第150話 乱打

 一回の裏、白富東は三点を一気に取った。

 だが二回の表に、ソロホームランで一点をまた取られる。

 二回の裏には無得点で、これで3-2とスコアは変化。

 そして三回の表に、3-3と追いつかれた。


 蝦夷農産はもちろん意図的にではないのだろうが、毎回得点を続けている。

 対して白富東は、初回に一挙三点を取ったが、それ以降の得点はない。

 このままだとまずいかな、と秦野が思っていた三回の裏、先頭の悟が出塁して、またもクリーンナップで得点。

 さらにそれ以降もアウト一つの間に一点を取って、5-3と突き放した。

 二点差では全く安心できないのが、今日の試合である。


 ランナーがたくさん出ているので、球数もそれなりに嵩んでいく。

 だが文哲が考えながら投げているのに対し、蝦夷農産はあまり考えていないような気がする。

 球数自体は向こうも増えているのだが、考えながら投げているのと、考えずに投げるのとでは、ピッチャーの疲労度は格段に違う。

 

 つまり脳筋ピッチャーは乱打戦に強い。

 そこまで言ってはなんだが、文哲は疲労している。

 どうにかして球数を増やしてでも、着実にアウトを取っていく。

 四回の表、ようやく0がスコアボードについた。

 ただ球数はこの試合で最も一イニングでは多い21球。

 合計で74球というのはまだまだ限界には遠いはずだが、一回当たりのマウンドにいる時間が長く、ポコポコ点を取られていて、かなり文哲は疲労している。

「山村、準備しろ」

 秦野の言葉に、山村がブルペンで準備を始める。


 五回まで投げてくれれば、とは思っていた。

 しかし相手の攻撃は簡単な凡退を許さず、三人で終わったイニングは一つもない、

 球数も10球を切る回が一つもなく、これは単純な球数以上に、文哲を消耗させている。


 ラストバッターの文哲から始まるこの回に、秦野は代打を出していく。

 石黒ではない。ランナーもいないこの場面で、器用な選択肢の多い石黒ではない。

 試合の終盤に守備固めで使う者もまだだ。


 二年の大井を代打で送り出す。

 これで文哲はお役ご免。あとはリリーフ陣に託すことになる。

 台湾から留学して、最高学年になってからは一番、先発で投げることが多かった。 

 四回を投げて三失点というのは、彼にとっては不本意かもしれないが、ここで高校野球は終わりだ。

 だがまだベンチから応援は出来るし、コーチャーに出ることはある。




 大井は二年の中では比較的打撃に優れた選手で、セカンドとショート、どちらを守ることも出来る。

 県大会ではスタメンで出たこともあるが、甲子園では初打席だ。

 だがスタメンの面子を見ていて、いつかは自分にも代打なりの役割が回ってくるかもとは思っていた。

 そしてピッチャーの代わりの代打である。

 当然ながらこの打席が終われば、引っ込んで山村と代わることになるだろう。


 爪あとを残す。

 その覚悟で出てきた大井であるが、蝦夷農産も四回の裏、おそらくこの回が終われば継投してくるのだろう。

 一打席に集中して、なんとか出塁する。


 白富東は打撃もしっかりと練習しているが、それ以上に大切なのは選球眼である。

 器用にヒットを打つよりも、フォアボールの方がピッチャーには、ダメージを与える場合も多い。

 甲子園に出てくるだけあって、いくらピッチャー重視のチームではないと言っても、やはり蝦夷農産のピッチャーは球が速い。

 だがストライクとボールのギリギリには、それほど投げてくることはないのだ。


 粘った10球目、フォアボールで出塁に成功する。

 俊足の長谷にランナー交代かとも思ったが、そんな指示は出ない。

(長谷先輩の足を使うのは、本当にギリギリってことか)

 大井だけではなく、他の選手も勘違いしていた。

 秦野の選手起用、そして投手運用を。


 だがまずはここで、点差を広げていくことが大事だ。

 ランナー一塁で、先頭に戻って大石。

 もう三打席目なので、先発の和田のボールにも慣れてきている。

 二球目を選んでセーフティバント。そう、送りバントではなく、自分も生きるためのバントだ。

 ここでもまた蝦夷農産は、反応が鈍い。

 ピッチャー和田がまた捕ったが、セカンドはもちろんファーストも間に合うタイミングではない。


 ノーアウト一二塁で、バッターは二番宮武。

 キャプテンの打撃に、チーム全体の期待がかかる。

 だがここで秦野のサインは、またもセーフティバント。

 今度はギリギリでファーストのアウトを取れたが、ランナーは二三塁に着実に進んだ。


 そして白富東は、最強のバッターである三番の悟に回る。

 一塁は空いているが、満塁で宇垣を迎えるのか。

 悟と勝負しても、外野フライで一点が入る。

 だがそれが蝦夷農産にとっては、一番マシな未来であろう。

 ただまともに勝負して、犠牲フライだけで済むのなら。


 蝦夷農産は外の出し入れで、悟の打ちミスを誘った。

 だが悟は遠慮なく見逃しているため、カウントはどんどん悪くなる。

 だがここで内に甘い球を投げてくることもなく、潔く歩かせてしまう。


 舞台は整った。

 四番のための満塁である。




 宇垣弘は自分が人生の主人公だと思っていた。

 中学までは軟式でやっていたのは、むしろ最初にシニアで硬式の野球をやっていると、将来故障しやすいなどという話を聞いたからだ。

 高校は関東の近隣から、50校近いほどの誘いがあった。

 だが選んだのは、白富東である。


 単純に、名門だの強豪だのといった私立の、空気が肌に合わなかったのだ。

 なので地元の強豪を滑り止めで普通受験しておいた上で、白富東を受験した。

 夏に合った体験入部で、スポ薦で入ってきそうな人間にも目星がついていた。

 自分たちの代はどうかはともかく、一年と二年の間に、甲子園に出られるとは思っていた。


 だがプライドを折られることは、早々にあった。

 悟の出した様々な記録は、全て宇垣以上であったのだ。

 それでも野球の技術は別だと思っていたが、一年から悟は白富東のレギュラーとなった。

 三番でショート。

 白石大介のポジションである。


 今でも日本は、四番こそ最強打者だという価値観で野球はされている。

 ただプロでは時々、外国人監督が三番などを重視したり、高校でも新興の強豪は、全く別の打線を組んでいいる。

 一年の春から公式戦にもスタメンで出て、あの体格でポンポンとホームランを打ってしまう。

 悔しいがあの段階では、悟の方が上だと認めざるをえなかった。


 しかし最後の夏、宇垣は悟と同じく、三本のホームランを甲子園で打っている。

 打率は悟に負けているが、悟が敬遠されることは多いため、むしろ打点では上回っている。

 勝負の舞台は、プロへ移行する。

(まあ主人公でも、時々負けるのがスポーツ物のお約束だろ)

 堂々と打席に立つ宇垣は、しっかりと状況を理解している。


 ここは内野ゴロは打ってはいけない場面だ。

 ホームでフォースアウトが取れるし、内野ゴロゲッツーだとスリーアウトになる。

 必ずボールをあげなければいけない。

 そして宇垣ならそれが出来る。


 相手のピッチャーは何度も首を振るが、ここれ投げてくる球など限られているだろう。

 基本的には落ちる球で、ゴロを打たせたいと思っているはずだ。

 それは承知の上で宇垣は、ボールを上げることを考える。


 外に一球外した後、ゾーンに入ってきたのはカーブだ。

 引っ掛ければ内野ゴロになるこのボールを、宇垣はアッパースイングで掬い上げた。

 やや高く浮きすぎたかもしれないが、センターの深いところまでは飛んで行く。

(届かないか)

 元々やや深めに守っていた蝦夷農産だが、それでもセンターは追いつかなかった。

 捕球できないのを見てからスタートしたので、サードランナーとセカンドランナーは帰ったものの、ファーストの悟は三塁ストップ。

 宇垣も二塁で止まり、追加点を取ってまだリードの場面である。




 上山が打ち上げたフライはやや浅かったが、悟の足ではタッチアップが可能であった。

 まだランナーは残塁であったが、この回の攻撃はここまで。

 それでも一気に三点を追加したのである。


 試合はまだ中盤であるが、8-3の五点差。

 かなり優勢ではあるが、蝦夷農産は一イニングに七点を一気に取ったこともあるのだ。

 そしてここで当然ながらピッチャーは交代するのだが、秦野が出したのは山村ではない。


 大井をセカンドに移して、セカンドの花沢がピッチャーである。

 県大会では何度か投げたが、甲子園では初めての登板だ。

 だがここで花沢というのも、なんとなく分からないではない。


 蝦夷農産はいわゆる、本格派よりも軟投派に弱いチームだ。

 ならば花沢のアンダースローが、目先を変えられていいのではないか。

 一応秦野は、花沢だけではなくピッチャーの練習をしていた者は、使うかもしれないとは言ってあった。

 だが決勝戦のこんな場面で出すのは、想定を超えていると言っていい。


 花沢と上山に向かって、秦野が言ったのは簡単なことだ。

 別に失点することは気にせず、ただ試合のイニングを消化することだけを考えろと。

 五点差があるし、これはさらに点が増えていくかもしれない。

 今はとにかく試合を進めて、蝦夷農産の攻撃を減らしていけばいい。


 まさか甲子園のマウンドに登るとは、と考えた花沢である。

 だがこれはこれでいい思い出になるし、アンダースローというのは統計的に、ビッグイニングが作られないことが多い。

 蝦夷農産のベンチも、このピッチャー交代には驚いているようだ。


 もしも上手く花沢が少ない失点で抑えられたら、最後にはユーキに代わって、その球速の差で一気に勝負を決められる。

 ひょっとしたら秦野は、耕作までマウンドに登らせるかもしれない。

 左のサイドスローという変則派から、ユーキの球速には目がついていかないのでは。

 あるいは山村もどこかで使うのかもしれない。




 投球練習を終えた花沢だが、もちろん肩が暖まっているわけもない、

 ただアンダースローというのは、速度で勝負するタイプではないのだ。

 五回の先頭の竹園には、いきなりフェンス直撃のツーベースを打たれた。

 だがその後の打線は、高くフライを上げてしまった。

 タッチアップになって一点を取れたが、ランナーはいなくなってしまった。

 そこからまた連打でランナーを出したものの、最後には引っ掛けて内野ゴロ。

 一失点で蝦夷農産の一番から始まる上位打線を抑えたのであった。


 五回の裏、蝦夷農産はピッチャーは二番手の金子に代わる。

 秦野としてみたら、四回の頭から代えておいた方が良かったのではないかとも思うが、どうやら向こうの監督には、継投のタイミングをつかむセンスはないらしい。

 ただ下位打線からの攻撃であったので、両チーム通じて初めての、三者凡退である。


 五回が終了して、グラウンド整備が入る。

 この間に作戦タイムである。

「次の頭から、山村行くからな」

 わずか一イニングを投げただけで、交代の花沢である。

 ただこれはどうも、相手を混乱させるための継投であるとは分かる。


 蝦夷農産は打線が爆発すると、本当に一気に点を取ってくるのだ。

 今、秦野が考えているのは、無駄に考えさせること。

 目先をコロコロと変えることによって、相手の集中力を乱す。

 なのでセカンドに戻った花沢は、さらにまた登板するかもしれないと告げておく。


 文哲はベンチに引っ込めてしまったので、あとは山村とユーキを基本にして回していく。

 だが山村は外野を守れるが、ユーキは内野を守らせても、あまり上手くはないのだ。

「ユーキをファーストに、宇垣をサードにしたりもするからな。この先はなんでもありだと考えていけ」

 蝦夷農産もコロコロと打順を変えるチームであるが、秦野の指示もかなり極端なものだ。

 この点差ならこのまま普通にいっても勝てるのではないかと思うが、まだ分からないのが高校野球である。


 とにかく重要なのは、相手の集中力を乱すこと。

 目の前のワンプレイに集中させことをさせず、無駄に頭を使わせるのだ。

 だいたい大量点が入る時の攻撃というのは、何も考えずにぶんぶん振り回している時の方が多いのだから。




 グラウンド整備が終わり、六回の表が始まる。

 花沢がセカンドに戻って、マウンドには山村。

 蝦夷農産は文哲の後に、ブルペンで投げていた山村が出てくるかと思っていたのに、実際はアンダースローの花沢が出てきて少し混乱した。

 だが本来は甲子園で投げるレベルのピッチャーではないので、一点を取れた。

 花沢から一点しか取れなかったと言うべきだろうか。


 山村は文哲と違って、ヒットをポコポコ打たれても気にせず投げられるタイプではない。

 だから集中力が途切れたら外野に送るし、そこからはユーキが投げていく。

 残り二イニングまでもてば、そこからはユーキの球威があれば、0で抑えていけるだろう。


 この六回、無失点に抑えられれば、かなり流れはこちらに持ってこれると思っていた。

 だが下位打線からでも蝦夷農産はヒットを打ってきて、先頭に戻る。

 ここでも長打が出て、一点を加算。スコアは8-5となる。

 ただしこの一点だけで抑えたので、秦野としては充分だと満足している。


 六回の裏は白富東も、一番からの好打順。

 ここで一点は取っておきたいし、大量点が取れればさすがに、蝦夷農産もプレッシャーはかかるだろう。

 何より大切なのは、三者凡退で終わらないこと。

 しかし大石と宮武は、蝦夷農産の二番手金子を打てず、三振こそしなかったものの内野ゴロ二つである。


 まずいな、と秦野は考える。

 三者凡退で終わって、次の蝦夷農産の攻撃は三番から。

 また二点ほど取られていけば、九回までに追いつかれる可能性があるのだ。


 ただしツーアウトからでも、しっかりと打ってくるのが悟である。

 ライトフェンス直撃、あと少しでホームランという打球で、スリーベースヒット。

 ツーアウトながらも着実にチャンスを作り出す、中軸の働きであった。

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