産が敬遠して、満塁にしてくるような大胆な策を取るなら別だが、ここでほぼ間違いなく、白富東が一点を取れる場面だ。
蝦夷農産はバッティングに関しては、確かに長打だけではなく、しっかりと体が開かないようになどの、優れた練習をしている。
だがピッチャーの実力はそれなりであり、守備もまあ、悪くはないという程度だ。
ここで三番の、ホームランをこの大会三本打っている悟に、どうやって対応するか。
ちなみにここで逃げても、宇垣もこの大会で三ホームランを打っている。
勝負するべきと言うか、勝負するしかないというか。
ロッキーのテーマをバックに打席に入る悟に対して、ピッチャー和田は初球からゾーンに入れてくる。
アウトローへのボールであるが、この程度なら打てるな、と悟は見逃した。
二球目からはイメージを微調整して、確実にミートしていく。
ホームランまでは必要ない。だがしっかりと叩いていく。
そうしたら自然と、結果もついてくるだろう。
四球目の高めに入ってきたカーブを、鋭く振りぬく。
ライナー性の打球はライトの頭を越えて、フェンスに直撃した。
打球の勢いがありすぎて、一塁の宮武までは帰ってこれない。
だが悟は二塁にまで到達し、ノーアウトランナー二三塁。
まだまだこれから先、点が取れそうな状態である。
ここで四番の宇垣。
一年の夏は悟と違い、さほど活躍する選手ではなかった。
だが秋からは一番バッターを、そして最終学年では四番を打つことになった。
一年の秋からスカウトの目に止まる選手ではあったが、この最終学年では、悟が歩かされることがあると、ほとんどその後の打席で結果を残してきた。
さすがに蝦夷農産のベンチも動いて、バッテリーも頷く。
宇垣に対しては申告敬遠で、ノーアウト満塁となる。
だがここで迎える五番の上山も、この夏は甲子園で一本放り込んでいるのだが。
さすがに秦野も、ここでは打ってもらうしかない。
だがノーアウト満塁であると、打ってもらう打球も限られてくる。
低めにコントロールされたボールを、上山は高く打ち上げた。
狙い通りのボールはセンターの深いところにまで届き、タッチアップしてもう一点が入る。
一回の表に先制されたが、すぐに逆転である。
そしてこの隙に悟も三塁まで進んでいるので、まだ得点のチャンスではある。
ロースコアでは終わらないと予想された決勝戦。
両者共に得点して、まだまだ序盤の展開なのである。
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